第221話:ジャー
マハトールがエクレールを押さえている間、森では土蜘蛛がギガントバジリスク相手に奮戦していた。
土蜘蛛はどう見ても今回のスタンピードの首魁はドラゴンであり、それに従う蜥蜴など物の数でないとガッカリしていたが。
なかなかどうして、一筋縄ではいかない相手であった。
土蜘蛛が一生懸命お縄にかけようとして、てこずっているだけに。
「【石槍雨】」
いまも石の矢を大量に作り出して土蜘蛛の上に降らせ、その行動を阻害するギガントバジリスク。
よもや魔法まで使うとは思っていなかったため、反応がわずかばかり遅れる。
咄嗟に鉄の網を作り出し、それらをはじき返す。
巨体が生み出した石の矢は矢と呼ぶにはあまりにも太く、爆音を響かせて周囲に墜落していく。
多くの魔物を巻き込みながら。
「驚くほど器用な蜥蜴ですね」
「貴様も虫けらにしては、知恵は回るようだな」
蜥蜴と蜘蛛。
お互いがお互いを見下した状況は、はたから見るとなんともあほらしい。
彼らの実力を知るものからすれば当然の光景かもしれないが、どこの誰が人の言葉を蜥蜴と蜘蛛が理解するなどと考えるだろうか。
まあ、かたや人など簡単に踏みつぶしてしまいそうな蜥蜴。
一方は、齢数百年を超える化け蜘蛛のような容姿だが。
「いい加減諦めてもらいたいのですけどね」
「諦めるのは貴様の方だろう? 先ほどから我に傷一つ入れられてないではないか」
これは事実だ。
土蜘蛛はギガントバジリスクを捕らえるため、殺傷能力のないスキルばかり使っている。
彼はそんなことには気づいておらず、自分に対する有効打がないと思い違いを起こしているが。
逆をいえば殺しにかかっているギガントバジリスクの方こそ、本気で挑んでまだ傷を入れられていないことを恥じるべきなのだ。
(おやおや、ペスカトレの奴はまだ蜘蛛一匹仕留め切れていないのか)
そんな2匹に忍び寄る不穏な影。
その姿は周囲の景色と同化していて、誰かられも認識されていない。
姿どころか気配まで同化させているのだ、これを見つけるのはほぼ不可能だろう。
「なぜ貴様のようなやつが、人の味方をする? そもそも、貴様も魔物ではないのか?」
「失礼な! 私が味方をしているのは主だけです。それに、魔物ではありません。少し大きな蜘蛛です」
「うそぶきおって! 少しだと? そんなバカげたサイズの蜘蛛がいてたまるか」
ひょうひょうとした土蜘蛛の態度に腹を立てたギガントバジリスクが、口を大きく開く。
そして石の礫を交えた衝撃波のブレスを思いっきり土蜘蛛に浴びせかける。
しかし対する土蜘蛛は礫は網で、衝撃は自身の身体を糸によって固定し風の魔法を使って威力を相殺させる。
「これすらも防ぎおるか!」
「今のは流石に少し驚きました。本当にびっくり箱みたいな蜥蜴だ。マザーから聞いた話が全然参考にならない」
マサキが飼っているギガントバジリスクのマザーに、彼女たちの生態について色々と学んでいたのだが。
目の前のそれは、その知識にない攻撃を先ほどから仕掛けてきている。
これはもうその場の判断で対応した方が良いと思えるほどに、その手数は多彩だ。
「【ストーンクロー】」
「先ほどから、鬱陶しい! 少しは立場を弁えなさい!」
遠くから振るわれた爪は、何故か石を具現化して直接襲い掛かってくる。
軽く後ろに跳んでそれを躱しつつ、針状にした鉄の糸をお返しばかりに放つ。
「ぐぅっ、立場だと? 地べたをはいずる虫けら相手に、立場を持ち出されるとは片腹痛い」
「ふんっ、路傍の石ころが、鉄を身に纏う主の騎士の一人である私に挑むことすら烏滸がましいと言ってるのよ」
舌戦を交わしつつお互い決め手に欠ける攻防。
下手すれば千日手ともなりかねない状況に、成り行きを見守っていた観察者が動く。
(どうやらペスカトレには荷が重かったようですね)
地をはいずり音もなく土蜘蛛に忍び寄るそれ。
その右手の人差し指と中指の爪がグググと伸びて、まるで蛇の上あごのような形に変形する。
(まあ勝負に水を差されて彼は怒るでしょうが、これ以上時間をかけるわけにもいきませんし……蜘蛛の方も興味深いですが、残念ですが死んでもらうしかないでしょう。死体だけでも持ち帰れたら良いのですが)
いまもギガントバジリスクと土蜘蛛は丁々発止とやりあっている。
時に前足と爪がぶつかり、時に攻撃をお互い避けながら。
状況は変わることなく、模索しながらの打ち合いを続ける。
(これでもらいです。【毒手蛇咬】)
そして右手に力を込めてスキルを発動させると、土蜘蛛に背後から襲い掛かった。
「甘いですよ」
そして土蜘蛛のお尻から出された糸に一瞬で捕縛される。
それは地面に転がると、身動きが取れず糸が切れて地面に落ちたミノムシのように頭だけがのたうち回っている。
「貴様はジャー!」
「馬鹿な!」
その顔を見て、ギガントバジリスクが声を出す。
ジャーと呼ばれたその男は、さきほどマサキとエクレールの邪魔をした蛇男だった。
エクレールが飛び立ち、マサキも消えたことで他の戦場にちょっかいを出しにきたのだろう。
完全に周囲と同化して忍び寄ったにも関わらず、蛇男の動向は土蜘蛛には丸わかりだったが。
いや、それが何かまでは分かってはいない。
かろうじて何かが忍び寄っていること。
そしてある程度の時間がたって、人型の何かだということまでは分かった。
それが音もなく背後から一気に距離を詰めてきたら、攻撃を仕掛けるつもりだろうというのは想像に難しくない。
「よそ見とは余裕ですね」
「なっ、しまっムガ!」
ギガントバジリスクがジャーに気を取られた隙に、その上あごと下あごを糸でグルグル巻きにする。
それはもう念入りに。
ギガントバジリスクの視界が隠れるほどに。
いや目に糸を巻き付けたわけではなく、上あごと下あごを巻いている糸の厚みでの話だ。
「ジャーさんですか……何をしにきたのでしょう?」
ミノムシ状態の男の方に向かって土蜘蛛は首を傾げる。
「シャー!」
そんな土蜘蛛に対して、ジャーは口から毒液を飛ばす。
土蜘蛛の身体にぶつかったそれは、地面にも落ちてジューという音と湯気を上げる。
だが、直撃したはずの土蜘蛛は汚いものでも払うかのように足で丁寧にそれを払い落とす。
「毒が効くわけないでしょう……私も毒を持ってるのに」
様々な毒だけでなく毒消しまで合成されている土蜘蛛に対して効果のある毒などというのは、もはやほぼ存在しないだろう。
そんなことを知らないジャーはかなり驚いていたが。
「ムー! ムー!」
「元のサイズに戻れ! そしたら解けるだろう」
「ン? ンー!」
ジャーが発した言葉に、一生懸命口から糸を外そうともがいていたギガントバジリスクが一瞬固まり大きく頷く。
体が光ったかと思うと一気に萎んでいくと、人ほどの大きさになる。
というか、殆ど人型である。
大きな尻尾が生えているのと、身体のところどころに硬質な鱗があるという部分を除いて。
ただ残念なことに糸からは逃れられなかった。
顔の前半分が覆われるという、さらに状態が悪化しただけだった。
「いや、収縮性のある糸なので、縮んでもあまり意味がないかと……蜥蜴の顎の力を加味してかなり強めに巻きましたし」
しかし土蜘蛛は一つ大きな勘違いをしていた。
ギガントバジリスクは噛むことに特化しており、また上あごも相当に重量がある。
あまり大きく口を開くことも無く、獲物も噛み殺す以外は一飲みだ。
その筋肉は凝り固まっており、縮むということに関しては一級品かもしれないが伸ばすのは苦手だった。
何が言いたいかというと……一度口を閉じた状態で糸を撒いたなら、視界を覆うほどグルグルにしなくとも簡単に口を封じることが出来た。
閉じる力は数tにも達するかもしれないが、開く方はせいぜい100kg程度の力が出せれば御の字だった。
しかし土蜘蛛は開く方も数tの力は出るのではないかと思い、それに見合った糸をグルグル巻きにしている。
それがいま人型になった彼の顔の前半分にのしかかっているわけで。
「グゥゥゥゥゥゥゥゥ!」
巨大蜥蜴の時と比べるべくもなく、色々と耐久性が落ちてしまった彼には拷問以外の何物でもなかった。
「ペスカトレ!」
そして顔を押さえて地面を転がりまわっていたギガントバジリスクだったそれは……すぐに動かなくなって痙攣を始めてしまった。
それに焦ったのはジャーだ。
まさか自分のアドバイスで同僚がピンチに陥るとは。
「くっ、こうなったら!」
そして今度はジャーの身体がボコボコと音を立てて変化する。
痙攣しているギガントバジリスクに気を取られてしまっている土蜘蛛の横で。
とはいえ、ここには蟻も蜂もいるわけで。
しかしながら、ジャーはそれすらも気配を薄くして誤魔化しながら、変身を完了させた。
その身体は蛇そのものだ。
細くなったことで糸から抜け出せると思ったが、ギガントバジリスクの二の舞というか。
伸縮性のある糸の前には無意味だった。
「抜けぬか……あれ?」
しかし蛇のように体が伸びたことでそれでも移動は出来るようになった。
それに気づいたジャーは、一瞬で身体をうねらせてギガントバジリスクだったそれに近づき、一飲みにするとその場から逃げ出すように移動を始める。
「無駄なのに」
そんなジャーを見て土蜘蛛がため息を漏らす。
そもそもなぜジャーの接近に土蜘蛛が気づいたかというと……
この周囲にはすでに土蜘蛛によって、動きを全く阻害しない不可視の細い糸が幾重にも巡らせてあった。
ゆえに物理的に存在する以上、その糸に触れないように移動するのはほぼ不可能に近く。
糸に何かが触れればその振動で、土蜘蛛は視界の外の動きも手に取るように把握できていたのだ。
そしてジャーが一本の糸に触れた瞬間に……
全ての糸を操作して、ジャーを再度グルグル巻きにする土蜘蛛。
「さてと、ようやく捕まえることができたようですね」
そして、獲物が糸に掛かったことで、嬉しそうな表情を浮かべる土蜘蛛。
一本の光がその場に降り立ち、ジャーを包んだ糸を切断する瞬間まで。
「せっかくの手駒を連れていかれてはこまりますね」
そして表情どころか、顔のパーツすらもたないその男か女かも分からない人物が現れるまで。





