第88話:異様
なんど同じミスを繰り返せば……
明日の朝7時分を間違えました( ノД`)
長かったような、短かったような夏休みも終わり今日から学校後期が始まる。
とはいえ、初日は始業式とホームルームくらいだが。
ベルモントでのことを思い出しながら、ファーマさんと学校に向かう。
ローズは、今頃屋敷でおじいさまと訓練中。
この間の襲撃で護衛として不甲斐ない姿を見せたため、自らおじいさまに訓練を申し出たのだ。
初日には後悔することになっていたが。
「最近、自らわしに教えを乞う者がおらぬでのう。張り切ってしまうわい」
と満面の笑みで準備運動をするおじいさまに、もうやめたいと言い出せないらしい。
日に日に、ローズの目から光が失われているのが少し心配。
夏休みの終盤は3日に1度、アシュリーとお出かけできた。
護衛が5人も付いてきたけど。
街で手を繋いで歩いていると、住民の人達からニヨニヨとした笑みを向けられてちょっと恥ずかしかったけど。
横に並ぶアシュリーが誇らしそうだから、我慢した。
ラーハットで買った貝のブローチがお気に入りで、デートの度につけて来てくれたのは嬉しかったな。
夏の日差しも和らぎ、シビリアディアも大分過ごしやすくなった。
久しぶりのスレイズ家は特に変化もなく、強いて言うならおばあさまがちょっと口五月蠅くなったくらい。
「男の子だからって、そんなにやんちゃしたらスレイズみたいになりますよ」
と常に、語尾におじいさまみたいになると付いてくる。
襲撃事件で無茶をしたことで、かなり信用を失った様子。
とはいえ誇らしい部分もあるらしく、向けられる眼差しはまだ優しいものだったけど。
久しぶりの学校は、少しドキドキする。
皆、元気だったかな?
友達との再会が楽しみだったりする。
とはいっても、王都に戻ってからエマやソフィア、ベントレーとジョシュアには会ったんだけどね。
流石にセリシオは大人しく、王城で自主学習に励んでいたらしい。
たまにはこっちから、声を掛けてあげても良いかなと思えるくらいにしおらしい。
少し気持ち悪い。
教室の前に立つと、緊張する。
本当に、久しぶりだ。
「おはよう」
「おはよう!」
「マルコ、おはよう!」
教室に入ると、先に来ていた子達が挨拶をしてくれる。
「ぉはよぅ……」
「……よう……」
約2名、物凄く暗い挨拶だったけど。
折角の夏休みだったというのに、憔悴しきっている。
「げ……元気だった?」
「元気に見えるか?」
「ムカつく……」
駄目だ……
負のオーラが滲み出ている。
夏休み前のテストで50位以内を取れなかった2人。
「マルコ、近寄るな……馬鹿がうつるぞ」
ブンドの辛辣な物言いに、2人が怨念の籠った瞳で怨嗟の声を漏らす。
「勝ち組共が……」
「テストの日に風邪を引けばいいのに……」
「人が落ちるのを待つんじゃ無くて、自分が這い上がる気力が無い奴には負けんよ」
「ちょっと、ブンド様。挑発しないでください」
アルトが慌ててブンドの袖を引っ張って、諫めている。
相変わらず、この2人は仲良しらしい。
「夏休みの間に、勉強のコツを伝えに行ってたくせに」
「折角この俺が教えてやったのに、未だに女々しい事を言うあいつらが情けないだけだ。やる事はやったんだから、落ち着いて次のテストを待てば良いのに。もっと、自分に自信を持てばいいのに」
ブンドの言葉に、2人が俯いて歯ぎしりをしている。
なんだ、ブンドもブンドなりにクラスメイトを気遣って、手伝ってあげてたのか。
まあ、元々同じ伯爵家の子相手には面倒見の良い子だったし。
ちょっと、選民思考というかエリート思考が強いだけで、親分肌ではあるし。
良い方向に転ぶと、かなり頼れる子なんだけどね。
それから、ヘンリーを見つけてそっちに向かう。
「おはようヘンリー」
「おはよう……」
うっ……
こっちも暗い。
「どうしたの?」
「別に……」
反応も悪い。
すぐに会話が途切れてしまった。
話しかけづらい雰囲気を出すヘンリーに、少し気まずい思いをしつつ誰か来ないかなと思って入り口の方をチラチラと見る。
何人か女の子のグループが入って来て、ようやく見知った顔を見つけてホッとする。
「おはよう、ベントレー」
「おはよう、マルコ! ヘンリー!」
「おはよう……」
ベントレーに対しても、ヘンリーは伏し目がちに挨拶を返す程度。
「どうしたんだ?」
「さあ? 朝から、ずっとこの様子でさ」
「……さい」
ベントレーが心配そうに僕に訪ねてきたけど、僕もなんでヘンリーがこんなに暗いか分からない。
肩をすくめて首を横に振ると、ヘンリーの方から小さな呟きが聞こえてくる。
「何?」
「なんでもない」
こっちを見ようともしないヘンリーに、ちょっとムッとしたけでベントレーと顔を見合わせて取りあえず、2人で話す。
「夏休みは世話になったな。ちょっと、最後の最後でケチがついたが」
ヘンリーがピクリと反応を示すのが、視界の端に映る。
「ベントレー、絶対にセリシオの前でその話題出さないでよ?」
「ああ、そのくらいは分かってる」
それからベルモントでのことや、ラーハットでのことを振り返って色々と思い出話に花を咲かせる。
途中でジョシュアも加わって来たけど、ヘンリーは相変わらず黙って机をジッと見つめている。
「ラーハットも良い街だったな」
「うん、魚も美味しかったし」
「そう……良かった」
ヘンリーの方をチラチラ見ながらジョシュアがラーハットの事を褒めたので、乗っかってみたが反応は芳しくない。
最初はムッとしたが、段々と心配になってくる。
もう一度声を掛けようとしたときに丁度教室の扉が開いて、エマとソフィアが教室に入って来た。
「あっ、おはよう皆!」
「おはようございます」
「おはよう、エマ! ソフィア!」
「元気だった?」
「こないだ会ったばっかりじゃん!」
2人が真っすぐ、こっちに向かって来る。
「エマ! 大丈夫だった? 怪我とかはしてない?」
「えっ? あっ、おはようヘンリー。私は、大丈夫だけど、ソフィアが危なかったんだ」
「そう……」
2人を見てヘンリーがガバッと立ち上がるとエマの方に駆け寄っていって、心の底から心配するように声を掛けるのを見て、思わず全員で苦笑いする。
エマの事が心配で、気が気じゃ無かったのかな?
「エマは攫われてすぐにアリーが助けてくれて、マルコが受け止めたけど……私は連れ去られちゃって、本当に不安で」
「でも、マルコが1人で助けに行ったんだよねー。カッコよかったぞ」
「マルコが……」
ソフィアがその時の状況を軽く話して、エマが僕を冗談っぽく褒めてくれたので思わず照れ笑いを浮かべつつ、頬を掻いて誤魔化す。
ただ、その言葉を聞いたヘンリーがこっちを見た表情は……ゾッとするほど冷たく、酷く濁った瞳だった。
「無事で良かったよ……」
「あっ、ヘンリー! そろそろ先生が来るよ」
ヘンリーはそれだけ言うと、立ち上がって教室の入り口に歩いて行く。
引き留めたが、全く反応を示さず教室から出て行った。
「なに、あいつ? 自分から、聞いてきたくせに」
「本当に心配だったんじゃない?」
それからセリシオとクリス、ディーンが教室に入って来た。
全員が立ち上がって挨拶する。
「結局ディーンも、セリシオの登校組に入ったわけだ」
「全く……毎朝、毎朝迎えに来られたら、流石にお父様がうるさくてね。困ったものですよ」
「ディーン、本当は嫌なのか?」
そんな心配そうな目で見るなよ。
王子の癖に情けなく見える。
でも、まあ今は仕方ないか。
「嫌ではないですが、私は自分のペースで行動したいので」
「じゃあ、俺がお前のペースに合わせてやるよ」
「はあ……」
空元気かもしれないが、前向きに迷惑な提案をするセリシオにディーンが深いため息を漏らす。
「そういえばさっきヘンリーとすれ違ったが、あいつどうしたんだ?」
「ブツブツ1人で呟きながら、まるで俺達に気付いていない感じだったけど」
「少し、危ない雰囲気だったな」
それからセリシオ達から、ヘンリーの様子を聞かされる。
本当にどうしたんだろう。
皆が、なんとも言えない微妙な表情を浮かべている。
始業式が始まるころには、教室に戻って来ていたが声を掛けても反応が無いので、そっとするしか出来ずモヤモヤとした思いのまま学校生活が始まった。
「エマ! 一緒に帰ろう!」
「えっ? いや、ソフィアと帰るから……」
「私は、別に一緒でも構いませんよ?」
ホームルームが終わると、朝の雰囲気はなんだったんだといった明るさでエマを誘うヘンリー。
エマが若干引き気味に断ろうとしていたけど、ソフィアが許可してしまったために困った様子のエマが助けを求めるように僕たちの方を見る。
「じゃあ、皆で帰るか?」
「えっ?」
「あー……うん」
「良いよ」
見るに見かねたベントレーが全員で帰る事を提案すると、ヘンリーだけが微妙な表情を浮かべていた。
流石にこれには、僕もジョシュアも苦笑いしか出来なかった。
正面から文句が言えない、そんな雰囲気がある。
ただ単に態度が悪いとかじゃなくて、なにかピリピリとしているというか。
いま、刺激したらまずいなと言った雰囲気だ。
――――――
「エマ! 明日迎えに行こうか?」
「えっ? なんで?」
「なんでって……」
「ていうか、私ソフィアのとこにお世話になってるし……ソフィアも居るし」
「そっか……」
ソフィアの家であるエメリア邸に着いて、別れ際にヘンリーがそんな事を言い出した。
声は明るいし、表情も笑顔なのだけどどこか怖い印象を受ける。
そしてエマがソフィアが居ると言ったとき、一瞬だがさっき教室で僕に向けられたような冷たい視線でソフィアを睨んだのを見逃さなかった。
その後ヘンリーにあれこれ話しかけてみたが、下を向いたまま無言で歩き続ける彼に流石に声を掛ける気も無くなってしまった。
エメリア邸からしばらくは一緒に歩いていたが、不意にベントレーが足を止めてヘンリーの肩を掴む。
「どうしたんだ? お前、変だぞ?」
「別に?」
「それに、さっきソフィアに凄い目を向けていたが、あれは流石に無いんじゃないか?」
「うん、僕も見たけど。どうしたの? ソフィアと何かあったの?」
「……さい」
ベントレーも、さっきのヘンリーの目を見ていたらしく、少し強めに咎めている。
僕も思う処があったので、一応心配になって理由を尋ねてみるが、小さな呟きが返って来ただけだった。
「えっ?」
「うるさいって言ってるんだ!」
「なんだ、その言い方は!」
「ベントレー、駄目」
「よせ!」
急に怒鳴りつけてきたヘンリーに、ベントレーが思わず掴み掛かったのでジョシュアと慌てて止めに入る。
「ヘンリー今のは、君が悪いと思う」
「黙れ……もう、僕に構うな!」
「えっ?」
「マルコばっかり……」
「ヘンリー?」
「フフフ……そういえば、パドラってどうなったのかな?」
「何を言ってるの?」
急に頓珍漢な事を言い出したヘンリーに、思わず顔を顰める。
ベントレーの表情が少し青い。
それに、ジョシュアもかなり引いている。
「あはは、ごめんね。じゃあ、僕は先に帰るね……」
それから妙に明るい声で僕らに手を振って去っていくヘンリーを、ボーっと見つめる事しか出来なかった。
「あいつ……マルコと仲良くなる前の……昔の俺みたいだ……」
「ベントレー?」
横でポツリと呟いたベントレーに視線を向けると、なんでも無いと笑って誤魔化された。
――――――
「おはようマルコ、昨日は急に帰ってごめんね」
「そ……それは、別に良いけど」
「あっ、ベントレー。昨日はうるさいとか言って、ごめんね」
「お……おう」
次の日は、いつものヘンリーのように見えた。
普通に会話も出来たし、もしかしたらエマの無事な姿を見て気持ちが落ち着いたのかもしれない。
「ベルモント楽しかったね……ベントレーは上手にルビー磨けてたし、僕はいまいちだったけど」
「そんな事無いぞ? ヘンリーのも石はともかく、台座はかなり器用に出来てたじゃないか。あれ、桃じゃなくてハートだろ?」
「いいよ、僕のなんてどうでも……どうせ、貰ってもらえないし」
「あっ、ああ……」
普通に会話をしてても、言葉の端々に何か引っかかる物言いが出てくる。
やっぱり、何かおかしい。
ただ、ヘンリーは僕と2人きりになるのをどこか避けているようで、必ず誰かが居ないとあまり口を利いてくれない。
「エマ、今日も一緒に帰ろう!」
「あー、ちょっとソフィアと寄る処があるから」
「えっ? あっ、はい」
「そうなの? 付いて行って良い?」
「いや、女の子のお店だから」
「大丈夫だよ! 待っててあげる」
ただ、エマに対して変な方向に積極的で、最近ではヘンリーがエマをしつこく誘って、彼女が僕たちに助けを求めて全員で帰る事が増えて来た。
流石に気の強いエマも、今のヘンリーを刺激するのは怖いらしく、凄く怯えた表情を浮かべる事がある。
これ以上は放置できないと思い、意を決してヘンリーに声を掛ける。
「ヘンリー、ちょっといい?」
「なにー?」
ヘラヘラと笑いながら返事をするヘンリー。
だが、その目が全く笑っていない。
正直、怖い。
「パドラが何してるか分かったのー?」
「えっ?」
「だって、マルコもパドラが嫌いなんでしょー?」
「いや、そういう訳じゃ……」
「なんでー? 友達苛められたんでしょ?」
ニヤニヤしながのんびりとそんな事を言うヘンリーが、不気味なものに見えてくる。
駄目だ。
ここで、逃げたら本当にヘンリーがおかしくなる気がする。
「ムカつくよねー……エマに怖い思いさせたなんて……僕とマルコなら、彼女潰せないかな?」
「いや、もう学校にも来てないし……」
「そんなんで良いのー? なんでエマを襲ったのに、彼女まだ貴族やってるのー?」
「そ……それは、彼女がやった訳じゃないじゃん」
「ふーん……相変わらず良い子ちゃんだねー」
「ぐっ」
少しずつこっちににじり寄ってきたヘンリーが、下からこっちを覗き込む。
無理矢理口角を上げたような、造り物の笑顔。
「襲われたのがアシュリーでもそんな事言ってられるの?」
「いや、でもクロウニ男爵は罪を償ったじゃないか」
「死んだらお終い? 良いよねー……一瞬で終わったんだから」
「ヘンリー! どうしたんだよ!」
「分からないかなー? もし、マルコが王都にいる状態で、アシュリーが誰かに襲われたらどうする?」
「すぐに、助けに行く!」
ヘンリーの言葉に思わず怯みそうになったが、すぐに言い返す。
アシュリーに何かあったら、すぐにでも駆け付けるつもりだし、僕なら出来る。
「出来るの? 間に合うの? いや、襲われた時に教えて貰えるとは限らないよ?」
「……」
ヘンリーの言いたい事を理解して、今度こそ言葉に詰まる。
「分からないよねー……マルコ達が襲われて、数日してから伝えられた僕の気持ちなんて……エマが辛い思いをしてた時に、のんびりと家で過ごしていた僕のやるせなさなんて……」
「でも、無事だったんだから……」
「無事だった? そう? 無事じゃ無かったかもしれないよね? 一度、その状況になってみないと、マルコには分からないかー……アシュリー、今も無事かなー」
そんな事を言って、手を開いて掌をジッと見つめるヘンリーを見て悪寒が走る。
今の、ヘンリーならとんでもないことをしでかす。
そう感じる雰囲気が、今の彼にはある。
「ヘンリー! アシュリーに何かしたら、いくら君でも許さない!」
「おー怖い……でも、僕の場合は何かされた後だったんだからさ……」
そう言って一旦言葉を区切るとニヤニヤとした笑みを消して、完全に表情の抜け落ちた顔でこっちをジッと見つめてくる。
「その気持ちが分からないくせに、勝手な事言わないでくれるかな?」
「……」
「しかもだよ? エマも、ソフィアもマルコが助けたんでしょ? カッコいいねー。エマも、カッコ良いって言ってたし……マルコばっかり……ズルい……ズルい……なんで、マルコばっかり。ラーハットも結局街の魅力だけ。僕の魅力なんて、そこには何にもない。ベルモントでは、マルコが全部企画して皆を楽しませて、皆がベルモントとマルコを褒めて。エマが襲われた時も、マルコが活躍して……僕だってその場に居たら、きっとエマを助けたのに……ソフィアも、ベントレーも、殿下も、皆マルコ! あー、僕もマルコみたいになれると思ったのにな―……マルコのように剣が使えるように頑張ったし、マルコみたいに色々な事を思いつけるように勉強したし……なのになんでマルコ? 僕の方が成績だって良いのに……マルコ、マルコ、マルコ、マルコ! ディーンも……お父様だって……マルコだ! 欲しい物全部、マルコが持っていく……」
小さな声で、俯いて捲し立てるように呟くヘンリーに、思わず後ずさる。
「あー……マルコが居るから、僕が目立たないんだー……」
「ヘンリー……」
「でも、マルコの事大好きだからさ……僕は、マルコを許してあげる。ビビった? マルコでもビビることあるんだね? 僕如きに怯えたの? マルコにもなれない、ヘンリーという人間としての魅力も無い僕如きに? あははははははははははは! 面白いね! こんな僕でも、マルコを怯えさせられたなんてさ! はははは……はぁ……笑った」
言いたい事を言い終わると、壊れた人形のように首を揺らしてケタケタと笑うと満足したのか、無表情に戻る。
そして何を考えているのか分からない仮面のような表情を張り付けたヘンリーが、横を通り過ぎるのを追いかけようとしてすぐに諦めた。
今の彼に、なんと声を掛けていいかが分からない。
(昔の俺みたいだ……)
ベントレーの漏らした言葉が、頭の中をリフレインする。
でも、ヘンリーの嫉妬の対象は僕だ。
おかしくなった原因の僕が、どう声を掛けたらいいのだろうか……
心にぽっかりと穴が開いたような、喪失感に襲われたままその場に立ち尽くす。
なので、朝投降分はありません(-_-;)





