11
ずいぶん長いこと運ばれた気がする。
トランクの中は熱いし、息苦しいし、痛いし、臭いしで少し気絶もしていた。それほどかなり長い時間、車のトランクに入れられっぱなしだった。
腹も減ったし、トイレにも行きたい。
不満を訴えようとトランクの中から何度も蹴ってアピールしたが、足が痛くなったし、うるさいと言ってトランクを蹴られただけだった。
ただやはり飲まず食わずでは不味いと思ったのか、ずいぶん経ってから水と菓子袋持ってトランクを開けたので、閉じ込められていた恨みを込めて思い切りタックルを食らわせてやった。
何人かいたが長い腕と足をすり抜けて小さな隙間を縫い逃げ切る。
急に激しく動いたせいで、あばらが痛んだが、もう数時間もすれば俺の場合痛みも消える。
何かの機械の小さな隙間に体を滑りこませ、男たちが通り過ぎるのを確認する。
深呼吸してゆっくりと周囲を確認する。
どうやら広い倉庫のようだ。
さまざまな工具や材木、機材、ドラム缶。解体している車などが雑多に置かれていた。男たちは右往左往して俺のことを探している。だが、この物の多い倉庫では体の大きな男たちが動き回って探すのは難しいだろう。
しばらく隠れんぼでもしながら逃げるタイミングを待つしかない。
「スヴェト、大丈夫かな。」
せっかくまとめた荷物をかなり崩してしまった。
アーロンにもらったナイフも落としてきた。心配していることだろう。小屋が荒らされ、俺がいないことにすぐ気が付いたはずだ。探そうとしてくれるだろうが、スヴェトには足がない。アーロンもしばらく来なかったし訪ねてくる予定はない。
アーロンと車で町に出てから知った。あそこから一番近くの町に出るには、少なくても車で一時間以上かかるのだ。
俺がトランクに入れられてどれほど経ったのか、暗い倉庫の中では今が昼なのか夜なのかも分からない。
助けは来ない、そう考えるしかなかった。
「待てよ。やつらの狙いは俺、あのチンピラはアーロンに突っかかってた奴らだよな。俺はアーロンの人質か?」
たぶん、アーロンにやっかみを持つ奴らがいたのだ。海外初めてのお使いで、帰りに立ち寄ったあのダイナーで。
アーロンが俺を庇うようにしていた姿を見たやつが、俺を息子かなにかと勘違いしたのだろう。
«俺がなんとかするから»
いやいやいや、アーロン、何をやったんだか。
ダイナーでの会話を思い出し、ボスに仕事、と言っていたような気がする。おそらくなんとかしようとして、ボスとやらに仕事をもらいに行ったのかもしれない。それで失敗してしまったのか、やらかしてしまったかしたのだろう。
ただアーロンを気に入らないのチンピラの暴走かもしれないが。しかし子供を攫うほどのことまでするだろうか。
スヴェトがいなくて本当によかった。
とりあえず俺は男たちが近寄るとそろそろと移動し、倉庫の中でどうにか見つからないように出口を探してみた。
「おい、まだ見つからんのか!」
ひどい濁声の男がチンピラたちを怒鳴り散らした。周囲の男たちは委縮しまくり、ガキ一人捕まえられないのかと責められ、言い訳しようとした男は殴られてしまっている。
「もういい!俺が探すから外で見張ってろ!」
男たちがそろそろと外へ出ていく。しまった、あんな人数で見張られたらさすがに逃げにくい。
「はっはー匂うぞ、クソガキ。ボスのところに連れてこいって言われてるんだ。さっさと出てこい。」
俺は男の様子を陰からそっとうかがうと、男の顔は変異し始めていた。
げぇ、ここにも人狼っているのかよっ!
内心の焦りも仕方ないほどの勢いで男の顔は狼に代わっていく。
「匂う、匂うぞ。うまそうな香りだ。ボスに差し出す前に味見くらいしてもいいよなぁ~。」
俺をビビらせるためにそう言ってるんだよな?中身人間なんだから食人には興味ないはずだが。
確か人狼の制御をするための薬か、スヴェトが話してくれたアルファ、リーダーやボスってのがいなきゃ暴走するって話じゃなかったのかよ、と考えていると、男の変異は終わったようで、鼻が短めの皺が寄ったブルドック似の犬顔が現れた。
だらりと長い舌先がちろりと巻きあがり、だらしなく開いた口元からは涎を垂らし始めた。
「ん~たまらん。匂う、匂う。」
気持ち悪い変態犬だ。
しかし、覗いていた陰をまっすぐ視線を向けてきたため、慌てて隠れ直す。男はまっすぐ俺の方へと近寄ってきた。
まずい、何か武器になりそうなものがない!
人狼相手に無手など敵うはずがない。俺は暗い倉庫の中で必死で考えた。
結果を言うと、俺は結局捕まった。
何度も移動して匂いがきつそうな中にも隠れていたのだが、人狼は鼻が利くらしくすぐに見つかり、それからは壮絶な鬼ごっこに変わった。
俺の手に握れそうな、また持ち上げられそうな武器など倉庫にはなく、せいぜい積み上げられている鉄骨や資材を崩して生き埋めにしたり、ドラム缶をぶつけたり、中二階の足場を崩したり、倉庫の中は元の原型をとどめないほど暴れまわった。この辺はアーロンに教わったトラップのサバイバルが役にたったが。
それでも結局人狼の男に大したダメージは与えられはしなかったが、興奮で血走った目と鼻から血を流し
ているのを見て、してやった感はあった。
ようやく捕まえた俺を今にも食い殺そうとしていた男だったが、外で見張りに出した男たちが倉庫内の騒音を聞いて心配気に声を掛けてくるのを聞き、思いとどまっていた。
俺を逃げないように結束バンドで固定すると、震える指でなにやらケースから注射針を取り出し、たるんだ頬の肉に自分で刺して薬を注入していた。
犬顔はみるみる元の人の顔に戻っていき、怒りで真っ赤になっている以外は元の人間と変わりない姿になった。
若干着ていた服は埃塗れでくたびれているが。
「おい!捕まえたぞ!手間取らせやがって、おい!手前らで片付けやっとけ!」
俺を脇に抱えたブルドック人狼の男は、外で待っていた男たちに後始末を命じて俺を倉庫から連れ出した。手下たちは中の様子をみて呻いていたが、逆らう様子はない。しかし、男は人狼であることを手下たちには隠しているようだ。
「おい坊主、余計なこというんじゃねぇぞ。」
男は別の車の後部座席に俺を放り込み、車を発進した。外は暗く、遅い時間なのだと分かる。
しかし周囲に灯はなく、街中ではないようだ。対向車もまったく見えなかった。
「なぁ、あんたアーロンとどんな関係なんだ?」
沈黙に耐えかねて話しかける。助けを求めようにも周囲には人影など見当たらない。出来ることは情報収集しかなかった。
「黙ってろつっただろ!あのクソ野郎、ガキに一体どんな躾してやがんだ全く!」
男には取り付く島もない様子だった。
「俺は別にアーロンのガキじゃねぇぞ?」
男は急ブレーキを掛けた。
「んだとコラァ!!どういうことだ!てめぇあいつのガキじゃねぇのか!」
勢いよく振り返ってくるが急ブレーキのせいで座席から落ち、俺は足元でうずくまっている。しかしそこにあった誰かが落としたのだろう万能ナイフを見つける。といっても手は背中に回されているため、必死で口にくわえ、服の胸元に滑り込ませて無事にナイフを回収する。
前のシートから手を伸ばされ、背中から掴みあげられる。治ったばかりの腕が痛い。
「てめぇ、...よく見りゃアジア系だな。まったく似てねぇ。」
人に戻ってもブルドック似の顔が目をしかめる。今更気づいたとか間抜けすぎる。
「俺はアーロンの知り合いの知り合いでしかない。ダイナーで俺と一緒のところを見かけたんだろうけどアーロンが俺の面倒を頼まれたからだ。俺とアーロンはその程度の関係しかないぞ。」
だから俺を解放しろ、とまでは言わないが、この利用価値の低さなら途中で解放されるかもしれない。
まぁかなりやらかした後だが。
「だが、アーロンが最近入り浸ってる小屋にいたしな。他に通ってそうなところもねぇ。お前は知り合い程度にしか思ってなかろうがアーロンがそう考えてねぇ可能性はあるってことだ。」
男がタバコくさい息を吐きかけながらそう問いかけてくる。
当てが外れ、ちっとそっぽを向く。はっきり言って息が臭くて耐えられなかった。
「てめぇ、あの姿の俺を見てビビるどころかその態度。そうか、アーロンの正体も知ってやがるな。」
男の顔が複雑に歪む。ちらりとそちらに目を向け、男が何を考えているのか読み取ろうとするが何も分からなかった。
「まぁいい。大人しくしてるなら悪いこたぁしねぇよ。ただボスに合わせるだけだ。アーロンが大人しく来たら帰してやるさ。」
やはりアーロンに対する人質だったのだ。矛先がスヴェトに向かなくて本当によかったと思う。大げさにため息をつき、とりあえずトイレ休憩と水を要求した。
「ったく、豪胆なガキだぜまったく。まぁ半日閉じ込めてたしな。おかしなことを考えんじゃねぇぞ。」
すったもんだを繰り返し、俺はロシアンマフィアの根城まで子牛よろしく運ばれて行った。
連れてこられたのは車の通りの少ない寂れた町の一角。華やかな音楽がかかっているのか陽気な雰囲気の流れるネオンの看板がかかったビルだった。奇しくも看板の文字は、スヴェトの作った学習帳で習ったばかりの言葉だった。«狼の城»
俺は三回脱走を試みて、既に万能ナイフも取り上げられた。いずれも失敗し、今は手足くくられて、死体袋替わりに使っているという麻袋に詰められることになった。うるさいということで布で口もふさがれた。 麻袋の中だと割と外が見える。それはいいのだろうか。
裏口のような暗い路地から中に入り、
「ボス、連れてきましたぜ。」
袋から出されたのは板張りの床。
てかてかと光る家具に囲まれた広い部屋だった。部屋の中央にある、明らかに高級そうなソファーの上で小太りの男が偉そうに座っていた。ボスと呼ばれた割にはずいぶんと小柄で、小物くさい、と失礼な感想を抱いた。
「セミアン。ずいぶん時間がかかったじゃねぇか。こんなガキ一匹に手間取ってんじゃねぇよ。」
意外に高い声のボスに眉を寄せる。
「いやいや、ボス。こいつなかなかやります。さすがアーロンが目をかけるだけはある。取引にはつかえそうですぜ。」
「だといいがな。おい、やつを通せ。」
訝し気なボスは神経質そうな顔をしていて、俺を見る。
部屋にはアーロンが入ってきた。既に来て待たされていただろう。
やや頬がこけてくたびれているが、落ち窪んだ眼窩は逆にギラギラとしていた。俺を見つけた途端、一瞬目を見張ったがいつもの無表情に戻った。
「...なぜ、ここにそいつがいる?」
端的に言葉を吐き出すアーロンの声も、若干疲れが見えた。
「分かってるだろう。あんたの協力が欲しいのさ。このガキがいれば渋るあんたも協力しやすくなるだろうと思ってね。」
アーロンの眉間に、小屋で最後に見たときと同じような皺が刻まれる。
「なぁ、アーロン。なにもあんたに無理強いしたいわけじゃねぇ。俺らの仲間にあんたの協力が必要なんだ。あんたが早くうなづくんならこんな手荒な真似なんざしなかったさ。」
「あんたらの目的は人狼制御の薬だろ。」
アーロンはねちねちとしたボスの言葉にかぶせるように言う。
「何度言えば分かる?俺は持ってない。」
「だがお前は人狼だ。なのに、薬も使ってねぇのに、ちゃんと自我を保ってるじゃねぇかっ。」
口を挟んだのはブルドック顔の俺を連れてきた男だった。アーロンも眉をしかめる。
なるほど、アーロンがスヴェトの制御下にあることをこいつらは知らないのか、と俺は一人納得する。
しかし、ブルドック男は薬を使っていたように見えたが足りないのだろうか。
「...俺は運がよかっただけだ。あんたらの協力とやらは…出来ない。それにそこの子供は知り合いの知り合いだ、俺には関係ない。こんな話を子供の前でするな。解放しろ。」
アーロンは悲痛そうにそれだけこぼした。
「ふざけんじゃねぇ、俺たちはなけなしの薬で暴走しそうな自分を薬漬けにしてまで抑えてんだ!なぜ、てめぇだけがそんな自由なんだ!俺たちに協力しろ!使ってる薬でもなんでもいいから吐きやがれ!」
ブルドック男は興奮してか、口が裂け俺の頭を掴み上げる。
「アーロン、俺たちが使ってる薬は粗悪品だ。時期が来れば地下に潜らなけりゃ自分たちでさえ傷だらけになっちまう。まだまだ地下で苦しんでる同胞も大勢いるんだ。そいつらのためにも考え直さねぇか?」
アーロンは俺を見つめる。俺を見ても困る。怖い顔ばかりに囲まれて俺ももううんざりだ。早く帰って眠りたい。
しかし、俺とスヴェトがネックになっているのだろう。俺はさっさとアーロンに仲間になっちまえばいいと思うのだが。スヴェトは優しいから、事情を知れば助けてくれることだろうに。
「だが、」
渋るアーロンにブルドック男の爪が頭皮に食い込む。裂けた皮膚から血が頭を流れ落ちてくる。それを見たアーロンは分かりやすくうろたえた。
「俺たちゃ気が長くねぇんだよ。アーロン。」
固まってしまったアーロンが重い口を開こうとした、その時すさまじい音がした。
「な、なんだ。どうした。」
手下が部屋に転がりこんできてボスに報告する。
「ボ、ボスっ!で、でかい狼が、狼が突然現れて…。」
すると階下から床を震わせるような力強い狼の吠えが聞こえてきた。
手下は次々と追い立てられてか階下から上がってくる。
今が逃げ時だと思ったが、ブルドック男は俺をしっかり捕まえなおして隙がない。助けを求めてアーロンを見れば青ざめて震えている。
「...お、怒ってる。スヴェトラーナ…。」
使い物にならなそうだった。
「狼だと?どういうことだ!おい、アーロンなんとか言え!クソ、使い物になりゃしねぇな、てめぇら、地下に向かって5番を開けろ!ち、薬ももう残り少ないってのに。」
同意見だったボスが手下たちに指示を飛ばす。
オロオロしながらも力強いボスの指示に叱咤された男たちは上がってきた階段を下りていき、地下へ向かう。ただし階下からは何とも言えない悲鳴やら家具が壊れる音がするが。
ボスとブルドック男は机の下やソファーの隙間から銃を取り出す。
「人狼だったらただの銃じゃ意味がねぇが、なにもねぇよりましだろう。おい、アーロン!」
アーロンにも銃を向ける。今はもうガタガタと震えているアーロンは巨体を見る影もなくさせている。
舌打ちをするボスは手下たちが皆階下に向かったのを確認し、ブルドック男と目を見合わせて二人同時に変異を始めた。といっても頭部だけだ。
みしり、みしり、という巨大なものが階段を上がってくる音がする。そちらに目を向けると灰色の巨大な影が階段の通路を狭そうに上がってくるのが見えた。
アーロンがスヴェト、と小さく唱える。俺の視界ががくがく揺らされ何事かと思えばブルドック男が揺れていた。なんだ、こいつはっと、動揺している。
巨大な灰狼は腹の底から響くようなうなり声をあげている。
階下から現れたその姿は優に三メートルを超えていた。大きい、そして筋肉の盛り上がりがすごい。
茶の目は鋭さを増し、射抜くような殺意を持っていた。
「ダンを離せ。死にたくないならな。」
女性の声には聞こえないほどの嗄れた低い声だが、スヴェトのもの言いらしい恋しい声が狼の口から発された。




