第7話:スレイズ・フォン・ベルモント
珍しくマルコが緊張している。
それも、そのはず。
いま、マルコの目の前に座っているのは、彼の天敵ともいえる存在。
「息災であったか」
「はい、おじい様もおかわりの無い様子で、安心致しました」
「それは良かった」
「……」
訪れる沈黙。
マルコが苦手な理由その1.
恐ろしく会話が続かない。
「チッ!」
そして、時折忌々しそうな表情で漏らす舌打ち。
傷だらけの強面と相まって、非常に怖い。
その音を聞くだけで、思わずすくみあがってしまう。
マルコが苦手な理由その2
雰囲気が怖い。
右のこめかみから、顎の下まではしる深い斬り傷。
額を真一文字に流れる斬り傷。
そして、左の眉の上から鼻の横まで伸びる斬り傷。
それ以外にも細かな傷がたくさんあり、元々の顔の造形が分からない。
皺の刻まれた顔にあって、歴戦の戦士だったことを物語っている。
そして鋭い眼光が、マルコを捉えて離さない。
マルコが苦手な理由その3
顔が怖い。
子供を怖がらせるには十分過ぎる素養を持った祖父だった。
歳は60手前といったところだろうか。
壮年とは思えぬほど鍛え込まれた体躯が、余計に威圧感を与える。
男の名は、スレイズ・フォン・ベルモント。
曰く、千人斬りのベルモント。
笑う疵顔の悪魔。
死を告げる騎士。
敵国の兵士からは様々な通り名で呼ばれる猛者だ。
事実彼が体験した3回の戦争で斬った敵兵は、1000では足りないだろう。
その功績を以て、元々男爵家に過ぎなかったベルモントを子爵にまで陞爵させたのだ。
陞爵というのは、並大抵の功績でなれるものではない。
戦功だけで陞爵できるというのは、どの時代においても稀有な出来事であった。
彼の武功の中に敵軍の中で孤立した当時の国王の従弟にあたる、エインズワース公含む一個大隊の救出という功績が決定的となった。
本人曰く、敵の士気が高く盛り上がっているところに突っ込んだら、王様の従弟が居たというだけの事らしい。
無論単騎での救出劇というわけではないが、彼は自身の率いる騎士中隊の先陣を切って敵軍の中に突っ込み、さながら雲を切り裂く稲妻の如く公爵の部隊の退路を切り開いたとの事。
すぐに向きを変えて再度突撃をかけようとしたら、部下と自身の間に違う部隊が入り込んでいるのを見て態勢の取り直しを図るためにそのまま自軍へと一旦戻っただけの事。
それに続いた公爵軍が無事に、本陣へと戻れたことが最大の功績となった。
一回りも年下の従弟を国王自身可愛がっていたこともあり、一時顔を青くした王がしばらくしてもたらされた救出劇の報告に戦時中にもかかわらず思わず立ち上がって「でかした!」と叫んだのは、その後演劇の名目として語られたこの出来事の最後を飾る名台詞となっている。
さて、そんなスレイズが何故今まで家に居なかったかというと、彼は現在、国王のお膝元である王都住まいだからである。
彼は若くして自身の息子に爵位を譲ったのち、別邸のある王都に移り住み現在王城勤めとなっている。
これは先代国王の願いでもあり、彼自身の地位は騎士侯となっている。
準男爵相当の一代限りの騎士爵ではなく、一代限りの侯爵相当の地位として先代国王が特別に用意したポストである。
彼の主な仕事は先代国王の護衛であるが、救出されたエインズワース公の憧れの騎士となったこともあり、それ以外にも王族の騎乗指南役としても活動している。
その彼が忙しい合間に暇を貰ってここに戻ってきたのは、マルコの弟であるテトラの誕生を祝っての事である。
「マリアさんも、よく頑張った。二人も男児を産むとは、ベルモントも安泰だな」
「有難うございます。 テトラもコロコロしてて可愛いでしょう?」
「う……うむ」
この強面の義父の前に、物怖じしない母に尊敬の眼差しをマルコが送っている。
「そう思うなら、少しは笑えば良いのに」
「まったくだ」
マルコに向けていた鋭い眼差しをそのままテトラに向けたスレイズに対して、妻であるエリーゼが溜息を吐く。
そして、母の言葉に同意を示すマイケル。
「父上はただでさえ顔が怖いのだ、マルコも緊張して固まっていますよ?」
「そんな事は無い!」
マイケルの言葉に、スレイズが不機嫌な様子で答える。
本人にとっては普通の返事であり、付き合いの長いエリーゼとマイケルであれば気にすることではないのだが、横で見ているマルコがやきもきするのも仕方ない。
「マルコは、わしの顔が怖いと思うか?」
「いえ、そのような事はありません」
唐突な問いかけに消え入りそうな声で入り、思い直し声を大きくしたあと尻すぼみになるマルコ。
自分とは思えないほどに、嘘が下手である。
「そうであろう! ほら見た事か!」
そんな事に気付いた様子もなく、スレイズがフンッと鼻を鳴らす。
一歩引いた視点で見ている俺からすれば、素直じゃないだけでこの人は別に悪い人ではない。
面白いからマルコに伝えていないが時折放つ「チッ!」という舌打ちも、マルコと話をしたいが上手く言葉が出てこない事が開きかけた口を紡ぐ際に、出掛かった言葉が舌打ちとして出ているだけの事だというのは見ていてもなんとなく分かる。
色々と下手くそな御仁なのだ。
そんな一部戦々恐々とした息子のお披露目会だったが、母マリアが思わぬ爆弾を落とす。
「そういえば、最近マルコは剣の特訓を始めて先生にも筋が良いと褒めていただいているのですよ!」
「なんと!」
その母の言葉に、スレイズがここに来て初めて笑みを浮かべている。
口の端をニイッと上げた様は、傷に引き攣られてか凶悪なものに見える。
「ヒッ!」
思わずマルコが小さな声で、悲鳴をあげてしまったのが分かるくらいに怖い。
彼にとってただの笑顔が、周囲には獲物を見つけた獰猛な獣にしか見えない。
「ならば千人切りのベルモントと呼ばれたわしが、マルコの剣を見てやろう! マルコは知らないと思うがこれでも、国王陛下が幼いころに何度か教えたこともあるのだぞ?」
自分の得意分野の話となり、途端に饒舌になる祖父。
分かり易い男である。
そしてシレっと孫に対して自慢を挟むあたり、どうにか孫との距離を詰めて仲良くなりたい、尊敬されたいという可愛らしい思惑がにじみ出てて傍から見る分には微笑ましい。
「こ……光栄です、おじい様」
当人は、怯えているが。
どうにか苦笑いとはいえ、笑えたことは褒めてあげてもいいだろう。
「あなた?」
だが、そんな上機嫌な祖父を「あなた?」の一言だけで大人しくさせる猛獣使いがこの場には居た。
そう、祖母であるエリーゼだ。
「むっ?」
「今日の主役は、テトラですよ? なんですか、先ほどからマルコばかり相手にして」
「ぬー……」
もっともな意見に、ぐーの音も出ない様子。
代わりに、ぬーという唸り声は出ていたが。
「申し訳ありませんお義母様、私がマルコの自慢をしてしまったばかりに」
「いえいえ、貴女のせいじゃありませんよ? この人ったら、マルコに会うのをとても楽しみにしてたから、出かける前にも注意したばかりなのに……」
やはり、時代が時代なだけに長男が重宝されるのだろう。
スレイズが跡取りであるマルコを特別視しているのは、傍目にも分かる。
やもすれば、もはや息子であるマイケルなどどうでも良いとばかりに、視線は常にマルコをロックオンしていた。
分かりにくいうえに当事者には迷惑極まりない、ツン要素満載な孫馬鹿なのだ。
デレたらデレたで猛獣じみた笑みを浮かべるだけという、なんとも嬉しくない相手ではあるが。
「わ……私も、是非おじいさまに一度見てもらえると、嬉しいかなと……ははは」
「あら、マルコも無理しなくてもいいのよ?」
「無理などしておらぬ!」
何故あんたが答える?
周囲の目がそう物語っていたが、スレイズは腕を組んで誇らしげに鼻息荒く勝ち誇った視線を妻に送り……凍り付く。
微笑を携えた妻の目に、光が無かったからだ。
さすがに調子に乗り過ぎた……
思わずスレイズが、王都に戻ってからの説教を想像し視線を逸らす。
調子に乗るほど、口を開いていないのだが。
さすがにこのままでは可哀想かと思い、俺もマルコのもとに戻って助け船を出すことにする。
「そうですね。今日はテトラのための日ですから、私の剣の話は明日にしましょうか」
「そ……そうじゃな」
「今日はテトラを可愛がってやってください。その代わりおじい様、明日は私のために時間を作ってくださいね? 約束ですよ?」
「う! うむ!」
俺の言葉に、パッと顔を輝かせる祖父。
チョロい。
「全く……マルコの方がよっぽど大人じゃないですか」
その横で、エリーゼが溜息を吐いている。
まあ男というのは、いつまで経っても大人になりきれないものである。
「それじゃあ、マリア! ほら、父上にテトラを抱かせてやってくれないか?」
「はいっ!」
それまで空気だったマイケルが、マリアに促すとその腕に抱いたテトラをスレイズへと預ける。
「ふむっ、マルコの産まれた時に似て可愛いではないか」
どうやら、ようやくまともにテトラの顔を見たらしい。
若干猿から赤子へと進化しているが、まだまだ猿顔だ。
可愛いけど。
スレイズの手に渡った瞬間に、その愛くるしい顔がクシャっと歪む。
それからキョロキョロと何かを探すように視線を漂わせ、マリアの顔を見て止まる。
その後再度スレイズに目を向けたテトラの目が潤む。
「うう……ううう……うわぁーー」
そして厳格な祖父は、抱いた瞬間に盛大に泣かれて凹んでいた。
――――――
「では、どこからでも掛かってくるが良い」
「はいっ!」
身体強化を使い、一気に距離を詰めて斬りかかり。
「甘い……なっ?」
柄で手を打ち据えられそうになったため、咄嗟に手首を返しこっちも柄で受ける。
勿論子供の握力で耐えられるわけもなく手から剣がすっぽ抜けるが、落ち切る前に左手で剣を掴み右手でスレイズの手を押さえる。
それから左手でスレイズのこめかみに水平切りを放つ。
残念、その剣は空を切る結果になったが、すぐに斬り返そうとして星が舞う。
「あなた!」
「す……すまん、予想以上に剣筋が速くて加減が……」
「6歳児の予想以上なんて、たかがしれているでしょう! そのくらいで加減もできなくなるくらいに耄碌したのかい?」
「いや、本当に6歳児どころでは……はっ! これが天才か!」
「馬鹿な事言ってないで、早く医者を呼んできなさい!」
「いや、本当に子供とは思えぬ動きじゃったのじゃ! 手加減などすれば、隙を突かれかねん鋭さも兼ね備えておった」
またも額を真っ赤に腫らしたマルコが、天を仰ぐ結果になったのは言うまでもない。
「ほらなっ?」
「あなたもほらなっじゃないですよ! それと、お義父様も加減くらいしてください!」
マイケルが俺が手加減できなかったのも仕方ないだろ? といった様子でマリアに声を掛けているがマリアもそれどころじゃなかった。
慌ててマルコに駆け寄って、一生懸命名前を呼んでいる。
「す……すまん」
さすがにこれにはスレイズも心から悪いと思ったのか、気まずそうに頭を下げる。
「良いから、とっとと行きなさい!」
「う……うむ」
エリーゼに尻を叩かれたスレイズが、走って屋敷に救護を呼びに行く。
「天才どころの騒ぎじゃないのう……神童か?」
その様子は、意外と呑気だった。