第139話:ノーフェイス
「随分と物騒な街ですね」
「まあ、じじいの関係者は漏れなく変態だからな」
「っ!」
上空で街を見下ろしてノーフェイスに背後から声を掛けたら、一瞬だけ硬直してすぐに距離を取られた。
「おいおい、連れないじゃないか……あんなに、俺に執心していたくせに」
「どうやって……」
気配も感じさせずに俺が現れた事に、心底不思議そうな表情を……
顔が無い。
勘弁してほしい。
のっぺらぼうって、リアルだとガチでキモイのな。
トラウマになっちゃいそうだ。
「ふふ、お前の気配探知をかいくぐる方法なんて、いくらでもあるってことさ」
「まあ、良いでしょう。それにしても、わざわざ追って来るなんてどういうつもりですか?」
いや、あれだけおいたしたんだから、場所さえ分かれば追って来るのは当然だろう。
色々とお礼もしたいし。
まあ厳密にいうとタブレットに街全体を映して、街に潜んだ虫達に場所を教えてもらっただけだけど。
流石にノーフェイスに注視していない状態だと、信号や力の歪みも小さすぎて感知できないんじゃないかなと思ったが……正解だった。
ただ、問題は精密な転移が行えない事。
今回も、ノーフェイスのすぐ真後に転移してしまって、ちょっと焦った。
「くっ!」
「あー、頭上に注意な」
突如上空から降って来た岩を躱す事も出来ずに、腕で受け止めるノーフェイス。
弾かれた岩は即座に回収。
街に落ちたら大変だもんな。
ちなみに、これも普通のなんの変哲もない岩を、ノーフェイスの頭上に呼び出しただけ。
魔法じゃないから、魔力なんてものは発生していない。
「なるほど……なかなかに、思った以上にやるじゃないですか」
「喋ってたら舌噛むぞ」
回収した岩を再度、ノーフェイスの頭に降らせる。
「っ、鬱陶しい!」
まさかこんな短時間で、同じことを繰り返すなんて芸が無いだろう?
だから、そんな事をするなんて思わなかったらしいノーフェイスが、ちょっと焦っていた。
と思いたい。
表情が分からない……て、物凄く便利だ。
俺も、仮面被っているから人の事、言えないけど。
「なっ!」
今度は、弾かれた岩を回収しない。
そして、勢いよく軌道を逸らした岩に引っ張られるように、ノーフェイスも落下する。
慌てて岩と自分の間に向かって、手を振るう。
ノーフェイスの身体がかろうじて落下を止め、岩だけが落下していく……のを、蜂が数匹がかりで受け止める。
おそらく弾くだろうと思って、岩の表面に蜘蛛の糸を張り付けていたが。
どうして、こう上手い事はまってくれる。
今までの行動から、こいつは相当な実力者だというのは分かった。
それと、魔力やそれに準ずる力を読み取ることも。
逆に言えば純粋な物理に対しては、反応が遅れるんじゃないかなと。
ましてや、魔法も使える俺がそれを武器以外で行えば、なおのこと。
思わず笑みが零れる。
散々おちょくられていたんだ、このくらい楽しんでもバチは当たらないだろう。
「やっぱり、貴方の事は苦手ですね……あいつによく似ている」
「あいつ?」
「いやあ、貴方に執着する子もいたので、一緒にと思ったのですが……マルコ君だけで十分ですよ」
そう言って、こっちに向かって手を翳してくるノーフェイス。
突如、脳内に靄が掛かったような感覚に襲われる。
これか……
頭を押さえて一度視線を切る……
なんで、こんなところに居るんだ?
自分の行動に、疑問が思い浮かぶ。
すぐに、様々な映像が飛んでくる。
あー……また、逃げられたのか。
すぐに思い出した俺は、管理者の空間に戻ると街の虫達に情報を送る。
そして、報告が集まって来る。
なるほど、ノーフェイスの奴は、街の北側に向かっていると。
場所は……有難う。
「おいおい、そんな急いで逃げなくても良いじゃないか。ノーフェイスさん?」
「馬鹿なっ!」
即座に場所の座標を教えてもらい、街全体の映像からそこに跳ぶ。
そして、ノーフェイスが思いっきり突っ込んで来た。
丁度良いので、首を掴んで背後に回ってガッチリと羽交い絞めにする。
「何故、記憶が!」
「そいつは、企業秘密だ」
よほど混乱しているのか、俺の腕を振りほどけるほどの力は感じない。
こっちとしては、記憶を消す力の秘密が知りたい。
正直、こいつが何をしてきたのかは知っているが、その記憶は今も全く残って無い。
ただ、情報として得たものを使ってブラフをかましているだけ。
初歩的な事。
土蜘蛛にお願いして、今回の騒動の一連の流れを全て記録して貰った。
こいつの名前がノーフェイスということ。
様々な顔を持っている事。
丁寧な絵を添えて書かれた、報告書。
それを管理者の空間に居る土蜘蛛に、瞬時に情報として送ってもらったわけだ。
結果として、なんとなくだがこいつの厄介な能力やら、何かを企んでいるということだけはかろうじて分かった。
あと、神様絡みのお客さんって事も。
物凄く、面倒くさいことになったと思っているが。
この件は、後々神様方に問い詰めるとして。
こうやって触れていたら分かる。
こいつが、本当にヤバイ奴だって事が。
「なあ、本当に何が目的なんだ?」
「すみませんね。それを答えるつもりはありませんよ」
おっと、流石にいつまでも抱き着いて居られないか。
どうせなら、女性にでも化けてくれると嬉しかったが。
目の前から掻き消えたノーフェイスが、少し離れたところでこっちに向き直る。
「じゃあ、記憶を消す能力の秘密を聞いても?」
「それも、答えられませんね」
……
それも、そうだろう。
なんとなく、こいつは状況を楽しんでいる節があるから、すぐすぐ暴挙には出ない。
会話の持って行き方次第では、何かしら得るものがあってもおかしくない。
「力尽くでどうにか出来るものでも無さそうだし。聞いて貰いたいお願いごとがあるんだけど」
「聞くわけないじゃないですか」
「他の人にも、聞いてみてくれないか?」
「言ってる意味が分かりませんね」
うーん、色々な顔があるから、もしかしたらそれぞれが人格を持っているかと思ったけど。
見当違いだったかな。
「1人の子供が不幸になっちゃうからねー……たぶん、マルコにも相当に恨まれるだろうし」
チラッと視線を送る。
「……関係無いですよ」
一瞬だけ逡巡が感じ取られたが、これ以上はもう少し核心を得ないと無理か。
そもそも、可能性の1つでしかないし。
様々なお約束を、脳みそフル回転で思い出す。
とはいえ、こういったやり取りでのお約束が多すぎて、どれもしっくりこない。
飄々とした大物ぶった相手に、言う事を聞かせるには気に入られる必要がある。
が、どうやら俺は嫌われてしまっているらしい。
実力を認めさせるのが一番手っ取り早いが、彼我の差は簡単に埋まるものじゃない。
虫達に力を借りたいところだが、懸念事項が2つある。
それを、どうにかしないことには。
さらに言えば、最悪な可能性も出てきている。
もし、この予想通りなら、例えカブトやラダマンティスを投入したとしても、勝機は限りなく低い。
現状、身の回りで使えるものといったら、俺の命しかない。
が、これはマルコの命でもあるから、簡単には捨てられないと。
来世でやり直しがきくとはいえ、現状でこの世界に未練も多すぎる。
簡単に捨てられるものじゃない。
特に、マルコは。
せめて、記憶を消す能力の秘密だけでも分かれば。
もしくは……
「話は終わりですか? でしたら、私はもう行きますよ……とりあえず今回のところは、そちらに譲りましょう」
「いやぁ……こんだけ荒らされると事後処理がきつくってさ。負けを認めるなら、少しは手伝ってくれないかな?」
「私は爪痕は残すタイプなので」
なんて、嫌な奴だ。
出来ればアシュリーに関する記憶は消してもらいたい。
とはいえ、こいつはたぶん自分に関る記憶だけを消して、どこかに姿をくらますつもりだろう。
それは、色々と不味い気がする。
フレイ達も、今回の騒動にアシュリーが絡んでいることも知っているだろうし。
一部の騎士達も。
うーん、全てを無かったことにしたい。
記憶も吸収出来たら良いのに……
記憶の吸収?
……
出来るか?
いや、仮に出来たとしても全部の記憶を吸収しちゃいそうだ。
無理だな。
「さてと、それでは失礼しますね」
「あ、バイバーイ!」
「……」
こいつを動かす算段が無い以上、これ以上の会話は無駄だと俺も判断させてもらった。
大人しく去ってくれるなら、それに越したことはない。
これ以上、場を搔き乱されても困るし。
すなおに、お別れを伝えたら微妙な空気になった。
もしかして、あれか?
こいつ、この状況で少しは粘って欲しいとかって思ってるのか?
メンドクセー奴だな。
「どうした? 頼まれてくれないなら、悪いけどさっさと消えてくれないかな」
「……なんか、腹立たしい」
ジッとその場から動かないノーフェイスに、シッシとおいやるように手を振る。
暫くその場で悩んで、ようやくノーフェイスが姿を消す。
「私を逃がしたことを、後悔しますよ」
「いや、取り押さえる方法が無いし」
そんな捨て台詞を吐かれても、この実力差をどうしろと?
良いからとっとと、行ってくれ。
さてと、アシュリーの方の問題は……
強引だけど、一番確実な方法がある。
これを使えばアシュリー以外はどうにかなるが、問題はアシュリーに記憶が残っていた場合。
彼女自身の心に傷跡が残るだろう。
たぶんだけど……
記憶は残って無いだろう。
完全に意識を乗っ取られていた感じだし。
その間の記憶が無いパターンだと信じたい。
なので……
回収したアシュリーを、取り敢えず今回参戦していないクロウニに預ける。
それからスライムを召喚。
アシュリーに変身してもらう。
さらに、腕輪も再現。
よしっ!
ちょっとだけ暴れて来い。
俺の問題も、これで一気に解決させよう。
降ろさせたのは、ファーマの目の前。
いきなり、降って来たアシュリーにファーマが目を白黒させる。
「アシュリー、どうしてここに?」
「フフフ……マルコは渡さない」
次の瞬間にアシュリーが手の平から魔法を放つ。
「何を! というか、子供が魔法を!」
ファーマが焦った様子で、それを躱す。
そして、反撃しようとして手を止める。
腕輪が怪しく光ったのが、視界の端に入ったらしい。
「操られているのか!」
忌々し気に腕輪を見つめる間も、次々とアシュリーから攻撃が繰り出される。
人が集まるように音と光だけが派手な、威力の大してない魔法。
「所詮、子供の魔力……だが、手も足も出せんな。というか、マルコ様の居場所を知っているのか?」
「ウフフ……マルコはね、ずっと私と一緒に暮らすの……二人っきりで」
壊れた人形のように、首をカクカクと左右に揺らしながらケタケタと笑うアシュリーに、ファーマが顔を歪める。
彼女は自分の腕にはめられた腕輪を心底愛おしそうに撫でる。
そして、その頬玉に軽く口づけを交わす。
その姿に狂気を感じたファーマが、思わず身震いするほどに子供の狂った姿というのは恐怖を覚える。
「悪魔……」
「酷いわー……こんな可愛い少女を掴まえて悪魔だなんて」
さきほどまで笑みを浮かべていたアシュリーの表情が固まると、生気の籠って無い目でファーマをジッと見つめる。
「悪魔っていうのは、こういうのを言うのよ」
そして、肘と膝をカクッと直角に曲げて、地面に倒れ込む。
そのまま彼女は地面に両手両足を付けて、虫のように地を這ってファーマに向かって行く。
なるべく、人間離れした気持ち悪い動きで戦ってくれとは言ったが。
ちょっとやり過ぎだろう。
「やめるんだ!」
その攻撃を躱すしかできないファーマ。
避けた拍子に壁に突っ込むアシュリー。
「不味い!」
振り返った先で信じられない景色が、ファーマの目に飛び込んでくる。
アシュリーがそのまま壁をよじ登って、飛び掛かって来たのだ。
「しまった」
予想外の不意打ちを受けたファーマが、軽くアシュリーの攻撃を捌いた。
が、こんな人間離れな動きをしているにもかかわらず、その身体は脆弱な印象を受ける程、軽く柔らかい。
本人は軽く捌いたつもりでも、地面に軽く叩きつけられたアシュリーが口から血を吐く。
両手両足があり得ない方向に曲がっている。
「大丈夫か!」
「痛いーよ! いだいー」
「ひっ」
アシュリーが悲鳴をあげているが、その表情はニタニタと頬まで裂けるような笑みを浮かべている。
思わず、逆にファーマが悲鳴をあげるほどに不気味な表情。
そのままアシュリーの首が180度回って、顔が上下反転する。
うん、やり過ぎだよ。
管理者の空間のマルコから、物凄く嫌な感情が伝わってくる。
「悪魔が憑いているのか?」
「悪魔だなんて酷いなー、ファーマさーん!」
そして、ファーマに向かって飛び掛かっていったアシュリーを、横から振り下ろされた剣が切り落とす。
「ロッ! ローズ!」
剣の持ち主に視線を送ると、ローズが手に持った剣を振り下ろした格好のままアシュリーを睨み付けている。
「あっ! あれはアシュリーだぞ!」
「いえ、あれは、偽物ですよ。先輩」
すぐにアシュリーに駆け寄ろうとしたファーマを、ローズが制止する。
そのローズの言葉に、ファーマが首を傾げる。
「本物ならさっき、流れの冒険者が助けて冒険者ギルドに届けてくれました。ジャジャの森で悪魔に担がれているのを、たまたま見つけたそうです」
「そ……そうか……それは良かった」
ローズの言葉に、ファーマが心底ホッとした溜息を吐く。
それから、すぐにアシュリーを睨み付ける。
「なら、貴様は誰だ! 正体を現せ!」
「フフフ……バレてしまっては仕方ないですね」
ファーマに睨み付けられたアシュリーの身体がドロリと溶ける。
ご丁寧に眼球や歯、爪などが溶けた液体の上に残っている。
そしてアシュリーが身に着けていた腕輪も。
だから、気持ち悪いって。
やり過ぎだって。
そして、その液体がニョキニョキと上に伸びていくと、人型を象っていく。
その姿は角が無いのに、翼と尻尾を持ち。
いかにも悪魔ですといったシルエットをしている。
そして、角の無いそのレッサーデーモンをファーマは知っていた。
「どうも先ほどぶりですね」
「見つけた……マルコ様を返せ!」
「っ!」
悪魔が姿を現した瞬間に、斬りかかるファーマ。
咄嗟に後ろに飛び退いたマハトールの腕が切り飛ばされる。
まあ、スライムが変化したマハトールだけど。
中々に、リアルな感じだ。
斬り飛ばされた腕や、その断面から溢れ出る液体とか含めて。
「思ったよりもやりますね」
「お前は、やり過ぎた! マルコ様の居場所を教えろ」
「それは無理な相談ですね。私も上からの命令で動いてまっ! しまっ……」
マハトールの答えを聞くや否や、さらに斬撃を浴びせるファーマ。
そして、それを防ごうと左手を前にだしたマハトールの腕輪が、砕け散る。
と同時に眩い光が辺りを包み込む。
おお、随分な役者だ。
本当にやらかしたといった焦りように、ファーマが動きを止めている。
事情をしっているローズは、どこかつまら無さそうだが。
もう少し、演技してくれないかな?
いや、彼女的には自分がマルコを救う役割がしたかったのだ。
でも、ファーマに譲らせたことで拗ねている。
マリアに対する印象が向上するだろうという思惑も少なからずあるが、それ以上にマルコを救う騎士という役割に憧れていた。
いや、ここは先輩に譲ろうか?
事情を知らない彼がこれだけの失態を起こして、尻ぬぐいもさせなかったら必ず色々と不味いことになる。
と説得して、どうにか納得してもらった。
光に合わせて、スライム扮するマハトールの前に転移する。
その姿を確認したファーマが一気に近づいて来るので、スライムに俺をファーマに向かって投げ飛ばさせる。
「マルコ様!」
当然ファーマは俺をキャッチする方を、優先。
その隙に、傷を全て治したマハトールが上空高くにまで飛び上がる。
「ふう……心配性が仇になってしまいましたか。大事なものを手元に置いておくのは、私の悪い癖ですね」
演技掛かったマハトールの演技がやらた上手い芸達者なスライムに、思わず拍手を送りたくなる。
こいつ……出来る。
そんな事を考えつつ、やっぱり調子に乗ったマハトールはどこかウザイと感じる。
「待てっ!」
「待ちませんよ……こんなところで、死にたくはないですからね」
ファーマがマルコをローズに預けて建物の上に飛び移るが、すでにマハトールの身体は半分以上が霧となって薄れていっている。
「それでは、また会いましょう」
「くそがっ!」
ファーマが投げたナイフは、マハトールの身体を突き抜けてそのまま飛んでいった。
すでに、そこにはマハトールの姿は無かった。
いや、それよりも投げたナイフ……
街に落ちて……ああ、自分で飛び上がって回収するのね。
立派立派。
どこかの誰とも思わない誰かの頭に落ちたら、どうするのかと思った。
こうしてどうにか、事態は落ち着くべく落ち着いた。





