第117話:ビルド・フォン・カルストと三従士(後編)
「まさか普通の人に負けちゃうなんてねー」
ジャッカスとクロウニが2体の悪魔を倒す姿を、上空から眺めていたそれは溜息を吐く。
他の2体に比べて、どこか人に近しい身体を持つそれは翼を広げる。
身長は1m60cmくらいか?
少し小柄な体躯とは似つかわしくない、大きな翼。
広げられたそれは、2mはありそうだ。
サラサラとした髪の毛を風になびかせながら、どこか幼い顔つきを悪魔らしく歪ませる。
微笑みとはほど遠い、どこか歪な笑み。
見ているだけでゾッとする。
「あー……むしゃくしゃするから、皆殺しちゃおっかな?」
そんな事を呟くと、両手に闇の力を集め始める。
集められた闇の奔流は、先のクロウニの相手の悪魔が放った上級悪魔の奥義。
【闇の咆哮】を遥かに凌駕する。
地上を行き交う人間に掌が向けられるが、その闇の球体をすぐに霧散させる。
「いけないけない、そんな事したら怒られちゃうか……ただ、それ以前に旗色も悪そうだし、僕だけ逃げちゃおっかな?」
悪魔が悪戯っぽく笑いながら、通りを走る1人の少年を見つける。
「あれは確かボスのターゲットだっけ? 一生懸命走っちゃってまあ隙だらけだね。ここから一撃喰らわせたら、殺せたりして」
ビルドがリコと一緒に居るであろう場所に向かって走るマルコを見つけたそれは、人差し指をマルコに向ける。
「ドーン! ってね」
それから魔法を放つフリをする。
が、フリをするだけ。
本当に攻撃したりはしない。
「にしても、これで計画が失敗したりとかしたら、笑えるなー……ねえ? そう思わない?」
笑いながらその悪魔は後ろに向かって問いかける。
少し前から後ろで自分に対して強くない殺気を放っていたそれに対して、慌てる事も無く。
「そうですか? 失敗すると思いますよ」
「君は誰かな?」
「マハトールと申します、始めまして先輩」
「マハトール君ね? 僕の事はリベザルとでも呼んでもらおうかな?」
ゆっくりと振り返ったリザベルは、マハトールを見て首を傾げる。
マハトールは彼の事を先輩と呼んでいたが、マハトールは産まれたばかりのレッサーデーモン。
悪魔の中では最下級から数えて2つめで、このまま力を無くしてミニデーモンになるか、上手く力を集めてデーモンになるかという所謂、悪魔にとって性別の定まる前の受精卵みたいなものだ。
そんな矮小な存在が、突然自分の前に姿を現した事に色々な可能性を思案する。
レッサーデーモンがアークデーモンに話しかける。
となれば、配下に加えてもらうために近づくのが一般的だ。
だが目の前のレッサーデーモンは跪くでもなく、同じ目線で話しかけて来た。
序列が絶対で格が2段階も上の自分に対して。
無礼極まりない行為だ。
目が合った瞬間に、消し飛ばされても文句は言えない。
ただ、下克上という可能性も考えられる。
格上の悪魔を殺しその魂を取り込むことで、自分の種族進化をてっとり早く行える。
悪魔の主食は魂。
同族の魂ですら例外ではない。
アークデーモンに到るために、挑んで来た?
こんな生まれたての、大した能力も持たない悪魔が?
そもそも勘違いされがちだが、悪魔と言うのは大変臆病なのだ。
だから策を弄して、嘘をついて、闇に紛れて人を襲う。
正面から戦っても実力的に問題無い相手であっても、確実に勝てるように……
そんな存在の最たるものであるレッサーデーモンが、2つも格が上の相手に?
あり得ない。
そして興味深い。
「で、君は僕に何の用なのかな?」
「ええ……うちの主が、貴方達に興味を持たれていたので、ご招待にあがりました」
リザベルがマハトールに向かって問いかけると、マハトールは執事のように肘を直角に曲げた腕をおへその辺りに持ってきて腰を曲げて頭を下げる。
「へえ……それはどちらの悪魔様かな?」
「いえ、人……ですかな?」
「ふーん」
主が興味を持ったということを聞いて、リザベルはスッと納得出来た。
おそらく自分より上、もしくは格上の悪魔の下に仕えているのであれば、不遜な態度もかろうじて納得できる。
迂闊に彼に手を出して、その主とやらを引っ張り出してしまうのはそれこそ藪蛇だ。
一応答えて貰えないだろうと思いつつも問いかけてみて……その答えに失望する。
所詮はレッサーデーモンか。
たかが人間如きの餌に使役されるなんて。
しかもその主とやらは、分不相応にもアークデーモンである自分に興味を持ったと。
おそらく、自分も使役出来ないか考えているのだろう。
勿体ない。
今が仕事中で無ければ良い暇潰しになっただろうに。
敢えて近づいて、使役されたふりをしながら内面からジワジワと蝕んでいき……最後には便利な操り人形にしてしまうのも面白いかもしれない。
もし送り込まれたのがデーモンクラスなら、彼も多少は警戒して構えたかもしれない。
が、レッサーデーモン如きをアークデーモンにぶつけるなど。
無知……間違いなくその主は無知で、無能だ。
そう結論付けたリザベルは、マハトールに向かい合う。
「ごめんね……いま忙しんだ」
次の瞬間、マハトールの頭を鷲掴みにして顔を自分の方に思いっきり寄せて、ニコニコと笑いかける。
そして思いっきり頭突きを放つ。
顔を歪ませて、マハトールを下から睨み付けるリザベル。
「つか、なに気安く話しかけてんだよゴルァ! 人間如きに逆らえねークソゴミ虫が、大悪魔たるリザベル様に声を掛けるなんざ1億年はえーんだよ! 殺すぞオラッ!」
再度、頭突きを放ったリザベルは、そのままマハトールを街の外に向かって投げ飛ばす。
マハトールは飛ばされている途中で一回転して翼を開き、ブレーキをかけて止まる。
が、すぐ目の前にはすでにリザベルが肉薄している。
「ヒッ!」
マハトールが小さく悲鳴をあげるが、構わずリザベルの爪先が彼の腹に深く突き刺さる。
「グッ!」
さらに、そのまま顔を殴り飛ばされる。
「おう、お前下賤な人間如きと契約結んでんだろ? そんな屈辱すぐに晴らしてやろうか? 消してやったら、契約解除だからな! キャハハハハ!」
「くっ」
リザベルが目の前で両手の拳を順番に、凄い速さで放ってくる。
マハトールは腕を交差させて、ひたすらそれに耐え続ける。
「へえ……普通なら最初の頭突きで頭が消し飛んでるはずなんだけどね。随分と頑丈だ! つか、さっきの態度はどうしたよ? 大物ぶって生意気にも礼儀を弁えたみたいな喋り方はよぉ!」
「クッ!」
徐々にスピードが上がる攻撃に、一切反撃する隙が見当たらない。
マハトールは殴られ続ける。
サンドバッグのように。
喋れば舌を噛み切ってしまうように、顎に一撃を加えるつもりなのだが。
歯を食いしばって耐えているマハトールにイラつく。
自身の口調が崩れていることを棚にあげて、挑発する。
「ていうか、凄いね! まだ耐えられるなんて」
「うぐっ」
それでも崩せないと思ったリザベルは、攻撃に集中する。
時折防御の隙間を縫った前蹴りが、モロに入る。
レッサーデーモン如きにあまり時間を掛けたら、自分の力が侮られかねない。
そう思い、スピードを上げる。
がそれでもマハトールは倒れない。
簡単に倒せると思っていただけに、無駄に硬いこの低俗な悪魔に対してさらにイライラが募る。
「ハハハ、こんなに頑丈なレッサーは初めてだな! これならどうかな?」
殴ってもあまり意味が無いと感じたリザベルは爪を伸ばして、マハトールの腹部に突き刺す。
「ふひひひ、このまま腹の中を搔き乱して腸を引きずりだしてやろうか?」
「うう……」
自分の腹に突き刺さったリザベルの手を見て、マハトールは呻き声をあげながらその手に触れる。
「気安く触ってんじゃ……えっ?」
「ふふ、捕まえました」
手を触れられたことで、頭に血が上ったリザベルが、マハトールの顔を空いた手で殴ろうとして思いとどまる。
先ほどまでボコボコにしていたはずのマハトールが、まったく効いた様子もなく涼やかに微笑んでいたからだ。
突き刺した方の手に、違和感を感じる。
見るとマハトールの腹部の傷が、物凄い勢いで修復されていきリザベルの腕を飲み込んでいる。
さらに、加えてマハトールに両手でその腕をがっしりと掴まれる。
「なっ! なんで?」
「どうですか? 私のお腹の中、温かくて気持ち良いでしょう? フフフフ」
悪魔らしい笑みを浮かべて、首をコテッと傾けながらケタケタと笑うマハトール。
管理者の空間で聖属性習得の為と常に身体を傷つけられ、挙句聖属性の回復魔法を浴びせられ。
接種できる水分は、全て聖水絡み。
聖属性結界で瞑想。
気まぐれにマサキが降らせる聖水の混じった雨。
常に身を焼かれつつも、邪神と善神の加護のある世界。
闇の魔力もふんだんに溢れる世界で、存在が消滅することもなく。
傷付いた身体の回復も早い。
いつしか、彼は超回復を手に入れていた。
加えて、聖属性吸収によって、ヒールなどの回復魔法で回復する事も出来る。
自身はまだ扱える事は出来ないが。
その代わり彼の身体を流れる血液や、体液はほぼ聖水が混ざっている。
人でいう毒手や朱砂掌と呼ばれるものに近いかもしれない。
毎日聖水や聖属性に身体を捧げて来た彼は、聖属性を身に宿した悪魔なのだ。
そんな悪魔の体内に手を突っ込めば、必然的に聖水に似た性質の血液や体液に触れる事となる。
「ぐうううう……あちー! なっ……何が……てめー、レッサーじゃねーのか?」
「レッサーデーモンですよ? グハッ!」
リザベルが聖水に焼かれ激痛が走る自身の右手を引き抜こうと、突き刺した腹の中で腕を動かすと内臓をさらに傷付けたのかマハトールが血を吐く。
リザベルの顔に向かって。
「ギャアアアアアア!」
「おっと失礼……胃を引き裂かれたもので、我慢できませんでした」
顔から蒸気が上がり、肉を焦がしたような匂いが立ち上る。
リザベルは空いた左手で自分の顔を掻きむしりながら、マハトールから離れようと暴れる。
が、その手はがっしりと掴まれており、マハトールの体内にある腕からも激痛が走る。
「酸かてめー! ただのレッサーじゃなくて、変異種か?」
溶けるような感覚に対して、酸を吐かれたのかと勘違いしたらしい。
「いえ、生まれたての普通の悪魔です」
「その頑丈さといい、俺の身体に傷を入れられる謎のスキルといい普通じゃねーだろ」
下を向いて顔に付いたマハトールの血を、左手で一気に払い落すと半分爛れた顔で睨み付ける。
「ただ、ちょっとティータイムに聖水で淹れた紅茶を頂いて来ただけですよ? まだ、お腹に残ってたみたいですね。それが掛かったのでしょう……」
「はっ? 聖水で淹れた紅茶? そんなもん、飲めるはず……」
「毎日頂いておりますよ? それからこれ? 知ってます?」
「……なんでテメーがそれに触れられるんだ? お前……悪魔じゃねーだろ! 正体を現しやがれ」
マハトールが懐から摘まみだした宝石を見て、リザベルの顔色が変わる。
その宝石は白とも黄金とも言える光が、石の中でチロチロと炎のように揺らめいていた。
いわゆる、聖光石と呼ばれる聖魔石の一種。
邪を払う聖なる光を放つ、教会の光魔石替わりに使われているものだ。
「やだな、何度も言ってますが悪魔ですって……生まれたてのね?」
「やめろ! 放せくそがっ! オラッ!」
空いた左手でマハトールの胸や顔を叩く。
もはや殴るではなく、大人に腕を掴まれた子供がひたすら暴れて逃げ出すように叩きまくる。
「そんな大口開けてて良いんですか?」
「ぐっ! グエエ「駄目ですよ、吐き出したら」
喚き散らしていたリザベルの口に取り出した宝石を放り込む。
すぐに吐き出そうとした彼の口に掌を当てて、それを防ぐ。
「うう……」
「おや、随分と可愛くなっちゃいましたね」
徐々に力が抜けていくリザベル。
力なくマハトールの胸をポカポカと叩くのを見て、ようやくマハトールが手を放す。
自分の腹に刺さったリザベルの腕をゆっくりと抜いて行くと、その先から傷が塞がっていく。
「何てことをしやがる……聖光石を飲み込ませるなんて」
飛んでいるのも辛そうなリザベルが、虚ろな目でマハトールを見つめる。
マハトールの口がニヤァっと三日月のように歪み、唇の端が頬まで裂ける。
真っ赤な口から、綺麗に並んだ牙が覗く。
「だって……そっちの方が楽出来るでしょ? こんな風に」
そしてフワリとマハトールの姿が、その場から消える。
「なっ、速すぎるぞっ! てめー、この野郎やっぱり! 三味線引いてやがったのか!」
マハトールが一瞬でリザベルの背後に移動すると、背中をトントンと叩く。
慌てて振り返ったリザベルに向かって、マハトールがニイッと顔を歪めると上を指さす。
「上に何が!」
そして上を見上げるリザベル。
「グッ」
その瞬間、リザベルの腹にマハトールの手が突き刺された。
初歩中の初歩。
相手の視線を逸らせるための嘘……
言葉ではなく、状況と雰囲気を利用して見事に嵌めて見せマハトール。
いくら殴っても倒れない。
腹を突き刺しても、平気で喋る。
体内に聖水を取り込んで、平然としている。
あげくに聖気の塊ともいえる聖光石を直接手で触れる。
後半はレッサーデーモンどころか、悪魔種ならほぼ不可能な行動だ。
デーモンロードでどうにか出来るかといったところ。
ありえない事実に混乱した状態で、それをもたらした相手が上を指差したならば。
考えるよりも先に身体が反応してしまったのは、当然だろう。
だが、そんな初歩的なブラフに騙されるなど、アークデーモンのプライドが許さない。
目の前でニヤ付いているマハトールに向かって、リザベルが最後の力を振り絞って口を開く。
上級魔族の奥の手の1つである【闇の咆哮】を放つために。
今なら、奴の腕をがっしりと掴んで押さえている。
このまま真っ正面に放てば、奴の頭は消し飛ぶだろう。
確実に……
そう思い、全身の闇を口に集める。
身体を包んでいた闇のオーラが薄くなり、本来の姿が現れる。
彼がまだレッサーデーモンだった時の、特徴の無い黒としか表現の出来ない悪魔らしい姿。
取った!
そう思った瞬間……
彼は目を見開く。
マハトールの持つそれが、視界に入ったため。
「やらせませんよ」
「ちっ!」
イビル・ロアを放つ寸前に、彼の口にマハトールが取り出した小瓶が放り込まれる。
次の瞬間、リザベルの口の中で闇の気が弾ける。
すでに攻撃状態へと向けて収縮されていたそれは、彼の口腔をズタズタに引き裂き……
「ギャアアアァァァ……!」
その傷口に、小瓶に入っていた液体が染みこむ。
叫び声を上げたことで、喉にまで達したそれは咽頭を焦がし口から血なまぐさい煙が掠れていく悲鳴とともに吐き出される。
小瓶の中身は聖水。
割れた瓶は聖魔石が混ぜられたガラス。
口の中でイビル・ロアを拡散させた正体だ。
さらに傷口に塩ならぬ、聖水。
悪魔にとっては、えげつないことこの上ない。
「おや、気を失ってしまいましたか? 起きてください……私が味わった苦しみはこんなものではありませんから」
ぐったりと動かなくなったリザベルと叩き起こす、マハトール。
「うう……すまん、謝るからちょっと勘弁してくれ。体内の聖魔石のせいで、頭痛に吐き気、関節痛……「いえ、謝って貰わなくても結構。味わった苦しみというか、味合わせてくれたのは私の主ですから?」
「えっ?」
主に味合わせられた?
それって、八つ当たり?
俺関係無い……そんなことを考えるリザベル。
「悪魔も……鍛えたら、聖属性無効出来るようになるんですよ? まずは身体の汚れを落としましょうか? この聖水球で」
そう言って、マハトールが水球の魔法を放つ。
地面に置いてあった樽が割れると、そこから水が集まって来る。
作り出すのではなく、そこにある水を操っての水球。
ちなみに、その水の正体は聖水。
「えっ?」
聖水球という悪魔とはまず結びつかない単語。
そして、聞いた事の無い魔法。
思わず聞き返す。
次々に樽が割れて、出来上がった水球は直径3m程。
「えっ?」
予想を超える、あまりの大きさに驚きの声をあげるリザベル。
というか樽に聖水を準備していたことにも驚きだ。
ゆっくりとその聖水球が近付いて来る。
「えっ?」
何故かその中にマハトールが先に入る。
「まずは、アークデーモンがどれほどのものか、お手並み拝見といきましょうか」
「ギャアアアアア!」
そのまま腕を掴まれ、水球に引きずり込まれる。
断末魔の叫び声っぽいものが街に響き渡ったような気がした。
だが、マハトールの攻撃はそれで止まない。
「ほらっ、起きてくださいよ」
「ヒイッ!」
すぐにマハトール自身の闇の力を補充されて、目を覚ますリザベル。
おかしいおかしいと感じていたが、改めてマハトールをしっかりと見る。
彼が纏う闇のオーラ。
それが初めに見た時とは全く別人のように、巨大に肥大している。
「なっ……なんだ、そのオーラは」
「えっ? ああ……すいません、これから本気になろうかと思いまして」
マハトールは管理者の空間で、上質な闇の魔力を常に浴び続けていた。
そのため、彼が内包するそれはすでにアークデーモンを凌ぐレベルで蓄えられていた。
加えて、聖気すらも身に宿している。
全身を聖気が巡っているため、意識して体外に放出しなければ外から見れば、彼の闇のオーラはミニデーモンよりのレッサーデーモンのそれに等しい程度にしか目に映らない。
だが、いま彼は全力で外に向けて闇のオーラを放っている。
「ば……馬鹿げてる……その濃度……その闇……デーモンロードクラスじゃねーか!」
「ふふふ、でも……進化出来ないんですよね」
笑いながら人差し指に闇の力を集めるマハトール。
「だから、憧れの【闇の咆哮】を放つ事は出来ませんが、こんな事なら出来ますよ?」
「ギャアアアッ!」
闇を飲み込む闇の一閃がリゼベルの肩を貫通し、腕を吹き飛ばす。
「さてと、私が付き従う最凶の主に対して、下賤呼ばわりした罪……償って貰いましょうか?」
「近づくなあっ!」
傷だらけの口腔をさらに苛めてリザベルより放たれた【闇の咆哮】。
だが、それはマハトールの身体にぶつかった瞬間に彼の纏う闇に吸収される。
「ふむ、いま何かしましたか?」
「ば……馬鹿な……」
マハトールは【闇の咆哮】が当たった場所を、埃でも払うかのように手でパッパとふるう。
「良いですよ、その表情……実に美味しそうだ」
「来るな……来ないで!」
体内に聖光石を突っ込まれ力が十全に発揮できない状態で、必死にその場から逃げようと反転して翼を広げる。
「あっ……ああ……」
目の前には、さっきまで反対側で対峙していた悪魔の笑顔があった。
その瞬間リザベルが全てを諦める。
「な……なんで……最初から、本気出してたらすぐに終わってただろう……」
「私は臆病なんですよ……なんせ生まれたてですからね」
「ば……ばけもの……」
「本物の化け物にそう呼ばれるとは、光栄です」
次の瞬間、一瞬で数十発の拳がリザベルの顔面に叩き込まれる。
宙に浮かぶことも維持できずに落ちそうになるのを、頭を掴まれて止められる。
「簡単に許されると思わないでくださいね? 主を馬鹿にされたのがバレたら……私も殺されちゃいますので」
「そ……そんな……そんな人間が「居ますよ? おっと先輩方まで来てしまいま……えっ? 調子乗り過ぎ? ちょっと? はっ?」
「なんだ? どうしたんだ?」
それまで恰好を付けていたマハトールが、リザベルの背後に無音でホバリングする集団に対して途中で表情を変える。
「いや……はい……すいません。ちょっ、いや……ヤメテ!」
「はあっ?」
直後白い影がリザベルの頬を横切り、マハトールの顔が半分消し飛ぶ。
すぐに再生が始まっているが、先ほどまでと比べて圧倒的に遅い。
それ以上に、リザベルが混乱する。
格下と思っていた相手が、自分より上位のデーモンロードに匹敵する闇の力を隠していた。
しかもレッサーデーモンのままで。
聖属性まで併せ持つ異質な存在。
圧倒的な上位に位置するであろうレッサーデーモンに、心底恐怖した。
が、その相手がガタガタと震え始め。
自分の頬を生きる事を諦めてしまいそうな殺気と聖気が通り過ぎた瞬間に、目の前の上位種の顔が半分吹き飛んだのだ。
ようやく顔の再生が終わったマハトール。
真黒な顔をしているはずなのに、真っ青を通り越して白く見えるのは気のせいだろうか?
リザベルはそんな感想を抱く。
マハトールの背中には羽の生えた白蟻が掴まっていて、彼の顔を横から覗き込んで顎をカチカチと鳴らしている。
リザベルにはそれが死神に見えた。
彼の瞳にはそう、蟻の白い顔がまるで牙の生えた人の頭骨のように映っていた。
「貴方が私の主を馬鹿にする……はい、すいません。私が回りくどいことをしたからです……申し訳ありません。主には黙……え? 遠見の鏡で一部始終見られてる? すぐに怒らなかったのが悪い?」
「……」
蟻と会話するマハトールの言葉に、リザベルの顔まで青くなる。
「俺に対する忠誠がまだまだ足りないとぼやいていた? 仲良くなったつもりだったけど、発言に対する怒りを後回しにするってことは、どこか心の奥でそう思っているのかなと寂しそうに呟いていた?」
マハトールがマサキに対して忠誠を誓っているのは、恐怖心故だ。
彼に反省を促すために、マサキは能力による服従を使っていないから。
妄信的に苦痛を受け入れさせないようにするために。
「いや、そういうつもりでは……私も本気でムカつ……」
事実、ちょっとだけマハトールもリザベルがマサキをこき下ろすのを許容してしまった部分はある。
そして、それはバレバレだったと。
「マズイマズイマズイ……あの先輩、一緒に謝っ……えっ? 主に寂しそうな表情を一瞬でもさせたことは万死に値する? いや、あの人的に先輩がそう動くだろうって計算でわざと表情を作った可能……なんでもありません! なんでもありませんから、チクらないでください! ああああああ、この会話も聞かれてる! そうだった! ワーワーワーワー!」
「……」
リザベルは目の前のマハトールを見て、自分が終わった事を悟る。
主に対する暴言を少しでも見逃しただけで、自分を圧倒したこの悪魔がここまで怯えるのだ。
暴言を吐いた本人である自分がどんな目に合うのか。
想像しただけで死にたくなる。
「えっと……一緒に謝りに行きませんか?」
「クッ……殺せ」
「駄目です! 貴方が死んだら怒りの矛先が全部私に向かってきますので」
「貴方の主に全面的に忠誠を誓います。そもそもマハトールさんがわざと弱いフリして、私に勘違いさせたのが全部悪いのです! こんなに強力な方を従える事の出来る程の主だと知っていたら、すぐに手土産持って挨拶に向かってました!」
「おまっ! 私の主が会話を盗み聞きしてるって聞いたからって! ズルいぞ!」
「はて?」
「わー噛まないで! 盗み聞きとか言葉のあやだから! 言い間違いだからー!」
「うわぁ……舌の根も乾かないうちに。私なら、何があっても主の事を第一に考えて尊重するけどなぁ?」
「ちょっ、ズルい! 悪魔ズルい!」
リザベル……陥落。
マハトール半死刑、確定!