第2話
目の前のメイドは、祖父の屋敷に仕えていた。剛もそこでたまに目にしていた。
身長は160㎝の半ばほど。黒髪を、前髪は斜めに分けてピンで止め、後ろは結い上げているという、メイドらしく清潔感が漂う髪型であった。
そして剛が目にするときはいつも丈の長いスカートのメイド服を着用していた。
剛の印象では常にかっちりとした、いかにもメイドらしいメイドであったはずだ。
しかし今目の前にいる彼女は、剛の記憶の中のメイドとはおよそかけ離れていた。
かつて皺ひとつなかったメイド服はボロボロになり所々破けており、艶のあったきれいな黒髪は傷んでボサボサになっていた。
特筆すべきは、露出している顔や手の皮膚が、破れて(・・・)、中の機械が露になっていたことだ。
そう、彼女は、
アンドロイドであったのだ。
※
「あ、あの!」
何故祖父の屋敷にいたメイドが今このよくわからない世界にいるのかはわからなかったが、アンドロイドとはいえ意志疎通ができる存在に出会えたので、何かしら情報も得ることができるかもしれない。
またこの半日ほどで早くも感じていた寂しさも薄れた喜びで、剛は勇んで話しかけた。
しかし、
「ミミミ、ミトウロクシャ、ノ、カクニ、ン、ン、ン」
「ナ、ナナナ、ナマエ、ノ、トウロク、ヲ、オコナイマス、スス」
メイドはそう告げると、ギギギと音を立てそうにぎこちなく右腕を挙げ、剛に機械部分が露出したその掌をかざした。
「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※07895432175422235」
そして大分長い理解不能な言葉の羅列を発したかと思うと、剛とメイドを中心にして二人の足元に、複雑な幾何学的な模様が記された魔方陣のような光輝く円が広がった。
「えっ!? なんですかこれ!?」
剛は焦って問うたが、メイドは構わず話を続ける。
「オナマ、オナマエヲ、オシエ、テ、クダ、サイ、イ」
メイドは剛のことを覚えていなかったのだろうか。祖父の屋敷で会った時、少しだが何度か話したこともあったのだが。
「俺ですよ! じーちゃんの屋敷で何回か会ったじゃないですか!」
「後藤の孫です!」
この言葉が、彼の後の人生を、ある意味大きく決定付けた。
「※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※」
「ゴート・マゴンテス、サマ、トトト、トウロクガガ、カンリョウ、シマ、シタ」
「は!? ゴート・マゴンテス!?」
メイドの、謎の呪文めいたもの以外では、ゴート・マゴンテスという発音だけが綺麗にできていた。
どうやら剛は間違って何かに名前を登録されたらしかった。
「俺は何に名前を登録されたんですか?」
「………」
尋ねてみたがメイドは沈黙を保っていて、解答は得られなかった。
「ここは日本ですか?」
「………」
いくつか質問を変えて問うてみたが、結果は同じだった。
2117年には人々の生活の中にアンドロイドは普通に存在していて、目の前のメイドのように屋敷でメイドをしていたり、他には工場で作業をしていたりと、人々の生活をより楽なものへと変えていた。
しかし、業界での命題となりつつあったが、人工知能に人間の感情というものを与えるまでにはまだ至っていなかった。
それにしても彼女達は流暢に話したし、感情があるかと見紛うかのように人間とほぼ変わらない受け答えができていた。
目の前のメイドも祖父の屋敷で会った時はその例に漏れず質問にも答えてくれたし、会話が成り立っていたはずだが、今は壊れてしまっているのかそうではない。見た目からして大分老朽化が進んでいるようなので、おそらく色々と異常を来しているのだろう。
あらかた質問しても、剛の存在を認識してはいるようだが、沈黙を守り続けてその場に佇んでいるだけであった。
ここがどこなのか等、必要な情報は何一つ得られなかった。
※
「そうだ、飯だ」
剛はさ迷っていた目的を思い出した。
とりあえずその他諸々は棚上げすることにしよう。
「どっか食糧あるとこないですかね? 飯、食事、食べ物、アイムハングリー、食糧」
半ば諦めながら聞いてみると、メイドはゆっくりとした動作で踵を返しどこかへ進んで行く。剛は後に続いた。
※
メイドに付いて行き辿り着いたのは、その施設の7階、最上階の一室であった。
最上階は、廊下には赤いカーペットが敷いてあり、高そうな絵画や壺などが飾られていた。剛にはよくわからなかったが、その部屋の家具もまたアンティークのような高そうなものが揃っていた。
部屋の真ん中に何人もが食事できそうな大きなテーブルがあり、そこの椅子の一つをメイドが引いてくれたので、剛はそこに着席した。
しばらく待っていると、どこかへ行ったメイドがカートに料理を乗せて運んで来た。
メイドが剛の前に皿を並べてくれたので、剛は礼を言って食べてみた。
見た目は普通のディナーのようで、スープは湯気も立っており、どれもできたてのようだった。味も高級料理店のもののように美味しかった。
「食材とかどうなってるんですかね? どこで保存してるとか」
「………」
案の定答はない。
まあいいかと思ってありがたく全部平らげた。
食べてみた感じでは妙な味はしなかったが、万一食材が腐っていてどうにかなったとしても、そのときはそのときだ。
ステーキなど普通に牛肉だと思ったし、スープの野菜なども日本にある食材だった気がする。
「御馳走様でした。おいしかったです。この料理はあなたが作ったんですか?」
「………」
「ところでこの施設は何の施設なんですかね? じいさんの会社のマークがあったけど」
「………」
「一体ここはどこなんだろうなぁ?」
「………」
「………」
終いには剛も黙った。
「独り言が板に付いてきた気がする。まあいいか。自分で色々見て回ろう」
その施設を探索してみた結果、地上階は1階から4階までは目覚めた所と同じような何かの研究施設で、5、6階は日本のオフィスビルのような内観で、7階だけが高級ホテルのようになっていた。人が居住できるような部屋がいくつもあったし、どれも豪華であった。目覚めた施設もそうであったが、どの階層も先程見てきた外の建物と比べて保存状態も良かった。
特に目ぼしいものは見つからなかったし、メイドも先程の彼女以外は見当たらなかった。当然人間も。
「地下にも行ってみよう」
1階に降りると、割れた窓ガラスから見える外は暗くなっていた。夜が訪れたようだ。
「寝るのは7階のどっかで寝るか。ベッドメイキングとかされてたし」
地下をある程度探索したら今日は寝ようなどと、そんな呑気なことを考えていた矢先であった。
ゾクリ…。
剛の背筋に言い知れない不気味な感覚が走った。
それは、剛が格闘技をやっていたから感じ取れたのか、はたまた生物であるが故に本能に訴えかけてきたのか、それはわからないが、とにかく得体の知れない感覚に全身が総毛立った。
呼吸が速くなる。
何故か叫び出したい衝動に駆られたが、音を立ててはいけない気がして必死に息を圧し殺しながら柱の陰に素早く移動した。
ナニカが動くのが見えた。
その瞬間、剛の全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出す。
鼓動が痛いほど聞こえてくる。
それはさながら、死の恐怖に押し潰されそうになりながらも、生きようともがく生命の必死の抵抗であるかのようであった。
自分の心臓の音でアイツ(・・・)に気付かれてしまうのではないか。剛はそんな焦りをも感じた。
そう、剛の視界に映り混むそのナニカは、
人の形をしていた。