第162話:野営宿泊授業 災難
クルリのせいであまり眠れなかったけど、今度こそ眠れそう。
ディーンは寝姿まで、完璧に近い。
横向きで気持ち縮こまって、両手を胸の前で組んでスースーと寝息を立てている。
しかしディーンは男の子。
出来れば反対側を向いて、寝てくれないかな?
まあ良いけど。
僕がテントの壁側を向いて寝れば済む話だ。
さあ眠るぞ勢い込んで1時間くらい。
野外での宿泊という事で、どうやら少し興奮していたらしく寝つきが悪い。
それでもようやく意識が微睡始めたころ……外の様子が少しだけ変わったのを感じる。
「おや、起きておりましたか」
そして、耳元で蟻が囁いて来る。
外では大人たちが集まっているらしい。
うん……これ、眠れないやつだね。
折角意識が落ちかけていたのに、急速に覚醒していくのを感じる。
いっそマサキとバトンタッチして、あっちの世界で寝てしまおうかと思うほどに面倒くさい。
まあ、学校の授業に関しては僕の担当だから、よほどのことが無い限り変わってはくれない。
そして、今回はそのよほどの事には該当しないだろう。
吐いた溜息が眠気から、そのまま欠伸に変わる。
「ふぁーぁ……」
上半身を起き上がらせると軽く背伸びをして、立ち上がる。
頭がファサッと音を立てて、テントの布に当たる。
そうだった……三角錐になってるから壁側はそんなに頭上にスペース無いんだった。
入り口の布をめくって外に出ると、丁度クルリがこちらに向かおうとしていたところだった。
「何かあったの?」
「あっ、マルコ君! いえ、何やら先生と冒険者の方の1人が、急にあちらのテントで話し合いを始めたので」
クルリが指さした先には、このベースの真ん中に建てられた簡易式のコテージに近いテントが。
しっかりとした骨組みと、頑丈そうな布が掛けられている。
床面もしっかりと布が這ってあって中央には正方形の板まで敷いてあり、その上に絨毯まで。
まあ救護室兼、基地みたいな場所らしい。
ゲイズ先生と冒険者達の寝床は他に用意されているみたいだし。
それよりも、会議の内容が気になる。
基地の前には2人の冒険者が立っていて、生徒が近付かないように見張っている。
他の班の子達は……まあ、気が付いて全員起きている班もあれば、見張りまで寝ている班もあったりと……
というか見張りじゃなくてもあまり眠れないような環境なのに、あの子よく眠れるな。
僕の視線の先では、小柄な女の子が身体を綺麗にくの字に折り曲げて足の間に頭を突っ込んで寝ている。
いくらなんでも不用心すぎる……
まあ、徐々に眠くなって前のめりになっていって、最終形態があれなのだろうけど。
子供って本当に体が柔らかいよね。
椅子に座って寝る姿とか、ソファであり得ない恰好で寝ているのを見ると、つくづくそう思う。
翌朝には全身が痛くなってそうだけど。
そんなことも無いみたいだし。
マサキが羨ましいと言っていたのを思い出す。
先生たちの会話の内容は、ほぼリアルタイムで伝わってくる。
蜂からの伝達によって。
それ以前に、僕も気配探知を使って周囲を探っているから、なんとなく状況がつかめてくる。
「クルリ、ディーンを起こしてきてもらえるかな? すぐに動きがありそうだ」
「えっ? あっ、うん」
僕の言葉にクルリがディーンを起こしに行く。
ベントレーと同じく完璧貴族ジュニアのディーンは、寝覚めもいいらしく寝起きとは思えないほど清々しい表情でテントから出て来た。
寝ぐせすらついてないなんて。
「何かあったみたいですね」
「ああ、たぶん魔物……というか魔獣か。近くに集まってきている気配を感じる」
「魔獣ですか?」
得た情報をそれとなくオブラートに包んで、2人に話す。
どうせ、すぐに先生からも説明があるだろうし。
――――――
「どうも犬が近くに集まっている。一応、うちのもんが1匹だけはぐれたのを仕留めて連れてきているが」
「匂いは大丈夫ですか?」
「問題無い。臭い消しは振ってあるし、香りの強い香草も大量に磨り潰して周囲に撒いてあるから、奴らの鼻は殆ど機能していないだろう」
仕留めた獲物の匂いが周囲の犬を刺激しないか心配したゲイズであったが、報告に来た冒険者のリーダーの男が笑顔で頷く。
こういった依頼にも慣れていて子供達の身の危険もあるので、対策は万全とまではいかなくてもほぼそれに近い状態らしい。
「軽い興奮状態に陥っている、いまは俺達……というか、人の集団を見つけて警戒しているみたいだが」
「なるほど」
「取りあえず、見てくれ」
そう言ってリーダーが差し出したのは一匹の大型の狼。
毛色は灰色で、特に普通の狼と大差が無いようにも見えるが。
「クワイエットウルフ……別名サイレントウォーカーですか」
「ああ、個々の戦闘力は大したことないが……こいつらの厄介なところは音も無く忍び寄って来ることだな」
「そうですね……それに群れ同士のコミュニケーションでも殆ど声を発さないので、周囲にどれだけ潜んでいるかも分かりませんし」
いまこの場所を取り囲んでいるのは、クワイエットウルフと呼ばれる魔獣。
その特徴は森や草原を音も無く移動することらしい。
実際には無音という訳ではないが、慎重に獲物に近づく際に立てる物音は風に揺れる草木の擦れる音程度。
相手が群れの射程圏内に入った瞬間に、合図も無く一斉に飛び掛かって来るという厄介な相手である。
サイズは戦闘職の初級冒険者が1対1なら狩る事が出来るフォレストウルフよりも一回り小さく、また牙や爪の長さも劣る。
筋力や持久力すらも劣るが瞬発力と群れの規模、そして統率力とコンビネーションは遥かに上を行く。
強くないからこそ、集団戦に特化したのだろう。
その狼の群れが今回のゲイズ率いる子供達の集団にぶつかったのは、ただの偶然だといえる。
彼等は匂いを頼りに、獲物を探しに来たわけではない。
そもそも臆病な彼らは、あまり多くの気配が集まった群れには近付かない。
地震による森の異変で、寝床を変えるために大移動を行っている際に偶々この人の群れを発見したのだ。
とはいえ出会ってしまったからには、偵察くらいは行う。
そしてその場にいるのが殆ど子供だということを知った彼等は、ここで餌を確保するべきかどうか相談を行っているといったところなのだろう。
いずれにせよ狼の群れが、子供達を襲うのは時間の問題だと見てとれる。
「群れの規模は?」
「およそ、40頭ほどかと」
「そうですか……」
リーダーの言葉にゲイズが眉間を押さえる。
こういったことが起きないように念入りに下調べも行ったというのに。
完全に事故である。
「子供達をここに集めましょう。周囲を囲んで貴方達と私で対処するしかないでしょう」
「……ベルモントの子供は?」
「マルコ君ですか……彼も大事な生徒ですよ? 戦力に数えるべきではないでしょう」
どこか期待した目で問いかけたリーダーの男を睨み付けながら、ゲイズは否定する。
いくら規格外のベルモントの子供とはいえ、まだ初等科の子供だ。
それも自分の生徒という立場。
何より、子供を戦わせるなんて。
教師として至極まっとうな考えで返事をしたゲイズに対して、リーダーも苦笑いしつつもすぐに引き下がる。
もしかしたらという程度の期待を込めての質問。
彼だって、本気で当てにしている訳では無かった。
方針が決まったら、すぐに動き出す。
冒険者達は自分の担当の子供達の班へと駆け出す。
ゲイズも治療師と、手伝いに来ていた保護者を呼びに大人用のテントへと行く。
熟睡していた大人組と浅い眠りについていた治療師を集めつつ、生徒が続々と集まっていることにホッと胸を撫でおろす。
幾人かの生徒は不安と戸惑いで泣いており、また幾人かの生徒は状況を掴めずにオロオロとしていた。
ただ、それでも半数以上の生徒が落ち着いて、冒険者の指示に従って速やかに集まることが出来たのは日頃のゲイズの指導の賜物か。
生徒たちの点呼を終え、ジッと基地の中で外の様子を伺う。
子供達が中央に集められたことで、森からクワイエットウルフ達が姿を現す。
大きく切り開かれた平地で身を隠すものなど無い為、堂々とした姿をさらす魔獣達。
目の前で武器を構える冒険者達は脅威であるが、それでも自分達よりも遥かに数が少ない。
どうにか出来る。
そう考えての行動だろう。
現に対峙した冒険者達も、険しい表情で武器を握った手に力を込めている。
合図も無く数匹の狼が闇に紛れて突っ込んでくる。
次の瞬間、魔法を使う冒険者の男が空に向かって火球を放つ。
周囲を照らす為だ。
突如打ちあがった光の眩さに目を細めつつも、速度を変えずに突っ込んでくる狼達。
冒険者達は動かない。
完全に引き付けてから対処するつもりらしい。
――――――
「全員起きていたのか」
「ええ、大体の状況は把握してます。で、迎え撃ちますか?」
呼びに来た冒険者の男性に対して、取りあえずある程度は分かっていることを伝える。
「えっ?」
「いや、クワイエットウルフの群れでしょ? 対処しますか?」
「あー……いや、今回は子供達は全員避難……今回は? いや、普通はこういった時は子供達はすぐに避難するものじゃないのか?」
「えー? いや、実地訓練ですよね? これも一応、想定外かもしれませんがリアルな感じじゃないですか」
「えっ? いや、なにこの子……怖い」
やる気満々で進言したのに、目の前の男性に若干引き気味の顔で距離を取られた。
大した危険じゃないけど、あー……まあ、大人と一緒に居たら子供の安全を確保するのは当然か。
うちだと、当然僕も撃退に参加確定だけど。
「あー、そうですね……そうですか。じゃあ、避難します」
「えっ? あっ、うん。そうして」
「マルコ君……」
「マルコ……」
折角落ち着いて堂々たる様でカッコよく呼びに来たつもりだったらしい、マルコ班担当の冒険者が首を傾げて頭を掻きながら3人を基地へと向かわせる。
そして自分は背後を警戒しながら、その後を追う。
「で、群れの数は?」
「40頭程度……です」
「ふーん」
子供を獣から護るというシチュエーションに酔っていつもよりも3割増して落ち着いた雰囲気を演出していた男性だったが、いきなり冷や水を掛けられたかのように本気で落ち着いたらしい。
若干、この男も興奮していたのだ。
この冒険者として憧れる状況の1つである、窮地で自身の身を盾に弱者を守るという事に。
本気で落ち着いて、改めて思い出す。
今回のキャンプの参加者は学生で、一般普通科の普通の生徒ばかりだ。
が自分が担当したこの班は違う。
普通の生徒じゃ無いのが2人。
侯爵の子息と、騎士侯の実家の跡取り息子。
大貴族様の子供だ。
思わず格好つけて上から目線で声を掛けていたが、よくよく考えると不敬である。
当の本人達は気にした様子も無いが。
気にした様子は無いが、ディーン辺りはもしかしたら心の閻魔帳に記録しているかもしれない。
見る見るうちに委縮していく冒険者とディーンを見比べて、溜息を吐きつつもマルコも後ろに下がって冒険者の男に声を掛ける。
「どうにかなりそうですか?」
「一応、命に代えてでも皆様をお守りするつもりです」
「その心意気は嬉しいけど、授業で誰か死者が出るとか他の子達にとってトラウマものだから、死んじゃだめだよ」
「えっ? あっ、はい。ありがとうございます」
他の子達にとってということが、どこか心に引っ掛かる。
マルコにとってはどうなのだろうか?
恐ろしくて聞く事は出来ないが。
「僕も嫌だからね」
「はい、ありがとうございます」
そんな心情を読み取ったのか、マルコが付け加える。
それから問題無く避難を終えると、ゲイズ先生から軽く説明を受ける。
生徒たちは一部混乱したが、それでもお互いに励まし合って徐々に落ち着きを取り戻していく。
強いて言うなら、保護者がちょっとうるさかったくらいか?
「子供達の安全は!」
「私達は生きて帰れるのですか?」
「何かあったら、訴えてや「パパ? 落ち着いて? ゲイズ先生はとっても良い先生だから」
興奮し過ぎて、我が子に窘められるくらいに。
「では私も外に出ますので、ここをしっかりと閉めて誰も外に出ないように。親御さんもお願いしますね」
「任せてください! いざとなったらこの斧で」
子供の手前か恰好を付けるある生徒の父親。
その膝はガクガクと震えていて、とても頼れるものでは無かったが。
それでも前に立っただけ、立派だろう。





