第160話:足音
王都北のヨドの森に面した村
小さな地響きに地面が軽くゆすぶられ、立っている人達が立ち止まって固まる。
「うわっ」
「地震か?」
「最近、多いな」
最近多いなという言葉がでてくるだけのことはあって、人々はそこまで慌てた様子はない。
「おいっ、けが人は居ないか?」
「大丈夫だ! 建物の被害は?」
「あー、メネさんの家の壁にひびが入ってる」
「まあ、土を塗って固めておけば大丈夫だろう」
揺れ自体もそこまで大きく無く、それといった被害は出ていない。
「これで今月3度目だぜ?」
「何か悪い事が起こらなければ良いけど」
「おーい! ゼノさんとこのばあさんが、驚いて鍋ひっくり返しちまった! 神父さん呼んできてくれ!」
「ああ、分かった!」
どこかの民家で、調理中の老婆が火傷をおったらしい。
といっても大したことはないらしく、村の被害はそれくらいとのこと。
「なんだってんだよ、まったく」
「まあ、そのうち無くなるだろ? 仕事だ仕事!」
「ああ」
先ほどまでの揺れなど無かったかのように、村は急速に日常を取り戻していく。
みなどこか不安を心に抱いているが、敢えてそれを口に出さないようにしながら。
――――――
「いま、揺れた?」
「えっ? 地震?」
「俺は、何も感じなかったけど」
同じころ教室でも微かな揺れをマルコは感じていた。
そして、配下の蟻からも報告が入って来る。
「ええ? 揺れた気がしたんだけど?」
「エマ、ソフィア、いま地震あった?」
「えっ? 私は何も気づかなかったわよ」
「私もです」
マルコの言葉を受けてジョシュアが、近くに居たエマとソフィアにも確認を取っているが2人も何も感じなかったらしい。
「いや、マルコが揺れたとかって言い出したから」
「ええ? 地面じゃ無くてマルコが揺れたんじゃない?」
「はあ? いや、そんな事はないと思うけど」
結局誰からも同意を得られずに、マルコの勘違いということになった。
1人だけ納得のいって無い表情のマルコだったが、虫達も気付いていることで勘違いじゃないことは確かだった。
ただ、かといって何か被害があるわけでもなく、その時はさして気にもせず周囲と合わせて話は終わった。
――――――
「はあ、面倒くさい」
週末になって、セリシオとの約束を守るために上流区の入り口に向かう。
待ち合わせは朝の10時。
お店が開き始めるのが、この時間だからだ。
とはいえセリシオのことだから、きっと早くに着いているだろう。
そう予測して9時40分には着くように家を出たけど。
うん、ちょっとお人好しだったかな?
約束は10時だから、10時に着くように出れば良かったかも。
大分日差しも柔らかい季節になり、半袖だと少し肌寒い季節になってきた。
そう思って薄手のカーデガンを羽織ってきたのは、正解だったかもしれない。
朝ということもあって時折吹く風が、心地よい。
シャツだけだったら、震えていたかもしれないな。
今回は珍しくファーマさんじゃなくて、トルドさんといううちの警備の人が護衛についている。
何を話しても二カッと笑いかけてくるだけで、殆ど喋らない色黒の男性だ。
背は2m以上あって、身体もかなりガッシリしている。
まさに、護衛って感じだな。
武器は持っていない。
服の中に隠しているらしい。
上流区から中流区に向かう門を見れば、溜息を吐きたくなる。
警備の人達の多くが外に出ていて、整列しているからだ。
ただ出迎えの姿勢を取っているところを見ると、まだセリシオは着いていないらしい。
「マルコ様! セリシオ殿下はまだ到着されてません。 随分とお早いですね」
「ああ、ご苦労様です。殿下はいつも早くに来るので、先回りしただけですよ。これでも、遅いかと思ったのですが」
「予定は10時でしたよね? まだ、9時30分ですよ?」
「あー、うん良いよ、一緒に待ちます」
「でしたら、まだ冷えますのでこちらでお待ちください」
衛兵の人に案内されて、詰所に連れていかれる。
ちょっと早く着き過ぎちゃったな。
というのも、トルドが全然話し相手になってくれないから、ひたすら歩いてたわけだし。
そりゃ、思ったよりも早く着くか。
もう少し遅く出て、馬車で来れば良かったかも。
「粗末な部屋ですが」
「え? 十分ですよ」
案内された場所は粗末な部屋といっても、詰所と呼ぶにはちょっと小ぎれいな部屋だった。
そこで紅茶を出されたので、有難く頂く。
おそらく中流区の人で、上流区の人に用事がある人が待たされる部屋なのだろう。
調度品もそれなりのもののような気がする。
「間もなく、到着されると思いますので」
「うん、本当に大変ですね」
「いつもの、事ですから」
そう言えば、学校に通っている間は毎朝と夕方にこれをやっているのかな?
僕からしたら、迷惑だとしか思わないけど。
まあ、王族の居ない世界の記憶がそう思わせているのだろう。
こっちでは、これが当たり前っぽいし。
「お見えになりました」
「ああ、分かりました」
衛兵の人に呼ばれて、手元のカップを一気に煽って外に出る。
おお……普通に王家のリッチな馬車でご登場ですか。
そして、やっぱりクリスは一緒と。
フレイ殿下は……居ないと。
「まさか、待たせることになるとはな」
「いえ、嫌な予感がしたもので」
衛兵さん達の手前、それなりの言葉遣いで対応。
内容は酷いものだが。
「嫌な予感とは酷いな」
「ふふ……」
どうせ先に来て、衛兵全員を引っ張り出して整列して敬礼しながら待ってたりしそうだし。
そんなくだらない悪戯に、一生懸命働いている人達を巻き込むわけにはいかないしね。
「で、取りあえず城下のお店にでも向かいますか」
「歩いてか?」
「えっ? むしろその馬車で行くつもりだったのですか?」
流石に王家の馬車で街を歩くのは、恥ずかしすぎる。
なんの罰ゲームだと。
ここは、普通に歩いてお忍びで街を見て回ろうかと。
僕の場合は、忍ばなくても大丈夫だけど。
向かったのは普通の喫茶店。
最初は王都でも最近話題になっている武器屋喫茶に向かおうかと思ったけど、セリシオが青い顔で嫌がったのでやめておいた。
しょっちゅうフレイ殿下に連れていかれているとのこと。
そこで、何が行われているのかは知らないけど。
普通に武器談義だと思いたい。
喫茶店で飲み物を頼んで、向かい合って座る。
「クリスも座りなよ」
「今日は、殿下の護衛ですので」
「いや、同級生に護衛をさせて2人だけでお茶ってのも、けっこうきついものがあるんだけど?」
「お構いなく」
真面目か!
とはいえ僕相手に、そういった態度で接するのは多少はくるものがあるらしい。
少しだけ、いつもより不愛想で不機嫌に見える。
「セリシオ殿下?」
「なんだ、ここならもう良いだろう」
「いえ、クリス殿が対外的に護衛としての役割を果たしたいとのことですので、私もここはいち臣下として接するべきかと?」
「はあ……」
僕の言葉に対して、セリシオが溜息を吐く。
それから、クリスに向かって手を振る。
「普通に同級生として、参加しろ……護衛は目の前にも十分過ぎるのがいるし、その後ろには剣鬼隊の6席に位置するトルドが立ってるんだ。王都でも上から数えた方が早い安全地帯だぞ?」
「ですが……」
「傍で余を守れってことだ」
「はい」
というかうちの序列6位が居るだけで、ここは王都内でもかなりの安全地帯なのか。
てことは、王都で一番安全なのはうちかも?
いや、あそこは王都で一番危険な場所ともいえるか。
取りあえず、セリシオの言葉でようやくクリスが普通に座る。
正方形のテーブルで向かい合って座っている僕とセリシオの間に。
どことなく、ちょっと気まずそうだけど。
「クリスはなに飲む?」
「いや、俺は「クリス?」
「はっ、でしたら……コーヒーを」
「オレンジジュースください!」
「マルコ!」
クリスがコーヒーを所望したので、オレンジジュースを頼む。
だって、物凄くオレンジジュースの場所で視線が止まっていたからね。
でもセリシオは紅茶、僕はコーヒーだったから合わせたのだろう。
それとも、1人だけジュースを頼むのが恥ずかしかったのかな?
場の空気なんて読まずに、飲みたいものを飲めばいいのに。
「いや、本当はオレンジジュースが飲みたかったんでしょ?」
「いや、俺はそんな……」
「フルーツジュースって身体にいいしね」
「ああ、そうだな……逞しい身体づくりの為だ」
すぐに陥落した。
そのために逃げ場を用意してあげたし、少しは素直になって貰っても良いと思うし。
「で、相談ってなにさ?」
「急に雑になったな。相談って言うのは、姉上のことなのだが」
「うん、最近一緒に行動してること多いよね? で、何かあったの?」
そういえば、放課後はフレイ殿下と一緒に居る事が多い。
だから、絡まれる事も減った訳だけど。
それで、寂しいと感じることはあまりなけど。
疲れていってるのを見ると、少しだけ同情して気になってしまったのも確かだ。
「ああ、姉上が恋をしたらしい」
「ふーん……」
恋の相談を弟にするのか。
意外と、セリシオは姉に好かれているのかもしれない。
というか、普通に仲良しじゃん。
「ベルモントの街で」
「へえ……」
ベルモント?
うちで?
そんな出会いなんてあったっけ?
「なんでもトラブルに巻き込まれた時に助けてもらった、黒髪に黒い瞳の黄色い肌の男性に惚れたらしい」
「ブッ」
思わず、飲んでいたコーヒーを吹き出す。
「なんだ汚いな! というか、やっぱり知っているのか?」
「知っているというか……他に特徴は?」
「東の人間じゃないかと。顔も平べったかったらしいし」
「……知らないかな?」
「嘘を吐け!」
そうですね。
思い当たるのは、マサキくらいしか居ないけど。
うん……僕の身体を借してたから、マサキなわけがない。
「いや、知り合いに特徴が一致する人は居るけど、その人は居ないし」
「居るけど、居ない?」
「うーん……遠くの世界に居る人だから」
「遠くの世界か……」
そう言って上を見上げると、同じように呟きながらセリシオが僕の視線を追う。
そして、目を閉じて俯く。
「すまんな。辛い事を思い出させたみたいで」
何やら勘違いしているよだけど、概ね間違いではない。
遠いお空の上に居るのだから。
いや、管理者の空間が空の上かどうかは知らないけど。
「他に東の人間で、ベルモントに居る人は知らないか?」
「いや、知らないし……もしかして、相談というか」
「ああ、察した通りだ。姉上から、マルコに聞いてみてくれと言われた」
やっぱり。
それで、最初から重苦しい雰囲気だったはずだ。
自分の姉の想い人を、友達に聞きにいかされる弟。
そりゃ、せんない。
身内の恋バナを同級生に聞かせたうえに、年下相手に手伝ってくれとか。
これがセリシオの妹とかなら、僕もそれなりに協力的だったかもしれない。
でも、相手は年上だし……
「マルコはどこか、時折大人びている雰囲気があるからな。そう言った意味では、聞きやすくはあったのだが……それでも恥ずかしくはあるぞ?」
「うん、分からないでもない。まあ、ちょっとその事に関しては、あまり力になれなさそうだ」
「だろうな……手がかりの1つでもあれば、まだ良かったのだが」
手がかりというか、どうして分かったんだろう?
取り敢えずそのままお茶をして、気分転換にその日はセリシオとクリスと街を満喫することにした。
「そういえばディーンは?」
「ああ、あいつは従者と何やら森に行くと言っていたな。下見と現調とかって言ってたが」
「あー」
すでに嫌な予感しかしない。
野外宿泊訓練の下見だろうが、なんか小細工とかしてないと良いけど。
例えば地下貯蔵庫的なものを作って、そこに生きた動物を入れておいたり。
食べられる野草や木の実を保管してたり。
持っていくものを減らすために、現地調達しやすいようにあらかじめ物を集めて見たり。
うん、彼に限ってそんなズルはしないと信じているけど。
90%くらいね……信じてない。
取りあえず、ディーンのことは忘れよう。
そう思っていたら、遠くに見知った顔が。
「どうしたマルコ、知り合いか?」
「うん、ちょっと声掛けてくるね」
「学校のやつか?」
声を掛けようかと思ったら、セリシオの興味を引いたらしい。
「俺にも紹介してくれるか?」
「じゃあ、いいや」
「なんでだよ!」
いや、クルリだし。
一般普通科の中でも小さくなって頑張ってる彼女相手に、「やあ元気? あっそうだ紹介するね! クラスメイトのセリシオだよ! 殿下、こっちが選択科目で同じ班のクルリ」なんて言ったら、悲鳴をあげて彼女どこかに行ってしまいそうだ。
「軽く紹介できるような相手じゃないし」
「そうか? 尚更興味が湧いたな」
「いや相手じゃ無くて、セリシオを相手に紹介するのが躊躇われるって意味ね」
「なんでだ? これでも、俺意外と有名人だぞ? 喜ばないか」
「うん、王子と縁を持って皆が皆喜ぶとは限らないからね」
「なに? 殿下とお見知りおきになるのが嫌な奴とか居るのか?」
「普通に居るから」
クリスが珍しく会話に割って入って来たが、ちょっと我慢できないくらいに不快に思ったらしい。
貴族と一般人の感覚ってのは、全然違うからね。
そこのところを、学校生活で学んでもらいたいものだけど。
「ごめん、クルリ」
「えっ? マルコ君? なにどうしたの、いきなり」
結局、押し切られた。
「たまたま見掛けたら、こちらのお方がお話してみたいって」
「えっ? 誰?」
「セリシオ君」
「始めまして、セリシ……オ?」
おお、いきなり呼び捨てとはやるじゃないか!
大胆だな、クルリは。
「セリシオだ、宜しくな」
いまだぎこちなく固まっているクルリに、セリシオが微笑みかけて手を差し出す。
「よろし……えっ? はっ? ヘヘー!」
暫く固まったあとで再始動を始めたかと思うと、地面に膝を付いて平伏した。
やっぱり……
「だから言ったじゃん。服が汚れるから、立ちなよ」
「えっ? いや、ちょっと! マルコ君? はっ? なんで?」
「偶然?」
その後混乱した彼女をどうにか宥めすかして、セリシオと普通に挨拶させる。
物凄く涙目で、酷く怯えていたけど。
あとで、きちんと謝っておかないと。
「王子に言われたら僕だって断れないからね。ごめんね」
「なんだ、それでは余が悪いみたいではないか」
「みたいじゃなくて、悪いから。良く知らない一般人からしたら、貴族だろうがなんだろうがちょっとした粗相で首を切られるかもしれない、超取り扱い危険人物だからね? 王族って」
「そうなのか? 余はそんな短気じゃないぞ」
「知らない人からすればって話だから」
それから少しだけ雑談をしてクルリと別れる。
主に、セリシオからの一般人の王族に対する、世論調査みたいな感じだったが。
まだ話足り無さそうだったセリシオを引っ張って、その場から離れる。
「そうか……まずは国民との壁を取り壊す事から始めるべきだな」
「いや、壊しちゃ駄目だから。統治にそれ必要だから!」
「それは……寂しくないか?」
「うん、良いの。住む世界が違うんだから」
「でも、お前やディーンは仲良くやっているのだろう?」
「はあ……別に、自分もディーンもクルリの村のある領の領主じゃないし……仲良くしたところで、なんにも問題無いし」
なんだかんだで、普通にこうやって城下町を歩いて回るのも新鮮だったらしい。
良い気分転換になったみたいで、良かった。
クリスが時折青筋立てたり、顔を赤くしてたりしたけど。





