05
落ち着いた雰囲気のその店は、それなりに高級店の様であった。間口はそれほど広くないが奥行きはそれなりにある店内には、両側の壁に沿って白く透明なショーケースがぐるりと並んでいる。そしてその中には、豊富な種類の宝飾品がずらりと並んでいた。指輪、ネックレス、ペンダント、イヤリング、そして髪飾り――。そのどれもが赤や黄色や青の宝石で飾られ、それは吹き抜けの二階の窓から差し込む昼の光で、眩しいくらいに輝いていた。
そしてそんな店の中には、そこに並ぶ宝飾品に相応しいであろう、身なりの整った二、三組の先客がいた。彼らはそれぞれ、店の者の礼儀正しい対応を受けている最中である。
けれどウィリアムやアメリアにとっては、所詮街中の一介の店に過ぎない。普段彼らの様な貴族は、今日の様に自らの足で店を訪れることは無い。宝石商を屋敷に呼びつけて終わりである。
そうであるから彼ら二人は、店内の厳かな雰囲気に全く臆することなく、自然な足取りで店内を見て回った。
「――にしても、少し意外だったな」
店内を一周したあたりで、ウィリアムがふと呟いた。彼の瞳には、ショーケースの中を興味深そうに覗く、純真無垢な子供のようなアメリアの横顔が映し出されている。そしてその言葉にアメリアが振り向くと、そこには自分を穏やかな顔で見つめるウィリアムの姿があった。
「君はあまりこういう物には興味が無いのかと思っていたよ。普段はあまり身に着けていないだろう?そのままでも君は美しいけれど、少し勿体ない気もしていたんだ」
「――!」
アメリアはあまりに唐突なウィリアムのその言葉に、一瞬で頬を赤く染めた。彼女は恥ずかしそうに、嬉しそうに眼を伏せる。そしてウィリアムも、そんなアメリアの姿にどこか満足げな顔を浮かべた。
「個人的には、君の瞳の色と同じ青い宝石などがいいと思うんだが……。そうだな、サファイヤか……もしくはアウイナイトやムーンストーンなんかもいいかもしれないな」
ウィリアムはそう言って少し考えるそぶりをすると、奥にいる店の者に視線を投げる。すると白いシャツと黒いスーツを身にまとった、まだ年若い売り子がやってきた。
「旦那様、何かお探しでございますか」
「あぁ、彼女の瞳の色と同じ、青い宝石の入ったものを何点か見せてもらいたいのだが」
ウィリアムはにこやかな笑顔で売り子に伝える。するとその売り子は、一瞬ウィリアムの足元に目を向け――恭しく会釈した。
「かしこまりました。ではこちらへ――」
***
そんな二人の様子を、道を挟んだ反対側の雑貨店から伺うのはハンナとルイスであった。こちらの雑貨店は宝飾店と違い、若い女性や仲むつまじい恋人達で賑わっている。二人は通りに面したはめ殺しのガラス窓から、宝飾店の中にじっと視線を向けていた。
「あぁ、お嬢様、なんてお可愛らしい笑顔なのでございましょう。あの方の可憐な微笑みには、どんな高価な宝石も見劣りするというものですわ」
ハンナはガラス窓に両手を付けて、うっとりとした表情で食い入るように主人の姿を見つめている。ルイスはそんな彼女の横顔に、どこか信仰めいたものを感じて眉をひそめた。
「まるであなたは昔から知っていた様なことを言うんですね。今のあの方は、少し前までの彼女とはまるで別人だというのに」
そう言ってさり気なく探りを入れるルイス。けれどハンナは顔色一つ変えずに断言する。
「そんなことはありませんわ。お嬢様は昔からずっとお優しくて、お可愛らしい方でございます。ただ少し普通の人より聡明であるが故に……誤解されてきてしまっただけですわ」
「そうでしょうか。もしかしたらそれこそが、彼女の偽りの姿なのかもしれませんよ。――そう思われたことは?」
「まぁ、酷いことをおっしゃるのね。でも残念ですが、私ただの一度だってお嬢様を疑ったことはありませんのよ」
ハンナはそう言うと、いつもよりも落ち着いた表情でほほ笑む。
「だから私、本当に嬉しいんです。ウィリアム様と寄り添っているときのお嬢様は、本当にお幸せそうなのですもの」
その瞳には言葉の通り、一分の迷いも疑いも映っていなかった。それは本当に、アメリアを心から信じ、信頼している彼女の純粋な想い。
けれどルイスには、それが脆く儚いものに感じられ――かすかに目を細める。
ハンナは知らないのだ、いつかアメリアが彼女の元を去ることを。全てを捨てる覚悟をもってようやく、ウィリアムを愛すことを許された――今この時が、束の間の夢なのだということを。しかしそれを望んだのは……それでもハンナを側に置いているのは、他ならぬアメリア自身……。
もう彼女は立ち止らないであろう。そう、ウィリアムの為に、ただひたすらに突き進むしかない。
ルイスは――微笑む。
――あと少しだ。ようやく十五年の長きに渡る僕の努力が報われる。だからそれまでは、それが叶えられるまでは……誰を傷つけ、その心を粉々に砕こうとも、最後まで嘘を突き通す。――そう、誓って。
「――ええ。私も、大変嬉しく思っていますよ。ウィリアム様のあのようなお顔は初めて拝見いたしますから。本当に、お似合いのお二人でございます」
「ええ、本当にその通りでございますわ」
そうして二人は――コインの表と裏の様に、光と影の様に――全く別々の、正反対の気持ちを心に宿し、互いに微笑みあった。
***
「――では、その品はこの住所へ届けて置いてくれ」
ウィリアムは屋敷の住所を書き留めると、ショーウィンドウの上に並べられた数点の宝飾品を満足げに眺め、そう言った。売り子は指定されたその住所に驚いたように目を見開くが、すぐに我に返って頭を下げる。
「かしこまりました、旦那様」
「あぁ。では行こうか、アメリア」
ウィリアムは微笑んで、自分の左腕を差し出す。それに答えるように、自然な動作で右手を添えるアメリア。そして二人は、夫婦の様に寄り添いながら店を後にした。
***
「もう昼になってしまったな」
宝飾店を出たウィリアムは、天高く登った太陽を眩し気に見つめ呟いた。思ったより長居してしまっていたようだ。しかし、それに見合う収穫はあった。ウィリアムは先ほど購入した、真っ青に輝くペンダントを思い出す。
――まさかこんな街中の店で、ロイヤルブルーサファイアを目に出来るとは思わなかった。通常のサファイヤよりもずっと深い、紫みのある鮮やかなブルー。アメリアの瞳と同じ色。あれならば彼女の輝きにも劣ることなく、彼女を更に美しく煌かせることだろう。
ウィリアムはアメリアがペンダントを付けている姿を想像し、思わず顔を緩ませる。それはウィリアムにとって初めての感情であった。今まで数えきれない程の女性と接してきたが――いや、正しくは相手をせざるを得ない状況にさせられて来たが――一度だって彼は、そんな気持ちを抱いたことが無い。
アメリア以上に美しい女性は何人もいた。そして彼は、そんな相手に何度も好意を向けられてきた。けれどそれを本当に嬉しく思ったことが、ただの一度もないのである。ましてその相手に、何かをプレゼントをしたいなどという感情など……有るはずもなく。
しかしウィリアムは、そんな自分自身の心にはまだ気付いていない。
「そろそろ昼食にしようか。この先にいい店が……。――アメリア?」
ウィリアムはそう言いかけて、足を止めた。彼は同時に、さっと顔色を悪くする。
「……ッ」
それもその筈。何故なら今の今まで彼の隣に居たはずのアメリアの姿が、忽然と消えて居たのだから。