04
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「では行こうか」
そう言って、階段から玄関ホールへと降りてきたアメリアの手を取るウィリアムは、街歩きに丁度よさそうな軽装をしていた。青地のストライプのシャツに紺のベストと黒のスラックス。そしてアメリアはウィリアムに合わせ、青ベースのシンプルなドレスを選んでいた。とは言え、どちらの生地も上等な絹で仕立てられている訳で、見る人が見ればすぐに貴族だとわかってしまう品であるが。
ウィリアムは優しくアメリアの手を引きながら、馬車へと乗り込む。そしてルイスとハンナの見送りの中、街へと出かけて行った。残された二人は、その馬車が屋敷の門の外へと消えていくのを笑顔で見送る。
そして――。
「では、私たちも出かけましょうか」
ルイスはなるべく不自然に見えないような笑顔を作り、その顔をハンナに向けた。そして、尋ねる。
「どこか行きたい場所はありませんか?ミス・ハンナ」
ルイスは少なくとも、ここ暫く――それが何十年か何百年かは不明であるが――自分から女性と接することはなく、そしてなるべく人を避けて生きてきていた。であるからルイスには正直なところ、普通の女性の好むことなどわからない。本来ならスマートにエスコートするべきなのであろうが……。
「ミス・ハンナ……?」
けれどハンナは、ルイスの問いかけに反応を示さなかった。
「……?」
不審に思ったルイスが彼女の横顔を覗きむと、ハンナはようやくハッとしたようにルイスの方を向く。そして彼女は、にこりと笑った。
「私のことはハンナと呼んで下さいませ。私もルイスと呼ばせて頂きますから」
彼女はいつもの様に明るい声でそう言うと、そのままルイスの腕をむんずと掴む。
「――!?」
思わぬハンナのこの行動に、ルイスは狼狽えた。が、ハンナはそれをものともせず、ルイスを引きずるように走りだす。
「さっ!行きますわよ、ルイス!」
「――は、はい?」
「早くしないと見失ってしまいますわ!」
「――!」
そんなハンナの言葉に、ルイスは察する。
「まさかとは思いますが、尾行するなどということは――」
「そのまさかでございます。だってお嬢様が殿方と二人きりでお出かけされるなんて初めてなのですよ!後を追わずしてどうすると!」
ハンナはルイスの方を振り向きもせずに、けれどルイスの腕はしっかりと掴んだままそう断言した。ハンナのその迷いのない発言に、ルイスはかすかに眩暈を覚える。
「……で、ではその為に私を?」
「あら、お嫌でございました?本当はお嬢様が外出なさると決まったとき、私の方から貴方をお誘いさせて頂こうと思ったのですけれど。まさかウィリアム様があのようなことを言われるとは流石の私も予想外でございました」
ハンナはそう言いながら、通りに立つと右手を上げて辻馬車を止めた。
――なんと手際のよいことだろうか。これは尾行し慣れているな。ルイスはそんなことを考えながら小さく溜息をつく。そして同時に心から安堵した。ハンナに好意を持たれていた訳では無かったことに。
ルイスは、辻馬車にさっさと一人乗り込むハンナの背中を眺め、思う。――あの主人に、この侍女あり、と。お互い主人には苦労させられてきたと言う訳か。
「さぁ、早く!」
そしてルイスの目の前に差し出される、ハンナの右手。
「……」
――変な人ですね。……だが、たまにはこういうのも悪くない。
ルイスはほくそ笑み、その手を取る。それはもういつもの様な作り笑いでは無かった。
「さ!前の黒い馬車を追って下さいまし!」
そしてハンナのその言葉を合図に、二人の波乱の尾行劇が幕を開けたのであった。
***
一方ウィリアムとアメリアは、馬車の中で最初の行き先を決めていた。
「とりあえずは買い物でもしようか。欲しい物があれば遠慮せずに言ってくれ。帽子でも扇子でも傘でも……どうだろう?」
ウィリアムはアメリアに尋ねる。するとアメリアは、肯定の意を込めてふわりと微笑み返した。
アメリアからすれば、行き先はどこだって構わない。ウィリアムと一緒ならばそれだけで満足なのである。
そしてウィリアムはそんなアメリアの笑顔に頷くと、馬車の連絡窓を開け御者に言う。
「セントラル通りに」
こうして二人を乗せた馬車は、エターニアで一番に栄え賑わう、セントラル通りへと向かって行った。
***
馬車は通りの少し手前で停まった。アメリアが、自分の足で歩きたいと希望した為である。
ウィリアムは迎えはいらないと御者に伝え、アメリアと共に馬車を降りた。そしてアメリアの手を優しく取ると、彼女の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩き出す。
二人の視界には、赤褐色のレンガと石造りの建物で統一された街並みが広がっていた。まだメイン通りの手前とは言え、既に人通りも馬車も多く、賑わっている様子が伺える。
そして二人が少し歩くと、三、四階建ての建物が並ぶ通りへと出た。ずっと先まで立ち並ぶその建物の一階には、宝石や時計、衣装を売る店から、書店やカフェ、雑貨屋までありとあらゆる店が混在している。アメリアはそんな街の様子に、キラキラと目を輝かせた。
アメリアは過去に何度も街へ足を運んでいた。けれどそれはいつだって、人目につかない夜を選んでのことである。それに彼女はただの伯爵令嬢ではない。千年の記憶を持つ令嬢なのである。からして、彼女は今さら街歩きにはしゃぐような少女ではないのだ。
そうであるにも関わらず、今のアメリアは賑わう街の様子に目を奪われている。それは彼女の隣にいるウィリアムの存在があるからであって――過去から現在に至る長きにわたり愛し続けてきた、恋人と時を共に過ごすことが出来る――そのことに心を躍らせているからに他ならない。
そしてウィリアムもこの二か月の間に、エドワードやブライアンから、彼らが過去にアメリアと共に街歩きをしていたことを聞かされていた。そしてアメリアが、サウスウェル家に仕えるメイド、ローザと名乗り自身の悪評を流していたことも。
それを聞かされたときのウィリアムの衝撃と言ったら、決して言葉には言い表せない。彼は悟ってしまったのだ。アメリアがどれだけ過去の恋人を愛していたかということを。誰とも結婚しないで済むよう、自分の悪評を自らの手で流す程に――。
ウィリアムはまさかそれが、アメリアが自分を遠ざける為にしたことだとは欠片も気づいていない。であるからウィリアムは、そんなアメリアが自分を受け入れ、愛してくれているという事実を心底不思議に思っていた。そして同時に、”彼女を愛せ”――というルイスの願いの意味を、未だ本心では理解できず頭を悩ませていた。
ウィリアムはふと――自分の左腕に回された、アメリアの右手を見つめる。
それは白く小さな手。――まだ十八歳の少女の、頼りなさげな細い腕。この手で掴んで少し力を込めてしまえば、簡単に折れてしまいそうな程の、線の細い身体。そんな少女が、自分を貶めることを厭わない程に愛した恋人とは、一体どんな男だったのか。
ウィリアムがそんなことを考えていると、ふとアメリアの足が止まった。それにつられてウィリアムも足を止める。何か目当ての物でも見つけたか?と、ウィリアムがアメリアの視線の先を追うと、そこにあるのは宝飾店であった。ショーウィンドウには煌びやかに光を放つ、色とりどりのアクセサリーが飾られている。
そんなショーウィンドウをじっと見つめるアメリアの姿に、ウィリアムは意外そうに目を細めた。けれど直ぐにその顔に笑みを浮かべてアメリアの手を引く。
「入ろうか」
その言葉に、花のような笑顔を浮かべるアメリア。そして二人は宝飾店へと入って行った。