通算300話記念閑話:クロウニの里帰り(301話だけど……)
ここはベニス領。
クロウニがかつて、領主を務めていた領地だ。
今は彼の妻であるハリアー準男爵が治めている。
娘のパドラも領地のためにと、領内の学園で必死に勉学に励んでいた。
その様子を、屋敷の庭に生えた高い木の上から見下ろす人影がある。
泣いているような表情なのに、口元が歪に歪んで笑っている不気味な仮面。
スレイズの部屋から拝借して、そのままマサキが借りパクしたあれだ。
「奥様、マホッド商会から使者が参っております」
「もう、そんな時期なのね……」
夏が近づいてきていることを感じ、胸が締め付けられそうな思いになるハリアー夫人。
そう……今年も、今は亡き夫の命日が近づいている。
大罪人として処刑した彼を、大々的に弔うことは出来なかった。
墓に入れて、神父に祝福を貰うだけの葬儀。
領主の葬儀であるのに……
領民のために心を砕いて、必死に貴族としての責務を果たそうとした立派で自慢の夫。
しかし、国内では彼を自慢することはできない。
せめて、口にしないことだけがささやかな、抵抗だった。
「貴方……なぜ、私たちにもっと早く相談してくれなかったのですか? こうやって、代官の仕事を行って初めて貴方の苦労を理解できるなんて……伴侶として失格ですね」
呟くようにこぼされた言葉に、木の上のクロウニが胸を抑える。
「ぐぅっ……わ……私は……」
マサキに正体を明かさない代わりに里帰りを許されたが、時期が悪すぎた。
自分の命日の準備の打ち合わせの日に、まさか領地を訪れてしまうとは。
反省をしていないわけではないが自身が生きているため、処刑の日のことなどすっかりと抜け落ちていた。
それもそうだろう。
まだ、初夏にも差し掛かっていない、ようやく春の終わりが見えてきた時期。
命日まで二か月以上あるのだ。
マホッド商会からは、夏前に行われる祭りの相談とのことだ。
処刑執行の日に催しを開催することは憚られたため、前倒しで行っているらしい。
クロウニが処刑された翌年に領民たちが勝手に祭りを開いたために、こうして対策として領主代官である夫人の名の下にクロウニの死を悼む催しを開くことになったと。
そして処刑当日は、領民全員が家で喪に服すことで話はまとまったらしい。
去年は準備不足で色々とバタバタしたが、今年は早めに準備をして対策を取るつもりらしい。
何より去年の命日は、街の外の人にまで情報が行き届いておらず、外部から来た人がゴーストタウンさながらの状態のベニスの領都に怯えて大騒ぎになったらしい。
「うぅ……」
頭を抱え込んで、木の上でしゃがみ込むという器用なポーズを取るクロウニ。
ここ三年で鍛え上げられた、身体能力のなせる業だろう。
自身の死を領内全体で悼むという状況に、居た堪れないのは想像にみ易い。
「貴方、パドラも頑張っていますよ」
マホッド商会の使者との打ち合わせを終えたハリアー夫人は、庭に作られた夫の墓標となっている白い大きな石に手を当てて黙とうする。
「ち……違う。わ……私は、そ……そこに、眠ってなんかいない……そ……そこには、居ないんだ!」
大きな声では言うことができず、苦い気持ちで漏れ出る程度の声量で呟く。
このままでは、罪悪感で押しつぶされそうになったクロウニは屋敷を後にする。
街の通りに目をやると、なるほど活気が全然違う。
というか、街の景色が変わりすぎていて、懐かしいという感じがあまりしない。
マサキのところでも、タブレット越しに見ていたが。
主に娘と妻の様子だけだったため、周りの景色や状況には目がいってなかった。
改めて見るが、驚くべき変貌を遂げている。
まず、街の至ところを水路が流れている。
そこは綺麗な水で満たされていて、広めの用水路には色とりどりの鮮やかな魚が泳ぐ様子まで見られる。
「こ……これは、鯉?」
この世界にも鯉はいるが、目の前の水路を泳いでいるそれは彼の知るそれとは違う。
白に赤い斑模様や黒い斑模様が入ったもの、真っ赤なもの、青い斑点が混じったもの、金色のもの、黒いものとカラフルな姿をしている。
それらが自由気ままに泳ぐ姿を、キラキラと日の光を反射する水面から眺めるのは涼やかであり落ち着く雰囲気がある。
「管理者の空間の鯉……ですね」
クロウニが覗き込むと、目の前を通り過ぎる鯉は一様に水面からひれを出して、よっ! といった感じで挨拶をして過ぎ去っていく。
顔見知りか、同僚だと分かっているのか。
なるほど……雨を降らせる要員として送り込まれた魚たちかと、一人納得して頷く。
それだけではなく、魔法で水路の水を嵩増ししたりもしているのだろう。
定期的に降る雨のお陰で、領内の森や台地には緑が生い茂って色を取り戻している。
畑の作物も、豊作に近い状況。
数年間、不作どころか凶作だったために、豊作でも浪費するようなことはしない。
あの地獄の数年を味わったからこそ、実りの大切さを身に染みて分かっている領民ばかりだからだ。
乾燥して干からびて、罅が入っていた建物が並んだ通り。
今では壁は綺麗に塗り替えられて、さらに色まで付けられている。
カラフルな建物の立ち並ぶ目抜き通りの中心地には、水路の大本となる池が作られていて中央には噴水まである。
ちなみに上の水路とは別に地下水路もあり、水を濾過し浄化させ循環する仕組みまで用意されている。
マホッド商会が、嘘のような金額を投資した結果だ。
それを半年掛からずに行ってしまったことも、領民たちを驚かせた。
会長のロナウドは知り合いの伝手に頼んで、優秀な職人を送ってもらいましたと胡麻化していた。
確かに蟻であれば、地下水路を作るなんてのは簡単だろう。
ましてや、マサキ配下の超巨大蟻まで投入すれば。
手を出した以上、中途半端なことはしないとはっちゃけたマサキもマサキでどこかおかしなテンションだったのかもしれない。
そして街に活気をもたらしたのは、水だけではない。
隣国のクエール王国が落ち着いたことと、そこから優秀な商隊が行き来することで物流の面でも成長している。
何故かクエール王国の新国王が、シビリア王国との貿易の窓口にベニス領を指定しているらしくそこでの利益も莫大なものとのこと。
結果としてベニス準男爵家も、相当潤っているはずだ。
ただ、当主一族は清貧を心がけ、必要以上の贅沢をしないらしい。
それが領民たちの支持をさらに煽る結果となり、真面目な領民性もあいまって増収につながっているとか。
良い循環が出来ているが、報われるべき人が報われていないようにも思える。
偏に、前領主のクロウニ元男爵が、自身が食うや食わずに領民に施していたからだ。
その話をたまたま入った食事所で聞いたクロウニが、胸を抑える。
しかし、彼は食事を残すことは決してできない。
妻や娘が我慢をして粉骨砕身領民に尽くしているという話を聞きながら、お腹いっぱい美味しい料理を食べるクロウニ。
しかしながら、もはや罪悪感から料理の味など全くしない。
文字通り、砂を噛むような味気ない食事だ。
店主にも申し訳ないと思いながら、ヨタヨタと店を後にする。
「おいおい、食べ過ぎか? 不味そうに食ってる割には、あの量を全部食べてたもんな。気を付けて帰りなよ。無理そうなら、どっかで休んで帰りな」
後ろから心配した店主に掛けられた言葉に、手を振りながら店から出る。
食事のために仮面を外したが、顔には胡麻化すためのスライムが張り付いている。
なぜ、美味しそうな表情を作ってくれなかったのかと、理不尽な想いを抱きつつも道を歩く。
しかし、すぐにヨタヨタと壁にもたれるように肩を預ける。
泣き笑いの仮面をつけて、その下で密かに涙する。
少しだけ立ち止まったあとで、出された料理がなんだったかも思い出せないまま壁を手で伝いながら路地裏に入る。
それから壁に背を預けて、ズルズルと地面に座り込むと顔を手で覆う。
「駄目だ……娘と嫁に合わせる顔が無い……元から、会うことは出来ないけど」
どうにか立ち上がって、ヨタヨタと教会に向かう。
炊き出し等で何度も訪れた教会だ。
変な仮面をつけて入ったにも関わらず、シスターは笑顔で出迎えてくれた。
「何やら深い業を背負っていそうなオーラですね。神に祈って心の中で告白しなさい……」
神父に促されるままに、神像の目の前にある椅子に座って必死で祈る。
「変な仮面付けてる人がいるよ!」
横から、子供の声が聞こえる。
「シッ! 見ちゃだめよ」
母親だろう声も……
見られたくない……見ないで欲しい。
そんなことを思いつつも、必死で神に祈ろうとして疑問を感じる。
(この世界の主神たる善神……様の使いの下で働いている私が、誰に祈るのが正解なのだろうか?)
それでもと神に祈っていたら、通路を挟んで隣の列の椅子に誰かが座る気配を感じる。
懐かしい気配に、思わず視線をチラリと向ける。
(パドラ……)
そこには、自分が何よりも大切に想い、何者からも守り通したかった愛娘の姿があった。
彼女も彼と同じように、必死で神像に祈っていた。
「私が、父の罪の半分を背負います……後払いになりますが、死後に天国に行けなくとも構いません。ですから、どうか父をお救いください……父をお赦しください」
クロウニの心臓がキュッ縮こまり、激しい痛みを生む。
胸を抑えて、思わず前のめりになる。
それでも手を組んで、祈っているように見せる。
「出来る事なら……そこで、父と一緒になれたら……」
娘よ……父は、そこにはおらん。
いま、お前と一緒にここに居る……
気付かなくてもいい、感じてくれ。
お前が祈るようなことでも、罪を背負うことも無い。
お前は……天の国に……天の国?
管理者の空間のことを思い、微妙な気分になる。
横目でしっかりと娘の姿を焼き付ける。
仮面のお陰で、向こうはこちらの視線に気づいていない様子だ。
そのことに安堵しつつも、娘の切なそうな必死な表情に消えてしまいたくなるような感情が生まれる。
ああ……せっかくのご褒美で、この街への来訪を許されたというのに。
これではまるで、罰ではないかと……
自身の愚かさをただただ後悔するだけの、そんな時間が刻々と過ぎていく。
クロウニに残された時間が残り僅かとなる。
「願わくば、父がこの笑顔溢れる領地に生まれ変わった景色を、見ることが叶いますように」
そう言って、パドラは立ち上がって教会を後にする。
そのときにチラリとクロウニの方を見ると、軽く会釈をして通り過ぎていった。
「立派になったな……」
思わずぼそりと呟いた彼を、通り過ぎた彼女は振り返って見つめる。
かろうじて拾えた声に、なんと言ったかまでは聞き取れなかったが懐かしいものを感じたからだ。
しかし、クロウニはその気配に気づいたために、慌てて教会から早足で立ち去った。
後ろから掛けられる娘の声を、振りほどくように重く力強い足取りで……
「あいつ……なんで、あんなに苦労人なんだ」
その一連の流れを管理者の空間で眺めていたマサキがつぶやく。
純粋に活気を取り戻し、街全体が明るくなったのを感じ取ってもらいたくて与えた休暇。
そして、家族を直接見る機会を与えようと、本当に褒美のつもりで自由にさせたのに。
まさかの、傷口に塩を塗り込んで熱風を浴びせるような、そんな拷問のような場面にばかり出くわすとは。
クロウニのように頭を抱えて、神殿の椅子で首を横に振る。
「親の名づけが悪かったとしか思えんな」
「これは、流石に私も可哀そうだと思います」
思えば長い付き合いになった同僚の様子を、心配そうに横で眺めていたマハトールも気の毒そうな表情を浮かべている。
悪魔が同情するレベルで、散々な結果だった。
あまりにも救いが無さ過ぎて、これは別の補填がいると思い立ったマサキが仕方なしダニーに頼んで、今回はハリアー夫人にまで睡眠魔法を掛けて管理者の空間に連れてきた。
勿論、パドラも一緒だ。
蛾による幻惑魔法も駆使し、さらには状態異常付与で若干の気分の昂揚を与える。
麻薬による覚醒状態に近いが、そのくらいに現実感を薄めさせればクロウニに合わせても夢と判断するだろうと。
「申し訳ない!」
ややテンション高めの母娘に対して会って早々に土下座を始めたクロウニに、その場にいた全員が違う! そうじゃないと首を横に振る。
せっかく二人をポジティブな状態にスキルを駆使してもってきたのに、肝心のクロウニが立ち直れていなかった。
「何を謝ることがあるのですか? 貴方は、立派に領主としての務めを果たしたではありませんか!」
「そうよ! お父様のお陰で、皆の今があるのよ! いや、今だけじゃなくて明日があるの! 皆が、将来を考えることが出来るようになったの! お父様の頑張った結果だもん」
二人が一生懸命にクロウニを慰めているが、とことんお楽しみイベントを潰すのがクロウニなのかもしれない。
それだけ責任感が強いということでもある。
食事の用意もしてあるし、ゆっくりとリラックスして寛げる場所まで用意したのにと、マサキが額を抑える。
何があってもいいように温泉地に連れてきているし、宴会場には虫たちの楽団も用意している。
料理だって、色々と準備した。
にも拘わらず、お互いに謝罪や慰めばかり行っている三人に全員が頭を抱えてしまった。
明日になれば二人の記憶は朧げなものになり、夢だと片付けられてしまうだろう状況。
そこで素直に楽しめないのがクロウニの美点でもり、欠点でもあるのかもしれない。
強引に酒を飲ませて泣き上戸になられても困るため、せめて時間めいっぱいまで一緒に過ごさせることで、最後の方でようやくどうにか笑顔で近況報告できるようになっていた。
クロウニも自身が行っている特訓のことを、楽しそうに話していた。
そして二人からは、やっぱり地獄のような場所にいるんだと心配されて慌てていた。
「凄くいいところだよ」
と、笑顔で応えたにも拘わらず。
「いま、食べているようなものを毎日食べてるから、お前たちも気にせず人並みの貴族の暮らしをしても良いんだよ」
とクロウニが言ってみたが、半信半疑だった。
次の日に二人が自分たちが見た夢の話をして、同じ内容だったことに驚いていた。
そして、やっぱりクロウニは地獄に居るのかもしれないと、頭を抱えていた。
もう次は俺が姿を変えて、二人の前で神託のふりをして誤解を解くしかないのかと、マサキも深いため息を吐いていた。
クロウニが報われる日が来るかどうかは……神のみぞ知る。
通算300話達成記念閑話です♪(301話目ですが)
忘れて普通に300話は普通の投稿をしてましたが……普通は、それが普通でしょうか?
次はマハトールに焦点を当てる予定です。
ジャッカスも……
リザベル? は検討中です。





