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03


「――なんて、……女だ……」


 私の表情の意味を悟ったのだろう。私の首を両手で掴んだままこちらを見下ろす男の顔が、自嘲気味に歪められた。下手打ったのは自分の方だったか、と、その目を悔し気に細め、男はこちらを睨むように見据える。


「……ニック」

 そして男は呟くと、今度は私の傍らに倒れたままのニックに視線を向けた。ニックは既に――気を失っていた。痛みのせいか、毒のせいか。多分両方だろう。この毒は決して強くは無いが、非常に即効性があるのだ。それに私が髪飾りの先端に塗った毒の量は、成人男性に合わせてある。つまり子供のニックには、少し量が多すぎる。間違ってもそれで死ぬようなことは無いけれど、目の前の男にはそんなことはわかるまい。


「……よくも」

 男は気を失ったニックを見つめ、吐き捨てるように呟いた。まさかニックが死んだと思っているわけではあるまいが、決して私を許すことが出来ないと、その瞳にありったけの殺意を込める。

 けれど男の腕の力は、その殺意とは裏腹に少しづつ、確実に弱まっていった。毒が効いているのだろう。そろそろ全身が痺れてくるころ合いだ。――私は、男を見上げてほくそ笑む。

 それはこの勝負が、私の勝ちだと相手に知らしめる為に。少しでも相手の戦意を喪失させる為に。


「……く、そ」

 男の顔が歪む。しかし、それでも男は決して手を放さなかった。死んでも放すかと言いたげに、その鋭くぎょろりとした瞳で、冷たく私を見下ろすだけ。


「――」


 ――何か、おかしい。

 私はそんな男の様子に――どうしようもない違和感を覚えた。だっておかしいのだ。既に毒は全身に回っている筈なのに、どうしてこの男は手を放さない。さっさとこの手を放し、自分一人でここを立ち去ってしまえばいいものを。医者の所にでも駆け込めばいいものを。どうしてここに留まるのだ。まさか本当に自分が死んでもいいと思っているのだろうか。それとも――私を焦らせるつもりなのだろうか。

 そこまで考えて――ふと、過る考え。それは、そう。過去にただの一度だってあり得なかったこと。……もしかして、悟られてしまったのだろうか……。私の呼吸の――限界を。


 そして――私がそう思った瞬間に、まるで私の心を読んだかのように、男の表情が再び変わった。


「……は、ッ。――いい顔してんぜ、嬢ちゃん。そろそろ、限界だろう?」

「――ッ」

 にやりと嗤う、男の口元。それは確実に、私の限界を――悟っていた。


「――」

 まさか、そんなことがあり得るのか。あり得ない、あり得ない。今まで私は一度だってそんな失敗を犯したことは無い。命のやり取りを行うこんな状況で、相手に心を読まれるなんて失態を――ただの、一度も。


「信じられないって顔だな。いいか、嬢ちゃん、最後だから教えてやるが、俺たちみたいな奴は毒に慣れてんだ。これぐらいの毒で、手を引いたりはしねぇんだよ。――ま、でも嬢ちゃんは貴族にしてはよくやったぜ。褒めてやるよ。だが――」


 ……いや、違う。そうでは無い、そういうことじゃ。あぁ、でも……そうだ。……私は既に、ルイスによって昔の心を思い出してしまっている。それが――あだになった、のか。


「――俺の、勝ちだ」


 私の止められた呼吸が、限界を迎える。男の腕の力は――もうこれ以上弱まらない。私の首から――放れない。


 視界が(かす)む。思考が……ゆっくりと闇に沈んでいく。とても――懐かしい感覚。頭がぼうっとして、身体が宙に浮いて、どこへでも飛んでいけそうな――そんな、感覚。


 あぁ――私は、死ぬのね。そして――また……一から、繰り返す……のね。……エリオットの、影を……追いかけ……て……。


「はッ。やっと泣きやがった。流石に死ぬのは怖いってか?でも安心しろ。死んだらどうせ何も覚えちゃいねぇさ」

「……」


 愚かな……男……。死ぬのなんて……慣れてる……。ただ……やっと……あの人……と……。なのに……馬鹿な……私……。


「――じゃあな」


 暗転、する。視界も、意識も……。

 あぁ――、ウィリ……アム……私……あなたを……愛……し…………。


 そうして……私の意識は、途切れた。



***



「そこを退け!コンラッド!」



 ――遡ること約半刻前、ウィリアムはアメリアを見失った辺りの場所で、スリに会ったという男性を見付けていた。程なくしてハンナもそこに現れ、男性が先ほどぶつかった相手の容姿と、アメリアが少年を見ていたというハンナの証言により、ウィリアムはアメリアがそのスリの少年を追ったのだと当たりを付けた。そしてそんなアメリアをルイスが追い掛けて行ったことを聞き、ウィリアムも彼らを追おうとする。しかしそんなウィリアムとハンナを、どこからともなく現れた五、六人の騎士団員が取り囲み、行く手を阻んだ。

 その様子に街行く人々は騒然とし、彼らに近付くまいと皆距離を取る。それもその筈。ウィリアムを取り囲む団員の中央にいるのは、かつてこの国の騎士団の団長を務めていた、コンラッド・オルセンだったのだから。

 ウィリアムの半歩後ろに立つハンナも、民衆と同じように顔を真っ青にして立ち尽くしてしまった。けれどウィリアムだけは、全く怯むこと無くコンラッドを睨む様に見据える。


「これは一体どういうことだ。見たところ、見知った顔ばかりのようだが」


 ウィリアムはコンラッドの眼前にまで近づき、団長を辞した今でもその頃の威厳を決して衰えさせずに、毅然と佇む男を見上げた。

 見知った顔ばかり――そう、ここにいるメンバーをウィリアムは良く知っていた。彼らはアーサーの近衛騎士と、それに仕える者たちである。つまり、コンラッドはアーサーの指示で動いていると言うことだ。

 一体何の理由があってこんなことを――と、ウィリアムはあからさまな敵意をコンラッドに向けた。けれどコンラッドはそんなウィリアムの視線など気にしないとでも言うように、穏やかな口調で答える。


「申し訳ございません。ファルマス伯爵。王太子殿下のご指示でございます故、これ以上貴方様を行かせる訳には参らぬのです」


 その言葉に、ウィリアムは眉をひそめた。これ以上行かせられない、という言葉の真意を謀りかねて。


「――それは、どんな指示だ」

 ウィリアムは声を低くする。そんな彼に、コンラッドは微笑んだ。


「貴方をお守りするように――と」

「――なん、だと?」

 守る?この俺を――?一体、何から……。――まさか。

 ウィリアムは一つの可能性に気付き、顔を歪める。


「アメリアが追った少年がスリだと、気付いていたのか」

 ウィリアムの言葉に、コンラッドは満足そうに頷く。


「ええ――。ですから貴方は安全なこの場所でお待ち下さい。既に数人の部下を捜索に当たらせています。アメリア嬢はこちらで捜し出して無事にお連れ致しますから、ご安心を」

「――ッ」

 そう言ったコンラッドの瞳は、有無を言わせぬ重みを放っていた。ウィリアムは一瞬言葉を呑み込んで、目を伏せる。しかし――。


「――駄目だ、それは受け入れられない。私の婚約者だ。私が捜す」


 ウィリアムは再び目線を上げて、コンラッドに楯突いた。これには流石のコンラッドも、眉をひそめる。


「何を仰っているのやら。その様に冷静さを欠いた発言、貴方のお言葉とは思えませぬな。いやはや、貴方も愛するご婦人の前では、只の愚かな一人の男だった、というわけですか」

「……だから何だと言うんだ。彼女に何かあったらどう責任をとるつもりだ。ただで済むとは思うなよ」

「おやおや、そのように子供の様なことを仰いますな。アメリア嬢は自ら危険に飛び込んで行ったようにお見受けしましたがね。そしてその手を掴まなかったのは貴方ですぞ。我らには何の責もございますまい」

「――ッ」

 コンラッドの冷静な言葉に、ウィリアムはとうとう言葉を無くした。ここを無理に通ろうとしたところで、力で敵う相手では無いのだから。――本当に、騎士たちかルイスに、任せるしかないのか。ウィリアムがそう、悔しそうに拳に力を入れた――その時。


「団長!」


 道の向こうから、独りの団員らしきまだ若い男が走ってきた。男は息を切らせ肩を上下させながら、コンラッドの側へと走り寄る。


「俺はもう団長じゃないぞ」

「――あ、はい。では……元、団長。あの、捜索対象を見失ってしまいました」

「はああ!?見失っただと!?子供と女だぞ、馬鹿か!」

「――も、申し訳ございません!足が思ったより速く……。それに……」

「何だ、まだ何かあるのか」


 コンラッドは忌々しげに若い団員を見下ろした。団員はその視線に小さく悲鳴を上げつつも、何とか言葉を絞り出そうとする。


「そ……その、マ、マクリーンと……はぐれました」

「――なんだと」

 コンラッドが眉を潜める。そしてウィリアムも、その確かに聞き覚えのある名前に目を細めた。


 マクリーン……もしや、ライオネル・マクリーンか?いや、確か彼には兄も居たはず。だが――。


 ウィリアムはちらりとコンラッドを見やる。彼は団員の言葉に、何かを考えて居るようだった。そして周りの騎士たちも、今はウィリアムを見ていない。

 するとウィリアムはそんな彼らの様子に、今だ――と言わんばかりに、その場から駆け出した。


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