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よるあるく  作者: 夏目羊
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連れていかれる

昨日いっしょに話したあなたの友達は今日も昨日と同じ人であると確証を持って言えるでしょうか。

「暗闇がさあ、こわいんだよね」

 助手席に座る三崎はそう言って笑った。


「ほら、三波。信号青になったよ」

「あ、ホントだ」


 私は慌てて車を発進させた。ちらりとバックミラーを確認すると、夜も遅いからか後続車はいなくて、見えたのは等間隔に寂しく並ぶ街灯だけだった。私は小さく息を吐く。


「…なんか理由があるの?暗闇が怖い理由」

「だって何がいるか分かんないでしょ」

「そこの茂みとか?」

「うん、そーね」


 最近の私は車の免許を取ったばかりで正直なところかなり浮かれていた。昼夜問わずドライブに出かけていて、その日も友人である三崎と夜のドライブを楽しんでいた。

 昼のドライブは夜のドライブと違って景色が見えない。山道を走ればいきなり夜行性の動物が出てくることもあるし、確かに暗がりは怖い。まぁこの『怖い』は三崎が言う『怖い』とは違うと思うけど。


「じゃあこれから行くところも怖いんじゃないの」


 今から私たちが行くのは夜の海だ。月も出ていない夜だから、きっとかなり暗いはず。でも海に行きたいと言ったのは彼女だ。波の音が聞きたい。三崎は確かにそう言った。


「こわいけど、こわいもの見たさって言葉もあるでしょ」


 運転中によそ見は出来ない。でも三崎の声音は弾むような音で、きっと笑っているに違いなかった。



 私と三崎が向かったのは私たちが住んでいる町から一時間ほど車を走らせたところにある海辺の市だった。小さい頃に海水浴をするため家族で何度か訪れたことのある場所だ。

 その市は海をウリにしているらしく、夏には海目当てで遊びに行く家族連れで賑わっていた。ウチは父親が人混みギライだったから、賑わっている場所にある海水浴場ではなくて、町から少し離れた海水浴場に行っていた。

 だから今回向かったのも、その、町から少し離れた静かな海水浴場だった。


 ほんの数台しか停められない駐車場に車は全く居なくて、初心者マークを外せない私にとってはそれが有り難かった。

 エンジンを停めて外に出ると、まず磯の臭いが鼻についた。まわりにこれといった建物はなくて街灯もあまり無いから、周辺はとても暗い。

 海を見ると遠くに灯りがぽつりぽつりとあるのが見えた。見える範囲に陸地は無いはずだから、停泊している船に違いない。


 今、私達が立っているところはコンクリートの堤防を挟んで、海よりも上にある舗装された陸地の上だ。だから海全体を見るには、堤防を越えて砂浜に降りていかないといけない。波は見えないけど、音は確かに聞こえていた。


「よし、じゃあ降りようか。レジャーシート持ってきたから、ゆっくり波の音を聴こうよ」


 レジャーシートを片手に三崎はノリノリだ。特に異論はなかったから素直に頷く。

 コンクリートの堤防は少し歩いたところで一旦途切れていて、下り階段になっていた。どうやらここから砂浜まで降りられるらしい。先に行く三崎の背中を追いかけて、かたいコンクリートから砂の上に足を踏み出す。


 足が砂にとられる感覚は久しぶりに体験した。歩くたびに砂が少しずつ靴の中に入っていく。でも多少の不快感はこの際目を瞑るしかない。

 三崎は堤防から波打ち際までのちょうど中間くらいで立ち止まって「ここでいい?」と聞いてきた。やっぱり異論はなかった。二人でレジャーシートを広げてその上に座り込む。三崎は思い切り足を伸ばして、私は体育座りをした。


 風が吹いて、道路側に植わっている防砂林の木々がざわめいた。海は暗い空と溶けて…いや、暗い海が空を飲み込んでいた。空の方が若干、明るい色をしている。ふと頭に三崎の言葉が浮かんできた。暗闇が怖い。ああ、三崎はこんな気持ちだったのかもしれない。隣の三崎を見ると何故か彼女は仰向けに寝そべっていた。


「何してんの三崎」

「波の音を聴きながら空見てる。ほら、ここら辺街灯も無いから」

「ああ…」


 彼女の真似をして仰向けになると、成る程確かに星は私たちの住んでいる場所よりも沢山見えた。


「それに、あんまり海を見てると連れてかれるよ」

「何に?」

「暗いところからくる、こわいものに」


 なんだそれ。笑い飛ばしたいのに出来ないのは何故だろう。三崎の言葉には不思議と説得力があった。こわいもの。暗闇から這い出てくるこわいものは、きっと手があり足がある。こちら側にいるものを引っ張るための手。海へ引きずるための足。きっと最後には何も残らないのだろう。ああ、嫌だ。こわいものを見たくなくて、私は目を閉じた。


 ▽


 意識が浮上して最初に聞いたのは波の音だった。おおむね規則正しいその波の音は私の鼓膜を無遠慮に揺さぶった。仰向けに寝転がっていたはずなのに、いつの間にやら私は三崎に背を向けるような体勢になっていた。

 どうやら寝ていたようだ。一体どれくらい寝ていたのだろう。隣の彼女に聞こうと思って起き上がる。三崎の方を向いたときに、どきりと心臓が嫌な音を立てた。


 いない。三崎がいない。

 私は咄嗟に彼女の言葉を思い出した。こわいものに連れていかれる。ああ、そんな馬鹿なことあるもんか。視線を周りに巡らせる。すると彼女は存外早くに見つかった。


 レジャーシートが敷いてあるところよりもずっと海の近く、波打ち際のあたりに立つ黒い影が見えた。びっくりした。本当に驚かせないでほしい。向こうは私が起きたことに気付いたらしい。影が大きく横に腕を振る。


「こっちにおいでよ」


 この暗さだと遠目じゃどんな顔をしているのか判断がつかない。

 でも、やっぱり三崎の声音は弾むような音で、きっと笑っているに違いなかった。黒っぽい彼女の影が今度は誘うように、こっちにおいでと手を振っている。おおかた私が寝ている間に波でも見に行ったのだろう。そうに違いない。全く人騒がせな!ほっと胸をなでおろして私も手を振り返した。


 レジャーシートの上に座るため脱ぎ捨てていた靴を履いて立ち上がる。三崎はまだおいでおいでと手を振っている。ずっと手を振ってるけど疲れないのかな。

 彼女の姿を捉えながら一歩を踏み出そうとして、出来なかった。


 肩を誰かに掴まれた。


 ぴたりと、視界の中にいる三崎が手を振るのをやめた。叫ばなかった私を誰か褒めてほしい。今すぐにでも逃げ出したい気持ちと震えそうになる足をぐっと落ち着かせる。

 どうしよう、こわいものだったら。背後で私の肩を掴んでいるもののことを考えると振り返ることも逃げることも出来なかった。

 それはきっと数秒の沈黙だった。そしてその沈黙を破ったのは背後の“こわいもの”だった。


「…ミナミ?どうしたの?」

「え」

「もしかして驚かしすぎた?」


 慌てて振り返るとそこには缶ジュースとペットボトルを片手に三崎が立っていた。


「三崎、え、なんで」

「飲み物買って帰ってきたんだよ。もしかして寝惚けてる?」

「さっき波打ち際のあたりにいたでしょ」


 彼女はからから笑って否定する。


「寝惚けてるね。私言ったでしょ。公衆トイレの近くにあった自販機で飲み物買ってくるって」

「聞いてないよ」

「えー。だって、私が飲み物買ってくるって言ったときミナミはっきり言ったじゃん。いいよ、って」


 言ってない。私は一言もそんなこと言ってない。


「じゃあ向こうに立ってるのは誰なの?」

「向こうって?誰もどこにもいないよ」


 ぞわりと肌が粟立つ。振り向くと波打ち際に居たはずの何かはどこにも居なくなっていた。

 絶句する私に彼女はこともなげに言う。


「やっぱり寝惚けてたんじゃない?」


 ▽


 なんとも腑に落ちない気持ちで帰路についた。さっきのやり取りで少しだけ車内は微妙な空気になっている。

 気まずい空気が苦手らしい三崎は「あー、もう!」と言って赤信号で信号待ちをしている私の頬に冷たい缶ジュースをぐりぐり押し付けた。


「あげる!」


 多分彼女は慰めてくれているのだろう。


「……中身は?」

「オレンジジュース」

「ありがと」

「じゃあ開けとくから」


 プシュっというプルタブの上がる音がして缶が開けられる。そして彼女はドリンクホルダーにオレンジジュースを入れてくれた。

 ハンドルから片手を離して冷えたオレンジジュースを飲む。渇ききっていた口内が甘く潤った。

 彼女も喉が渇いていたんだろう。私の飲み物を開けたときよりも派手な音が鳴って、彼女はそれを開けた。確か彼女が缶ジュース以外に自販機で買ったらしいものはペットボトルの何かだ。


「ねえ三崎、それ炭酸?」

「うん。もしかしてこっちが良かった?」

「そういうわけじゃない…」

「ふーん?変なミナミ」


 しばらく無言が続いた。恐怖は燻っている。


 私達の車以外、誰も渡らない小さな交差点で信号が赤に変わった。車が停まったタイミングで、意を決して聞いてみる。


「ね、ねえ三崎」

「なに?」

「海を見てると連れてかれるって、さっき言ってたけどさ。連れてかれたらその後、どうなっちゃうの?」

「え?」


 カーナビの明かりにぼんやりと照らされた彼女の顔は青白い色をしていた。彼女はこちらにわざわざ顔を向けていて、目と目が合う。彼女の目はさっき訪れた海のような色をしている。


「ほら、ミナミ。信号青になったよ」


 私は慌てて車を発進させた。嫌な想像は膨らんでいく。この想像を早く三崎に打ち砕いて欲しかった。


「連れてかれたら、その後は」


 弾むような音。それは彼女の声に違いなかった。


 でも、三崎は、飲み物の中では炭酸が一番嫌いだった。

 磯の臭いが鼻につく。波の音が耳から離れない。


「入れ替わるんだよ」


 どこか嬉しそうな声に、私は。


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