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 スヴェトの小屋で過ごすようになって短い夏が訪れた。



雪に覆われていた森は一気に生命が息づいていた。

見たことがなかった森の生き物やたくさんの虫。これでもかというほど不思議な花や実を見つけた。

海沿いの町で育ち、ここでは冬しか知らなかった俺はむせ返るほど濃い緑の世界に夢中になった。


 相変わらずアーロンは動物相手に罠を仕掛ける方法を教え、解体を教え、森でキャンプをした。


 無口な男で退屈だったが、小さな体がくたくたになるほどこき使われ、毎日夢も見ないほどよく眠った。施設で苦しい毎日を過ごした俺には、そのころの夢を見ないのはありがたかった。



 アーロンは町へ俺を連れていくようになった。

 俺に紙幣の使い方を教えるためらしい。確かに俺は故郷でお小遣いと称して最大数百円しか使ったことがない。

 俺の算数は成績は悪くなかったはずだが、スヴェトが俺に出す宿題は小学校レベルではなかった。それでも言語の勉強などより、数字の方が楽だった。

 スヴェトやアーロンとの会話はロシア語なのに、英語を勉強させようとするのだ。問題をそもそも読むのに時間がかかる。

 ただでさえ勉強は嫌なのに、座学をどうにかにして避けるようになってしまっていた。

 それに気づいたスヴェトが実践から学ばせようということで町に行くことを勧めてくれたのだ。


 アーロンは小屋での生活物資を毎回せっせと運んでくる。

 スヴェトは小屋の周囲をうろつく以外はまったく森から出ようとしない。

 元々は外に出ることなど一切しない、屋内にこもるタイプの研究者だったそうだ。スヴェトは散歩をするようになったのは狼の遺伝子のせいかもしれない、と苦笑して語っていた。



 俺はアーロンがいつも乗っている紺のジープに乗りこみ、初めて行く異国の町を楽しみにしていた。


 気になる町についてアーロンを質問攻めにするが、気難しいアーロンはそうそうにへそを曲げてしまい話してくれなくなった。


 町といっても大したものがあるわけでもなく、似たような簡素な家がいくつも並んでいるだけだった。寂れた元工場地帯であるようで、放棄された工場がいくつも町を過ぎっていった。


 そんな退屈な情景でも俺には新鮮なものだった。

 ジープから大きく身を乗り出し、冷たい風を受けながら外の景色を楽しんだ。


 アーロンは赤茶の髪で堀の深い強面の顔で、背も高い。非常に目立つ。


 俺は目的のマーケットでスヴェトに頼まれた食材を、必死で表示をみながら集めて回る。十分なお金は受け取っていたし、目立つ男が保護者の顔をしてついて来るので迷いはしないだろう。


 強面巨漢に怯える店員に見守られながら、俺は異国で初めてのお使いを無事に済ませられた。


 

「買い物も済ませられたし昼でも食うか?」


 アーロンから帰りにダイナーへ寄ることを提案されて、買い物だけではつまらないと思っていた俺は浮かれた。

 アーロンを見るといつもの顔を歪ませた顔を見せており、笑っているようだ。この顔を見せるときはどうやら死んだ息子を思い出しているようだ。時折こうやって苦笑のような顔を浮かべては、落ち込んだように気を落とし口を利かなくなる。


 帰りの車内を思い浮かべ、俺は浮かれた気分もそこそこにため息をついた。



 着いた店に入るとアーロンが足を止め、俺のフードを掴んで自分の体の背後に隠す。

 驚いた俺はアーロンのよく分からない行為を非難しようとして、アーロンの険しい目にびびってしまう。


「ようよう、赤毛のアーロンさんじゃねえか、あんたもここでランチかい?」


 一目でチンピラと分かる男たちがダイナーの中央に居座っていた。


「ボスがあんたを探してたぜ、最近全くうちに顔見せねえようになっちまったからな。」


 きっと俺とのキャンプで森に入っていたからだろう。それよりもアーロンが柄が悪そうな連中と関わっているようで、店内には嫌な空気が流れる。

 他の客もチンピラからは遠巻きにしており、店員さえ寄ってこようとはしない。


 男が一人アーロンへと大股に歩いてくる。


「ボスがあんたに仕事の話があんだとよ。あんたはうちに貸しがあんだろう?今夜は絶対に現れろよ。」


 アーロンは無言でうなづくにとどめ、俺の背を押し店を出ようとした。


「おいおいおい、この店に食いに来たんだろ?逃げなくていいじゃねえか、飯でも食おうぜ。アーロン。」


 嫌な笑いを浮かべる男たちをアーロンは一瞥する。


「…俺がいたら飯が不味くなるだろう、別で食うさ。」


 そのまま店を出るアーロンに舌打ちをするチンピラは、一瞬だけ俺と目が合ってしまった。慌ててアーロンの影に隠れたが、俺がアーロンの連れだとバレてしまっただろう。


「見られたな。」


 ごまかすアイデアを思いつくより早くアーロンにバレてしまう。


「なんなのあいつら。飯食いに入っただけじゃん。俺が見られたところでなんの関係があんだって話。」


 実際のところ関係はあるだろう。子供を連れている時点で知り合いだと思われるのは間違いない。学校でいじめをするやつらだって、同じ空間にいただけで勝手に関係性を作り上げて騒ぎに巻き込んできたものだ。


「…すまなかったな。昔連中とやり合ってから因縁をつけられている。やつらのボスからは勧誘を受けているからか手下からはやっかみを買っている。さっさとここを離れよう。」


 アーロンは端的に状況を説明し、ジープに戻っていった。



 スヴェトの待つ小屋に帰るとスヴェトが戸口で俺の帰りを待っていた。


「ただいまースヴェト!初めてのおつかいなんてわけねえぜ。俺がいなくて寂しかったか~。」


 初めての海外の町を楽しみ、だいぶ浮かれていた俺のおかしなテンションの挨拶に、スヴェトは苦笑を浮かべていた。


「ああ、心配で仕方なかった。あの地域の町なら問題はないだろうが、お前がいなくて寂しかったよ。」


 皺を刻んだ切なそうな顔のスヴェトの真っ直ぐな切り返しが俺の胸に刺さる。俺は盛大に照れながら、一人で持つには重い荷物を抱えて小屋へと運んでいると、アーロンはスヴェトに今日あったことを報告していた。


 顔が曇らせるスヴェトの様子に、俺は言わなきゃいいのに、と思いつつこれでしばらく外出はなくなっただろうなと地味に凹んだ。





「施設の警戒がだいぶ解かれたそうだ。あそこでのダンの検査データを探るためにも一度行きたい。」


 外出はしばらくないだろうと思っていたのに、まさかのスヴェトからの提案に俺は内心喜ぶ。

 アーロンは嫌そうにしているが、スヴェトが強く施設に戻ることを主張した。


「にしても今だにデータや資料なんて残ってるのか?政府とか警察が入ったとかで全部持ってかれちゃったんだろ?」


 捜査の手が入ったなら貴重な資料やデータを残すことなんてないはずだ。


「いや、協力者の一人が施設にあるものを残してくれてる。警戒解除も彼が教えてくれたが、早めに行った方がいいそうだ。この機を逃すともう手に入らないかもしれない。私も人狼についての資料も欲しいからな。…アーロンのためにも。」


 疑問を浮かべる俺にスヴェトは教えてくれた。


 人狼には月の満ち欠けで興奮する日が定期的に訪れるらしい。

 スヴェトは特殊で、自力で興奮を抑えることが出来るらしいが、アーロンは難しいそうだ。興奮状態に陥るころは自分で地下にこもり、他人に危害を加えないように自分を縛めるそうだ。

 そうしておかなければあまりの興奮に前後不覚になり、体力が続く限り無差別に暴れ倒してしまうらしい。

 それこそが人狼化計画で最も恐れられた理由の一つでもある。施設ではコントロールするための研究も熱心に行われていたそうだ。


 スヴェトは人狼の興奮を抑えるための鎮静剤の自作を考えているという。

 元々研究所にはその薬剤が作られていたそうだが、今ではとても手に入りにくいそれをスヴェトはアーロンのために作ろうとしている。


「その、協力者さんとやらに薬は融通してもらえないのか?」


 スヴェトは首を振った。


「彼には既に私を逃がし、内通している疑いがかかっている。動けば彼は捕まってしまうだろう。これ以上の迷惑はかけたくない。ただでさえ薬はデリケートなものだ。少しでも政府に知られれば人狼殲滅に動くかもしれない。」 


 人狼は政府に見つかればすぐに捕獲されてしまう。無差別に暴れる可能性のある強力な怪物を野放しにすることなど出来はしないし、市民からはその存在を秘匿されているそうだ。

 当然被害をもたらした人狼は発見され次第射殺、身元が割れれば指名手配され報奨金まで出るようになるそうだ。


 俺はスヴェトがここに一人で暮らしている理由を改めて知った。


 

 アーロンは薬など不要だと言い張るが、スヴェトは顔をさらに曇らせるだけだった。俺はスヴェトと暮らしていて辛そうにしているところなど見たことはなかったが、スヴェトが言うにはひどく辛いものだという。

 そして、今はよくてもいつかスヴェト自身自制が利かなくなってしまうかもしれないときのために用意しておきたいと言うと、アーロンはしぶしぶ協力することを決めた。


『私も参加するわ。』


 いつの間にかホワイティがそこにいて、白い手をひらひらさせていた。


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