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旅人物語─神の居ない神国  作者: 痲時
第2章 戦の裏舞台
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第7話:「ネイシャ」


 俺の初陣とも云えないそれは、あっけなく終了し、戦としてもリヴァーシン側の大敗に終わった。


 本陣に戻って将軍と再会したら、にやりと口端を上げて笑われた。こういう顔を見ると将軍らしいと思うのは、きっと母国の将軍もよく似た顔をするからだろう。普段はすっとぼけているくせに、戦いのことになると突然人を喰ったような顔をする。軍人とは喰えないやつである。

「まさか本当に女神を連れて来てくれるとはな」

 好きで連れて来たんじゃねぇよと云いたいのだが、そうも云えない。いきなりの人の多さにビビったのか、餓鬼は俺の後ろでまたしても外套を掴んでじっと将軍を見ている。小動物でも飼い始めたような気分になりながら、小さく補足しておく。

「これが天帝の部下の将軍」

「これと来たか」

 少し腹が立っていたとは云え俺の無礼な説明も、将軍は笑って許してくれる。もともとの性格上なのか、女神とやらに気を遣ったのか、この人の場合どちらもありそうだからどっちが正解とは決め辛い。何をしても許される、と云うのは案外怖いものなのだが、それをわかって云っているのだろうか。ひょこりと顔を出した餓鬼は、将軍の顔をまじまじと見た後、小さく呟く。

「あの、てん、てい……の」

 それこそまるで天帝を見たとでも云いたいほどの、不安そうな声。

「直属の部下。──たぶん……だよな?」

「その通り」

 俺の曖昧な記憶に怒ることもなく、将軍は軽やかにその場に跪くと、自然そのまま首を垂れる。

「リヴァーシンのロウリーンリンク嬢、お初お目にかかります。私は天帝直轄騎士団団長指揮下の一隊将軍、ウィリアム・デューグレイトと申します」

 貴族も顔負けの綺麗な挨拶をされると、俺にはやっぱり真似できないと実感してしまう。云わずもがな、餓鬼は天帝の部下が跪いたことに戸惑い言葉も返せずに居る。だがいつまでも後ろに下がって居てもらっても困る、俺はここの人間ではない。ただの通りすがりであって、舞台で云う背景でしかない。だから俺は、背景に隠れている主役を引きずり出すしかない。振り返って餓鬼を見ると、おずおずと俺を見上げて来る。

「云うこと、あるんだろ」

 いや、不思議そうにこっち見られても困るんだけど。

「云うこと……」

「おまえ、自分で出るって決めたんだろ。その理由」

 ただでさえ母国語ではないから言語能力が怪しい上に、もともと話すのだってうまくない。うまく伝えられず、また伝わらないことももどかしいが、俺があまり口出ししてやることでもない。


 だが餓鬼は、ぼんやりと頷くと少し横に出て将軍を見る。そうしてぴんと胸を張って立つと、少しは女神らしく見えるかもしれない。

「天帝は……、平穏をくれるのでしょうか」

「──そのための和平です」

「でも、戦が度々起きます」

「天帝は幾度もリヴァーシン国王と交渉の場を持ち、戦は起こらないよう協定を結ぼうとしていました。それを確約しようとしなかったのは、リヴァーシン国王であり、今回の戦も国王の命だと聞いています」

「国王、が……」

「私が云えば偏った意見のようで申し訳ないのですが、こちらはリヴァーシンに協力して戴きたかった。もともとがあまり地位の高くない集団ですから、細かなところまで気が配れない。古くからある王朝のリヴァーシン神国を先達として、天帝は御国と交渉を行っていたのです。同盟を結び共存して行くため、戦をしないで助け合い、いつかは山脈向こうの戦をなくすために」

 壮大な夢物語だと思うが、その天帝とやらは甘く見ないほうが良いだろう。その夢物語を実際に成し遂げて、現在クレアバール帝国は大陸を半分に隔てる ベンデンデル山脈を挟み、リヴァーシンを抜かした東側すべてを統一した。数年前までは争いしか知らなかった連中を、見事に束ねて見せたのだ。そして今のところ、崩壊の兆しもない。戦の痕跡は残っているものの、帝都から離れたカーヴレイクは予想外に豊かな暮らしをしている。だから現実的に見てその天帝とやらは、本当にそれを成し遂げる能力があるのだろう。と、余所者でやる気のない俺にも、それぐらいは考えられる。問題はそれが宗教化しないことだ。



 餓鬼は静かに頷いて、将軍を見る。

「私は、リヴァーシン・ロウリーンリンクは、リヴァーシンを天帝にお任せします」

「──ありがたきお言葉」

 わぁっと歓声が響き渡る。その声に今まで直立していた餓鬼は、びっくりしたのかまた俺の後ろに隠れる。


「ありがたい、本当にありがたいなぁ」

 将軍は上機嫌に云って、俺に握手を求めてくる。いや、なんで俺なんだ、別に良いんだけど。

「今回の戦における貴殿の貢献は名誉に値する」

「いや、別に好きで連れて来たんじゃねぇし」

「はは、女神もそうだが、敵軍を見つけたことだ。ルイスから改めて聞いたのだ」

 ルイスって誰だ。ああ、もしかして、あの若い隊長か。 莫迦正直な奴だな、自分の手柄にすれば出世できたろうに。

「この働きはしっかり、天帝にお伝えしておいたぞ」

 ああ、教育の賜物か。上司が莫迦正直だと、部下も莫迦正直になるらしい。俺としては余計なことすんなよ、目立つだろうと反論したいが、あまりにも悪意のない笑顔で云われてしまうと、どうにも真っ向から否定し辛い。天帝とやらもこの将軍みたいに莫迦正直な奴じゃあないと良い。戦後に直々に表彰とかされたら非常に困る。まあその前にこの地から去って、もっと先に進められれば問題がないだろうが。

 俺の不満などまったく気付かず、将軍はひとしきり感心している。

「磁石が壊れていたらしいが、貴殿は星読みでもないだろう?」

「だいたいの測定ぐらい、見ればできる」

 国が違えばわかり難いかとも思ったが、大して変わらなかった。なんでもないことだ。大地に立てば方角が必ずある、空をちゃんと見て進めば間違えることはない。まぁだいたいは適当だけど。

「すごいものだな、後々から出してくれた指示も、的確でこちらも充分に助かった」

 そりゃ良かったこと。

「砂漠下の地下道を見つけたのも、貴殿だったらしいではないか」

 あの莫迦隊長。少しは欲を知れ。

「あのようなものまで見つけてしまうとは、予想以上だ」

「いやただの放浪人だから」

「しかし測定もできて王宮の地理も知り尽くしているとなれば、王宮文官とか?」

「勝手に宮仕えにするなよ、製図やってるやつなら誰もわかる」

 あ、云っちまった。

「製図? 貴殿は地図製図士なのか?」

 いや俺、中途卒業だから製図士の免許持ってないから、たぶん名乗ったら詐欺になるんじゃねぇのかな。いろいろ云い訳は浮かぶが、言葉にはしない。それを説明するのは面倒くさいし、何より中途半端ってどう云えば良いんだか、こっちの正確な言葉がよくわからない。だが俺が悩んでいる間に将軍は意外にも感動してくれて、云い訳を聞いてはくれなかった。

「そうか、地図が書けるのか!」

 端的なお答えをどうも。

 そう、ただ俺は、測定されて来たものを、正確に書き起こすだけで良かった。だけど俺には、見えてしまう。測定して来たものの、微妙なずれが気になった。測定に誤差は付きものだが、それとは別に、適当に測定したものは案外すぐにわかる。プライドの高い測定士候補には随分嫌われたことを思い出す。ああ、それで嫌になったんだっけ。面倒くさいから口出しするのは止めようと思ったけど、どうしても気になってしまう。これはもう性格上どうしようもないものだろう。他は全部いい加減なのに、どうして地図だけはそんなに丁寧なのかと、よく妹には呆れられたものだ。

 ずれていると云えばじゃあ自分でやれと投げられ、俺が正確な測定をしてから地図を仕上げ提出すれば、先生が俺を褒め讃えてプライドの高い奴らの鼻をへし折る。あの先生はわざとやっていたと思うが、そういう人間関係が面倒くさい。特にお偉い奴らとの友好関係とやらは、築きたくなくとも疎かにするとどうしても家族に迷惑がかかってしまう。


 だから俺は、製図の道を諦めた。

 元々、そこまで好きだったわけでもない。ただ流されるままにやっただけだ。

 今書いているのは先生への義理と、なんだろう、閑だからか。金もないし。この異国で歩く時に必ず歩数を数えてしまう程度には、測り癖が付いているし。定期的に入る金があると云うのは便利だ。地図の用途が増えれば増えるほど、俺はもうかる。金は腐るほどあるがそれは全部親父の金であって、俺のものではない。俺が稼げるのは、それぐらいだ。




 心底関心したらしい将軍は、俺の背中を叩きそうな勢いで褒めたたえる。

「いやぁ、本当に助かったよ。なんたって、王宮の仕組みも知り尽くしているからなぁ」

「いや、少し考えりゃわかるだろ」

「それが、なぁ」

 今までの笑顔が消えて、決まり悪そうに苦笑する。

「何せ天帝も含め、私たちは王宮とやらに足を運んだことがなくてな」

「──は?」

「平定の時初めて踏み込んだんだが、こんなに広いのかと迷子になったものだ」

 大丈夫かな、こいつら。常識人のように見えるのに、変なところが抜けてる。 よくそれで平定とやらができたものだと、違うところで関心してしまう。

「王宮ってのは、何所も同じようなもんだろ。偉い奴らが助かるようできてる」

 餓鬼の頃はよく王宮に行っていたが、いつからだろう、あんまり行かなくなったのは。もうぼんやりとしか覚えていない。王都を一人でうろついていた時のこととか、そういうのは断片的に覚えてるんだけど、まぁ俺の記憶なんてそんなものか。

「仕方ないさ、私が生まれた国は王宮なんてなかったしな」

「は?」

「王宮を建てようとしていたところを、勢力を伸ばした隣国に国ごと潰されたよ。まぁ今はどちらの国も綺麗さっぱりないし、名前すら覚えていないがな」

 そんな爽やかに笑われても反応に困るのだが、将軍は気にした風もなく続ける。

「みんな派手にぶち壊すからなぁ、天帝は壊さずに前国の王宮を使っているが、それまでの君主と云うものは城に攻め入って破壊してこそ統治だと思っていた。高値が付きそうな瓦礫は良い値になる。古くからの残る王宮なんて、リヴァーシンだけだ」

 どんだけ過激なんだよと半ば呆れかけていたところに、将軍の顔がすっと引き締まった。そう云う顔をいつでもしていたら、正しく天帝直属の部下らしく見えると云うのに。


「──だからこそ、リヴァーシンの知識は欲しかったのだが」

 声のトーンまで下がり本格的に真剣な話でもしてくれるのかと思ったが、次の瞬間には笑顔だった。

「こうなってしまった以上は仕方あるまい、最後まで走り続けるまでだ」

 快活に笑ってさあこちらへと案内される。──おい待て何所に連れて行くつもりだ。流石にこれ以上長居するとまずそうだから、そろそろ辞したいと思っていたのだが、将軍を振り払って後ろへ行こうとすれば、餓鬼が何か云いたそうな顔で見上げて来る。だからどうして急にこんな懐かれないといけないのか。それに気付いたらしい将軍は、にこにこと邪気なく嫌なことを云う。

「女神はビル殿がお気に入りのようだな」

「勘弁してくれ。──って云うか、こいつどうするんだ」

「ロウリーンリンクはリヴァーシンにとって非常に大事なものなのだ。ひとまずは自治に任せることになるが、女神の意思が尊重されるだろう。もうこれからは一般市民だ」

 女神の意思。

 改めて餓鬼を見る。俺が餓鬼餓鬼云うほど餓鬼ではないだろうが、ほとんど妹と同い年ぐらいだと思うと、どうしても餓鬼だと思えてしまう。あいつも少しは落ち着いてがんばっているつもりだろうが、見ているほうが痛いからやめてもらいたい。


 あーあ、あいつのことは放って置いて良いと云うのに。気を抜くとすぐに考えてしまう辺りで、もう俺は、故郷から逃れられないのではないだろうか。






 断る閑もなく将軍に連れて行かれたのは、リヴァーシンから少し離れた村の広場だった。そこで停戦による祝宴が開かれるのだそうだ、暢気だなぁと思ってしまう。パーティと云っても野外で座り込みのささやかなものであったが、劇団による劇も上映された。餓鬼はなぜか、それを喰い付くように見ていた。自分の方が劇の主人公に見えないのだろうか。

 ──劇、かぁ。思い出すのはやはり故郷のことばかりだ。あそこには劇の好きな奴がたくさん居る。しかし故郷の劇とここの劇では、相当に違うのだろう。教養だと云って見せさせられていた劇は、かなり高価なものであったことはわかっているものの、どうしたって見世物だと思うと感動できなかった。だから今回も特に集中していたわけではなく、水分補給しながらぼんやりと視界に入れている程度だった。

「私たちには大丈夫、明日が来るから」

「でもネイシャ……」

「たとえ私たちが今この瞬間に死んでも、この世界には明日が来るから。だからやり直しなんて幾らだってできるのよ。今までのページを捨てず忘れず、新しいページをめくるの」

 そう云って主演女優が微笑んだところだった。

 どかんっとまるで嘘みたいに目の前で火が爆ぜた。だれか花火でも打ち上げたのかと間違えるぐらい、それは唐突で艶やかなものだった。誰一人として動けない中で、ただ煙だけが激しく動いている。そしてそのうち思い出したかのように、ちょろちょろと火の粉が上がりだして、それは瞬く間に巨大化して行く。

「……なっ!」

「リヴァーシンの一派、まさかこんな……!」

 燃え上がる炎に、誰ひとりとして動けない。

 こんなこと、他の国では絶対にない。

 隣で呆然としている餓鬼を、取り敢えず引っぱり抱きかかえる。あまりにも軽いその身体は簡単に持ち上がって、火に巻き込まれたらすぐに燃えてしまいそうなほど儚く感じた。

「レイヴン!」

 流石の奴も無駄口を叩くことなく、天空まで飛翔し水を降らせてくれる。突然空から落ちて来た冷たい水に動揺したらしい声が辺りに響き渡った後、炎はまるで嘘のように静まり、残ったのは最後の公演の残骸だった。

「……今の、なんだったんだ」

 時間にしてもほんの一瞬のことで、誰も何が起きたか理解できなかった。いきなり劇団が攻撃され、火事が起きて、それをレイヴンが消した。たったそれだけのことだと云うのに、劇団員全員と村人数人を焼き殺したその出来事は、あまりにも一瞬過ぎて、誰もすぐに理解が及ばなかった。


「なんだってこんなっ……、くそぉっ!」

 さっきまで朗らかに話しかけて来た若隊長の、虚しい怒りの声が響き渡り、広場は静まり返った。


 ──わけがわからない場所なんですから。

 ルリエールの云っている意味が、ようやくわかった気がした。



 これは本当に、わけがわからない。


・・・・・



 状況を説明され面倒ながらもレイヴンについての説明が付加されると、彼らはさらにおおっと騒いだ。

「あんたすごい人なんだな、いったい何所の国から来たんだ?」

「東の方」

「なんでそんな曖昧なのー?」

 村人たちはすぐ陽気に俺に質問して来て、答える気のない俺はますます萎えてしまう。云う気はなかったしこれではますます云えなくなった。自分はあまりにも、平和な国に居る。現在王位継承で問題が起きているものの、それぐらい些細な問題だと云えるぐらいに。さすがの俺も、こんなにもすぐ、気持ちを切り替えることはできない。





 盛り上がった一団からどうにか離れて、さっきの焼け跡の近くに来てみる。見事に真っ黒だ。肉の焼けた臭いはするが、何所に死体があるのかはわからない。あんな一瞬で大地を焼いてしまうほどの技術を、どうしてこう恐ろしい方向へと使うのだろうか。

 云うのも面倒くさくて省いたが、餓鬼は俺の後を必ず付いて来ている。それだけならまだ構わないのだが、俺の外套の裾を掴んで離さない。もう危なくないと云うのはわかっているはずなのに、さっきからうんとしか云わず、唇を固く結んでいる。流石の女神もショッキングなできごとだったようだ。


 片付けの指揮を執っていた将軍が俺たちに気付いて、俺と餓鬼を見ると笑う。

「すっかり、懐かれたようだな、本当に」

「楽しんでんじゃねぇよ」

「ではビル殿、貴殿には女神の護衛を頼もう」

「は?」

 思いっきり先に行くつもりで居たんですが、俺。

「俺もう行くけど」

「船はまだ出航を許していないぞ。戦はひとまず終わったが、あくまでひとまず、だ。残党がこうして悪あがきをしてくるからな」

 こいつが禁止命令出してるんじゃあないだろうか。ダグを脅して船を出させるか。もっと先に進むためには、レイヴンを振りきらなければならない。そのためには、自力で行くしかない。

「でもその女神に会うってのは終わったし」

「だが女神は一人だ」

「知るかよ、国が守るもんだろ」

「連れ出せ、とは云っていないぞ。彼女は神国の人だしな」

「その神国を征圧してるんだろ」

「平定だ。天帝からは国民の意思を尊重するよう命令を受けているものでな」

「おまえ相当性格悪いな」

「これも国のためだ、軍人なのだから軍師でなくとも戦陣を考える」

 将軍は俺の苦手な良い人そうに見えて、図太く頑固だ。ああ、ここの人の気風なのだろうか。ルリエールとかダグとかそこらもなんとなく似ている気がする。戦の中に生きた賜物か。



 そこへひらりとレイヴンが降りて来て肩口に止まる。だから肩で羽を広げるな、邪魔なんだよ。

「良いねぇ、それ。女神の世話と引き換えに、ビルを休ませてやってくれるとありがたい!」

「レイヴン、おまえね……」

「ぶっ倒れでもしたら俺が怒られるんだっつーの。良いだろ、将軍」

 さっきレイヴンが火を消した際、面倒くさかったが言葉の話せる獣についての説明はした。もう変な力を持っている鳥と云う時点でおかしいのだから、言葉が話せることも黙っているのが面倒くさくなったのだ。目立つことはやめてきたのに、これであっと云う間に変な獣を連れた異国人は有名になってしまう。さっさと違う土地に動かないと、まずいことになりそうだ。

 さすがの将軍も頭では理解しているらしいが、鳥が言葉を話すことに慣れていないらしく、少し戸惑っていた。

「ああもちろん、休んでもらって構わない。女神を連れて来てくれただけで大貢献だ。だが奴らは女神を狙うだろうと云うのはわかっている。もうすぐにでも平定してやるから、それまで女神と居てくれるのなら問題がない」

 戦にはもう加担したくない、いや、加担する権利もないはずだ。

「では女神は貴殿に任せたぞ、ビル殿」

「ビルで良い。そしてやっぱり、女神の護衛はお断りだ」

「何をそんな固辞している」

「俺の近くに居ることが安全とは思えないからだ」

「どういうことだ。貴殿の剣の腕は……」

「そう云う問題じゃあない」

 これ以上の説明は本気で面倒くさいな。

「──次の町へ行きたい」

「ビル」

 レイヴンが煩く羽ばたくが、とりあえず無視。

「せいぜい残党を平定するまで待っては戴けないだろうか」

 本当に残念そうな顔をするものだから、どうしたら良いのかわからなくなってくる。

「いや、だから、俺は……」

 話さないと駄目なのか。なるべくなら話したくない。目立つことなく先に行きたいのに、地図のことやらレイヴンのことやら餓鬼のことやらで、ずいぶん目立ってしまっている。もう既に手遅れのような気もしたが、わざわざ自分はあの国から来たとある家の長男ですと云う説明も面倒くさい。というか説明したところでなんの意味があるのか。

「──訊きたいことがあるんだけど」

「なんだろうか」

「帝国なんだから、それなりの情報力を持っているんだろう?」

 将軍はそれですべて悟ったような顔をする。

「まさか貴殿……」

「違うから。捕まるようなことはしてねぇよ」

 犯罪者と呼ばれるほどの悪いことはしていない、はずだ。いろいろ逃げては来たけど、主に結婚とか当主の座とかそういうものからであって、うん、大丈夫なはず。

「別に隠すことはないぞ。ここはでは国家犯罪者でも腕が立てば雇う。犯罪者より、国家が信用ならないことが多いからな。犯罪者に義があってもおかしくはない」

「だから、幾ら態度が悪くても国家犯罪者にまで仕立てあげないでくれ」

「冗談だ。だが国家犯罪者でも雇うと云うのは本当だぞ。うちの騎士団団長はそもそも最後まで平定に屈しなかった亡国騎士の生き残りだ」

 なんでもありだな、本当に。

 もうこの人はおそらく、俺が説明したところで折れやしないだろう。むしろ説明したら余計に力を貸してくれとか云わんばかりでおそろしい。何も云うまい。

「わかったよ、居れば良いんだろ居れば。だけどこいつを守り切ると云う自信はない。俺が原因でこいつに被害が行く可能性があるって、覚えておけよ」

「それはこちらでカバーしよう、恩に切る」

 余程人手が足りないのだろうか、ほっとする将軍を見ると、手伝わなければならない気持ちになる。首都から遠く離れた土地での平定など難しいだろうに、何がここまで天帝とやらを掻き立てるのだろうか。

「貴殿には相応の御礼をしなければならないな」

「別に要らな……」

 とそこまで云いかけて、

「あ、じゃあ頼みがあるんだけど」

「なんだ?」

「あんた、天帝の側近なんだろ」

「まあ、そうだが」

「あの、ルリエールの宿と孤児院をどうにか残して欲しい」

「──それが貴殿の望みか」

「あ、あとわがままを云えば、港町までの道をもっと歩き易くして欲しい。すげぇ疲れる」

「天帝騎士団団長指揮下ウィリアム・デューグレイト、確かに聞き届けた。必ず天帝に伝えよう」

 そんな大仰なと思うが、この人はいつだってこんなだった。そちらに任せるとしよう。

 西国に行くと云うのはただ書簡を届けると云うだけで、大層な仕事ではなかったのだが、それが西国だと云うだけでかなりの賃金を得た。路銀は旅に最低限必要なだけあれば困らないし、他に欲しいものも特にない。


 執着しているものは、ない。






 将軍が片付けの指揮に戻ると、くっと腕を引かれた。噂の女神様だ。

「どうした」

「声が、聞こえないの」

「ああ、土地が関係してるのかもな」

 適当に流すが、女神氏は落ち着かないようだった。元女神ともなれば、それが怖くなるかもしれない。


「おまえでもさ、人間なわけだろ」

「うん……」

「だったら良いんじゃないか、聞こえなくて」

 そもそも聞こえないのが普通だ。

 ──悪くないものだってあるのよ、私は声が聞こえるし目が見えるもの。

 最悪だ。煩い。

 なんとなく目が合って、じっと見てしまう。祠で見た時より、意外に大人だった。 まあ年齢とかはもうどうでも良い。

「あー、で、あんたさ。ロウリーンリンク、だっけ」

 説明しかけたものの、名前がないのは面倒くさい。だからと云って女神と呼ぶのもどうか。実質もう女神ではないっぽい。そんなどうでも良いことをあれこれ考えていたら、さっきの劇がぱっと浮かんだ。

「──ネイシャ」

「え?」

「長いし……名字だろ、ロウリーンリンクって」

 女神様もどうやら、先ほどの劇を思い出したらしい。役者全員が死んで行った、最後の公演を。

「だから、ネイシャ」

「ネイシャ」

 知らない異国の言葉のように、彼女は呟く。

「まあ気に入らないなら良いんだけど、別に」

「ううん!」

 慌ててぐいと腕ごと引っ張られて、危うく転びそうになる。意外に力がある。おまえねと文句を云おうとしたが、必死な顔で俺を見てくると、何も云い返す気にもなれない。

「ネイシャで……ううん、ネイシャが良い」

「……あ、そう」

 まだ子どもも居ないのに、まさか二人もの名前を考えるとは思わなかった。深く考えずに云ってるだけなのに、もらう側はあっさりとその名を引き受ける。ハヴァーズにしろこの女神にしろ、そんなに簡単で良いものなのか、と思う。

「ネイシャ・ロウリーンリンク?」

「ああ、まあ、良いんじゃない、それで」

 俺的にはどうでも良いんだけど、こいつが今後一生背負っていけるのなら。

「リュース」

 あ、力抜けるな、その呼び方。

「よろしく、お願いします」

 何を思ったのかいきなり頭を下げられて、俺はどうすれば良いのだろう。俺は何をお願いされているのだろう。俺は何に答えてあげれば良いのだろう。

 ──その手を取れば良いのよ。

 なんで。

 ──もし私がお願いって云ったら、ビルは必ず手を取ってくれるわ。

 そりゃそうだろう、おまえの云うことだけには逆らえない。

 ──でしょう、私がビルを好きなのと同じくらい、ビルは私が好きだからね。

 自信過剰な奴だ。

 俺にもこの声が、いつか聞こえなくなる日が来るのか。莫迦みたいに、いつまでもないものにしばられて。


 でも俺は、なくなって欲しくないとも思う。こいつの声を忘れたくない。忘れたくないのに、忘れそうになる。だからいつまでも、この声は消えないのだろうか。


「行くぞ」

 小さくつぶやいて俺は奴の、ネイシャの手を引いて歩き出す。とりあえずはこの地を離れて、安全な場所へと向かうために。


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