第98話:クコの一日
「ふっふっふ、国が一つ手に入った……これで色々な実験が出来そうだ」
クロウニに事後処理を丸っと放り投げたあと、管理者の空間でクエール王国を眺めながら思わず笑みが零れる。
カブトが前を横切った時に、フッと嬉しそうに笑ってくれた。
そうか、お前も分かってくれるか。
土蜘蛛からは、なんとも言えない冷めた視線を貰ったが。
ラダマンティスは何やら新たに決意を固めていた。
うんうん、何を頑張るんつもりだ?
そんな事を考えていたら、クコが飛びついてくる。
おうっふ……
鳩尾にフライングヘッドバッドをもろにくらって、ズシリとした鈍痛が走るの。
「マサキおにい! 勉強終わった! 遊ぼ!」
「こらっ! マサキ様はいま忙しいんだから、邪魔しちゃだめでしょ!」
「ああ、ちょっとまだクロウニの対応もあるから、これが終わったらな」
「むう」
俺の言葉に、クコが頬を膨らませる。
「わかった! ひとりであそんでくる」
そう言って、トテトテと神殿から出て行ってしまった。
まあ迷子になることも無いだろうし、良いかな。
――――――
クコの1日は、自室で目が覚めてから始まる。
「またやっちゃった……うぅ」
布団に盛大な世界地図が描かれている。
たまにこうして、お漏らしをする。
「もう、だから寝る前にトイレいきなつったでしょ!」
姉であるトトがプリプリと怒りながら、布団をベッドからひっぺがして外に干す。
トトはこの神殿で雑用係として雇われている。
まあ3人とも、マサキにとっては保護対象みたいなものだが。
熊獣人の父親の譲りの丸く控えめな耳と、狼獣人の母親譲りのフサフサと大きな尻尾。
耳をペタリと頭に付けて、尻尾がシュンと垂れ下がっている。
「なんだ、またか」
そこに彼女たちの保護者であるマサキがやってきて、布団からおしっこだけ吸い取ってくれる。
左手で吸収して、トイレに直接送っているらしい。
「すみません、いつも」
トトがマサキに頭を下げる。
このまま、布団は干すことにしたらしい。
「マサキおにい、ありがとう!」
クコ布団が綺麗になったことで、ニパッと子供らしい無邪気な笑みを浮かべる。
クコの双子の兄であるマコは、早朝から起きて戦闘の訓練を行っているのですでに部屋には居ない。
3人が住んでいるのは、管理者の神殿からすぐ傍にある居住区に建てられている。
部屋の作りは1階が3LDKで、2階にも2部屋ほど部屋がある。
とはいえクコとマコは同じ部屋で寝ているし、彼女たち自身あまり物が無い為実際の使用スペースは1階の2部屋だけだが。
クコが起きた頃に、マコがようやく帰ってくる。
「疲れたー! トト姉腹減ったー」
扉を開けるなり、バタバタとトトに近づいて袖を引っ張る。
そんなマコの頭をトトが優しく撫でる。
「その前にドロドロの服を洗濯籠に放り込んで、水浴びて来な! その間に用意するから」
「うんっ!」
マコが笑顔になると、急いで外の井戸に向かう。
「こらっ! 靴下脱いで! 泥だらけじゃないの! なんで、靴履いててそんなに汚れるのよあんたは」
「えへへ、分かんない」
子供の謎の1つ。
何故か靴を履いているはずなのに、靴下が真黒。
靴下を脱いで手に持つと、パタパタと裏口から外に向かう。
裏口から井戸までは屋根がつたっていて、地面には木の板が張られている。
マサキの気分で雨が降る事もあるので、その時に井戸で水汲みすると濡れてしまうからと用意された。
意外と雨が落ちる音が好きなマサキは、時たまそこそこの雨量の雨を降らせることがある。
雨の音を聞きながら目を閉じて1人黄昏ているマサキは、トト達から見たら様になっている落ち着きのある男性に映っている。
まあ、彼の地球での友人や普通の感覚からすれば、自分に酔っているナルシストに見えなくもないが。
とはいえ事実、雨音にはリラクゼーション効果もあるため、好きな人も意外と多い。
屋根に雨が落ちる音を聞きながら読書をしたり、のんびりと家で過ごすのは割と気分が落ち着く。
「トトおねえ! てつだう!」
クコが台所で朝食の材料を並べている、トトの元に駆け寄っていく。
マサキが用意した住宅では魔石ではなく、普通にガスコンロがあり簡単に火を着けることが出来る。
が、実際にこの世界では火の魔石で簡単に火を着けることが出来る為、そんなに凄いものではない。
むしろガス漏れの心配等も無いので、子供しかいないこの家ならこの世界の窯の方が良いのではと思う。
「ありがとう。じゃあ、まずは椅子をもっておいで」
「うん!」
手元のつまみを慣れた手つきで操作して火を着けていたトトが、近付いてきたクコに踏み台を用意するよう伝えると小さな椅子を取って来る。
この台所はちょっとクコにとっては高いので、普通にやったら耳しか台所から見えない。
なので、こうやって椅子の上に立って台所を使っている。
「じゃあ、手を洗ってから卵を割ってくれるかな?」
「うん!」
こうやってクコが手伝ってくれることが多いが、クコが手伝った日の朝食はスクランブルエッグでほぼ確定だ。
トトだけの時は、目玉焼きだけど。
「あっ! きみがわれちゃった」
高確率で黄身が崩れるからだ。
「からが」
あと卵の殻も落ちるし。
だからあらかじめボールに入れて貰っている。
殻が落ちても、簡単に取り除けるし。
「手で取っちゃだめ」
慌ててボールに手を突っ込もうとするクコを、トトが注意して菜箸を渡す。
マサキが箸を渡して使い方を教えている。
箸が使えた方が、色々と便利だし。
トトはどうにか上手に使えるようになったが、クコは全然。
だから片手に1本ずつ持って、両手で挟むようにして殻を取り除く。
「じゃあ、混ぜて! あっ、あんまり勢いよく混ぜちゃだめだよ」
「うん」
トトに注意されたにも関わらず、シャバシャバと凄い勢いでボールをかき混ぜるクコ。
台所に卵が飛び散っている。
あと顔にも。
ステンレスだし、汚れてもすぐ拭けば綺麗になるけど。
「ほらっ、こぼしすぎ! 勿体ない!」
彼女らが最初使用するのもためらわれたピカピカのいかにも高級な台所が汚れる事よりも、こぼれた卵が気になるあたり貧乏生活が体の芯まで染み付いているようだ。
いや、感覚としては正しいのだけど。
汚れは拭けば取れるんだから。
「じゃあ、今度はお皿を用意して」
「うん」
調理の手伝いはここまで。
流石に火の扱いまでは、させてもらえない。
朝食の準備が終わるころにマコが戻って来たので、一緒に食卓を囲む3人。
今日のメニューはカワザキの食パンにスクランブルエッグ、焼いたベーコンとコンソメスープ。
野菜サラダ。
本当に数ヶ月前からは想像もつかないような御馳走。
夕食がこれでも、小躍りしてしまうような豪華メニューだ。
「それじゃあ、今日も美味しい物が食べられることをマサキ様や、農家の方々、鶏や豚に感謝して。いただきます!」
「いただきます!」
「いただきまーす!」
いただきますの習慣はマサキが教えた。
それにトトが感謝の気持ちをより強くするために、毎回こうやってマサキや食材、生産者に向けて感謝の言葉を口にしてから食べている。
本当に、素晴らしい子供達だ。
朝食が終わると、トトが洗濯を始める。
マコは午前の勉強まで、少し仮眠をとる。
というか、朝食の途中で毎回うつらうつらとし始めるので、午前の勉強まで少し余裕を持たせてある。
物凄く眠そうにしながら、というか途中意識を飛ばしながらもしっかりと完食するマコ。
中々に、食い意地が張っている。
食べ終わると、自分の食器をきちんとさげてからフラフラと布団に向かう。
クコは洗濯を手伝ったり、手伝わなかったり。
机を拭いたあとは、居間でお絵かきをしていることが多い。
「それは、マサキ様と土蜘蛛様か? 上手に描けてるじゃん」
「うん! マサキ様が土蜘蛛様に叱られてるところ」
「そっ、そっか……」
絵には子供らしい歪な丸に、不揃いな目。
ほっぺはピンクにくりくりと塗られていて、頭には申し訳程度に髪が数本。
身体は四角、三角、棒、丸が組み合わせて描かれている。
土蜘蛛は丸の組み合わせに、棒が沢山。
そんなに土蜘蛛に、足は無い。
一度トトがやんわりと足は八本だよと教えてあげたら「これはおけけなの!」と、逆に怒られてしまった。
どこまでが足で、どこから毛なのか……
その判断に非常に迷ってしまうほどの、画伯っぷり。
いや歳相応だ。
それが終わると、クロウニによる勉強会。
「はいっ、じゃあクコさん! 前に出てあいうえおを書いてみてください」
「はいっ!」
クロウニに当てられたクコが前に出て、踏み台に乗って一生懸命背伸びしてあいうえおを書く。
一応読みはあいうえおだが、日本とは全く違う字体。
蚯蚓が這ったような文字だが、下手なわけではない。
いや、下手ではあるが。
壊滅的ではない。
「よく書けました! ただ、うはこうですよ」
「えへへ、わかりました!」
クロウニに指摘されて、えを書き直すクコ。
頭を撫でられて、嬉しそうに笑って席に戻る。
「じゃあ、次はマコさん! かきくけこを書いてください」
ちなみに授業中はクロウニの事は先生、生徒たちはさん付けで呼ぶルールにしている。
なんとなく、その方が学校っぽいし。
「出来ました!」
「うん、全部微妙に違うね」
1つずつクロウニによる手直しが入る。
マコはあまり勉強が得意ではない。
とはいえ、戦闘技術の方はメキメキと上達しているので、将来は冒険者として大成するかもしれない。
教えている先生が、素晴らしいということもあるだろう。
主に虫達を相手にしているので、魔物相手でもそれなり以上に立ち回れるだろうし。
対人戦は時折マサキが見てやっているので、実質ベルモント流の弟子でもある。
4歳にして、すでに戦闘の英才教育を受けているのだ。
「最後にトトさん、さしすせそを書いてください」
「はいっ」
前に出てスラスラと文字を書くトト。
クロウニが満足そうに笑顔で頷く。
「流石はおねえさんですね。上手に書けてます」
「ありがとうございます」
クロウニに褒められて、ちょっと恥ずかしそうにはにかむトト。
家でも復習をちゃんとやっているので、勉強に関してはやはり2人よりは遥かに先にいっている。
学校にすら通えず、勉強なんて一生出来ないと思っていた彼女は、教えてもらえるという環境に心から感謝をしている。
それに学ぶ喜びも大きい。
そんな彼女が能力をメキメキと伸ばすのは、必然だろう。
「みんなちゃんと覚えているようですね、それじゃあ先に進みましょう」
前日までに習った事の習得状況を確認したあと、本格的に授業が始まる。
本を読んで、文字の読み書きを習う。
それからその文章の中から、登場人物の感情の読み取りや、代名詞が差す言葉を考えて読解力を深める。
他には算数や、社会情勢、歴史、一般常識などの授業行われる。
体育は午後から勝手に運動しているので、授業では行わない。
美術や、家庭科なども生活をしながら覚えていく。
そうして午前の授業が終わると、マサキのところに集まって皆で昼食。
お昼ご飯は土蜘蛛と愉快な眷族達が作ってくれる。
「きょうはね、きつねがカボチャをたべたら、あたまがはまってぬけなくなっちゃうはなしをおしえてもらったよ」
「なんだ、その話」
こっちの世界の教科書を使っているので、マサキが知らない話がちょいちょい出てくる。
たまにクコの話で地味に興味を惹かれることがあるので、マサキもたまに教科書を開いて読んでいるが。
『30歳で魔法使いになった男の冒険譚』
戦士としてずっと物理で頑張っていた男が、30歳の時にたまたま魔力適正を図ったら何故か4属性魔法の適性が大幅に伸びていて、そこから魔法使いを目指して大成するというものだ。
30歳で魔法使いか……
変な想像をする、マサキ。
『ゴブリンの嫁入り』
あまり興味が湧かない……いや、一周回って読んでみたいと思わせるタイトル。
『吾輩は竜である』
なかなかに文学的な内容をうかがわせる。
『魔王と勇者っと』
うーん……
『となりのトロルロード』
確実に滅びる未来しか見えない。
たぶん、鬱展開。
でも気になったので、紹介文を読んでみる。
なになに二人の姉妹と、おおらかでのんびりやさんの不思議なトロルロードのほのぼのとした出会いの話?
……
フカフカで大型のキラータイガーの馬車っぽい乗り物が子供達に人気……
ただ箱はなく、キラータイガーの中に乗ると……
のちにトロルロードのくれた装備で、魔王に捕らわれた母親を助け出す。
勇者の剣を持って急に行方がしれなくなった妹を、姉や村人が探すシーンでハラハラ。
そしてトロルロードの遣わしたキラータイガーに泣きながら抱き着いて、「妹が行方不明なのよさ」と泣きながら訴える姉にドキドキ。
魔王の殲滅級魔法が発動すると同時に、キラータイガーから飛び降りて勇者の盾でそれを防いだ姉に一同興奮?
そして、勝手に先走った妹をしかり、泣きながら謝る姉に全シビリア国が涙?
ちょっと、この物語書いた奴と紹介文書いたやつ出て来い! とマサキが本を地面に叩きつけると不機嫌そうな善神様が。
「お前か!」
と思わず、礼儀も忘れて怒鳴ってしまったらしい。
邪神様がすぐに善神様をドナドナしていったらしいが。
たぶん、他にも何作か世に残しているのだろう。
そして、昼食はマサキに合わせてなのでとても豪勢。
お肉や野菜などが、地球の調味料や香辛料で上手に味付けされて出てくる。
それにこの世界にあまり見ない、揚げる、炒める、蒸すなどといった手法も使われている。
地方によっては、こういった技術も使われているが。
「これ……美味しい」
ただのお浸しにすら、感動するレベル。
「うわあ、ニクジャガだ!」
「土蜘蛛様のニクジャガって最高!」
今日は和食攻めらしい。
他にも味噌汁や、天ぷら、茶わん蒸しなどが並んでいる。
「いっつもすごいりょうりばっかり! つちぐもさまさすが」
クコに褒められて、土蜘蛛が嬉しそうに微笑んでいる。
まあ、土蜘蛛はこれを食べる事が出来ないが。
それでも、作った物を喜んでもらえるのは彼女にとっても嬉しいらしい。
「ングング!」
マコはひたすら口に詰め込んでいるが。
喉に詰まらせること無く、器用に噛んで飲み込む彼はフードファイターとしての素質もあるかもしれない。
午後からはまた勉強を少しして、トトは神殿内の清掃を行う。
クコは完全に好き勝手に遊んでいるが。
マコは素振りをしたり、クコと一緒に駆けっこなどをして体を鍛えたり。
3人ともこの空間に引っ越してから、大分経つが肌艶もよくなってきて少しふっくらとしてきた。
「うーん」
そんな自分のお腹を摘んで、トトが唸っている。
なんだかんだで彼女もレディ。
体形の変化が気になるらしい。
「どうした? お腹でも出て来たか?」
「むうっ」
そしてトトをただの子供としか見ていないマサキの言葉に、あからさまに不機嫌な様子のトト。
女性と思っていないとしても、女の子にこのデリカシーの無い言葉。
いや、半分わざとだったりする。
「大丈夫これから縦に伸びるんだから、いまはしっかりと食べて栄養を蓄えないと」
「両方に伸びたら……」
「ふふ、トトは可愛いから大丈夫だって」
「私が嫌なのです」
その感覚がよく分からないマサキは、首を傾げて土蜘蛛から何かを受け取る。
「ほらっ、おやつのクッキー貰ったから、クコとマコを呼んで休憩にしよう」
「うう……」
お腹とクッキーを見比べて、ガックリと肩を落とす。
「はいっ!」
それから、元気よく返事してクコとマコを呼びに行くトト。
美味しい物を我慢することは、無理だったらしい。
冒頭のシーン
――――――
カブトの場合
「ふっふっふ、国が1つ手に入った……これで色々な実験が出来そうだ」
ふと神殿の前を歩くと、機嫌の良さそうな笑い声が聞こえてくる。
どうやら、主にとって何かいい事があったようだ。
主の機嫌が良いと、俺も気分が良い。
――――――
土蜘蛛の場合
「ふっふっふ、国が1つ手に入った……これで色々な実験が出来そうだ」
神殿の傍を歩いていると、気持ちの悪い笑い声が。
どうやらマスターが、また碌でも無い事を考えているらしい。
ほどほどにして、もう少し子供達の相手をしてほしい。
溜息を吐いて、先に向かう。
――――――
ラダマンティスの場合
「ふっふっふ、国が1つ手に入った……これで色々な実験が出来そうだ」
そうか……
主に向かう危険が増えねば良いが。
まあ、何が来ても切り払うのみだが。
――――――
最近はいつも隠れて覗き見ているジョウオウの場合
「ふっふっふ、国が1つ手に入った……これで色々な実験が出来そうだ」
はあはあ……なんて意地の悪い表情ですの。ああ、あんな表情で責められたら妾はどうなってしまうのでしょうか。
あの歪な口の形。
きっと、この国を足場に世界征服でも考えているのでは?
ゆくゆくは世界を統べる王に……
歯向かう者には、無慈悲に対処しそうですし。
そのお手伝いが出来たら……きっと。
でもわざと失敗して、木の枝で打たれるのも魅力的……
いけませんわ……鼻血が……
――――――
「お前に血は通って無いだろう」
タブレットからジョウオウの様子を眺めていたマサキが呟く。
空間内の事は全て把握できるマサキに、盗み見ていることがバレているなど……
「こんないけない妾を見て、主様は何を思っているのか想像しただけでご飯三杯は……」
知ってて当然だったりする。
「お前はご飯も食わんだろう……」
マサキが溜息を吐いて、ジョウオウカメラを小さくして画面の下に寄せておく。
行動が不審すぎて、つねに画面の一部に映しているのだ。
それすらも、彼女にとっておかずかなと思いつつ。
放置する方が危険だと判断。





