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06


 けれどアメリアは、そんなライオネルの言葉を遮るように小さく首を振った。それ以上言っては駄目よ、と、静かに微笑む。そうしてアメリアは再び手帳に何かをしたため始めた。その手が止まる。そこには――。


「――っ」

 ライオネルは再び大きく目を見開いた。彼は信じられないと、そんなの正気じゃないと、瞼を酷く震わせる。


「……そんなの駄目だ。この子を側に置くなんて――危険すぎるよ。またさっきみたいな事になったら……君に何かあったら……」

「……」

 ライオネルは今度こそ――自分の感情を押し殺すことが出来ずにアメリアの両肩を掴んで力を込めた。その口からはつい、アメリアを諫めるような言葉が漏れる。けれど――。


「……アメリア、何故なんだ。どうしてそんな危険なことを」

 アメリアは決してライオネルから視線を逸らさなかった。揺らぐことのない決意、それだけを瞳に映し出しライオネルをじっと見据える碧い澄んだ瞳。そこにはもう、先ほどまで蒼白な顔で息絶え絶えであった、か弱き少女の姿などどこにも見つけられなかった。


「――……っ」

 ライオネルの顔が歪む。このままアメリアをこの少年と共にここに残し立ち去るなど……アメリアが少年を今後側に置き、彼の世話をするなどと……。そんなこと、決して認められる筈が無い。それは騎士団の一員としてなのか――たった二日であったがアメリアの友人の様に過ごしたあの日の自分のせいなのか……或いはもっと別の感情なのか、彼自身にもよくわからなかった。けれどそのどれかが、或いはその全てが、自分の中で、アメリアのしようとしていることを強く否定していることだけは疑いようのない事実だった。


「やっぱり、駄目だよ。僕は……君のその願いを聞き入れることは出来ない」

 ライオネルもアメリアを真剣な眼差しで見つめ返す。彼にはもう一歩も引く気は無い様であった。それをアメリアも感じ取ったのであろう。彼女は一瞬瞼を伏せると、失望した様子でライオネルから目を背ける。けれど、それも本当に束の間の事で。

 アメリアは小さく息を吐くと、再びライオネルと見上げた。その表情は……どことなくすまなさそうな、ライオネルを気遣うようなものへと変化していた。


『わかったわ。ごめんなさい、貴方の立場も考えないで。でも、これだけはお願いできるかしら』

「……何、かな」

『さっきの男に私がされたことは、誰にも言わないで。ウィリアムには心配かけたくないのよ』

「……」

 アメリアの言葉に、ライオネルの目元が引きつる。彼の脳裏に過る――ウィリアムのあの日の別れ際の横顔。それはライオネルにとっては非常に不快な笑顔であったが、目の前のアメリアにとってはそうではないのだ。アメリアにとってのウィリアムとは、やはり大切な恋人で、婚約者で――そして将来に渡り添い遂げるその相手。それを改めて痛感し――ライオネルは、つい感情をその顔に露わにしてしまった。けれど自分でもそれに直ぐに気が付き、それをアメリアには気づかれないようにと、再び俯く。


「……わかったよ。それは、約束する」

 そして彼は、絞り出すように呟いた。その声に、アメリアはようやくほっとしたように微笑む。それはあの日――まだライオネルがアメリアのことを伯爵家の娘だと知る前に見た、ただの一人の娘の様な笑顔だった。その表情に、ようやく彼も本当の意味で安堵する。


「ええと――じゃあ……とりあえずは、その、ドレスを整えようか。僕、君が息苦しそうだったから……その……」

「……?」

 ライオネルの視線がアメリアの肩へと移る。その視線を追ったアメリアは、やっと自分のドレスが肩から胸元にかけてはだけてしまっていることに気が付いた。そして、先程までとはまるで別人であるかの様子で、さっと顔を赤らめる。

 そんなアメリアの姿に、ライオネルは慌てて視線を横に逸らした。


「あっ、ご、ごめん!僕、後ろを向いていた方がいいかな!?ああ、でもそう言えば、コルセットも緩めちゃったんだ。どうしよう」

「……」

 ライオネルの焦るような声に、アメリアは朱の差した頬はそのままに、ふわりと微笑んだ。そしてゆっくりとライオネルに背中を向けると、右手で背中にかかる長い髪を首の付け根から一つにまとめ、前に下ろした。アメリアの白いうなじがライオネルの目の前にさらされる。それはアメリアからすれば、ただコルセットを締めて貰う為に必要な動作なだけであり、もちろんライオネルもそれをわかってはいたが、彼はそのどうしようもないアメリアの美しさに、思わず唾を飲み込んだ。けれど直ぐに頭を振って、コルセットの紐に手を伸ばす。


「――いい?締めるよ。苦しくなる前に言ってね」

 ライオネルの言葉に、アメリアは壁に両手を付いて体重をかけた。それを合図に、ライオネルは両手で左右の紐を引っ張る。当然のことながら、彼は今まで女性のコルセットに手を触れたことはない。つまりコルセットを締めるなどというのも、今日が初めてのことな訳で……。


「こ……これぐらい?」

 首を横に振るアメリア。ライオネルは再び腕に力を込める。


「じゃあ……これぐらい――かな」

 けれど頷かないアメリア。


「ええ……もっと?」

 本来ならば脚を使って締める物。けれどアメリアの夫でも無く同性でも無いライオネルには、脚を使うなどという選択肢は無く――コルセットを締め上げることがこれほど大変なのかとライオネルが気が付くまでに、そう時間はかからなかった。


***


「じゃあ戻ろうか。どうやら僕の仲間は来ないみたいだし……僕はこの子を背負うから」


 アメリアがドレスを整え終えたことを確認すると、ライオネルはそう言って、気を失ったままのニックを軽々と背負った。そして二人がセントラル通りへと戻ろうと路地裏を出ると、少し先にこちらに向かって駆けてくる二人の人影が視界に映る。


「あれは……」

 ――ルイスと……と、ライオネルは言いかけ、けれどすぐに口を閉ざした。自分の横に立つアメリアの表情、それが一瞬で変わったことに気が付いて。ウィリアムの姿を見つけたときのアメリアの横顔が、あまりにも愛しげで――。


「――アメリア!」

 ウィリアムが悲壮な声でアメリアの名前を叫んでいる。それはどこか――二か月前とは違い、心に響く様な声。同時に走り出す、アメリアの姿。


「……あ」

 アメリアの背中が、ライオネルから遠ざかって行く。それは当たり前の光景で、何の疑いようもない景色で。けれどどうしてなのか、ライオネルはそれに酷く違和感を覚えた。


「……」

 ――何だろう、変な感覚だ。

 ウィリアムの腕の中に飛び込むアメリア。流れるような美しい金色の髪が風にそよぎ……そしてそのまま、ウィリアムに優しく抱きしめられる、華奢な体。――それを見ていると、何かが喉からせり上がってくるような、妙な感覚に襲われる。


「無事で本当に良かった。怪我は無いか?」

 安堵と心配の入り混じった表情でアメリアを見下ろすウィリアムも、そんな彼を安心させようと精いっぱいに微笑むアメリアも、ひとかけらも違和感も無い、疑いようもない姿に感じられる筈なのに。それなのに、どうして……。

 言いようのない、得体の知れない何かを感じて、ライオネルは無意識のままに顔をしかめる。――そんなとき。


「――ライオネル様」

「――ッ」

 唐突に名前を呼ばれ、ライオネルは我に返ったように目を見開いた。彼の目の前では、ルイスが恭しく頭を下げている。


「マクリーンという名を聞いてまさかとは思っていましたが……やはり貴方様だったのですね。一度ならず二度までも、アメリア様がお世話になりまして――」

「――いや、いえ……いいんです、今回のは――仕事ですから」

 ライオネルはルイスの言葉を遮るようにそう言って、アメリアの肩を抱いたままのウィリアムに向けて敬礼をした。するとウィリアムもそれに応えて、小さく頷く。


「ミスター・ライオネル、礼を言おう。私がアメリアから目を離したばっかりに、再び彼女を危険な目に合わせるところだった。……君が彼女を見つけてくれて、本当に良かったよ」

 ウィリアムはそう言って、左腕に抱きしめたままのアメリアに愛し気な視線を送った。そしてまたアメリアも、ウィリアムに応えるように可憐な笑みを返す。――しかし。


「――っ」

 目を離したばっかりに――だって?


 仲睦まじく抱き合う二人の様子とは裏腹に、ライオネルはウィリアムの言葉に自分の中で深い葛藤の念が沸き上がってくるのを感じていた。アメリアは決して無事などでは無かった、自分は間に合わなかったのだ。けれどそもそもウィリアムがアメリアから目を離してしまわなければ、アメリアはあのような酷い目に合わずとも済んだ筈だったのか――と。それがただの八つ当たりだということはライオネルも理解していた。本当に悪いのはアメリアの首を絞めていたあの男だ。――けれど。


 ライオネルの瞳が――暗く、(よど)む。


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