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旅人物語─神の居ない神国  作者: 痲時
第1章 生死彷徨う大陸
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第5話:片割れの紐先

怪しまれているのだろうか、と思わずには居られない。


 これほど逃げ出したいと思ったのは、随分と久しぶりだった。

 たとえば子どもの時、習いたくもないのに剣を持たされた時のことを思い出す。あの時は剣を放り出して帰っても問題はなかったが、残念ながら今は、視線を逸らす隙もないとわかる。


 将軍はじっと俺を見て、さっきからずっと動かない。俺が動き出すのを待っているのだろうか合間を縫って逃げだすこともできなくはないだろうが、それには周囲に集まった観衆が邪魔だ。なんでこんなことになっているのか、俺が訊きたい。



 打ち合いは始まらないのかと、戦争嫌いのはずの民衆が、まだかまだかとわくわくして待っている。それに気付くとやっぱり、余計やる気が出ない。視線を逸らすことはできない俺には、戦闘を放棄することしかできない。俺は片手に持った剣を地面に捨てて、軽く手を挙げる。念のためにいつも腰元にはつけている剣。だがほぼ飾りと云っても良く、それはずっと手入れすらされていない。たぶん何も切れないのではないかとさえ思う。

「はいはい、降参降参。やめよう」

「なぜだ」

「俺あんたに勝てるほど腕があるわけじゃあないから」

 俺の剣技など、本当に大したものじゃない。教えてもらった従兄や、その他従兄の方がうまい。せいぜい体力作りにと無理矢理持たされただけだ。こんなことしたって、負けるに決まっている。

 ──ビルはなんでもできるわよ。

 できねぇよ。

 ──ただ、やらないだけで。私と違うのは、そこだけよ。

 些細なことで出て来るんじゃねぇよ。動揺してんのか自分。平穏な西大陸でなぜか人に親切にされ、最終的には腕まで買われている、予測とは違うこの現状に。

「私がどれほどの腕か、わかるのか?」

「なんとなくだけど、強いのって感覚でわかるだろ。別に剣術で生きて来たわけでもねぇし、そもそもそんな得意なつもりもない。一騎打ちなんてしたところで、負けるに決まってる」

 ジョーの剣を弾き返せたのは単なる瞬発力の問題で、正式に渡り合ったら、俺はジョーに勝てないだろう。剣術も武術も、あんまり得意じゃない。腕の立つ奴からしたらへぇと目に留まるぐらいで、わざわざ打ち合いをしようと云うほどにはならない。


 少なくとも、神国討伐しようとしている将軍に、目をつけられるほどの技術はない。


 そもそもはジョーが冗談で抜いた剣を、弾いてしまったのが始まりだ。ただ勘が働いただけのことでそれは別段大した腕ではないのだが、シーバルトの奴らが尾を付けてあっと云う間に話を広げたがために、「ビルが一振りでジョーを倒した」と聞きつけた将軍が俺に云ったのだ。

 ──神国平定に力を貸して欲しい、私と一騎打ちをしてくれと。

 いったいどんな古臭い時代なのだと思いながら、俺は流されるままここに居たが、やはり俺の腕を買って戦に挑むと云うのは酷く騙している気がしてしまう。そう、噂の原点がジョーというのも問題だった。彼はこの大陸にもともと居るわけではなく、その剣術を持ってしてここにたどり着いている。それだけの戦地を乗り越えて来たというわけで、そいつから不意打ちとは云え一本取ってしまったのだから、たぶん俺も悪い。本気で斬るつもりなどジョーにはなかったのだから、適当に避けておけば良かった。




 平和な国で体力作り程度に剣を教えてもらった俺は、戦地での戦いなど皆無だ。何が起こるかわからない場所で、すぐにやられるだけだろう。だが将軍は、そう簡単に引いてはくれない。

「少々気にかかることもあってな。正直、私も天帝も平定を迷っているのだ」

「どういうことだ?」

 将軍が悩むのはまだしも、天帝まで迷ってるのかよ。しかしまたしても将軍は、俺の云いたいことすべて見透かしたように頷いている。

「もちろん、平定はする。大陸全土を治めるのは、天帝の御意志であるから。ただ迷っていると云うのは、時期の問題だ。まだ調べが足りないのかもしれん。歴代の女神は天候をも操っていたが、ここ最近、女神の動きが見られない。もしかしたら我々の動きを察知し、力を溜めているのかもしれん」

 女神ってそんなすごい存在だったのかと軽く驚いたものの、その次の台詞にまた本気で驚く。

「むしろもう、力などないのではないか、と──」

 女神を恐れて突入できなかったがもしその女神が無力化していたとしたら──。また面倒くさいことを増やしてくれたもんだ。

「いやそれはどうでも良いんだけど、そんな神聖な場所に役立たずの俺を連れて行って、どうするつもりだ」

「貴殿の腕は、必ず役に立つ」

 何所から来るんだ、その自信。俺はこの将軍とはこの間少し話した程度で、たぶん将軍もシーバルトの噂だって話半分にしか信じちゃいないだろう。ルリエールによれば、彼らの話はたいていが脚色されているらしい。ルカの家、裏通りの港辺りをだらしなく占領しているだけでは飽き足りず、人の生活までちょっかいを出して脚色するのだから、迷惑なことこの上ない。海賊団の名を今は認めてやろう。


 事の発端であるジョーをぶっ倒して来ようかと考えて、溜め息を吐く。勝てないのは目に見えている。その溜め息を勘違いしたのか、将軍は小さく笑う。

「伊達に将軍地位を戴いているわけではない。貴殿がわかるように、私にだって貴殿の腕はなんとなく伝わって来るさ」

「俺を連れて行ったところで、足手まといになるだけだぞ」

「そう云い切るのは、自信がないからなのか、面倒事だからなのか」

「両方。面倒だし自信もないから」

 なんで会って数日の将軍に、俺の心中全部読まれないといけないんだか。その通り、面倒だし、自信はもちろんない。俺の剣術なんてそんなものだ。所詮中途卒業の俺は、何かを極めることなどできなかった。そんなつもりもなかった。最終卒業をしたところで、俺はきっと、何も得ることができなかっただろう。俺はすべてにおいて中途半端で、だからこそ頼りなかった。

 唯一続いたのは、無駄に好かれてしまった地理科の先生に教えられたことだけ。

 ──好きなものを書いて良い。ただし、嘘はいけない。

 俺がせいぜい穀潰しにもならず、今も定期的に金をもらえる理由。昔も今も、変わらずしていること。それはただ、地図を書くことだけ。最近は書かなくても学生時代に書いたものが購入されているらしく、自動的に資金が入って来る。貴族であろうとなかろうと、食うに困らないことを教えてもらいそれを続けられたのは、俺にしてみれば奇跡だった。


「確実とは云えないがしかし、貴殿の安全を優先する。それでも駄目だろうか」

 そんな真剣に頼まれると、少し揺らいでいることに気付かされる。

 ──幼い頃に祠に入って、そこから一生出ることを許されないそうです。

 そう、閉じ込められている、十四歳の女神という存在。

 ……ああもう、面倒くせぇな。

「──わかったわかった、良いよ」

 黙っていた俺がいきなり口を開いたからか、将軍の顔つきが一気に崩れた。

「行っても良い」

「然様か、力添えしてくれるか!」

 やっと視線を逸らしても問題なさそうな空気になったものの、そんな破顔されても困る。力添えどころか、足を引っ張って苦い顔にならないとも限らない。それに俺は将軍のために行くほどお人好しじゃあないから、断っておかなければならない。

「だからこの見世物やめて」

「もちろんだとも」

「あと俺は、あんたたちに最後まで付き合うわけじゃない。ただ俺が、女神とやらを見てみたいだけだから、俺は俺の目的で動く」

「結構、それだけで充分だ」

 将軍はようやく満足したように剣をしまってくれた。はーあ、緊張した。良かったな、俺ごときで喜べるなんて、殊勝な将軍だ。しかしまぁ頑固で真面目な将軍は、母国にも掃いて捨てるほど居る。地面に落とした剣をしまうと、将軍が俺をまた真っ直ぐに見直して来る。

「リヴァーシン神国へ入るのはしかし、簡単ではない。──覚悟はあるか?」

 覚悟。

 なんの覚悟だろう。死ぬ覚悟?


 そう思った途端、俺は自然と笑みが漏れた。死せる大陸、争うことでしか生きられない、西の大陸。それでこそだと望んだものだと俺は思う。これも一つの、決められた道なのかもしれない。しかし答える前に、俺の前にばっと立ちふさがる影があった。

「駄目です!」

 初めて聞くルリエールの力強い声に、俺はただただ驚いている。

「ディーグレイト将軍も、何を考えていらっしゃるんですか。お客様をそんな危険な場所にお連れするなんて、私は反対です!」

「しかし、ルリエール殿。彼の実力は神国平定隊に必須だ」

「失礼ながら将軍は、ビルさんの実力を見ておりません。そんな根拠、何所にあるのです」

 驚いた。会ったばかりだと云うのに、裏なく危険だから俺をかばおうとしている。とにかく必死で俺の身を案じてくれているのがわかったから、だから俺も、素直に言葉が出た。

「良いよ、ルリ」

「この大陸の方ではない人に、戦う義務なんてありません。この大陸の人ですらもう徴兵がないのに、他国の方を戦地に送り出すわけにはいきません」

「ルリ、俺は平気だって」

「でもビルさん、あまりお身体が丈夫ではないのでしょう」

 ああ、そんなこと覚えていてくれたんだ。おせっかいなレイヴンが云った、いい加減なこと。大丈夫だと軽く受け流したかったが、振り返ったルリエールの顔が一瞬、何もなくなった。

「──戦争って、本当にわけがわからないんですよ」

 俺は言葉を逸した。

 後ろからでも見えた、ルリエールの虚無の表情。

 こいつでもこんな顔をするんだと変な感心をして、またその無表情から、本当にここが死せる大陸であると云うことを、それだけで思い知った。表情がなくなることなんて、こいつの場合ないと思っていたのに。


 ──ねぇ、ビル。この紐の先は、何所にあると思う?

 これが俺の、紐の先か。

「良い」

「ビルさん……!」

「どうせ足止め食らってるし、その女神とやらが気になるのも事実だ」

 俺は俺で、会ってみたいと思った。久しぶりの欲求だ。何かをしたいとか、どうしたいとか、今まであまり、何かに惹かれたことはなかった。適当にあっち行こうこっち行こうと適当に歩いて、ようやくここで、何かに強く惹かれた。


 死せる大陸、そう聞いていたわりには平穏なこの国で。


「ありがとう、ルリ」

 何か云いたそうにしているルリエールに、俺はそれだけを云う。

 ──駄目よ、ビル。

 本音は云わなかった。でもそれが、せこいことではないと俺は思う。俺がその時何を考えていたかはともかくとして、止めてくれたことには感謝していたから。

 ──だからビルは、何かを得るまで死んでは駄目だよ。

 これできっと、何かが得られるのかな。俺の代わりに何かが得られるのなら、それはそれで大変良いことじゃねぇか。

なぁ、そう云うことなんだろう?

 返って来るはずもない答えを、俺は問いかける。肝心な返答は、欲しい時に来ないもんだ。胸に手を当てるも、不規則な鼓動だけが響いて来る。


 俺はまだ、大丈夫。


・・・・・


 すごいところに居るな、とは思う。戦なんて初めての経験だ。

 リヴァーシン神国。

 戦争が絶えることのない大陸において、消滅することなく長きに渡り存在している稀な国。建国した次の日にはなくなることが多いからか、国などと云う単位が既に嘘っぽい大陸では、忘れることなく誰の頭にも刻み込まれている国と云うのは珍しい。リヴァーシン神国の建国年は、現存する文献にも詳細には載っていないのだが、西大陸の祖と云われるレジーク王朝が滅んでから、その名は出て来たらしい。


 そんな軽い知識にもならない知識を与えられて、俺はここに居る。リヴァーシン神国手前にある岩場の上。随分放置されているうちに増えたのか、瓦礫やら何やらがいろいろ重なり合って、充分な高さになっているから遠くがよく見える。

 俺から北北東にそびえるのがリヴァーシン神国。

 でっかいゲートが宮殿っぽいのを囲んでいる。小国だが守りは堅固だ。って、観察したところで、俺がやることなんてないんだけど、合図があったら入れってことを云われている。

 俺の役目は、まさかの「女神」とやらに会うこと。

 また女神が望めば、無事に連れ出すこと。

 リヴァーシン神国も中では分裂が起きているらしく、小さく派閥を起こしては政府に対抗している。中でも政府は女神を祭り上げて勝手な政治をしていると批判している、ヴァッカレー町の連中が現実的だ。今回の平定にも協力してくれるらしい。彼らは女神の無事を望み、できることなら戦地から連れ出して欲しいと云われた。だから俺は、もしできるなら連れ出さなければならない。会いたいと望んだ割には、まさかそんな大層な役割を戴くとは思いもしなかった。

 ──貴殿は無理に戦おうとしなくて良い。道を開くから進んでくれ。

 あれだけ俺を隊に入れたがった将軍は、そんなことを気軽に云う。


 外で待つ時には周囲を見る癖ができている。おかげで振り仰いだ瞬間に、その羽は俺の視界に見事入り、不機嫌そうな声も直に受けるようになってしまった。

「おまえ、ここで何してんだ」

「やっと戻って来たな、莫迦鳥」

 だいぶ長いこと留守にしていたかと思えば、嘴に加えていた薬をぽいと膝の上に投げ出された。ああ、なるほど。わざわざ薬の補充に行っていたわけか。そりゃ帰って来ないわけだ。

「これは当主に通報して良いのか」

 ああ、これは相当なお怒りだ、と実感する。目の前で羽ばたきながら、レイヴンは睨んでくる。いつもなら鳥じゃねぇ莫迦でもねぇとか云って来るのに、こいつも所詮親父の所有物だと実感する。そう云う俺も、親父の所有物であることには変わりない。いつだって何を考えているかわからない、腹が黒いあの親父。そろそろ連絡をしないと、いい加減拗ねるかもしれない。面倒だなぁ。

 国からの収入が定期的に俺名義で入るから、どうしたって国と連絡を取らなければならない。そのついでと云うように、親父は俺と話すことを強要する。当主命令だとだだをこねられると面倒くさいので適当に話すものの、まともな会話になった試しがない。

 連絡が取れるのなら、何所へ行くにも構わないと云われた。レイヴンはそのための手段だ。生まれた時から俺に付けたただ一つの獣を、親父はこういう役割で使うとは思ってもみなかっただろうが、それぐらいの小さな計算違いは、あの人の人生で許されて良いんじゃあないのか。あの人の人生設計が大きく崩れたのは、たった一つだけなんだから。

「すれば?」

 通報。

 俺が当主命令に背くことは、レイヴンが監視としての役割を果たす時である。だが今レイヴンが親父に報告したところで、どうしたって間に合わないだろう。


 レイヴンは無表情だ。ずっと一緒に居れば、いくら獣でもなんとなく表情がわかる。

「親父がどんな反応するか、見てみてぇもんだな」

「当主はきっと──」

 レイヴンの声が落ちる。

「きっと、泣く」

 泣く?

 想像もしていなかった言葉が出て来て、俺は思わずじっとレイヴンを見てしまう。親父が泣いたところなんて、見たこともない。笑っているか、無表情か。たいていは莫迦みたいに笑っているのが多い、肝心な時も結構笑ってばっかりだ。あの人の人生が狂った時でさえ、泣いたりはしなかった。常のマイペースさを思い出して、少しうんざりした気分になって来る。

「なんだよ、泣くって」

 微妙に動揺しているのが、自分でもわかった。三十半ばのおっさんに泣かれてもって笑い話に持って行こうとする辺り、相当動揺している。

「泣くさ。当主はだって、家族が好きなんだ」

 家族。まとめられるとわからなくなる。親父とおふくろと妹と、俺も入るのか、それ。

「特にね、ビル。当主はおまえに、期待しているんだ」

「はぁ?」

 なんでいきなりこんな打ち明け話をされているんだろうか、やっぱり死ぬのか、俺。まだ決まってもいない未来を思って、俺は考えてしまう。

「ま、そんなのはどうでも良いんだけど。──俺、通報して良いのか?」

「見逃してくれるわけ?」

 どうでも良いって云ったよ、この鳥。気になるものの、取り敢えずは目の前のことを片付けたい。

「必ず帰って来るならな」

「取り敢えず、女神とやらを見たいって云っちまったからな」

 十四歳の女神。閉じ込められた世界で神託を待っていると云うその女神の様子が、いつもとおかしいとだけは話は聞いた。天候を自由に動かし神の意思を告げると云うその女神が、ここ最近静かなのだと。適度に晴れにし適度に雨を降らし、そうしてリヴァーシン神国を災厄から守って来た。リヴァーシンだけは望む天候が手に入れられ、戦時中恵まれていたと伝説が残っている。



 俺をじっと見て来るレイヴンは、突然ばっと翼を広げて背を向ける。ふてくされた時の、納得していないけど仕方なく、そんな気分の時によくやる恰好だ。

「十四歳って、また微妙に嘘くさい設定だよな。年下好きのビルのためにあるようなもんだ」

「おまえね……」

 変態扱いされるような発言は控えておけよ、仮にも獣だろうおまえと突っ込みたいが、振り返ったレイヴンの顔が、滅多にないぐらい真剣なので取り敢えず我慢する。

「おまえが戻って来るよう、俺も全力で手伝う。だからおまえも協力しろよ」

「──ああ」

 知っている。

 こいつがどれだけ、親父に忠誠を誓っているのか。俺は知っている。だから親父を裏切らないために、俺を守るしかない。俺が生まれてからずっと、その役目を突きつけられているこいつは、あまりにも莫迦だ。



 レイヴンが飛び立ったと同時に、後ろがざわついている。将軍の隊の連中だ。もしかして鳥と話しているの見られたかと思って振り返れば、奴らは俺に背を向けて南の方を見ている。

「どうしたんだ」

「あ、ああ、ほら、あれを。おそらくあれはリヴァーシンの……」

 云われた方を見れば、確かに五百人は越えそうな一隊が、陣営の近くに迫っている。

「伝令をデューグレイト将軍に」

「俺が行く」

「いや、しかしあんたは……」

「なんの立場もない俺が伝えた方が良いだろ」

 俺は止める声をそのままに場を離れ、将軍の陣営まで行く。将軍は案の定居らず、居るのは部下の、なんだっけ。名前教えてもらったのに、忘れちまった。なんとかが居て目が合う。

「ビルさん」

 莫迦正直な将軍と同じぐらい、生真面目だが、こっちの方が少し子どもだ。真っ直ぐ過ぎる正直さが苦手な俺としては、あんまり関わりたくないんだけど。

「持ち場を離れられては困ります、ここは我が隊が……」

「俺が居たあの陣営から、南南西二千八百アルテにリヴァーシンの兵が五百」

「え?」

「ここだと二千六百五ぐらいか、いや、敵さんも進んで五百ぐらいかもな」

 目をぱちぱちさせていた若隊長も、流石に事態を重く受け止めてくれたらしい。

「伝令! 将軍にただちに戻るよう伝えてくれ!」

 隊長が叫んだ直後には、云われた伝令が既に走り去っている。見事な連携だな。俺が口を挟む必要もなさそうなので、持ち場に戻ることにしよう。

「待ってください、ビルさん」

「持ち場に戻れと云ったのは、おまえだろう」

「そうですけど、詳しい方角と位置をもう一度教えてくれませんか?」

 云い出すなり俺が頷く間もなく、奴は俺を引き止めるかのように前に立ちはだかる。

「磁石ぐらい部下に読ませろよ、とにかくあっちはどんどん進んでるぞ」

「実は磁石が壊れてしまっているんです」

「え?」

「磁場の所為ではないでしょうが、もしかしたら女神の影響かもしれません」

 云われていつも持っている磁石をみれば、確かに俺のもおかしなことになっている。本当に脅威の女神だな、まぁなんでも女神の所為にしたら納得できるけどさ。そうやってなんでも女神の所為にしておけば、神国の王も楽なんじゃないだろうか。 面倒くさいことをすべて女神に押し付けて、絶対の君主制を作り出すこともできるし。


 やめやめ。

 余所の国の面倒なことに、俺が口を出す必要などない。面倒くさい考え事を捨てて、俺は若隊長に付いて行く。それが今の俺の役割だ。少しばかり高地に連れて来られ、南南西を向いたつもりだろうが、生憎と少し方角がずれてるから見難い。

「見えますか」

「あそこから南南西だから微妙にずれてるけど、数は二千百か。──早さが尋常じゃあねぇな」

 五百人越えながらも速度が衰えていないところを見ると、あっちの方がすべてにおいて先進しているんじゃないのか。古代国だと思って嘗めていると、痛い目に遭うかもしれない。

「いったいいつ回り込まれたんだっ……」

 苛立ちの混じった呟きに、俺は思わず呟く。

「地下じゃねぇのか」

「地下?」

「緑もない砂漠地帯だぞ、身を隠す場所なんてまるでないのに突然現れたんだ。古くからあるリヴァーシンなら、自分の国を守るために地下道を掘る時間ぐらいあっただろ。この土なら柔らかいから掘り返すのもそれほど手間じゃない。場所も……城から真っ直ぐだ」

 若隊長がぽかんとしているのはどうしてなのか、これぐらい普通に考えれば出て来るだろ。

「下見してどうにかなる問題じゃあねぇからな、こればっかりは仕方ない。決死隊を募って地下の入り口をさっさと固めないと、今の五百が倍になるかもしれないぞ」

「──貴方、いったい何者なんです」

「もっと切迫してやることがあるだろ」

 少し呆れた。そう云われたって困るんだけど、普通に考えただけだ。たいてい、王宮ってのは守りたい第一のものだ。国外に通路だって作るだろう。 国にとって大事な人を守るためには、なんだってする。それが国だ。

 ──私よりも、とは云えない。だが私はそれでも、おまえたちには居て欲しいと願う。

 傲慢に過ぎるかと笑った伯父を思い出して、なんとなく、嫌な気持ちになる。偉い奴ってのは嫌いだ。だけど、俺はその偉い奴の中で住んでいるわけで、偉い奴の中でもあの伯父はまだ──人間だったのかもしれない。



 将軍の陣営戻ると駆けつけた将軍が、俺の顔を見ても動ぜず若隊長を見る。

「現状は?」

「南南西二千百アルテ、地下道から来ているようです」

「もう二千切ってる」

 横やりを差したくなかったが、訂正してやらないと後々面倒になる。

「何? さっき聞いた報告では、まだ二千五百だったが」

「あっちも尋常じゃあない早さだ、ぼうっとしてる間に本陣囲まれるぞ」

「しかし五百なのですから、まだ……」

「地下道からどんどん来るって云っただろ、あんまりぼけっとしてると死ぬぞ」

 別に強く云ったつもりはなかったが、周囲に居た兵士がびくりと肩を振るわせた。余計なこと云って士気を落としちまったかもしれない、悪いことをした。だから俺なんて連れて行ったところで役に立たないって云ったのに、将軍は莫迦だ。 しかし将軍は、そんな部下の様子を気にした様子もなく頭を下げて来る。

「ビル殿、感謝する」

「は?」

「背後の割り振りはこちらでしよう。ビル殿は予定通り、先鋒軍を頼む。貴殿は女神に会うことを第一に動いて良い、途中までは、我が軍を導いてくれ」

 云われた通り、俺は先鋒に戻る。他にやることもない。戻った陣営では不安そうな顔をしている奴らが居る。あー、士気落としちまったかもなぁ。悪い。

「後ろは将軍がどうにかするって」

「しかし、あれだけの人数を……」

「全部なくすのは無理だろうけど、たぶん人数はかなり減らせると思う」

 ぴたりと、不安そうな言葉が止まる。流石の軍隊だなぁ。軍部にはよく遊びに行ったものの、あの素早さに俺はぼんやりとしか見ていられなかった。あの統一された中に自分が入るのは絶対に無理だと思ったし、入りたいとも思わなかった。ただ従兄の剣の腕裁きをぼんやりと見ているしかない。


 その俺が、どうして他国の一隊を動かしているのか。目立たない、長居しない、後腐れなく。俺の旅の鉄則が、既に壊れているような気がする。それでも俺は、ここを離れることをしない。今さらと思うし、離れたところで既に顔は割れてるし。俺は将軍に聞いた話をそのまま説明し、予定通り前進することを伝える。他の誰だったか忘れたけど、一隊が交渉に赴き、それが決裂したら先鋒隊として突入することになっている。これだけ軍隊を動かしているところからして、決裂するに決まっているだろう。ここ数日の交渉も、無意味だったようだ。


 ぱんっと大きな音が響いた。後ろからだ。途端、レイヴンが戻って来て一際大きく鳴いた。レイヴンの鳴き声など滅多に聞けないからか、 緊張に背筋が伸びてしまう。レイヴンの声は後ろから聞こえた。例の地下から来ている一隊が、先制攻撃を仕掛けたようだ。

「交渉、決裂──」

 兵士の一人がぼそりと呟いた。そんなもんだろう、そりゃあ。 向こうに交渉する気がそもそもあったのかどうかわからない。後ろから攻め込んでいきなりずどんだ、血の気が多い連中と云うわけでもないだろうが、誇り高き宗教の国と云うのは、自分の正義のために簡単に邪魔者を排除することを躊躇わない。それが彼らの正義だからだ。彼らの目指す平和のために、正義を振りかざす。


「さて、行くか」

 例の覚悟とやらを決めて、俺は方向を前へと戻す。すると兵士たちも、強張っていた顔を引き締めて前を向いて、じっと前にそびえ立つ大きな国を見つめる。

 これからいよいよ、リヴァーシン神国、神に戦いを申し入れるのだ。


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