通算300話記念閑話4:マハトールの里帰り 後編
「ここからは、マジで気を引き締めていった方がいいよ」
「フッ」
リザベルの警告に対して、まるで幼い子の背伸びを見るかのような優しい笑みを携えて答えるマハトール。
階層が進むにつれて、拗らせ具合も進んでいるようだ。
マハトールのジャケットにすっぽりと納まっているリザベルが、何故か頼もし気に見上げて安堵の溜息をもらしている。
よく見ろ、そいつはマハトールだ! とマサキが見ていたら、突っ込んでいたことだろう。
そして、良く見なくてもマハトールである。
言動諸々も含めて。
「あの境界からが、七丁目だからね? ここはまだアークデーモンの区域だけど、あっちからデーモンロードよりのアークデーモンや、序列下位のデーモンロードもいるから」
「ふむ……レッサーの私からすれば、アークデーモンもデーモンロードもさして違いが分かりませんね。どちらも、格上過ぎて」
「微塵も思ってないよね? 僕のこと、敬わないもんね」
「はて?」
実際のところ、リザベルではマハトールの足元にも及ばないのは事実だ。
初見の頃からすでに圧倒された相手であるうえに、管理者の空間での地獄の特訓を目の当たりにすればその差が開いたのは火を見るよりも明らかだ。
勿論、リザベルも地獄の特訓は受けている。
だが、それは第一の地獄の入り口ともいえる等活地獄と、救いのない無間地獄ほどの差が……そこまでの差は無いかもしれないが近いものはある。
等活地獄は、一兆六千七百億年程度で刑期を終える程度だ。
なんせ、悪戯に小虫を殺した程度で落とされる、いわば誰でも落ちる地獄だ。
たとえ蚊や虻が相手だとしても、殺してしまえば過剰防衛だ。
それに対して、無間地獄の刑期は約三百五十京年にもなる。
ありとあらゆる悪事を働いたら、落とされる地獄の中の地獄。
というか、悪事のフルコンプでようやく落ちる地獄だ。
死後の世界なので無期懲役ではないところに、本当に救いの無さを感じる。
まあ、一括りに地獄の特訓などと称しても、リザベルの行う訓練とマハトールの行う訓練にはそれほどの差があるのだ。
二人の戦力差が広がるのは、明白だ。
そして、その訓練の様子を知っているから、リザベルもマハトールに対して純粋に一目置いている。
「少しは、楽しめると良いのですが」
「変なことを、考えるなよ? いや、本当にデーモンロードってのは別格だから」
「しっかりと、挨拶させてもらいますよ」
「不安だなぁ」
落ち着き払ったマハトールの様子に、リザベルも少しだけ気を抜く。
そして、すぐに後悔する。
油断したところに、突如当てられる覇気。
リザベルの背筋がぶわっと粟立つ。
「なんだ? クソガキが! いっちょまえに乳臭いレッサーなんか連れて、何の用だ?」
「オーガル……」
「おい! いま、呼び捨てにしやがったか? 泣き虫リザベルの分際で」
いきなり上空から降り立った鬼のような見た目の悪魔に、リザベルが嫌そうに声を掛ける。
だが、帰ってきたのは高圧的な返事。
おそらく、マハトールに対して不愉快に思っているのだろう。
レッサー如きが、地獄の深層に居ることに対して。
「こちらは、どなたですか?」
「オーガル……アークデーモンの中では、デーモンロード手前の序列にいる悪魔だ」
リザベルが歯の根が合わぬ様子で、軽く紹介を始める。
下を向いたまま話したため、その紹介を受けたマハトールがニヤリと笑ったのにリザベルは気付けなかった。
ようやく、自分に対して絡んで来た獲物を見つけたのだ。
そう、獲物を見るような目でオーガルを見上げるマハトール。
「これはこれは、先輩でしたか……以後お見知りおきを」
「ああん? てめえ、何勝手に先に進んでんだよ」
軽く会釈をして通り過ぎようとしたマハトールに、恐ろしいほどの衝撃が襲い掛かる。
咄嗟にリザベルを胸元から引きずり出して上空に投げ飛ばしたが、直撃を受けたマハトールは地面に叩きつけられ何度も跳ねるように転がっていく。
そして転がりながら、悪魔により近い姿へと変貌していく。
角を伸ばし、尻尾と翼まで生やす。
おおよそ人とかけ離れた容姿に変わると同時に、瞳が金色の輝きを放つ。
そして、口がぱっくりと大きく裂ける。
大げさに言ったが、速い話が普通のレッサーデーモンの見た目だ。
瞳の色以外。
角も触覚に近い形で、尻尾も先っぽが矢じりのような形をしたあれ。
もう、悪魔中の悪魔。
歯ブラシとか、歯磨き粉のCMに出てくる虫歯菌のようなあれだ。
勿論、ある程度の変形は自在にできるから、わざとこの姿を選んだのだ。
「なんだ、本当に普通のレッサーじゃねーか」
すぐに起き上がって、埃でも払うような仕草で膝を叩くマハトール。
それから、手の甲で口元を拭う。
別に、血が出ているわけでもないのに。
「なあ、こいつ俺にくれよ! ちょうど、便利な小間使いが欲しくってさ。前のがちょっと小突いたら、壊れちまってね」
「あー……そいつは、僕のじゃないから」
「ああん? じゃあ、誰のだよ」
もはやマハトールから興味を失ったオーガルが、獰猛な歯を見せながらリザベルに強請る。
さながら、猫型ロボットのいじめっ子のような様相で。
いや、まんまそんな感じだ。
「まあいい、俺のものは俺のもの……お前のものも俺のものだよなぁ? あっ?」
「だから、僕のじゃないって」
むしろ当人の意思など、関係なしに話が進んでいく。
そして、当事者のマハトールは……
「先輩、先を急ぐんで失礼しますね。リザベルさん、行きますよ」
膝を払ったあとで、執事っぽい綺麗なお辞儀をしてオーガルの前を自然な感じで辞去しようとしていた。
オーガルの額に、青筋が浮かぶ。
「てめぇ、レッサーの分際で俺らの会話に割り込んでじゃねーぞ!」
そして、またも殴り飛ばされる。
首がありえない方向に捻じれ曲がり、全身が不自然な方向に折れ曲がる。
もはや、絶望的な状態。
思わずオーガルが、額を手で押さえる。
「くそっ、またやっちまった……すまんな、お前の壊しちまったわ」
全く、悪いとも思っていない様子で、リザベルに片手で謝ってテヘペロするオーガル。
地味にうざい悪魔だ。
そういう、属性なのかもしれない。
うざいという悪意から発生したくせに、大悪魔の一歩手前まで成長するとは。
デーモンロードになったら、ヤバイくらいにうざい悪魔になりそうだ。
四六時中しょうもないダジャレとか言う感じの。
でも強いみたいな……
「もう、満足ですよね? じゃあ、リザベルさん先を急ぎましょうか」
しかし、あれほどボロボロになっていたマハトールが、何事も無かったかのように立ち上がる。
勿論、手足は折れたままだ。
首も一周は回っている。
しかし、彼が左手を顎に当てて軽く振ると、首が一回転して元に戻る。
それから、リザベルを呼んで先に……
「行かせるかよ! 面白れーやつだ……俺の一撃を受けて、生きてるとは」
「ふっ……悪魔ですよ? 核が無事なら、身体の損傷なんて怪我のうちには入らないでしょう」
少し小ばかにした様子で敢えて説明をしてあげたマハトールは、いよいよ本格的に歩を進める。
オーガルが一瞬きょとんとした後で、ワナワナと震え始める。
レッサー如きに馬鹿にされたことに、遅れながらも怒りが込み上げてきたのだろう。
地面を思いっきり叩きつけると、マハトールを睨みつける。
「じゃあ、望み通り核ごと消し飛ばしてやるよ! 消える覚悟と遺言を残す時間はやるよ!」
いや、オーガルもすでに若干うざい感じの悪魔になっているようだ。
しかし、マハトールは敢えて無視を決めると、リザベルを呼ぶように顎をしゃくる。
その行動に、オーガルが切れる。
「喰らえや! 【闇の咆哮】!」
そして、オーガルの口から即座に放たれる闇の波動。
時間をやるという言葉は、なんだったのだろうか?
「なっ!」
しかし、オーガルが予想したのとは、まったく違う光景が目の前に現れる。
その闇の咆哮は、マハトールの腹を貫き大穴を開ける。
にもかかわらず、マハトールは歩く速度を落とさない。
そのうで、腹に空いた穴が徐々に塞がっているのが、見て分かる。
そう……目の前で、即時回復が始まっているのだ。
「腹に核がねぇだと? しかも、超回復……いや、再生持ちか! ますます、おもしれー! お前、俺の部下になれよ!」
「ふむ……あまり、魅力的な提案ではないですね。それよりも、先を急ぎますので」
オーガルの言葉に、マハトールは振り返ることもなく答える。
ウォーミングアップは終わったらしい。
マハトールの時間がやってきたと、リザベルが呆れた様子で溜息を吐く。
そして、リザベルも首を横に振る。
「ということみたいだから、ごめんねー」
どうやら、リザベルも獲物をおびき寄せるために敢えて、怯えたフリをしていただけのようだ。
すぐにスピードを上げてマハトールに追いつくと、何事も無かったかのように並走して飛び始める。
一連の流れに、あっけにとられた様子のオーガル。
すぐに状況を理解して、再度闇の魔力を集める。
「てめぇ、ふざけてんじゃねーぞ」
そして、再度放たれる闇の波動。
しかし、マハトールは振り返ることなく、少し斜めに足を踏み出すだけでそれを躱す。
まるで、オーガルの攻撃が何も影響がないかのような振る舞い。
「フッ……どこを狙っているのやら」
それでも振り返らず、歩き続けるマハトール。
スイッチが完全に入ったようだ。
お……終わらない。
始まったけど。





