第9話:マルコの実力
本体と打ち合わせを終え、一度管理者の空間に戻る。
それから俯瞰の視点で、周囲を確認。
連れ去られた場所は、一応ベルモントの街の中だ。
てっきり街から外れた薄汚れた掘っ立て小屋のような場所に連れていかれるかと思ったが、普通の一軒家だった。
カモフラージュのために購入したものなのか、ここの本来の住人から奪ったものかは分からないが、衛兵やうちの者たちがここを見つけるのは骨が折れるだろうな。
その一軒家の一室に、両手を縛られた状態で監禁されている。
窓も何も無い部屋ではあるが、掃除が行き届いているのが幸いだ。
普段は何に使われているのやら。
いや、本当にただの空き部屋かもしれない。
取り敢えず、マルコな俺に任せるわけにもいかないので一旦本体に戻る。
マルコの人格は現地で培われたものだが、並列思考によって生まれた俺は前世の人格そのものだ。
この世界ではマルコが本体だが、立ち位置的に色々な優先権は俺にある。
体の主導権も、マルコを押しのけて奪う事もできる。
意識を統合した場合も俺寄りになるが、マルコとしての人格も統合されているのでマルコの思いや感情がダイレクトに反映される。
マルコ視点で、俺が行動するといった感じだろうか。
説明が難しい。
勿論、完全に俺が主導を握る事もできるが。
で現在は、意識を統合せずにマルコには大人しくしてもらっている。
若干うざいが。
ある程度の認識のすり合わせは終わっているが、細かい行動までは伝えていない。
そこについて、子供特有のしつこさであれこれと質問されて、段々と辟易してくる。
いっそのことマルコの意識を管理者の空間に送って、チュン太郎に相手させるかと考えていたら監禁されている部屋に、悪党の1人が入ってきた。
「おう坊っちゃん、腹は減ってねーか?」
「うん? ちょっと減ってきたかも」
「ガッハッハ! なかなかに肝が据わってるじゃないか。あいにくと貴族様が食べられるようなものは無いが、何も食べないよりはマシだろう」
そう言って、湯気の立つ器を持って入ってきた。
どうやら、食べ物を持ってきてくれたらしい。
器の中身は、色の薄い透き通ったスープで、芋と気持ち程度のお肉が入っている。
肉があるだけマシかと思いつつも、溜息が出る。
横には黒パンが添えられている。
「いつも食ってるもんと比べられるとあれだが、一応ちゃんとしたものだ」
そう言って差し出されたが、こっちは両手を後ろ手に縛られている。
食べようがない。
一瞬嫌がらせかと思ったが、男がスープを匙に掬って口に運んでくれる。
思ったよりも良い待遇に思わず面食らってしまったが、腹が減っているのは事実だ。
差し出されたそれを口にする。
見た目通りに薄味だが、悪くない。
悪党にあーんされた事より衝撃的だ。
「俺らだって、自分で飯を作ってんだ。不味いもんは作らんよ」
たったこれだけの事なのに、目の前の男が悪い人物のように思えなくなってくる。
危ない危ない。
ストックホルム症候群に近い状況になりそうだ。
「あー……なんで、普通に飯を食わせてもらってるか不思議な顔だな?」
「当然でしょ……」
そっけない俺の返事に、男が頬を掻く。
「確かに俺らはまっとうな仕事をやってきてはいないが、そこまで非道な行いをしてきたわけじゃない。今回の件も一応、坊っちゃんの身を攫ってきてある人に引き渡すってだけの依頼だしな」
「ある人?」
「それは俺らからは言えねーが、危害を加えろって指示は出てねーからな。金払いは良いから飯くらいあげたってどうってことねーしな」
髭面の男が笑いながら答えてくれるが、今は良くても連れ去られた先でどんな目に遭うか分かったもんじゃない。
確かに実行犯は悪党ではあるが、極悪人ではなさそうだ。
すぐすぐ命を取られるってわけじゃないなら、のんびりと情報収集といこうか。
それはそれとして……
「だったら、良いお肉と柔らかいパンを大量に買ってきて、必要経費で相手に上乗せで請求すれば良かったのに。おじさんたちもこっそり食べてもバレないでしょ?」
俺の言葉に、今度は男が面食らったらしい。
一瞬固まったあとで、ガッハッハッハと豪快に笑う。
ああ、悪人っぽい笑い方だとくだらないことを思ったが、本当に面白かったらしい。
「さすが、学のある人は考える事がちげーな! だったら、酒も買ってきて良かったか?」
「まあ僕はお酒飲めないけど、問題無いんじゃない? 領主の息子を攫うんだ。はした金じゃないんでしょ?」
「ああ、当分は働かなくていいくらいには貰える」
男がニヤリと笑ってみせる。
「だったら、いまさら金貨の1枚くらい上乗せで請求しても、必要経費だったって事にすれば相手も何にも思わないでしょうね。これが金貨100枚とかだったら、足元を見た小悪党の扱いになるかもしれないけど」
「そうだな……契約金に比べりゃ、金貨1枚なんて誤差の範囲だ。だったら、坊っちゃんにもっと良いもん出せたし、俺らも美味しい酒が飲めたってもんか」
男は本当にもったいない事をしたと思ったのだろう。
大げさに溜息を吐いて、パンをちぎってスープに浸してから運んでくれる。
「ちゃんと手は洗ってるからな」
意外と細かいところにも気を遣ってくれていて、本当になんだかなあという気分になる。
しかしそれはそれとして、アシュリーまで攫おうとしたのは頂けない。
根は悪くない人だろうと思いつつも、警戒を解く事はしないしいざとなれば容赦する気も無い。
実行犯が意外と普通だったからといって、後ろに控えた連中までそうだとは思えないしな。
なんてことを思いながらも、しっかりと頂いてしまった。
うむ……ごちそうさま。
「あー、まあ特にできる事は無いから、依頼人が来るまで休んでてくれ……トイレは大丈夫か?」
……
こんな人が悪事に手を染める時代というのも、考え物だな。
本人もまっとうな仕事じゃないと言ってるんだ。
そこは割り切ってるのだろう。
こんな仕事しかできないのかもしれない。
「着替えが無いから、お漏らしはしたくないかな?」
「……本当に大物だな、坊っちゃんは」
俺の返事に、キョトンとした表情を浮かべたあとトイレに連れていってくれる。
きちんと掃除の行き届いたトイレだった。
もしかすると、生活くらいはまともに過ごそうと思っているのかもしれない。
自炊も掃除もできる悪党か。
変な人だ。
それから部屋に連れ戻されると、毛布を2枚手渡してくれた。
1枚を下に敷いて、そこに俺が横になるのを確認すると上にもう1枚を掛けてくれた。
なんでこの人、人攫いなんかしてんだ?
といっても眠るわけにはいかない。
ジッと耳を澄ませつつも、眠らないように意識をしっかりと持つ。
途中で先ほどの男が部屋に入ってきて、ズレてしまった毛布を掛け直してくれた。
凄く微妙な気持ちになった。
あー、マリアさん心配してるだろうな。
取り敢えずマルコに戻ってもらい、代わりに管理者の空間に戻る。
俯瞰の視点で周囲を窺うと衛兵や、屋敷の護衛の人たちが通りを走り回っているのが見える。
うう……ごめんなさい。
もう少ししたら、戻るから待っててください。
申し訳ない気持ちを感じつつ、彼のいう依頼人とやらの到着を待つ。
どれくらいの時間が経過したか分からないが、夜も寝静まった頃、この家に向かってくる人影が見える。
人数は二人。
この間の、ちょっと良い恰好をした人たちだ。
入り口で、食事をくれた男とは別の男と話をしている。
それから、室内に入ってくる。
あっ……
次の瞬間、二人のうち一人が剣を抜いて前を歩く男を背中から斬りつける。
入り口入ってすぐの部屋には、他にも4人の男が居たが武器を手にする間もなく二人組に斬られていく。
仲間割れか?
いや、元からそのつもりだったんだろうな。
俺もすぐにマルコと入れ替わると、蟻を召喚して手を縛っていた縄を噛み切ってもらう。
丁度そのタイミングで扉が開かれる。
「坊っちゃんすまねー! どうやら騙されたみたいだ!」
騙されたのはお前だけだろう。
俺は、別にその依頼人とやらと面識は無いのだが?
そんな事を考えながらも、ドタドタという足音が近づいてくるのが聞こえる。
「坊っちゃん、逃げてく……あれ? 縄は?」
「あー、あんなのいつでも切れたよ? それよりも、僕はこれから来る二人に用があるから……おじちゃんは一人で逃げなよ」
「えっ? はっ?」
依頼は俺を殺せじゃなくて、攫えだ。
二人組にとって、俺は大事な人物なのだろう。
だったら、男も俺を人質に取るくらいすれば良いのに。
まあ、教えてあげないけど。
残念時間切れ。
目の前で、固まっていた男の背後に人影が現れる。
まあ、良くしてもらったし……
「マルコ殿、助けに参りましたぞ!」
「この不届き者め!」
男の背後から斬りかかってきたので、咄嗟に目の前の男を蹴り飛ばす。
「ぐえっ!」
情けない声をあげて、男が横に吹き飛ぶとその場所に剣が振るわれる。
間一髪、斬られずに済んだようでホッと息を吐く。
それからこっちに向かってきた二人に対峙する。
一人は帽子を被っており、手には長剣を構えている。
もう一人の男は、それなりに高そうな黒シャツに身を包んでいる。
二人とも、まだ若そうだ。
そこそこイケメンだし……なんか、ムカつくな。
「助けに来たの? 誰が……誰を?」
突然の展開に、目の前の二人が思わず固まってしまったが、すぐに反応する。
「はっ、たまたまこの街に訪れていたらマルコ様が攫われたとの事で、怪しい男が出入りする建物があったの外で様子を窺っていたらそれらしい会話が聞こえてきたので乗り込んできた次第です」
「私どもは「その紋章……マックイーン家のものですね」
二人ともマントを羽織っているが、肩止めにマックイーン伯爵の紋章のついたボタンが縫い付けられている。
マックイーン伯爵家か。
確か以前一度パーティで、当主がマイケルと話しているのを見たな。
「ご存知でしたか! さあ、早くこの場から逃げましょう」
「あやつめは、私がキッチリと始末しますので!」
帽子男がそう言って剣を構えると、ここに飛び込んできた男の方に向き直る。
ゆっくりと倒れた男と帽子の間に歩いて割って入ると、帽子を軽く睨むように見据える。
「あー、ご存知ですよ……貴方がたが、こいつらを使って僕を攫った事は」
俺の言葉に、首を傾げる帽子男。
「な……何をおっしゃられているのですか?」
「私共はたまたま「たまたま2ヶ月前に僕が狙われた時から付けていたと?」
黒シャツの言葉尻を食って、さらに問い詰める。
話を途中で遮られたからか、黒シャツが少し苛立ったような表情を浮かべている。
「そういえば、ギルドへ向かう裏路地で仲良さそうに話してましたよね?」
だが、すぐにその表情も勢いを失う。
次々と言い当てられる事実に、二人とも声が出ないようだ。
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔して、口をパクパクとさせている。
「あー……まずいな」
「プランBで行くか」
二人とも気を取り直したらしい。
そのプランBってのが禄でもない予感しかしないのだが。
こちらに向かって明確な殺意を向けてくる。
「う……うーん」
間の悪いタイミングで、唸り声をあげるおっさん。
大人しく寝てろ。
取りあえずおっさんのお腹にもう一発蹴りを入れて、転がしとく。
「俺たちは怪しい男を見つけ、アジトに乗り込んだが……そこには変わり果てたベルモント家の跡取りが」
「そして、その場に居た連中を全て斬り殺し、貴方の遺体を綺麗にしベルモント家へと届ける」
「涙ながらに間に合わなかった事を謝りつつも、賊は全て処刑したことを伝えたら多少は恩義に感じてくれるでしょうね」
唐突に、プランBを話し出した。
なるほど……目的がさっぱり分からん。
どうやら、うちに恩を売りたいようだが。
「ということで、さようなら」
「【鉄壁】!」
いきなり斬りかかってきた黒シャツの前に右手を突き出す。
そして、カブトを召喚する。
簡易召喚だ。
「えっ?」
一瞬背後に4本の力強い角を持つカブト虫の映像が浮かび上がる。
そして、目の前に展開される半透明の障壁。
カブトのスキルの【鉄壁】だ。
黒シャツの斬撃を受け障壁は波紋を広げつつも、直接手で支えているわけではないので一切の衝撃はこっちに伝わってこない。
硬さは鉄と同等だが、優秀だ。
「【鉄の網】!」
間髪容れずに、次の簡易召喚を行う。
俺の背後に土蜘蛛の映像が、浮かび上がる。
土蜘蛛の4つの目が、黒シャツにロックオンされる。
そして彼の持つ凶悪な顎が、相手を威嚇するように開かれる。
「ひっ!」
黒シャツが、この世で最も恐ろしいものを見たというような表情で固まる。
それもそうか……
自分を一口で咬み砕きそうな巨大な蜘蛛に睨まれたら、そうなるわな。
そして、俺の右手から放たれる網状の糸が黒シャツの身体を絡めとる。
「なんだこれは!」
「大丈夫か! すぐに助け……なっ、ただの糸じゃないぞ」
切れる訳無いよな……
その糸の硬度は、鉄と一緒だからね。
帽子男が黒シャツに絡まった糸を、手に持った剣で斬ろうとしてすぐに断念する。
そのまま頑張ったら、刃がボロボロになるのは目に見えてるからね。
しかし、相方の名前を呼ばなかったのは立派だ。
もう、誰の差し金か分かってるのに。
「よそ見してていいの?」
「ちいっ!」
取り敢えずゴブリンから回収した短剣の中で、状態がマシなものを取り出して斬りかかる。
さすがは伯爵家の人間。
不意打ち気味の一撃だったが、簡単に防がれた。
「まずは、先に貴方から……なるほど、ただの子供じゃないみたいですね。さすがはスレイズ侯の指導を受けているだけの事はある」
すぐに斬り返してきたが、防がれた時点で間合いからは離脱している。
格上相手だ。
不意打ちが通じなかったら、距離は取っとかないとね。
それにしても俺のことよく知ってんな。
もしかして、うちの屋敷の中にスパイでも居るんじゃね?
トーマスさんとか……
――――――
「くしゅん!」
「馬鹿野郎! 本気で探せ! 無事に見つけ出さねーと、俺らが殺されるぞ!」
「すんません隊長……なんか、坊っちゃんが無事な気がしてきました。今頃俺の悪口言ってるような……」
「馬鹿な事言ってねーで、次行くぞ!」
「はいっ!」
――――――
あー、トーマスには無理な芸当か。
まあ、いい。
とりあえず、目の前の帽子男も無力化しとかないとな。
「やっぱり、まだまだ本物の騎士には勝てないか」
「6歳児が厳しい訓練を耐え抜いた私たち相手に、まだ生きてるだけでも驚異ですけどね」
俺の嘆息に、帽子男が苦々しい表情で答える。
逆の立場でもそうだな。
赤子の手を捻るとまではいかないが、子供相手に一瞬で片を付けられると思うのは普通か。
結構特訓頑張ったから、もしかするとって思ったけどそんなに甘くないと。
だったら、本来の力で相手させてもらおう。
ここなら、身内にバレることも無いだろうし。
「だからズルさせてもらおう……来い、キラーアントども!」
「えっ?」
次の瞬間、俺の右手からワラワラと蟻の大群が産み落とされる。
実際には召喚してるだけだけど、右手の掌から蟻がポトポトと地面に落ちてくさまは、さながら産み落としているようにも見えるからね。
「蟻?」
地面に降り立つと同時に凄い速さで帽子男に向かう蟻の大群に、一瞬訝し気な表情を浮かべるが即座に反応する。
足元に来た蟻を踏み付けて、そのまま捻る。
靴の裏でゴリっと潰しに掛かったのだろう。
「どういう仕組みか知りませんが、蟻を操るとか中々に奇怪な事をしますね。でもたかが小虫。こうやって踏み潰……えっ?」
余裕を持って対峙していた表情が、すぐに違和感を覚えたものに変わる。
そして、次にその表情が苦悶に歪む。
すぐに足を引き上げるが、足の裏から赤いものが地面に滴り落ちている。
「痛い! いたたたた! 足が! 足が噛まれて……えっ? 踏みつぶし……ぎゃあああああ」
「いや、やり過ぎ……」
すぐに床が真っ赤に染まる。
帽子男が、その場で地団駄を踏みつつも悲鳴をあげている間も、次から次へと蟻が向かっていく。
そりゃそうだ。
装甲が鉄なみに固くなってるのに、踏んだだけで殺せる訳無いわな。
足を上げた時に見たが、靴の裏にびっしりと蟻が喰らい付いてた。
噛まれるっていうより、咬まれるって感じか?
すでにそこに靴底なんてものは存在していない。
「もういいよ」
泡を吹いて倒れた帽子の足を見て、思わず顔を背ける。
相当悲惨な事になっていた。
というか……こいつらが弱いのか、俺の虫が強すぎるのか。
結論、鉄と虫の組み合わせは凶悪。
「さてと……」
「ひっ!」
まだ糸でくるまれただけで、無事な黒シャツの方に視線を向ける。
俺の足元に戻ってきた蟻たちが、一斉に黒シャツの方に向き直る。
恐怖の軍団にしか見えないだろうね。
しかも、身動きが全く取れない状況。
いま蟻をけしかけられたら、どうなるかなんて馬鹿にも分かる。
感情の籠ってない、無数の凶悪な蟻の目に見つめられる人間の心境ってどんなものだろうね。
表情を見る限りじゃ、逆の立場にはなりたくないが。
「話し合いの時間といきますか」
「……」
無言で首を縦に振る黒シャツにゆっくりと近づく。
蟻たちを引き連れて。
こらお前たち!
カチカチカチと顎を鳴らすな。
黒シャツが恐怖のあまり、気絶したじゃないか。
蟻を管理者の空間に送り返すと、黒シャツを叩き起こす。
その目からは完全に光が失われていた。