第32話:全てを知るもの
選択授業の時間になったのに、クルリが敷地内の森に現れない。
何か嫌な予感がする。
ディーンもそう思ったのか、顔が少し険しい。
「ん? クルリは欠席か? おいっ、ドルファン。クルリは今日は来てなかったか?」
「いえ、先の授業には出てましたよ」
ドルファンと呼ばれた男の子が、ゲイズ先生の質問に答えている。
同じ、総合普通科の生徒なのだろう。
「うーん、急に体調が悪くなったのかもしれんな。衛生室に行くとか、いってなかったっか?」
「いえ、確かに最近ちょっと元気が無かったですけど、そこまでとは……」
先生とドルファンのやり取りの合間に、蜂が一匹近付いてくる。
「ひっ、蜂」
近くの生徒がビックリしている。
その声に反応して、周囲の生徒たちがざわつき始める。
その蜂は、生徒の間を縫うようにして僕に一直線に向かっているわけだが。
ディーンも、スススと他の生徒の中に混ざっていってた。
他の生徒を弾避けにする気か?
酷いな。
「大丈夫だ蜜蜂だから、こちらから何かしなければ刺さないぞ」
ゲイル先生がチラリと蜂に目をやって、すぐにドルファンとの会話を再開する。
まあ、何かしても刺さないんだけどね。
と思いつつも、蜂の話に耳を傾ける。
「マスター、お友達でしたらあちらの建物のトイレに閉じ込められております」
蜂がお尻で指示してくれた方角にあるのは、初等科の建物だった。
閉じ込められてるって。
「先生!」
「なんだ! 刺されたか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……ちょっと、気分が悪いので衛生室に行っても大丈夫ですか?」
「ああ、それなら仕方ないな。1人で行けるか?」
「たぶん、大丈夫です」
先生に返事をして、速足で初等科の建物に向かう。
「そうだ、クルリが衛生室に居たらそのまま休んでろって、伝えておいてくれ」
「はいっ」
そして森を出て、建物のある敷地に入った瞬間にダッシュで蜂の案内に従ってトイレへと向かう。
授業中なので、特に誰ともすれ違うことなくトイレに辿り着くと、すぐに飛び込む。
女子トイレだけど、蜂の事前情報でクルリしか居ないことは知ってるし。
中に入ると、女の子のすすり泣く声が聞こえてくる。
「クルリ?」
「マルコ君?」
僕の声を聞いて、泣き声がピタリと止まる。
そして、不安そうな声で話しかけて来た。
クルリの入っている個室と、隣の個室の扉のノブが紐で縛りつけられていて、どうやっても開かなかったようだ。
「開けるよ」
「うん」
紐を外して扉を開くと、中にクルリがしゃがみ込んでいた。
制服はびしょ濡れだ。
閉じ込め水コンボとか……
テンプレも良いとこだろ。
「大丈夫?」
「うう……」
扉が開いて安心したのか、また泣きそうになっている。
「マスター……教師が近付いております」
蜂がそっと耳打ちをしてくれた。
「先生がこっちに向かってるみたいだけど、どうする?」
僕の質問に、首をプルプルと横に振るクルリ。
どうやら、先生には言ってもらいたくないらしい。
とはいえ、僕も逃げ場が無いし。
「ちょっと、一旦中に入れて」
「えっ?」
そう言って中に入ると、扉を閉めて鍵をかける。
「マルコ君……何を?」
「いや、男の子の僕が女子トイレに居たら問題でしょ……先生が来たら、うまく誤魔化してくれない?」
「……うん」
狭い密室に女の子と2人きり。
ドキドキ……しない。
素朴で可愛い子なんだけどね。
なんか、幼く見えるというか。
守ってあげたい、妹ポジション?
いや、ペットの小動物かな?
「誰か居るのですか?」
どうやら、女性の先生らしい。
声にはあまり聞き覚えが無い。
「普通科のクルリです、少しお腹が痛くて」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です……だいぶ良くなりました」
「分かりました、無理をしないように。戻れるようなら授業に戻りなさい……治らなければ、衛生室に行くのよ? それとも先生、ここに居ようか?」
「有難うございます。もう少ししたら、授業に戻れそうなので」
「分かりました、じゃあ、もう行きますからね」
先生がトイレから出ていくのが分かる。
一安心。
「取りあえず出ようか?」
「……制服」
自分の恰好を見て、クルリの顔が歪む。
本当に、すぐに泣く子だな。
まあ、8歳くらいだとそうなのかな?
「ああ……これから起こる事は秘密ね」
「えっ?」
僕はそう言うと、左手を翳してクルリの服に含まれてる水分を全て吸収する。
うん、本当に便利な左手だ。
これ、もしかして家とかも吸収出来たりするのかな?
試す気は無いけど……
今度、掘っ立て小屋かなんかあったら試してみよう。
急に制服がパリパリに乾いた事で、クルリが驚いている。
「ま……魔法?」
「みたいなものかな? 僕が魔法を使った事は内緒にしといてね」
無言で、コクリと頷くクルリ。
可愛い。
「で、誰がこんなことを?」
「……分からない」
僕の質問に対して、目を反らしながら答えるクルリ。
嘘だな。
きっと相手が誰か分かってるけど、告げ口するともっと酷い目に合うとかって思ってるのかも。
でも、違う。
確かにその瞬間は酷い目に合うかもしれないけど、繰り返し訴えてきたら相手も手出しをしずらくなるし、諦めるだろう。
黙っている方が悪い。
徐々にエスカレートしていって、最終的には身体を傷つけられるかもしれない。
その責任の一端が僕とディーンにあると分かっているから、放っておくわけにもいかないし。
「そっか……」
蜂に目配せすると、丸を描くように飛ぶ。
相手が分かっていると。
「主犯格の生徒はペニーと呼ばれてました」
蜂がそっと教えてくれる。
「ペニー……」
誰だ?
「えっ? なんで……」
つい呟いてしまったら、分かり易くクルリが反応する。
やっぱり、知ってたし。
まあ気持ちは分かるから、嘘を吐いた事を責めたりはしないけど。
「ペニー・フレグランス。フレグランス商会の1人娘です。さらにその背後には、パドラ・フォン・ベニス。ベニス男爵家の次女が噛んでいます……彼女は、マスターの友人であるディーンに好意を抱いているようです」
なるほど……
良く知ってるね。
「この学園の生徒の相関図と背後関係、実家関係は、私達の間ではある程度調べあげて共有されてますので」
なにこの蜂。
テラ優秀なんだけど。
「勿論、実家の交際関係も……黒い交際から、不正に至るまでのあらゆる情報を集めているところです」
なんの為に?
そんな指示、出した覚え無いんだけど?
「あちらのマスターからの指示です」
そう言って、お尻で上を指し示す。
そうか、もう1人の僕ね……
なんにも聞いてないけど?
『こんなことも、あろうかとね』
どうやら、思った事が伝わったらしい。
もう1人の僕が応えて来た。
いきなり話しかけられると、ビックリするから止めて欲しい。
「その……」
「大丈夫、僕に任せておいて」
クルリに対して微笑みかけると、彼女の手を取って外に出る。
廊下には誰も居ない。
知ってたけど。
女子トイレから女の子と2人で出てくるとか。
見られたら、どんな噂が立つことやら。
まあ、8歳児だからね。
「マルコが女子トイレ入った! 変態! 変態!」
って騒がれるくらいかな?
何故かこのくらいの歳の子って、女子が男子トイレ入ってもちょっと騒ぐくらいなのに、男子が女子トイレに入ると変態認定されるのだろうか。
でも、大人が女性用のトイレに入ったら、ガチ変態か。
衛兵に捕まっちゃうもんね。
うん、本能レベルで女子トイレに入るのを躊躇うようになるし。
教育の一環かな?
「あの……あまり、余計な事しないで欲しいの。これ以上、何かされたら」
「大丈夫、あまり余計な事はしないから。ガッツリ行くから」
「えぇ……」
「これ以上何も出来ないレベルで」
「それは……」
「任せて、僕も大事な友達にこんなことされて、本気でムカついたし。大好きな野営の授業もボイコットするはめになったし」
「ごめんなさい……」
「ううん、悪いのは全部パドラだから」
「そこまで、知ってたの?」
彼女の言葉に笑顔で応える。
「ひっ!」
怯えられた。
酷くない?
結構周りの大人からは、天使のスマイルって呼ばれてるんだけど?
母上とか、母上とか、あと母上とか?
「一生クルリの前で、笑えなくするくらいだから」
「やめたげて!」
いじめの相手の心配をするなんて、クルリは本当に優しい子だなー。
思わず、頭を撫でてしまった。
小さくて、可愛い。
テトラ元気かな?
今度、テトラに手紙書こうっと。
手紙……?
あっ……
アシュリーに手紙書いてない。
学校が楽しくて、すっかり忘れてた。
今度、書かないと……
「どうしたの? 急に元気無くなったみたいだけど?」
「なんでもない。厄介な事になる前に思い出せて良かった」
「何が?」
「フフッ」
僕の呟きにテトラが……違った、クルリが首を傾げている。
うんうん、可愛い、可愛い。
「そう言えば、マルコもこっちに来たらディーンが……」
「ディーン? どうでも良いよ、あんな奴」
そういえば、今頃ディーンはひとりぼっちか。
ポツンと1人で火でも起こしてるのかな。
想像したら、ちょっと笑えた。
――――――
「えっ? ああ、あの後他の班に入れて貰いましたよ? で、スムーズに火を起こして、他の先生に内緒でマシュマロを頂きました。美味しかったですよ」
なにそれ、ズルい。
くそっ!
パドラ、許すまじ!
――――――
「あの……何か、総合上級科の生徒の方から避けられてるんだけど」
「そう? 別に大した事してないよ? 優しく言ってきかせたらすぐに、改心してくれたし」
「他の子達も、私とすれ違う時に、目を合わせてくれないよ? 何したの?」
「ええ? 普通に説得しただけだよ。苛め、カッコ悪いよって」
次の授業で、一緒になったクルリが不安そうに聞いてきたから、ありのままを話したのにかなり疑っている様子。
酷い。
「本当に、話し合いだけだから」
「道を譲っても、私が先に行くまで壁に張り付いてるんだけど?」
「良いじゃん、歩きやすくて」
「やっぱりベルモントって……」
その後のセリフは何?
てか、ベルモントの評判ってどうなってるんだ?
おじいさまは、一体何をしたのだろうか……
「スレイズ様も、マイケル様も歯向かう者には容赦しなかったらしいですね」
えっ?
お父様も?
ちょっと、ディーン?
その話、詳しく……
「流石剣鬼様の孫で、笑鬼様の子供ですね。出来れば、私も参加したかったんですけどね……」
笑う鬼?
お父様にそんな通り名が?
空飛ぶ箪笥じゃなかったの?
というか、僕が勝手に動いて解決したことが面白く無かったんだろうね。
ディーンの話を聞いて、クルリの表情が若干青くなってるし。
余計な事を言うな。
「まあ、私からも釘を刺して「やめてください! これ以上何かされたら、私もう学校に通えなくなっちゃう」
そんなに?
もうちょっと、普通に接するように総合上級科の子達に伝えとこう。
「マルコが、また悪い笑みを浮かべてますね」
「ひいっ」
おいっ!
ディーンにだけは言われたくないし!
マルコが何をしたかは、次話で……
 





