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俺は特攻隊員として死んだ  作者: Saisen Tobutaira
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晴子さんとの出会い

本を読み終えた。前半には晴子さんの苦労話が書かれており、本当に申し訳なく思う。


俺が飛び立った後、父は俺の後を追うように自殺し、母は気が狂ったらしい。これらの原因は、一人息子だった俺を亡くしたショックからだった。晴子さんは気が狂った母を戦後何年も支え続け、なんとか一人で生活できる状態にまでしてくれた。


戦後すぐに晴子さんは元気な男の子を生んだ。空襲により被害を受けた病院は機能しておらず、近所のおばさん達が助産師をしてくれた。俺達の息子は賢と名付けられた。どうやら賢治の賢を使ってくれたようだ。


晴子さんは女手一つで息子と母を養うため、来る日も来る日も懸命に働いた。靴磨き、瓦礫拾い、米軍施設の清掃、なんでもした。晴子さんは俺と同じくアメリカに留学経験があり英語はペラペラだ。そのため、GHQと日本人との通訳もこなしていたらしい。








そういえば……


晴子さんと出会ったのはニューヨークのカフェだった。お金の無かった俺はカフェでアルバイトをしてなんとか生計を立てていた。反対に晴子さんは華族の出で、いつも窓際の席に腰掛け、優雅にコーヒーを飲んでいた。


俺はそんな晴子さんに一目惚れだった。


「あの……」


「はいっ?」


俺は晴子さんに勇気を出して声をかけた。しかし、何も言葉が出なかった。


「いつも頑張ってらっしゃいますね」


晴子さんはそんな俺を見て、笑顔で労いの言葉をかけてくれた。俺はますます惚れた。


「こちらに留学されてるんですか?」


「あっ、はい。半年ほど前に来ました。授業のない時はここでアルバイトしてるんです」


「大変ですね。何を勉強されてるんですか?」


「経済学を学んでます」


「そうなんですね。私も経済学を学びにアメリカに来ました」


俺達はお互い経済学を学ぶために、アメリカまで来ていたことがわかった。それから毎日俺はカフェに来る晴子さんに話しかけた。初めは全く話せなかった俺だが次第に時間が解決してくれた。


「あの、今度お食事でもどうでしょうか?」


俺は人生で初めて女性をデートに誘った。


「いいですよ。ぜひお食事しましょう」


俺はこの時の気持ちを今でも覚えている。非常に嬉しかった。ただ、嬉しかった。


よく頑張ったぞ賢治、俺はこの日何度も自分を褒めていた。




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