第114話:唆す者、忍び寄る者
「なかなかと、良い町じゃないですか」
上空から翼を生やした黒い人型の存在……いわゆる悪魔と呼ばれるものがシビリアディアを眺めながら呟く。
横に同じように中空に立っているフードを被った男が、小さく頷く。
フードを目深にかぶっているため、性別は分からないが。
もしかしたら、女かもしれない。
「少しくらい人が減っても分からないでしょうね……あの辺の方達とかなら」
右の口角だけを上げて、唇の形を三日月のようにに歪めて笑みを浮かべる悪魔に対し、フードの人物は手を振って1つの建物を指さす。
その指が示す方向にあるのは、シビリアディア国立総合学園。
「あそこに、貴方の良い人が居るんですね」
悪魔に言われて、フードの下に隠された顔が少しだけ笑みを浮かべていた。
「もう、行かれるので?」
用件は伝えたとばかりに、フードの人物は踵を返し魔法陣を浮かび上がらせる。
悪魔の問いかけに返事はない。
悪魔が軽く肩をすくめると、肘を直角に曲げてお腹の前に手を持ってくると執事のように頭を下げる。
「それでは、好きにやらせてもらいますか」
「フッ」
フードの人物は顔だけ横に向けて軽く笑い声を漏らすと、そのまま魔法陣の中に消えて行ってしまった。
その後ろ姿を眺めながら、悪魔が微笑む。
そして指を鳴らすと、空中で跪くという不思議な光景を生み出す悪魔が新たに3体現れる。
「新たな楽園ですよ。精々、目立たないように暴れましょう」
「「「はっ」」」
3体の悪魔が短く返事をすると、その場から掻き消える。
街の中へと忍びこんだのだろう。
1人残されたそれは、いわゆるデーモンロード。
爵位持ちの悪魔だ。
彼の名前はヴィネ。
階級は下から2番目の伯爵。
ヴィネは大きな屋敷を見つけると、そちらに向かって飛び立っていく。
「私に相応しい家ですね」
そう呟き、途中でその姿をかき消した。
――――――
2年生になって1ヶ月過ぎて、だいぶ新しい学年にも慣れて来た。
というか、クラスメイトが変わらないのだから特に大きく変わったことはない。
「マルコ君、もう水は飲めそうですか?」
話しかけて来たのはゲイズ先生。
選択科目の野営を教えてくれる先生だ。
いま、習っているのは飲み水を確保する方法。
川の水とはいえ侮ることなかれ。
中には寄生虫などもいるらしいので、本来なら直接飲まない方が良いらしい。
まずは濾過から。
筒、今回は竹筒だがその底に小石を敷き詰めて、その上に焚火で出た木炭を軽く砕いて入れる。
そして小さな砂利を被せて、布を上に丸めて入れてから水を流し込む。
簡易濾過装置だ。
これなら泥水でも、かなり汚れを除去できるらしい。
今回は泥水に見立てた木の実を細かく砕いたものを入れた水を使っている。
流石に貴族の子に泥水を飲ませるのは、色々と問題があるようだ。
濾過装置を通って流れ出た水は多少は濁っているが、飲めなくはなさそう。
念の為にその水はさらに煮沸して、冷ました方が良いと。
なるほど。
「大丈夫そうです」
「うんうん、ちゃんと出来てますね」
今回は班ではなく個人での作業。
必ずしも、他に誰か居るとは限らないし。
他には革袋に草を入れて、太陽光で水を抽出する方法……はあまり集まらないらしい。
朝露を集める方法もある。
膝に布を巻き付けて、草原を歩き回るだけ。
中々に効率は良さそう。
先の方法よりは。
蒸留水を作る方法は、鍋の中央にカップを置いて濡らした布で蓋をして……
うん、布を湿らせる水があるならそっちを飲んだ方が良いと思う。
時間は掛かるが、乾いた布でも良いとの事。
横目でチラリと見ると、クルリは竹を切るのに手間取ったためまだ濾過の途中段階だ。
ディーンはすでに、木のカップに水を入れて飲んでいる。
今回も火起こしでズルをしていた。
けどまあ、魔法が使えるなら無理に火おこしを覚えなくても良いか。
なんで、この授業取ったんだろう?
授業が終わって教室から出ると、廊下に例の双子が。
カールとリコだ。
「こんにちわ」
「ふんっ!」
「気安く話しかけるな」
マサキは気に入ってるみたいだけど、全然可愛くない。
正直、ムカつく。
けどまあ、躍起になってもリコが調子に乗るだけなのでマサキを見習って大人の対応。
フッと鼻で笑ってみせる。
「お前、本当にムカつく奴だな」
「なんか、初めに会った時の余裕が感じられませんが? もしかして効いてますの?」
マサキがいう通り、リコは鋭い。
すぐにムキになるカールは、そこまで気にならないけど。
というか、こういう姿を見ると少しだけ溜飲が下がる。
そこに、丁度帰り支度を終えたエマとソフィアが出てくる。
2人が嬉しそうに駆け寄っていく。
「エマお姉さま! ソフィアお姉さま!」
「あら、2人とも待っててくれたの?」
「はいっ! 今日もサロンに顔を出されるのですよね?」
「ごめんね、今日は一旦家に帰って着替えてから、マルコ君達と街に出る予定なの」
「えっ?」
そうなのだ、今日はベントレーとジョシュアと新しく出来た喫茶店に行く予定だった。
その話を聞いたエマが「なんで私達も誘わないのよ!」と言ってきたので、仕方なく5人でお出かけすることとなった。
いや、サロンでも上等なお茶出てくるじゃんとは言える雰囲気ではなかった。
リコとカールがこっちを睨み付けてくる。
僕、全然悪くないし。
いや、ここは大人の対応をしないと。
「フッ」
「ムカつく―!」
「やっぱり大人げないですわ!」
どうやら少し勝ち誇って見えたらしい。
普通に余裕の笑みを浮かべたつもりだったんだけどな。
マサキみたいに、上手に出来ないなー。
っと、ここでこのままだとまた子供扱いされそうだ。
マサキだったら……たぶん。
「ああ、新しい喫茶店が目抜き通りに出来たんだよ。君たちも一緒にどう?」
うん、彼等を誘うだろうね。
ソフィアが大好きなのは伝わってくるし。
関係無いといえばそれまでだけど、彼等の大好きなソフィアとの憩いのひと時を奪った訳だし。
「良いのですか?」
「なんで私達の時は誘わなかった癖に、リコたちは誘うのよ!」
ソフィアが申し訳なさそうにこっちを見てくるが、その横でプンプンと怒っているエマに全て持ってかれてしまった。
エマもまだまだ、子供だな。
「何よその目は!」
おっと、表情に現れてしまったらしい。
「あっ、貴方がどうしてもっていうなら、行ってあげても構いませんわ」
「こら、リコ!」
「良いって、2人ともどうしても一緒にお茶したいな」
「仕方ないなー」
「ソフィアお姉さま! この方はやっぱり軽いですわ!」
カールはちょっと照れくさそうに笑って、簡単に了承してくれた。
それに引き換えリコは……
やっぱりリコは好きになれそうにない。
「弟さんがいらっしゃると、大人びてみえますね」
期せずしてソフィアの評価が上がってしまったようだ。
そういうつもりじゃ無かったんだけど。
どっちかというと、自分の心を守るためだったんだけど。
――――――
一旦家に戻って着替えてから、上流区の入り口で皆で待ち合わせる。
すでにジョシュアとベントレーが来ていた。
今回の護衛はルドルフさんと、アリーさん。
そしてローズ。
ルドルフさん以外は女性2人が護衛だが、彼女たちたっての希望だ。
彼女たちも新しく出来た喫茶店の噂は聞いていたらしい。
暫くして全員集まったので、歩いて例のお店に向かう。
途中で武装した兵士を見かける。
普段より多い気がする。
「最近物騒な事件が増えているみたいだな」
警備の為の衛兵を眺めていたら、ベントレーが話しかけて来た。
「浮浪者の不審死が相次いでいるんだって?」
ジョシュアも話に入って来る。
数週間前からシビリアディアでは、突然死した浮浪者が度々発見されているらしい。
目立った外傷は無いが、苦悶の表情を浮かべて胸を押さえている遺体が数体見つかったらしい。
伝染病が疑われたが、どれも死因は心臓麻痺とのこと。
寒い季節には時折見られたが、この時分には珍しいことらしくちょっとした話題になっている。
「噂じゃ、悪魔の仕業だとか」
「へえ、それは怖いね」
取りあえず話を合わせる。
とはいえ、被害者は浮浪者だけ。
そこまで本腰入れての捜査は、行われていない。
ちょっと警備の人員が増えたくらい。
「なんだよお前、悪魔が怖いのか?」
「怖いねー……いきなり現れて、大きな鎌でザクっとやられたらどうしようね」
「……」
カールが馬鹿にしたように話しかけて来たので、ちょっと揶揄ってみる。
想像したのか、黙り込んでしまった。
「何やってるのよアイツは」
そんなカールの姿を見て、エマ達と話していたリコが呆れたように漏らして溜息を吐いている。
それにしても、悪魔か。
マハトールなら、何か分からないかな?
そこまで大事になっていないから気にしてなかったけど、街の至るところでもそういった噂話はされているらしい。
普段はあまりなれ合わない浮浪者達も、いまは複数人で活動しているとか。
あまり暗い話題をするのもと思い最近の選択科目の話や、ヘンリーの事を話しながら目的の喫茶店に到着。
喫茶店の名前はアームス。
武器屋喫茶だ。
ベルモントにある武器屋喫茶に訪れた人が、王都でやり始めたらしい。
一応マスターに許可は取っているとか。
ただ条件として、美味しい飲み物と軽食を提供できることというのが付け加えられたとか。
この店のマスターは律儀にもそれを守って、きちんとした食堂で修行を受けて来たらしい。
武器もそれなり以上のものを揃えているらしく、徐々に話題になってきている。
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃい」
カランコロンという子気味よい来客を伝える鐘が鳴って、マスターとその奥さんらしき人が笑顔で出迎えてくれる。
20代中頃だろうか?
思ったよりも、若い。
「へえ、武器屋喫茶ってどんなところかと思ったけど、なかなか面白そうね」
エマが中に入るなり、壁に掛けてあるハルバードやロングソードを見て頷いている。
「良い匂いだ……期待出来そうだな」
ベントレーは店内に染み付いたコーヒーの匂いを嗅いで、そんな感想を述べている。
カールはやっぱり男の子だな。
エマの横に立って、飾られた武器に目を輝かせていた。
「あら、マルコじゃない」
……
ベルモントの武器屋喫茶と似た雰囲気の店で、思わず懐かしく感じて周囲を見渡して居たら1人の少女に話しかけられる。
「なんで居るんですか」
「お忍びよ」
声の先にはフレイ殿下が、ユリアさんとケイと一緒にお茶を飲んでいた。
「フレイ殿下?」
「えっ?」
遅れて気付いたエマとソフィアが素っ頓狂な声を上げている。
それもそうか。
まさかこんな、普通のってこともないけど、おおよそ王族が行きそうにもない喫茶店に王女殿下が居るなんて思いもよらないだろうし。
分かるけど。
第二王女だもんね。
しかも、下には王子も居るわけだし。
王族としては、自由が利く方だもんね。
それにしても、自由過ぎないかな?
「ベルモントで連れて行ってもらった武器屋喫茶が気に入ったので、王都にも出来たということで最近はお気に入りなのよ? あっ、でもマスターには私の素性は秘密にしておいてくださいね皆さん」
悪戯っ子のような表情を浮かべてそんなことをいうフレイ殿下に、カールとリコ以外の全員が微妙な表情を浮かべる。
リコは本物のお姫様を目の前にして、緊張しているらしい。
カールに至っては、状況がよく呑み込めていないのだろう。
ただ、この子はすぐに思ったことを口にしそうだし。
と思ってリコを見ると、僕の視線ですぐに察したのだろう。
カールの口を塞いで、なにやら耳打ちしていた。
うんうん、以心伝心?
目で合図しただけで分かってくれるなんて……この子は本当に恐ろしい。