第5話:挨拶めぐりと縁の下の虫達
管理者の空間から、スヤスヤと眠るマルコを見る。
今日はよほど疲れたのだろう。
昼過ぎに戻って屋敷で昼食を取った後、祖父に連れまわされてご近所巡りさせられた。
もう必要は無いだろうと思い、早々と管理者の空間に戻った俺に空間を超えて恨めしそうな視線を送ってきたマルコ。
中々に成長したようだ。
伯爵家を数軒、そして公爵家を2軒回らされた。
本来ならマルコがスレイズのもとに来た時点で自ら挨拶に向かおうと思っていた、伯爵家の方々は突然の祖父の来訪に慌てていた。
キラキラと尊敬の視線を向けられる祖父に、素直にカッコいいと思う事もあった。
だが、半分近くの伯爵家当主が祖父を見た瞬間に、顔を青くしていたのはさすがに笑えない。
中には明らかに目が泳ぎ始めるものも居た。
もしかしたら、挨拶に向かわなかった事を咎められに来たのかと思われたのかもしれない。
安心してほしい。
素直に孫自慢をしに来ただけだから。
そしてマルコが貴族の子供らしい挨拶をすると、一様に驚くのは止めてほしい。
動揺は貴族が一番隠さないといけない感情じゃないのか?
「えっ? あっ、大変失礼を。ご丁寧にありがとう、私はリッツバーグ家当主アルバスです。何か困った事があったら、いつでも声を掛けてください」
とかなら、まだ立派だ。
「はっ? いや、えっ? えっ? ああ、そうか……マルコ殿、ようこそおいでくださいました。私は現トレー家当主モートリアスです。是非お見知りおきを」
このあからさまな動揺を浮かべつつ、すぐに立ち直ったモートリアス伯爵も終盤ではできる人なのだろうと思えた。
「……スレイズ様いけません。養子を実子と偽るのは重罪ですぞ?」
とのたまったやつも居た。
次の瞬間に、祖父の鉄拳がさく裂しかけて慌てて止めたようとしたが、その拳は空を切る。
「マスター、おかしいでしょう? こんな立派な貴族らしい挨拶ができるお子様に貴方の血が流れてるわけがない!」
どうやら、お弟子さんだったらしい。
皮肉とも褒め言葉とも取れる言葉に、グヌヌと言葉を詰まらせる祖父。
まあ、かなり仲の良さげな相手という事に一安心。
ただの冗談だったらしい。
祖父の扱い方を、是非学びたいと思った。
ただ、
「なっ!」
と言って黙ってしまう人が、物凄く多かった。
挨拶したのに、返礼もいただけないとか。
余程、祖父の人となりは酷かったらしい。
ただ、好意的な人物も多かったのは確かだ。
その最たる人が、エインズワース・フォン・シビリア公爵。
「スレイズ殿! わざわざ足を運ばずとも、入学後向かわせてもらう準備をしておったのに」
祖父の顔を見た瞬間に、パーッと華やいだ表情を浮かべる50代後半っぽい男性が駆け寄ってくる。
前国王の従弟にあたる方だ。
当主自ら庭の花に、水をやっていたらしい。
入り口に着いた馬車を見て、使用人よりも早く門に駆け寄ってきた。
庭師が、なんで? と思ったらまさかの公爵様本人に、驚いた。
「ささっ、中へどうぞ」
すぐに守衛に、門を開けさせると自らが屋敷に案内してくれる。
少し遅れて一緒に庭の手入れをしていた使用人の人達がやってきて、慌てて代わろうとしていたが。
「いい、いい。わしが案内するから、お前らは先に屋敷に行って、応接間をさっと掃除して最上級のお茶とお菓子を用意せよ」
普段から掃除が行き届いてるだろうに。
それにしても、あまりに熱烈な歓迎に思わず祖父を二度見してしまった。
マルコのあいさつに驚くことなく。
「私は、シビリア公爵家当主のエインズワースです。宜しくお願いしますね。それにしても、流石はスレイズ殿のお孫様、幼いながらに武の才を感じさせる体つきに、エリーゼ様の気品溢るる立居振舞を受け継いでおられますな。周りの人を安心させる優しいお顔立ちは、マイケル殿そっくりです! マリア殿のように多くの人に愛されるお顔は将来を楽しみにさせてくれますね。スレイズ殿が自慢気に連れまわすのも納得できます」
マルコが周辺を連れまわされているのを知って、恐らくタイミングを見計らって庭に出ていたのだろう。
待ち構えてた感が半端ない。
そして、間髪容れずにべた褒め。
思わずこちらが照れてしまうくらいの。
ただ1つだけ気になったことがある。
祖父を始め、父も母も殿なのに、何故祖母だけエリーゼ様なのだろうか?
マルコに期待したが、本人は顔を赤らめて「恐縮です」と答えるのが精一杯だったらしい。
このエインズワースという男。
40年前に戦場で、自身の率いる部隊が倍以上の敵兵に囲まれて死を覚悟した程の窮地に陥った事がある。
敵に誘われているとも思わず、少数の相手部隊を追い詰め敵陣深くまで切り込んだ結果、左右から伏兵に回り込まれ退路を断たれてしまったのだ。
本人も剣を持って必死に抵抗したが、ひとり、またひとりと倒れる部下を見て生きた心地がしなかったと。
そのとき遠くの方から聞こえてくる、新たな剣戟の音。
もしかして、救援部隊か! と味方も敵も浮き立つ。
「うおおおおおお! 盛り上がってんなー! 俺も混ぜてくれよ!」
そこに聞こえてくる、よく通る声。
数度しか会話を交わしたことの無い相手であったが、その声は一度聞いたら忘れる事ができないくらいに覇気と自信に満ち溢れている。
スレイズ・フォン・ベルモント男爵。
この戦で中隊を一つ任された男。
記憶に新しい男の表情を思い浮かべ、率いる部隊が中隊程度というのを思い返し、すぐに気を引き締め直す。
「スレイズ殿の部隊が来られた、皆の衆堪えよ! すぐにここまで辿り着くであろう」
そうは言ったが、300人規模の大隊とそれを覆い囲む程の敵の軍勢だ。
精々100にも満たないだろう中隊が、ここまで辿り着くのは難しいと思った。
それでも、敵に囲まれて落ち込んだ士気を少しでも戻すためにエインズワースは声を上げ、剣を振るう。
目の前に迫った敵を斬り飛ばし、雄たけびを上げて周囲を振るい立たせる。
「相手は一個中隊! ルドルフの部隊は敵の増援部隊に当たれ! 押し込んでしまえばすぐに瓦解する!」
ただ、相手もエインズワースを罠にはめる程の敵。
即座に乱入者の正確な人数を把握したのだろう。
ルドルフが誰か分からないが、遠くの方で返事が返ってくる。
包囲の外側に居た50騎程の騎馬隊と、100人程度の歩兵が向きを変えてスレイズの方に向かう。
その向かってきた150人の敵兵に対するは、スレイズ率いる80騎の騎士中隊。
「好機!」
エインズワースも優れた将だ。
スレイズに向かった事で手薄になった一角に、自身の周囲に居る特に優秀な騎士を連れて突っ込もうとして……止まる。
「はっはっは、もっとだ! もっと来い!」
楽しそうな笑い声が、ありえない速度でこっちに向かってきているのを感じたからだ。
盾を持った腕が宙を舞い、首がボールのように飛んでいく。
どれも敵軍の装備を身に着けたものばかり。
スレイズの部隊は辿りつくかも怪しく、着けるとしてもそのころにはこちらの部隊は壊滅、もしかしたらさらなる援軍への時間稼ぎかと思う程の劣勢。
そう思っていた。
なのに、すでに敵の包囲の中を凄い速さで向かっているのが分かる。
楽しそうな笑い声が、目に見える敵の血しぶきが、敵の悲鳴が……淀むことなくこちらに一直線に近付いてくる。
思わずエインズワースの部隊も、それを取り囲む部隊も剣を止め、音のする方に振り返るほどに。
「隊長! 待ってください! ちょっ、速い! 待って! 待てや!」
「俺がはえーんじゃなくて、おめーらがおせーんだ! 俺に合わせてもらうんじゃなくて、お前らが合わせられるように訓練しろよ!」
近付いてくる声は、おそらく副隊長に向けられたものだろう。
普通の馬より一回り大きな甲冑を付けたウォーホースを操り、左手に持った槍と右手にもった剣で次々と敵を斬り飛ばしながらこっちに向かってくるスレイズ。
すぐそこまで来ているのが分かる。
包囲の一角が、激しく歪んでいる。
そしてついに中心のエインズワースのもとに、それが辿り着く。
獰猛な笑みを顔に張り付かせ、剣を槍を鎧を血濡れにし、息一つ乱すことなくこちらを見て、さらにニヤリと笑う。
「いい、お祭り騒ぎだ……獲物だらけだな。これ全部斬ったら、さぞや気持ち良いだろうな」
その瞬間、彼の目には英雄が映った。
自身の率いる部隊の倍以上の敵に、恐れることなく突っ込みあっという間に自分のもとに辿り着いた男。
安堵に溜息が漏れそうになるのをグッと堪える。
逆に敵軍はスレイズに笑いかけられたことで、恐怖に頬を引きつらせている。
なんだこれは。
そう言った視線が、スレイズにぶつけられる。
だが、彼はニヤリと笑ってそれらすべてを跳ね返すと、剣を構える。
それだけだ。
たったそれだけの動作で、放たれたプレッシャーに何頭かの訓練された騎馬が嘶き、棹立ちになる。
慌てて騎乗した騎士が落ち着かせているが。
「死神だ……」
「くそっ、敵は1人! すぐに打ち取って「よーし、お前ら俺を打ち取ってみろ! そしたら生きて帰れるぞ! まあ、打ち取れるものならな……死にたい奴から掛かってこい、先に殺してやろう……死にたくない奴等は大人しくしてろ! あとで殺してやるから」
敵の指揮官の言葉尻を食って投げかけられる挑発。
本人は挑発のつもりだったのだろう。
生きる道は彼を倒すしかないと、言っているのだから。
覇気の込められた声は、静まり返った戦場の隅々まで響き渡る。
挑発?
どう見ても威圧たっぷりの、恫喝にしか聞こえない。
エインズワースは彼と敵対するものたちに、同情を覚えつつ自身の馬をスレイズの馬に寄せる。
「スレイズ殿!」
「あん? エインズワース殿か? こりゃお楽しみの邪魔しちゃったか?」
「いえ、助かりました」
敵兵に囲まれている状況も、彼から見たら余程楽しそうな景色に映ったのだろう。
現に、こちらと剣を交えている敵を見てニイッと口の端を上げて、凶悪な表情を浮かべている。
これほどまでに、頼もしいと思った事は無い。
「まあ良いや! お前ら! 殺せ! 手柄を立てろ! どこに剣を振っても敵だらけ! ボーナスステージだぞ! 楽しもうじゃねーか!」
そう言って、反対側に駆けていくスレイズを慌てて追う。
「皆の衆! スレイズ殿に続け! 援軍が来たぞ!」
そして、即座にスレイズに続くよう部下たちに声を掛ける。
「正面の道はスレイズ殿が切り開いてくれる、剣盾部隊! 横から来るものに全力で当たれ! 反撃できずとも良い! とにかく防げ! 部隊を、自身を守れ! 生き延びよ!」
自分の部隊に素早く指示を飛ばすと、自身もスレイズのすぐあとを追うように馬の腹を蹴る。
そしてスレイズを追い始めたエインズワースの部隊に対して、遅れてきた無傷のスレイズの部隊が殿を務めるといった形で敵の中を進む。
「そこの坊主、剣を左に振れ! そっちの坊主は盾を上に掲げろ!」
先頭で押し込もうとする敵兵を斬りながら周囲の騎士や歩兵に指示を飛ばすスレイズ。
「かーっ、脇の締めがあめーな! そんなんじゃしっかりふれねーだろ!」
チラリと追いかけてくる兵を見て、アドバイスまで入れる余裕。
現に、彼に剣や槍を向けられたものは1合と打ち合う事も叶わず、命を散らしていく。
先ほどまで高かった敵の士気がみるみるうちに下がっていくのが分かる。
「うわあああああ!」
「鬼だ! 鬼が現れた!」
「なっ! 逃げんな! 掛かってこいや!」
あまりのスレイズの出鱈目な強さに、正面を受け持った敵が陣を乱して逃げ出す。
それに対して、非難するのは敵の将ではなくスレイズ。
そのまま、敵の背後まで一気に突き抜けたあと彼は振り返る。
血にまみれた鎧や剣が、彼の戦いぶりを物語っていた。
「よしっ、もう一回つっこ……ああ、駄目だなこりゃ。 お前らもっと体力付けろよ!」
無事敵の包囲を抜けたことで、安堵の表情を浮かべるエインズワースの部隊を見て槍を肩に置いて、剣を持ったまま指で頬を掻く。
そして、満身創痍の彼等を見て溜息を吐く。
「あー、一旦本隊に戻るから付いてこい! お前らエインズワース殿の部隊を守れ」
「はいっ」
スレイズの指示を受け、彼の部隊が寄ってくる周囲の部隊を切り捨てながら追従する。
そして、それ以上の被害を出すことなく無事に本隊へと戻る事ができた。
「あの時に、私はスレイズ殿に返しきれない恩ができたとともに、戦場で光り輝く彼に英雄を見たのです。
そして、同時に惚れこんでしまいましたよ。ほっほ」
目の前で戯曲にもなった、40年前のシベリア王国とエレト王国の間で起きた戦争の有名な一部。
シーラント平原の決死の救出の話を聞かされたマルコも、目を輝かせてスレイズを見ていた。
「おじいさま、凄いです」
「そうか、はっはっは、たいぶエインズワース殿の中では美談化されてますが、あの時は楽しかったですな」
「毎回そうおっしゃられますが、事実ですし、楽しそうだったのは貴方だけでしたけどね」
ここまでが、いつものやり取りなのだろう。
それから、スレイズの武功を何個かエインズワースに自慢されて、屋敷を出た。
夕食にも誘われたが、エリーゼに言ってないから夕食は家で取らないとと力なく漏らしたスレイズに、エインズワースは嫌な顔ひとつせず、むしろ仕方が無いですなと苦笑いを浮かべていた。
まあ、孫に自慢話を聞かせたかったから、一番立場の上の彼の家を敢えて最後にしたのだろう。
――――――
屋敷に戻ると、マルコの部屋の片付けも終わっており、今日から自室で寝られるとの事だった。
マリアが許すはずもなく、一緒に寝るといってきかなかったのだが。
「あまり一緒に居ると、離れるのが辛くなりますので」
「でも……」
「マリアさん、今日は1人にしてあげましょうよ。明日は一緒に寝て、明後日はまた1人。交互に慣れていくのも必要ですよ? 貴女にとっても」
エリーゼにそう言われたら、引くしかない。
マリアが不満な様子を隠そうともせず、頷く。
そして勝ち得た、1人の夜。
早速寝る前に。
布団に向かって左手を翳すマルコ。
「よしよし、よく来たなお前ら」
管理者の空間で彼らを迎え入れる。
目では見えないが。
粉みたいなのが床に落ちている。
綺麗な長方形に。
「まずは、こっちに」
そして俺の後をついて、蠢く長方形が追いかけてくる。
合成の間に着くと、魔法陣の上に長方形が移動する。
「最初はと」
目の前の器に、ポーションを一滴。
そして、タブレット型の映像に指を触れる。
そして、輝く長方形。
「次はと」
今度は粉にした狼の牙。
地竜の鱗、石鹸の粉と次々と合成する。
聖水も合成する。
「できた」
完成後の姿ははっきりと分からないが、それをマルコの布団へと送り返す。
そう、俺が新たに配下に加えて強化したのは、ダニだ。
布団や枕にはダニが居る。
貴族の家だろうが、庶民の家だろうが関係なく。
完全に0にしても、絨毯や外から必ず布団に集まってくる。
最初は毎日吸収していたが、キリが無いと思ったので色々と合成して飼う事にした。
彼らが主に食べるのは自身の糞や、新たに来たダニたちやノミ、シラミだ。
この世界で、現代日本人にとって一番問題になったのは害虫の問題だった。
狼の牙や地竜の鱗を合成した彼らに敵う、普通の虫などこの世界に存在しない。
さらにポーションを合成したことで、彼らが住まう寝具には回復促進の効果まである。
石鹸のお陰で清潔……な気もする。
こういった、俺の身の周りを守る害虫はたくさんいる。
蚊は、蛾や蜘蛛たちに捕食させている。
新たに仕入れた者たちで、サイズを変えずに強化だけ施している。
部屋の害虫の掃除が終わると、蛾は戻ってくるので管理者の空間に送り返す。
蜘蛛たちは、一晩中侵入者を見張っている。
部屋に入った瞬間に捕食するためだ。
ん?
ダニ布団でスヤスヤ眠るマルコの部屋に、大きな侵入者が入ってくる。
蜘蛛たちが一瞬警戒するが、巨大なそれを見て抵抗を諦める。
その侵入者は枕を抱え、寝間着を着た不審者。
ゆっくりとマルコのもとに近付いてきて顔を覗き込むと、そのまま何事もないかのように布団の中に潜り込む。
「うーん、良い匂い」
そして、マルコに抱き着いて頭の匂いをクンカクンカと嗅いで、恍惚の表情を浮かべている。
マリアさん……
「マルコが起きる前に部屋に戻ったらいいわよね?」
誰に言い訳しているのか知らないが、マルコが寝坊することはない。
管理者の空間に居る俺は眠る必要が無いから、時間になったら起こしにいってるからね。
むしろ、マリアの方が遅く起きることが多いくらいなのに。
その自信はどこから出てくるのだろう?
「あらっ? 布団も良い匂い……もうお義父さまも、お義母さまもマルコには甘いんだから」
マルコの布団から漂ってくる、石鹸の香りにちょっと不服そうな表情を浮かべているが、マルコの寝息を聞くとすぐに笑顔に戻る。
「しばらく会えないんですから、このくらいいいんです!」
自信満々に言い切ったあと、マルコに抱き着き
「グー……」
はやっ!
一瞬で眠りに落ちた。
――――――
「母上! 母上!」
「うーん、あと5分」
やっぱり、マルコより早く起きられなかった。
といっても、まだ夜が白み始めたばかりではあるが。
今日から、スレイズとの早朝訓練が始まるのを忘れているのではないだろうか?
「なんでここに居るんですか!」
「はっ! 天使? 違った、天使様より美しいマルコだった」
寝ぼけた目でマルコの顔を見て、そのまま布団に押し倒す。
がっしり両腕と両足でマルコをホールド。
「こんな可愛い子と寝られるなんて、母はまだ夢の中のようですね」
そんな事を言って、マルコの頬に頬ずりしながら目を閉じるマリア。
そんなマリアを引き離して、顔を覗き込む。
マルコに見つめられたマリアが、キョトンと首を傾げる。
「はあ……おかあさま、あの、これからおじいさまと訓練の時間なのですが」
マルコの口から出てきた言葉に、マリアが眉を寄せる。
そして、あからさまに不機嫌そうな表情に変わる。
「お義父さまと? むー」
ただそう言われては仕方ないと、ノソノソと布団から降りるマリア。
さっと手櫛で寝ぐせを整える。
それから寝間着の乱れを戻して、マルコに向かって両手を広げる。
「なんですか?」
「行ってらっしゃいの抱擁です」
母にキラキラとした目を向けられて、逃げ道は無いと悟る。
仕方が無く近寄ると、目いっぱい抱きしめられて頬にキスをされる。
「頑張ってくるのですよ」
「はいっ、きちんとお母さまも部屋に戻られてくださいね」
「ええ、マルコの布団をもう少しだけ堪能したら、すぐに戻ります」
「お母さま?」
「行ってらっしゃい」
有無を言わさぬ剣幕に、再度溜息を吐いて手早く着替えを済ませる。
「行ってきます」
「頑張ってくるのですよ」
そして、部屋をでて祖父のもとに向かう。
閉めた扉の向こうから
「お義父様には、訓練の時間をもう少し遅くしてもらうように言わないと」
という呟きが聞こえてきた。