第83話:ソフィア救出
タブレットの向こうで馬に乗って疾走するマルコを眺める。
普段乗りなれていないからか初めて乗る馬だからか分からないが、その走りはどこか拙い。
瞬間、マルコの下から馬が消える。
「おわっ!」
と思ったら、目の前にさっきまで見ていた馬が。
「ブルル!」
急な視界の変化に、馬が嘶き驚き棹立ちになる。
すぐに、落ち着いたようで膝を折って俺に頭を下げるが。
「どうどう」
そう言って頭を撫でようとして手を伸ばしたが空振りする。
目の前の馬がすぐに消えてしまった。
手のやり場に困った俺は、何事も無かった風を装って自分の左頬をさする。
「大丈夫ですか?」
「げっ! 見てたのか」
「いや、主の恥ずかしい失敗じゃ無くて、マルコ様を放っておいて大丈夫ですかという意味です」
こっちに遠慮がちに近付いてきた土蜘蛛を、さっきの馬の代わりに撫でる。
意外と毛が柔らかくて、手触りが気持ちいい。
土蜘蛛にとって俺が馬を撫でようとして失敗したことは、どうでも良いらしい。
それよりも、マルコの方が心配か。
そうか……そうだよな。
「あの程度の連中なら、いつでもどうとでも出来る。マルコでもな……あいつが、助けを求めない限り手は貸さない」
「少女を攫った人間の向かった先には、他にも仲間が居るみたいですよ?」
「それも含めてあいつの判断に任せるさ……いくらでも尻ぬぐいしてやるから、失敗しようがなんだろうが自分で出来るとこまでやりたいだろうし」
「何故ですか?」
土蜘蛛には、俺の言っている意味が分からないらしい。
「ソフィアはマルコの友達だ。それに、ベントレーやジョシュアも怪我させられてあいつは物凄く怒っているからな。こっちにまで、ピリピリとした空気が伝わってくるくらいに」
「それでも、主にお願いした方が確実だと思いますが?」
「人ってのはな、時には自分の感情を優先して非合理的な行動を取ってしまうもんなのさ……あいつは、自分で奴等をどうにかしたいと思ってるのが分かるだろ?」
「それで失敗したら、元も子もないと思うのですが……」
感情のままに動くマルコが、土蜘蛛には理解できないらしい。
俺が変わってソフィアを救出した方が、簡単だし確実なのだからそうすれば良いのにという不満が見て取れる。
「ここで俺が手を出してみろ。あいつの怒りの矛先はどうなる? あいつのプライドや気持ちは? そんな事をすれば、本当に俺に頼めばなんとかなると思って、あいつは完全に駄目になるぞ?」
「次はそうならないように、努力すれば良いだけなのに」
「ふふ……人ってのは、楽な方に流れやすいものだ。特に、マルコとして培われた甘ったれの貴族としての人格と、今だに身体に引っ張られてどんどん幼くなっている元の人格の退行のバランスが取れていない状況で、甘さが勝ったら根幹にあるわずかな俺の部分は完全に消え去るだろうな」
「はぁ……」
土蜘蛛が難しい顔をして、気の抜けた返事を返してくる。
ちょっと、分かりにくいかな?
「あいつの中にも俺は確実に居る。けど、これ以上俺任せの甘えが出てきたら、あいつの中の俺は鳴りを潜めてそこらの貴族のガキと変わらないお坊ちゃんになるってことさ……俺が居れば、あいつは自分のその強みを使う必要が無くなるからな? それが良いか悪いかは別にして」
「どうりで、出会った時よりも可愛らしくなっているわけですね」
「物は言いようだな……」
土蜘蛛の微笑ましいものを見るような視線の先のマルコを見て、俺は溜息を吐く。
俺の部分が悪い方向に働いて、年相応の意識になりつつあるのに未だに周りの子に対して年上ぶった、上から目線の嫌なガキになるんじゃないかと心配なのに。
特にヘンリーの件で、俺が余計にそう感じているのは事実だ。
「たまには、自分の力でやり遂げて自信を持つのも必要だろ?」
「もっと楽な場面でも良いのでは?」
「甘いな、お前は……」
なんか、雲行きが怪しい。
土蜘蛛が俺の方を不満げに見ている。
こいつは、毒親の気質がある。
優しい虐待をして、子供の自尊心や自立する力を失わせる方向の。
というか、純粋に優しくて思いやりのある良い奴なんだけど。
「それで、後で苦労することになっても私は知りませんよ?」
「このままずっと手助けする方が、後々苦労しそうだ」
「こないだ、上から目線で~とかって言われて拗ねてます?」
「ちげーし!」
俺にはちょっと厳しいけど。
子供限定ってことか。
――――――
あまりうまく操れない馬に、気が焦ってイラついてしまう。
マサキならどうする?
どうにか乗りこなしている馬を見つめて、考える。
いっそ乗り捨てて、転移で移動しても良いけど。
その方が確実だし。
転移?
管理者の空間の事を考えて、すぐに妙案が浮かぶ。
即座に左手で馬を吸収する。
腰の下の馬が消えた事で、宙に放り投げられたが右手馬を再度召喚。
そのまま、一回転して馬の背に戻る。
完全に忠誠心がこっちに向いている。
それに、脳内で指示が出来るようになった。
そのことで、馬に対してまるで自分の足のように操れる。
右手で蜂を呼び出す。
「皆、先に行って足止めして!」
「はいっ!」
1匹の蜂が代表して返事をすると、一気に加速してソフィアを攫って逃げている男の元に向かう。
いまだに背中が見えない逃亡者を相手に、怒りと不安がない交ぜになる。
「必ず助ける……そして、奴らにこの報いを受けさせる」
「ブルル!」
僕の想いに共鳴するように、馬が力強く嘶くと一気に加速する。
馬の後ろから風を起こし、さらに小枝などの正面の障害物を風の刃で斬りどんどん加速させる。
右手で呼び出した蝶が、常時回復させているためにスタミナが無くなる事も無い。
いつもより軽い身体に、馬が気持ちを高ぶらせたかのようにさらに速度を上げる。
「マルコ様! そこの先の開けたところでターゲットは仲間と合流する模様です! いま、仲間達が馬に攻撃を仕掛けています」
「分かった」
そのまま進むと馬が止まって、上に乗った男が剣で蜂を追い払おうとしているのが分かる。
「ここまで、ありがとう」
馬にお礼を言って首をポンポンと2回程叩くと、その背を蹴って一気に木の上の方にある枝に飛び移る。
「ソフィアを離せっ!」
そしてそこから飛び降りて、ソフィアを抱えた男の背中を切り付ける。
「グアッ!」
馬から転がり落ちた男を無視してそのまま馬の背に乗ると、男の支えを失って落ちかけたソフィアを抱き留める。
「大丈夫?」
それからソフィアに声を掛けるが、返事が無い。
どうやら、意識を失っているようだ。
「もう追い付いたのか!」
男が背中を押さえて立ち上がる。
手応えから鎖帷子のようなものを下に仕込んでいるが分かった。
それでもそれなりにダメージがあったようで、身体が少し前かがみになっている。
「ソフィアを頼む」
「ヒヒン!」
遅れてやってきた馬の背中にソフィアを乗せる。
このまま帰らせてもいいけど、固定するものが無いから途中で落としそう。
取りあえず、馬を下がらせる。
「ガキ?」
僕の姿を見て首を傾げた男に【電撃】を放つ。
本気で打ったら殺してしまうので、死なない程度に抑えて。
完全に油断していた男が、何も反応出来ずに電撃をモロに喰らい短く悲鳴をあげて倒れ込む。
痙攣している男を見下ろして、足でつつく。
反応は無い。
再度【電撃】を放って、意識を完全に奪い去る。
不意打ちと思われるかもしれないが、悪党相手に正々堂々なんてやってやるもんか。
ソフィアの様子を伺いに、馬の方へと戻る。
意識は無いが、特に怪我をしている様子も見られない。
ホッと、胸を撫で下ろす。
取りあえずは一安心。
気持ちが落ち着くと、徐々に怒りが込み上げてくる。
夏休みの思い出を汚したこともだが、それ以上にソフィアやエマ、ベントレーやジョシュアに怖い思いや痛い思いをさせたこいつらに。
殺しはしない。
殺しはしないけど……徹底的に潰す。
その背後にいる連中も。
「んっ……」
「ソフィア?」
背後から呻き声が聞こえて来たので、振り返る。
「きゃっ!」
「危ない!」
目を覚ましたソフィアが、馬から落ちかけたので慌てて駆け寄って受け止める。
「えっ?」
「大丈夫?」
馬から落下するソフィアを抱き止めた僕を見上げて、彼女は目をぱちくりとさせる。
「マルコ?」
「そうだけど? 意識ははっきりしてる? どこか痛いところない?」
僕の言葉に、暫くボーっとしていたソフィアが肩をさする。
「ちょっと、肩が痛いくらい……ていうか、えっ? 私……」
どうやら、状況が良く把握できていないらしい。
まあ良いか。
起きたのなら、馬の背中で落ちないようにするくらい出来るでしょ。
「大丈夫……もう大丈夫だから。この子に乗って、先に戻ってて」
「マルコは?」
僕が彼女がさっきまで乗っていた馬の背をさすりながら、ソフィアに乗る様に促すと心配そうにこっちを見つめてくる。
「ちょっと、この先に他にも仲間が居るみたいだからさ……潰してくる」
「えっ? 危ないですよ! マルコも一緒に帰ろう! 大人に任せた方がいいです」
「あー……」
「それに……私1人で森の中を戻るのですか? 正直、怖いです」
それもそうか。
ついさっき攫われかけたばっかりだし。
不安で、心細いんだろう。
僕の服をチョンと摘んで、俯いて力なくこぼすソフィアに困ったような視線を向ける。
「この子に任せて置いたら大丈夫だから」
「ブルル!」
あまり説得力無いなとは思いつつ、馬の首をポンポンと叩くと馬も任せてと言うように鳴く。
それでもイヤイヤと首を振るソフィアに、どうすれば良い物かと頭を悩ます。
「それにマルコが……マルコを一人で行かせられない! 一緒に戻ろう? ねっ?」
「それは……」
「マルコが戻って来なかったら……大体、相手は大人の人達なんでしょ? 危険だよ!」
「僕は、ベルモントだよ?」
「そんなの知らない! マルコは、マルコだし! まだ子供なんだよ?」
どうあっても聞き入れてくれそうにないソフィアに、溜息が出る。
自分の事だけじゃなく、僕の事も心配してくれているのが良く分かる。
自分が怖いから一緒に帰ってというのなら、どうにかして説得できるかもしれない。
でも、彼女は僕が無茶をして傷つけられることを心配しているのだ。
「どうしてもって言うなら、私も行きます!」
「えっ?」
「足手纏いでしょ? 私が行ったら困りますよね? じゃあ、一緒に帰ろ? どうしても帰ってくれないなら、私も行く! 行きます!」
「はは……」
普段見る事のない、我儘な物言いの彼女を見て毒気が完全に抜かれてしまった。
けどあいつらを放置することも絶対に出来ない。
ある程度、力を見せつけたら……
彼女の瞳に宿る強い意志を見て、首を横に振る。
「時間を掛けすぎたようです……気付かれました。なんらかの戻る合図を送っていたのでしょう」
そんな時に、蜂が急に話しかけてくる。
こっちが行かなくても、向こうから来てくれるらしい。
でも、ここにはソフィアも居るし……
仕方ないか。
一つ溜息を吐いて、馬に飛び乗る。
「じゃあ、一旦戻ろうか」
「えっ?」
「えっ? ってなに? ソフィアが帰ろって言ったんじゃん」
「はいっ!」
ソフィアが嬉しそうに返事をしてきたので、まあ良いかなと取りあえず納得。
それから、自分の後ろに乗るように促す。
「もう1頭居ますよね?」
「彼には別の方向に走ってもらうよ。どうやら、気付かれたみたいだし」
二手に分かれて、追っ手を拡散させる。
ソフィアを守りながら戦うには、虫達を頼るしか無さそうだし。
それから馬に乗るのに苦労していたソフィアを、片手で引き上げる。
「つっ」
「あっ、ごめん」
痛めた肩をさすっているソフィアを見て、頬を掻きつつ謝ると首を横に振られた。
「大丈夫です。時間が無いんですもんね……というか、マルコって凄い力持ちなのですね」
「あー……はは」
そう言えば、強化と筋力強化重ね掛け状態だった。
笑って誤魔化す。
子供2人だけどソフィアは細いから、追っ手の馬よりは早く掛けられるかな……
そう思って、馬を飛ばして元居た場所に向かう。
「凄いですね……マルコは乗馬も得意なんですか?」
「ベルモントだし……騎士侯の孫だよ?」
「そうでした」
追っ手の影も見えない事で、ソフィアがようやく安心したらしく他愛無い事を言って来る。
言い訳じみた答えだけど、納得してくれて良かった。
「マルコ様!」
途中で、こっちに凄い速さで向かっていたファーマさんと、ビスマルクさんに合流する。
無事襲撃者を退けて……というか、主力っぽい人以外全員斬り殺して戻って来たビスマルクさんがローズやセリシオの言葉を聞いて、慌てて僕とソフィアの救出に向かっていたらしい。
「なんて無茶をする!」
「良いじゃん、ソフィアも助かったんだし」
物凄い形相で、ファーマさんに怒鳴られた。
悪びれずに答えを返したら、ファーマさんが拳を振り上げたあと顔を真っ赤にして、プルプルとその手をゆっくりと下ろす。
流石に、主の孫に手を上げるのは不味いと考える程には冷静だったのかも。
ただ滅茶苦茶怒っているという雰囲気を、全く隠そうともしないのはどうかと……
「帰ったら、覚悟しておいてください」
「ええ?」
あれ、絶対におばあさまにチクる気だ。
それから、皆と合流する。
「ソフィア!」
「エマ―!」
ソフィアの姿を見たエマが駆け寄って行って、抱き合ってお互い涙を流して無事を喜んでいる。
「ほらっ、あれ見ても僕の行動が間違いだったって思う?」
「結果は正解ですが、過程が間違いです!」
「結果が全てだよ」
僕の言葉に対して、ファーマさんが無言で睨み付けてくる。
そんなに怒らなくても。
「マルコ様……」
「ローズ大丈夫? 結構、良いの貰ったみたいだね?」
「いえ、これは……」
頬を真っ赤に腫れさせたローズが、僕の無事な様子を見て安堵の表情を浮かべていた。
けど、それ以上に腫れ上がったほっぺが気になる。
そんな僕の言葉に、遠慮がちにファーマさんの方に視線を向けるローズ。
納得。
ファーマさんにこっぴどく叱られて、殴られたのだろう。
ジョシュアの介抱を見守っていた、マーカスとルーカスが僕を見つけて嬉しそうに駆け寄ろうとしてきたので手で合図を送って押しとどめる。
ここで、怪我してるジョシュアを放置して僕のところに来るのは、流石にあんまりすぎる。
「すまんな……マルコのお陰で助かった」
珍しく気落ちしたセリシオが殊勝な態度でお礼を言ってきたので、流石にちょっと可哀想になった。
「ソフィアに何かあったら、エメリア家に顔向けできないところだった……」
「良いよ……何も無かったんだから」
目に見えて凹んでいるセリシオを慰めようと思ったが、気の利いたセリフの1つも浮かばない。
ベントレーも手伝うどころか結果足を引っ張ってしまった事を気にしている様子で、こっちを見て気まずそうにしている。
彼のせいで、エマやソフィアが攫われかけることになったとは言わない。
アリーだけじゃ、確実に防ぎきれなかっただろうし。
ただ、彼のせいでその時間が少し早まっただけ。
せめて、僕が到着するまで待っていてくれたら。
でも友達の為に、彼が身を挺して守ろうとしたことの方が大事だから。
「ベントレー、カッコよかったじゃん」
「はは、結果お前やアリーさんに迷惑を掛けることになったけどな……すまんな」
「私も、自分の主が友達の為に身の危険を顧みずに前に出たことは誇らしいですよ……まあ、バレたら叱られるのは私ですけどね」
ベントレーの護衛のルドルフさんは苦笑いだが、どこか嬉しそうだ。
ファーマさんも、彼を少しは見習って……まだ睨んでるし。
どんだけ、怒ってるんだろう。
こちらの被害は50人のうち、15人の騎士の命が奪われてしまった。
けど人数差を鑑みても、少ない被害と言えるだろう。
人命が奪われて少ないも、多いも無いけど。
皆と合流して、表面上はにこやかに無事を喜んでいたけど……
正直、今も心の奥底で怒りが燻っている。
――――――
どうにか、当初予定していた宿場町に到着出来たので、予約した宿でそれぞれがあてがわれた部屋に向かう。
流石に襲撃の後だけあって、各部屋の外には2人の見張りが付けられ、廊下や宿を取り囲むように騎士が配置されている。。
旅人や商人扮していた騎士の人達も、今は正装でその護衛に加わっている。
僕は、布団の中に膨らみが出来るように細工を施すと、転移で管理者の空間に向かう。
「マサキ」
「ああ、奴等なら諦めて逃亡を始めている、いまここにいるぞ」
「ありがとう」
マサキに、今回の襲撃してきた者達で取り逃がした連中を追って貰っていた。
その場所を教えて貰った僕は、マサキに借りた狐のお面を被る。
このままで済むと思うなよ。
燻っていた怒りの火が、大きく燃え上がるのを感じる。
と同時に左手が疼くのも。
友達を傷づけた事、怯えさせた事、思い出を汚した事を絶対に後悔させてやる。





