第6話:迷惑な客人
「それでは、まず基礎から始めるか」
「はいっ!」
「剣を構えろ」
「はいっ!」
「では行くぞ!」
「はいっ?」
突如振り下ろされる高速の剣。
木剣とはいえ、当たればただじゃすまない。
しかも身を護るものは何もない。
「ちょっ!」
「ほうっ! よくぞ反応した! どんどん行くぞ!」
その剣に素早く反応し上段で受けると、目の前の老人が目を細める。
「ちょっ! おじいさま! 基礎! 基礎からって! 基礎からって言った!」
「そうじゃ、基礎は実戦じゃろ?」
慌てて祖父の猛攻撃を防ぎつつ、非難の目を向けつつ逆に猛抗議するマルコ。
そんなマルコに対して、なんでもない風に答える祖父スレイズ。
「違う! 実戦は基礎じゃない! 基礎じゃないから!」
「はっはっは、喋りながらもわしの攻撃を防ぐとは、どうやらわしの教えた訓練はさぼっておらんかったようじゃな?」
嬉しそうに笑いながら、その手を速めるスレイズ。
ちょっと待て、お前攻撃しか教えてないだろ!
管理者の空間からそんな突っ込みをいれつつ、マルコの視点に映像を映す。
物凄い速さで迫ってくる剣は、映像越しでも思わず身を構えるほどに迫力満点だ。
それを防ぐマルコの基礎能力は、もはや子供のそれとは次元が違う。
それもそうだ。
手伝うことも多かったが、基本的には魔物も1人で狩らせたし。
マルコの技術を持った、大人の俺との組手もこの空間でよくやっていた。
マルコが居ない間もカブトや、ラダマンティス、土蜘蛛、蜂、蟻達相手に模擬戦もした。
俺が行った模擬戦で得た技術も、マルコの地道な訓練の結果も全て1つの身体に集約されるから、実質練習量も成長度合いも常人の最低でも2倍。
相手が相手なだけに、それ以上だろう。
マルコは8歳にして最低でも8年近く訓練したものと、同じだけの技術を持つ。
実際は、相当の練度だろう。
だが、その反則に近い努力の結果が、祖父に手加減を忘れさせるという現状に繋がっている。
どんなに打ち込んでも綺麗に捌く孫に、驚くどころかその笑みをますます深くしていく。
「これならば、多少は本気を出しても」
「駄目に決まってるでしょうが!」
そんな事を言って木剣を握り直す祖父に、必死の形相で怒鳴るマルコ。
「やっぱり、手加減してたんだな……」
そこに聞こえてくる、つい昨日聞いたばかりの子供の声。
「えっ?」
「殿下! いくらなんでも勝手に入ったらまずいですって!」
ふと振り返ると、綺麗に整えられた金髪にエメラルドグリーンの瞳。
よく整った顔立ちの、美少年。
セリシオ第一王子が、腕を組んでマルコを睨むようにして立っていた。
その後ろを、昨日王子の世話をかいがいしくしていた騎士が追いかけてくる。
「殿下!」
「おお、ようやく来たか」
思わず驚きの声をあげるマルコ。
そして、嬉しそうに髭をさするスレイズ。
なんで、ここに殿下が?
一瞬、マルコの身体に戻るか考えたが、少し様子をみることにする。
「おはようございます、マスター」
「おはようございます、スレイズ様。許可も得ず入ってしまい、申し訳ありません」
「よいよい、殿下には自分の屋敷のように自由に来てよいと言っておるでな」
シレっと、何事もないように挨拶するセリシオ。
いや、王族にも不法侵入って適用されないかな?
衛兵呼んだら、どうなるんだろう。
後ろの騎士も、大変な人に仕えたもんだ。
苦労人なんだろうな。
そんなことを思いつつも、2人に目を向ける。
「殿下、いかにマスターの家とはいえ、家人の許可も取らずに入るのはいかがなものかと」
さらにその後ろから、マルコやセリシオと同じ年くらいの男の子が遠慮がちに近付いてくる。
誰だ?
「お久しぶりですマスタースレイズ、そして初めましてマルコ殿」
スレイズに対して貴族の礼を以って挨拶する男の子。
「クリス・フォン・ビーチェ。ブラッドが孫です」
「あっ、初めましてクリス殿。ご存知でしょうが、マルコ・フォン・ベルモント、シビリア王国子爵、マイケルが子です」
差し出された手を、しっかりと握り返すマルコ。
マルコよりも大柄な体を持ち、ツンツンにおったてた短い茶髪が印象的な男の子だ。
セリシオに負けず劣らずのなかなかの美少年でもある。
あどけさなさを残しつつも、しっかりとした顔つきと立居振舞は歳よりも落ち着いて見える。
「クリス、マスターの家に来るのに許可は要らないって! いつでも来ていいって言われてるし」
「殿下……社交辞令というお言葉をご存知で?」
「俺は知ってるが、マスターは知らないと思うぞ?」
「殿下!」
「はっはっは、これは手厳しい。まあ、ごもっともですが」
セリシオのあまりな言葉に、護衛の騎士が突っ込むが祖父の笑い声にかき消される。
そして、眉間をもむようにしながら溜息を吐く騎士さん。
大変そうですね。
「えっと、殿下はどうしてここに?」
突然の出来事に固まっていたマルコが、再始動すると同時にセリシオに問いかける。
だが返ってきたのは、剣呑な眼差し。
「マルコ……ここは公的な場でも、王城でもないぞ?」
「えっ?」
「殿下?」
質問に答えず、違う質問を投げかけるセリシオを諫めるように声を掛けるクリス。
「セリシオと呼べと言っただろう?」
「ええ? いや、それは……」
それは俺が勝手にした約束と言いたいのだろうが、残念。
俺はお前だマルコ。
諦めろ。
「どういうことですか?」
それに対して、穏やかではないのはクリスだ。
おそらくクリスは側仕えの1人だろう。
将来の側近候補か?
そうなるべく育てられたご学友を差し置いて、主を呼び捨てする権利を得たパッとでの子爵家の息子。
それは、面白くないだろう。
「ほらっ、やっぱり周囲が聞いたら気を悪くしますから、無理ですって!」
「男が、一度交わした約束を違えるのか?」
「マルコや? 殿下もそうおっしゃっておるのだ、良いではないか」
「殿下、説明を」
黙れじじい。
口を挟むな。
そして、クリス顔が怖い。
「ですが……」
「そうだな、お前の言う事もよく分かる。国家元首たる、エヴァン陛下のお世継ぎ様ともなれば、呼び捨てなんて恐れ多いよな?」
「ですよね?」
「それで一晩考えたのだがな……セリシオ・フォン・シビリアにとってお前は所詮配下の貴族の息子だ。だがな……セリシオ個人からすれば、マスターの孫だ」
「はっ?」
「思ったのだ……余が尊敬するマスターの孫を呼び捨てにするなど恐れ多いのではないかとな?」
「えっ?」
「えっ?」
セリシオの言葉に、俺とクリスが同時に声をあげる。
そして後ろの騎士が何故か笑っている。
あれっ?
この人ってただの苦労人じゃなかったっけ?
「だからマルコが余を殿下や、敬称で呼ぶのであれば、こちらもマルコの事を若殿、もしくはマルコ様と呼ぶべきだと」
「いや、おかしいでしょう!」
「殿下に向かって、おかしいとは無礼な!」
「ちょっ!」
セリシオのとんでもない屁理屈に思いっきり突っ込むと、クリスがマルコに対して見当はずれな突っ込みを入れて睨み付ける。
思わず慌てるマルコ。
駄目だ、クリスからそこはかとない融通が利かないポンコツ臭がしてくる。
慌ててマルコの中に戻ると、目の前の王子が嫌らしい笑みを浮かべる。
「おやあ? お互いの視点で見てみれば、なるほど互いに尊重しあう存在だな? だから、お互い敬称を付けて呼ぶのはいかがか?」
「馬鹿なの? 外で王子にマルコ様とか呼ばれたら、憶測で変な噂が飛び交うから! 下手したら親まで出てきて国が揉めるから!」
「貴様、殿下に向かって馬鹿だと?」
「クリス殿も落ち着いて考えて? この人、いまとてつもなくおかしな事言ってるから! というか、君が諫める立場だから! 諫めて! 宥めて! 僕を助けて!」
学校で、王子にマルコ様とか呼ばれてみろ。
絶対に穏やかな学園生活は送れない。
ただでさえスレイズのせいで普通に挨拶しただけでも、評価がうなぎ登りなのに。
「クックック……やはり、お主は面白いな。さすが、余を相手に組手をして適当にあしらうだけのことはある」
「殿下に手合わせいただいて、適当にあしらっただと? そこに直れ! 国に仕えるものの立場というものを教えてやろう」
「駄目だこの2人! おじいさま! ちょっ、おじいさまなんでそんな離れてるんですか? っていうか、横の騎士の人も止めて!」
助けを求めてスレイズと、騎士に目をやると少し離れたところで微笑ましいものを見る目を向けていた。
駄目な人しか、ここに居ない。
「構えろ! 俺が性根を叩き直してやる!」
「初対面だよね? なんでおじいさまの木剣持ってこっちによってくるの? 叩く気? この国は初対面の人を叩くのが礼儀なの?」
「やれクリス! そやつが、余に対して立場を弁えるよう教えてやれ! 止めてほしくば、セリシオとちゃんと呼ぶとここで誓え」
「どっちも駄目だ! 誰か、まともな人は居ないの!」
思いっきり斬りかかってきたクリスの剣を躱して、クリスの手を掴む。
それから、手首を捻って剣を奪い取るとその剣を遠くに投げ捨てる。
「なっ! 剣がな……く……と……も……」
「どうしたクリス? どこを見て……お……る」
剣を奪われて、慌てて拳を構えたクリスが俺の後ろに視線を向けて固まる。
そして、その様子を訝しんだセリシオが、クリスの視線の先を追って固まる。
「ゲッ!」
ふと声がした方を見ると、スレイズまで固まっている。
「駄目ですよ! クリス殿! 殿下もお戯れが過ぎます! それに、スレイズ殿! すぐに止めないと!」
何かに気付いた騎士が、慌ててクリスと殿下を諫めてスレイズにも、注意をする。
「あっ!」
そして、わざとらしく全員の視線の先に目を向けて、今気づきましたって表情を浮かべる。
「貴方達……朝早くからお元気ですわね?」
そして、聞こえてくる綺麗なソプラノのような声。
だが、その声には何故か冷気を纏っているような雰囲気を感じる。
「エリーゼ……」
「エリーゼ様」
「エリーゼ様」
振り返ると、おばあさまがニコニコと優しい笑みを浮かべて立っていた。
いや優しい笑みなんだけど、全然優しくない。
「良かったエリーゼ様! 助けてください! 殿下がまた無茶を「お黙りなさい」
騎士が助かったとばかりにおばあさまに近づいていき、怒鳴られ固まる。
「あんな大声で話していたら最初から聞こえてます。それを、なんですかビスマルク! 貴方が率先して止める立場でしょう!」
「ひっ! 申し訳ございません」
うわぁ……
最低だこの騎士の人。
おばあさまに気付いた瞬間に、一瞬で掌を返したらしい。
というか、この人もポンコツ臭が漂ってきた。
「スレイズ様……あとで話があります」
「はい……」
おばあさまの静かで優しい、優しくない声にスレイズも顔を伏せる。
先ほどまでの訓練の時に比べて、身体が一回り小さくなった気がする。
「クリス殿、後程エリーゼがお茶を頂きに参りますと、ブラッド殿とメリッサ殿にお伝えください」
「えっ?」
「頼みましたよ?」
「おじいさまと……おばあさまに……」
「ちょっと、世間話をしに伺うだけですよ……ねっ?」
「……はい」
クリスの顔が青い。
どうやら、この子も怖い祖父を持っているらしい。
まあ、うちのおばあさまはとってもお優しい方だけど。
お優しい方だよね?
お嬢様がそのまま幸せな時を過ごした、素敵な御婦人ですよね?
いま身に纏っている……その見た事のないオーラは気のせいですよね?
「そしてセリシオ殿下、お久しぶりですね。お元気そうでなによりです」
「エリーゼ様もご機嫌麗しく、大変嬉しく思います」
「ご機嫌麗しくですか……先ほどまではね」
「ひっ!」
怖い。
王子が思わず小さく悲鳴をあげてしまったのが分かるくらいに。
そして、殿下までおばあさまの敬称が様だった。
とても聞ける状況じゃないけど。
「スレイズ……殿下がお見えになるなら、何故言わなかったのですか?」
「それは……」
「えっと、私が友となったマルコ殿を驚かせたくて、マスターに口止めを」
凄いぞ王子。
何も言えず固まった祖父と違って、きちんとかばってあげるなんて。
この得体のしれない冷気を纏った、おばあさま相手に。
そして何故スレイズはそんな王子に、余計な事を言うなといった視線を送る。
情けなくないのか?
まだ8歳の子供で、しかも仕える国の王子にかばってもらって。
「そうですか……使用人がまだ起きてもない時間に?」
「いや失礼かと思いましたが、この時間からマルコ殿が訓練を始めると聞いて」
「で、訓練が終わったらそのまま帰るつもりだったと」
「はい! 迷惑を掛けるわけにもいきませんので」
セリシオが冷や汗を流しながら、全力で敬語で言い訳している。
不思議な光景に思わず何も言えずに固まっていると、おばあさまのオーラがさらに膨れ上がるような錯覚を覚える。
「陛下の大切なお世継ぎ様が家にこられて、なんのもてなしもせずに帰す方が迷惑だとは?」
「いえ、これはお忍びですから。言うなれば、マルコ殿の友人がただ来ただけと思っていただければ」
「なるほど……友人がただ来るだけなら、まだ夜も明けぬこの時間は非常識だとは思いませんか?」
「……おっしゃる通りです。驚くかなと思いまして」
「殿下が来られるのを許可したのはわしじゃ!」
「黙りなさい!」
「はいっ……」
おじいさまが意を決して助け舟を出そうとして、すぐにその勢いは鎮火させられる。
「分かりました。先ほどの殿下のお言葉では、同じことをするのは許されるということでしたね?」
「えっ?」
「マルコに、お名前を呼ぶように言ってらしたわよね」
「ああ、はいっ! マルコ殿には是非、仲を深めていただきたく思いまして」
「それは大いに結構、ですがやり方は感心しませんね」
「……はい」
「で、先ほどの話に戻りますが、明日夜が明ける前にミレーユ王妃に会いに伺います」
「母に?」
「驚かせたいので、ナイショにしてくれますね?」
「そ! それは!」
おばあさまの口から出た言葉に、思わずセリシオが口を噤む。
「友を驚かせたいだけですよ」
「……申し訳「国を背負うお方が、まさかこのような老婆に頭を下げたりなんてしませんよね? 貴方の立場はそのような安いものじゃありません」
謝ろうとした矢先にそれを封じるおばあさまに戦慄を覚える。
俺が知ってるおばあさまじゃない。
マルコの部分が怯えている。
逃げ道を塞がれたセリシオが助けを求めるような視線を送ってくる。
ちょっとまて。
こんな恐ろしい雰囲気のおばあさま初めて見たのに、それに口を挟めと?
無茶言うな!
クリスは魂の抜けた顔で、なにやらブツブツ呟いているし。
騎士の人は無理だと思ったのか、庭の景色を眺めて現実逃避してるし。
おじいさまは、真っ青な顔で使い物にならないし。
「さっ、朝餉の準備は終わってます。汗を流して食堂にいらっしゃい! 皆様も食べて帰りますよね?」
「いえ、そこまでの御迷惑は」
「貴方が来た時点で、料理長を呼び寄せて当家でできる最上級のおもてなしを準備させてます。殿下とビーチェ侯爵家の御子息が来られてなにもせずに帰せるわけないでしょう!」
「はい……」
この日の朝食はお通夜のような雰囲気だった。
マリアが状況を把握できずにあたふたしてた。
優しくない優しい微笑を携えたエリーゼの方を一度見たっきり、不安げな表情でこっちをしきりに見てくるが。
母上……はっきり言おう。
悪いのはセリシオ殿下とおじいさまであって、俺はなんにも悪くない。
朝食にしては豪華すぎるメニューなのに、口がパッサパサに乾いてなんの味もしない。
「スレイズ家の者たちよ、朝早くから手間を取らせた。すばらしいもてなしご苦労であった」
どうにかお礼を述べて帰る事ができたセリシオはさすが王子だと思った。
その言葉の裏に、申し訳ないという気持ちがヒシヒシと伝わってきたが。





