第18話:忍び寄る影
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遡る事2日前
「くそったれが!」
ベントレーは教室を飛び出して、校舎の外で大声で叫ぶ。
彼はいま、世界中が敵になった気分だろう。
クラス内の友達は皆、掌を返してマルコやヘンリーと仲良くなっている。
自分だけが、ただ1人誰からも相手にされない。
そう感じているに違いない。
なんで、こうなった?
自問自答する。
入ったばかりの頃は、周囲にもそれなりの取り巻きは居た。
フルーターも居るだろうことはなんとなく予想出来ていたが、国内でも銀の取れる領地を持つという事はそれなりに力を持てる。
クーデル家とは仲良くしておいて、得はすることがあっても損をすることはない。
他の伯爵家の子供達が、自分を取り囲んであれこれと話しかけてくるのが嬉しかった。
ブンドやアルトといった、元から仲の良かった者達もいる。
彼等の祖父が国の財政を預かっているということもあり、ブンドは数少ない対等に話が出来る相手だと思っていた。
本当の意味での、友達だと。
だが、蓋を開けてみればどうだ?
教室に入ったら、何やらマルコとヘンリーを取り囲んで楽しそうに話をしてやがった。
裏切られた。
友達に裏切られた。
エマ様だって初めて会った時は、貴族の子供達の輪に加われず親の影に隠れていた僕を引っ張りだして、皆に紹介してくれた。
その日は殆ど一緒に居てくれたのに。
思えば、あの時からエマ様に憧れを抱いていた。
エマ様も、自分の事を悪くは思っていなかったはずだ。
それどころか、好意的に接してくれていた。
俺を呼んでくれたのだって、好きだったからじゃ無いのか?
それを、急にヘンリーなんかに鞍替えしやがって。
彼の中で都合よく書き換えられた記憶や思い出。
学校が始まった当初の、皆からちやほやされた優越感。
それらが、一気に色あせて霞のように消えてしまった。
それも、マルコとヘンリーというたかだか子爵家のガキのせいで。
悲しみや怒り、喪失感や妬みなど色々な感情がない交ぜになって、ベントレーの心を黒く染める。
みんな、みんな死ねば良い!
俺の事を認めないエマ様も、殿下も、デュークも、クリスも、モルダーも、裏切り者どもも、皆死んでしまえばいい!
全部、マルコとヘンリーのせいだ。
絶対に許さない。
ギュッと握りしめた拳が、白くなっている。
そして、その表情も。
瞳から完全に輝きが失われる。
「殺してやる……」
8歳の子供の口から出たとは思えない程の物騒な言葉。
いや、子供故の短慮かもしれない。
「殺してやるとは、穏やかじゃないな」
「誰だ!」
そんなベントレーに話しかける者が居た。
少し前から、ベントレーの様子を伺いタイミングを見計らっていたのだろう。
ベントレーが学校の外に向かおうとするのを、呼び止めるように声を掛けてきたのだ。
「バラッド様」
「久しいな……前に会った時はエマ様に引っ張りまわされるだけの、可愛い子だと思っていたのだが」
声を掛けてきた相手はバラッド・フォン・エントーヤ。
エントーヤ伯爵家の次男だ。
魔術師の家系に生まれ、祖父が魔導研究所の所長を務めている。
バラッド自身も闇と火に適性を持っており、初等科4年生の中でも貴族科首列の1人として優秀な生徒として認知されている。
国の機関を任されており、国内でも力ある貴族の1人だ。
「いえ、ちょっと腹立たしい事があっただけです。失礼します」
校内で殺してやるなんて呟いた事を聞かれたベントレーが、顔を青くしてその場を離れようとする。
こんな事が、父や祖父にバレたらどれだけ叱責されるか分からない。
先ほどまでの、マルコやヘンリーに抱いていた怒りが嘘のように萎んでいく。
代わりに生まれたのは、焦りと恐怖。
いつからだ……
いつから見られていた?
そんな事を考えながら、頭を下げるが肩を掴まれる。
「つれないねー……逃げなくてもいいじゃないか」
「いえ、逃げるなど」
「確かに、ムカつくよね? マルコとヘンリーだっけ? いくら祖父にあの英雄スレイズ様が居るとはいえ、調子に乗り過ぎだな」
怒りの矛先までバレていたことで、より一層危機感を覚える。
そして、バラッドの言葉で思い出す。
言ってもマルコは、騎士侯の孫だ。
家格で言えばクーデル家の方が上だが、個人で見ればスレイズは侯爵と同等。
遥かに上の存在だ。
彼の孫を殺してやるなんて呟いたのがバレたら、どんな目に合うかは想像に見やすい。
ここに来て、初めて誰を相手にしていたかを思い出す。
確かに子爵家の子供だが、スレイズが健在のいま彼の祖父から個人的な報復がある事まで考えていなかった。
それもこれも初日に周囲の子達が、子爵家の子供の癖にと2人をこき下ろしていたからだ。
ベントレー自身も、マルコもヘンリーも所詮は子爵の子供だと侮っていた。
「そんなに怯えなくても良いよ……ベルモントを面白く思ってない子達は、僕の周りにもいっぱい居るからね」
「そうですよね!」
「ああ……殿下やエマ様とも仲良くして面白くない……私も君たちと同じ年に生まれていたらと何度思ったか。そしたら伯爵家を差し置いて、たかだか子爵の子供が殿下の周りをウロチョロとコバエみたいに飛び回るような事はさせないのに」
本当の意味で光明が見えた気がした。
先輩だったら、マルコといえども大きな態度には出られないだろう。
そしたら、誰にも邪魔されることなくヘンリーにいくらでも仕返しが出来る。
「僕も……そう思って釘をさしたのですが、あいつら全く相手にもしてくれなくて」
「それはいけないなあ? 子爵家の子供が伯爵家の子の警告を無視するなんて」
「マルコさえ居なければ……ヘンリーなんか潰してやれるのに」
ヘンリーから何もされていないのに、どうしてここまで怒れるのやら。
バラッドが不思議なものをみるような、楽し気な表情を浮かべる。
ただ殺してやるという程だから、よほどその怒りは根深いのだろう。
そんなベントレーの気持ちを読み取ったのか、切なそうな表情で頷く。
「分かるよ……これは君たち1年生、殿下と同級生の子達にしか出来ない事だからね」
「なのに……ブンドも、アルトも、ディックもみんな裏切りやがって! アシュリーやメリッサまで……それにエマ様までもヘンリーなんかと……」
最後にエマの名前を口にした時に、ベントレーの表情が苦々しいものに変わる。
なるほど……
何故彼がここまで怒りに染まったのかが垣間見えた。
「エマ様も、あのような漁民を相手にするとは落ちたものだ……嘆かわしい」
「本当です! バラッド様もそう思いますか?」
「ああ、彼女はきっとヘンリーに騙されているのだろう」
ひくつきそうになる頬を必死で抑えながら、バラッドが同情するようにベントレーに告げる。
「彼女を救えるのは……そうだな、クラスの全員がいまやマルコとヘンリーに騙されているとなると、君だけだな」
「僕……だけ?」
「そうだよ? 君がエマ様を救える最後の砦だ」
「僕が……」
バラッドの言葉を噛みしめるように繰り返す。
何やら自分が正しい者のように思えてくる。
「殺しちゃおっか? ヘンリー君を」
「えっ? いや、それはつい言葉の勢いでというか……」
「大丈夫、僕も手伝ってあげるから」
何気ないように恐ろしい事を言うバラッドに、急に心が冷めていくのを感じる。
この人はヤバい。
僅かに残ったベントレーの理性に、本能が全力で警鐘を鳴らしている。
でも、こちらをじっと見つめてくる漆黒の瞳を覗くと、だんだんと怒りが再燃してくるのを感じる。
「これは救済だよ。辺境伯という、この国の防衛の要の御令嬢が魚を取るしか能のない、ラーハットにかどわかされているんだ……ラーハットが、エマ様のお父上の地位を使って何かしようと企んでいるとは思わないか?」
「えっ?」
「貴族科ってのはそういった思惑が交錯する場所でもあるんだ、知ってるだろ?」
ヘンリーはエマ様を利用しようとしている。
そんな言葉が何故だか、スッと頭に入って来る。
「明日、明後日は学校も休みだし……そうだ、日曜日にうちに来ないか? ベルモントやラーハットをよく思わない人達で集まるんだ。君も来る資格はあるよ」
「バラッド様の邸宅に?」
「ああ、実家じゃなくて上級居住区にある私の私邸の方だけどね」
当然バラッドの実家は、王城近辺の一等居住区にある。
が彼自体は、子爵や男爵家、商家の邸宅が立ち並ぶ2等居住区に住んでいるらしい。
それも学校が近いからという理由だけで、親から買い与えられたとの事。
「他にはどのような方が?」
「まあ、子供だけじゃないんだけどね……来てからのお楽しみという事で。君が頑張らないと、これ以上マルコ君やヘンリー君みたいな小物が調子にのったら、他の子爵、男爵の子供たちまで勘違いしちゃうと困るしね」
「分かりました……考えておきます」
「そう? じゃあ、当日の夜7時までに来てくれたら良いから。待ってるよ?」
そう言ってバラッドは二回トントンとベントレーの背中を叩くと、校舎に戻っていく。
「頑張ってね! それと、授業は受けた方が良いかな?」
「……はい」
そんな気分じゃ無かったが、心配して言ってくれているだろうことは分かった。
素直に頷くと、思い足取りでバラッドと同じように校舎に戻る。
その後ろを1匹の蜂が追いかける。
誰にも気づかれないまま。
――――――
「主……ベントレーに危険が迫っております」
魔法の訓練でヘトヘトだというのに、偵察に出していた蜂から聞き捨てならない報告が入る。
というか、危害を加える側じゃなかったっけ?
ヘンリーに何かしないようにと、見張りを付けたのに。
違う意味で役に立った。
「危険って?」
「邪神様を信仰すると自称する、邪神教なるものが接触しております」
「何それ?」
個人的には、善神様よりも常識的で気遣いが出来る分、邪神様には良いイメ―ジしかない。
その邪神様を信仰する宗教か。
どんなのかな?
善神様の非常識っぷりを広める宗教とか?
「いたっ!」
頭の上に本が降って来た。
本棚は3m以上離れた先の壁にあるのに。
不思議な事もあるものだ。
冗談。
たぶん、善神様だな……
いつも見てるのかな?
だとしたら、結構辛い……
(で、助けに行くのか?)
そんな事を考えていたら、もう1人の僕が話しかけてくる。
「うーん……これってヤバいのかな?」
「かなり偏った思想の集まりのようですが?」
独り言のように呟いたのに、蜂が返事を返してくれた。
駄々洩れだったようだ。
(意地悪されてたんだし、放っておいても良いんじゃないのか?)
心にも無い事を……
それに答えなんて、分かってるはずなのに。
あっちでもう1人の僕がニヤニヤしているのが分かる。
「そうだね……でも、なんであんなに目の敵にされてるのかも気になるし」
(そんなの、子爵家の子供の癖に、伯爵家の子達を差し置いて殿下と仲良くなってたら気に入らないなんて当たり前だろ?)
「それは、セリシオが勝手に懐いてるだけだし」
そんな事は分かっているけど、それ以上にヘンリーに対するベントレーの態度は異常だと思う。
まあ、どうせ結論は一緒なのだから焦らしてもしょうがないか。
それに、あれこれと迷って手遅れになるのも嫌だしね。
そもそも、彼は助けたいのだ。
その気持ちはヒシヒシと伝わってくる。
僕に気を遣いつつも、彼の中では結論は出ているはず。
だったら、素直に後押ししよう。
「友達になれるなら……やっぱり、仲良くしたい! 折角同じ学校の同じクラスに居るんだから」
(そうか! じゃあ、手遅れになる前に助け出さないとな? 仲直りはタイミングを逃したらどんどん難しくなるし……任せてくれるだろ?)
僕の言葉に、彼が嬉しそうに答えてくれる。
本当は自分でやりたいけど、こういう事は彼の方が上手い……
「うん、お願い! ベントレーを助けて!」
「任せろ!」
次の瞬間、管理者の空間に身体ごと連れていかれた。
「まずは、ベントレーの場所だな? えっと、蜂の居るところは……」
「2等居住区だったよね?」
「ああ、場所は分かっているから地図で探すだけだ」
管理者の空間の地図を操作して、王都をズームする。
それから、蜂の居る場所をさらにズームしていく。
「でかいな……貴族の屋敷か?」
「えっと、地図にはエントーヤ家別邸って出てるね」
魔導研究所の所長の別邸か。
らしいといえば、らしいか……
「所有はバラッドって人みたい」
「4年生だな……12歳で家を買い与えて貰ってるのか。羨ましい」
「いま、そういう場合?」
そんな事を言いながらも、屋敷の中を見る。
屋敷の分解図を見ると、地下に大きな部屋があるのが分かる。
ここだろう。
そこをタップすると、部屋の景色が映し出される。
プライバシーもへったくれもあったもんじゃないな。
もう1人の僕が悪用していないと良いけど。
そう思ってジッと見ると、睨まれる。
「何を考えているかは分かるけど、そんな使い方は一度もしたことないからな?」
「ごめん」
どうやら気分を害したらしい。
おかしい……前世の僕なら、間違いなく悪用していると思ったのに。
「というかだ……そういう使い方をしようとすると、急に制限が掛かるんだ。肝心な時に使えねー」
やっぱり、やろうとしたのか……
そして、その目的は全然肝心じゃないと思うけど?
まあ、いいや。
どうやら悪用しようとすれば、邪神様による制限が掛かるらしい。
安心。
(なぜ、邪神の奴と決めつけるのじゃ?)
不意に頭に、年齢性別不詳の声が響く。
これは、善神様の方だな。
この人暇なのかな?
いきなり、考えを読んだうえに話しかけないで欲しい。
びっくりするし。
「えっ? 違うんですか?」
(合ってるけども……釈然とせんではないか)
「というか、考えを勝手に覗かないでくれますか? いつもやってるんですか?」
(ん? いや、邪神の奴がちょっと出かけて暇なもんでのう……普段は奴が止めるからのう)
やっぱり、碌な神じゃなかった。
(失礼な奴め! わしは、この世界の主神の1人じゃぞ)
「申し訳ありません」
(分かれば良いのじゃ)
プツッと通信が途切れるような感覚が分かる。
っていうか、神の声が聞こえるとか教皇より凄いんじゃないかな?
その辺の宗教関係は、あまり調べていないけど。
まあ、結局のところもう1人の僕も、善神様もしっかりと邪神様に行動を読まれてコントロールされてるってことね……
イメージ的に、邪神様が善神様でも良い気が……あっ、不穏な空気。
これ以上はよしとこう。
「おい、あまり時間は無さそうだ。身体もらってくからな」
「あんまり、無茶しないでよ?」
「なあに、死んだら来世に期待だ」
意識が身体からはじき出されると、身体がそのまま目の前から消える。
彼が見ていた地図を覗くと、ベントレーが台に縛られて黒いローブを着た人達に囲まれているところだった。
うわぁ……こういう世界だって分かっててもイタイ集団だ。
ただ、1人だけ他と違う豪華なローブに身を包んだ人居る。
その人がリーダーかな?
手にキラリと光る、禍々しい装飾の短剣を持っている。
うん、それは頂けないかな?
そんな事を考えながら、もう1人の僕を応援する。
彼に任せてたら、大丈夫だろう。





