第4話:カーヴレイクと海賊
朝起きてはふらふらと散歩し、帰って来ると朝食の支度ができている。それは故郷とまったく同じだが、たとえどんなに遅く帰って来ても、ルリエールが厭味もなく出迎えてくれる点はまったく違う。家族全員で飯を食うのが当然の我が家で、時間を気にせず歩くことなど難しい。サボろうものならレイヴンに強制連行される。妹は既に講義で居なかったりするが、親父とお袋は俺が来るのを必ず待って居る。遅れるから早くしろと促すこともなく、飯を食べて遅れて講義に出る俺を、にこにこと送るのだ。ちゃんと時間通りに来いと叱られた方がましである。みんなの予定を無視し自由勝手に過ごしても、親父やお袋からは叱られた覚えがない。レイヴンやハヴァーズにはしょっちゅう叱られるが、親父たちは叱らない。しつけをしないとかそう云うのではなく、あの人たちの方が俺に輪をかけて自分勝手だからなのかもしれない。 ルリエールの笑顔に甘えてしまうのは裏表がないからで、天邪鬼の俺は素直な笑顔で迎えられることに慣れていないからだ。ハヴァーズが笑顔で俺の飯を用意していたらそれはそれできっと、何かあって相当怒っている時だろう。いつも行方不明常習犯の俺に先駆けようと、日の昇る前から部屋の前で待機するほどの莫迦である。出て行こうと扉を開いた途端におはようございますと眠そうな顔で云われて、どうしようもないあいつの単純さには笑うしかないが、そう云えば俺が異国に行くと云った時、一番に反対したのはあいつだったなぁ。
──駄目ですビル様、誰か面倒見てくれる人が居ないと絶対に駄目ですよ! 絶対野垂れ死にます!
相変わらずハヴァーズらしい失礼な物云いだったが、俺は生活能力がない訳ではない。説得するのが一番大変だったのは、そう云えばあいつだ。付いて行くと云って聞かず、なかなかにしつこい。あんな忠誠心に飛んだ奴ではなかったはずなのに、やっぱり拾ってくれた人には忠義を抱くものなのだろうか。
「ビルさん?」
突然ぬっと目の前に立たれて、それが当然ハヴァーズではないことに安堵しながら、そう云えば今は西国に居たのだか、と云うことをようやく思い出す。いったいなんの連想からハヴァーズのことを考えたのか、まるで覚えていない。まだ目が覚めていないのか、思考があちこち飛んでしまう。
「悪い、なんだっけ?」
「あ、大したことではないんですけど、港町へ行くからご一緒にどうかと思って」
ルリエールは大人しく引いてくれた。ここらへんもハヴァーズとは違う。あいつは煩くなんですかなんですかと訊いてくるから、いったい何を考えていたのかすら忘れてしまいそうになる。
「港町港町って云うけど、ここは入らないのか?」
「えっと、まだ詳細な土地制定がされていないので、どうなのかわからないんです。ここは元々船員たちの寄宿が並んでいたところで、全員が全員、元の私たちの国の人ではなかったんですよ。共同地のような場所で使われていました。だから今私たちが港町と云っているカーヴレイクには、少しくくり難いと云うことで自然と入っていません。まぁ町の方々には良くしてもらっていますけれど」
ほとんどが前の国の前身なのかどうなのかはよくわからないが、流石の天帝も孤児院を作るぐらいしか手が回っていないようだ。おそらく北国に自国の民をいつまで預けているわけにはいかないから、孤児院は先手を打てたのだろう。他にも手を伸ばしたくとも、戦争中ともなるとそれは存外に難しい。
「ここらへんで大きい町ってカーヴレイクしかないので、たくさんの人が集まりますよ。とても賑やかで良い場所です。みなさんとっても良い人たちばかりですし、何か足りないものがあればほとんどそろえられますよ」
要するに何か欲しいと思ったらそこまで行くしかないということか。でも一つの町で済むならそれはそれで便利だ。
「じゃあ、行く。悪いけど」
ルリエールに付いて行くばっかりしかないが、わざわざ誘ってくれるので乗るしかない。他にやることもない、と云うのが実際のところだが、ルリエールが何かと気を遣ってくれるのには気付いていた。お客さんを大事にと云う精神なのか、単についでだから誘ってくれているのか、よくわからないものの、俺を買い物に誘うほど余裕があるのは、他に客が居ないのも理由にはあるだろう。俺が頷けば、ルリエールは要らないぐらいの笑顔で喜んでくれる。どうしてこんな嬉しくもないことで笑顔になれるのか、不思議でならない。
レイヴンが昨日から帰って来ないが、まあ放って置けばそのうち帰るだろう。既に朝食を終えたルリエールははきはきと準備し始めるが、俺はそれに合わせて早く飯を食ってやると云うことができない。気遣いとは無縁だが、向こうはしっかりと合わせてくれる。
またしても歩き難い道を徒歩で行くのかと思ったら、 何やら不思議な乗り物に乗せられた。馬車に近いのだが、それよりも随分と小さい。車輪が回る原理は同じなのだろうが、何せ引く馬が居ない。どうやら車輪を自力で回すタイプらしい。ペダルを踏んだ力の分、それなりのスピードで進んで行く代物だ。一所懸命に走らせるルリエールに申し訳ない気分になったものの、案外楽しそうなので甘えておくことにした。教わるのは帰って来てからで良い。
砂埃を舞い上げて到着した港町カーヴレイクは、なるほど町だった。整備されていないぼこぼこの地面から、ようやく道というものができてしばらく行くと、幻想の町のように突然現れる。立派なアーケードの横手に商人用なのか馬車が大量に止まっており、そこにルリエールは乗り物を置いた。
「大丈夫ですか、酔いませんでしたか?」
降りて真っ先に訊いて来たと云うことは、ルリエールも最初は酔ったのだろうか。乗り物の運転には慣れていないものの、乗ることには慣れている。
「ん、別に平気」
「なら、良かったです。初めて乗った時、父が運転してくれたんですけど、私は後ろに乗っているだけなのにもう気持ち悪くて、すぐ降りたくなってしまいました」
「あれはなんなの?」
「旧国で使っていた、ダルシーって商人用の乗り物なんです。後ろに本当は、荷物を置くんですよ。済みません、そんなところ乗せちゃって。歩き難いからって商人さんがみんなで使うよう見つけたら拾って置いてくれるようになったんです」
そりゃあ気持ち悪くなるよなと思いつつ、あまり気にしては居ない。
「うちの馬車、全部壊れてしまったんですよ。今国に馬の数も少ないですからね」
そう云えば周りに居る馬車ほとんどが一頭しか居ない。そんなもんなのかな。騎兵のために召集されてしまった馬たちも、ほとんどが死に絶えてしまったのだろうか。
「ビルさんは、何か欲しいもの、ありますか?」
アーケードを潜りながら尋ねられて、俺は一瞬考える。必要最低限のものはいつでも持っているし、特に困ってもない。どうしようかと考えていたところで、そういえば換金していないことに気付く。
「あー……金かな」
「え?」
「あ、いや。悪い。換金したいって意味。ローキアの、フレイヤーバードのしか持ってない」
自国の金は大量にあるのだが、なるべくここで換金したくない。手紙を届ける仕事でもらった金は、気を遣ってくれたのかクレアバール帝国の新貨幣だったが、大した金額ではない。船賃はもちろん別途もらったが、船で飯食って紙買ってだいたいは終わった。北大陸ローキアの金だったらしばらくはあるが、これで買い物をしたら嫌がられるだろう。国は違えど大陸が同じだと仕方ないと云う顔をされるが、大陸が違うとたいてい拒否される。加えて俺が持っているのは、西大陸からは少し遠いフレイヤーバード王国の貨幣だ。北大陸はクレイルース大国とフレイヤーバード王国の2国の貨幣どちらかを、他の国でも使っている。この西大陸とよく行き来しているクレイルース大国の金だったら少しは勝手が違ったかもしれないが、もっと東大陸側にあるフレイヤーバード王国の貨幣は、西大陸で要入りになることはあまりないだろう。
いつしかルリエールにも宿代を払わなければならないので、できれば細かい金とともに換金しておきたい。
「ああなるほど、そうですよね、長居するつもりもなかったでしょうし。わかりました、では先に換金しに行きましょうか」
「いや、良いよ。おまえの用、終わらせてからで」
「私も大した用事はないんです。薬草が少し必要になったので頼みに」
「薬草って、何所で栽培してんの?」
「え、さぁ……?」
なんでわからないんだ。あんだけ土が死んでいれば、そう簡単に育つもんじゃあないだろう。しかしルリエールの言葉はそれ以上続かなかったので、本当に知らないらしかった。
何所に頼みに行くのかと訊こうと思ったところで、突然がやがやと目の前が騒がしくなった。
「あら、ルリちゃん、おはよう!」
「ナバラさん、おはようございます」
ルリエールに群がるようにして小父さん小母さんが寄って来る。これまでも通りすがる度にルリエールは手を振られたりしていたから、結構顔見知りしか居ないのかもしれない。
「元気だった? みんな撤退しちゃってから、あんまり来ないから心配していたのよー」
「済みません、父と二人だと大して買い物に困らないんですよ。食べ物なんかは全部父がもらって来てしまうので、私やることなくって」
屈託なく笑う姿は、ルリエールだなぁと思う。事情はよくわからないものの、久しぶりらしいルリエールがどうして欲しいものがあんまりないのか。まあ穿鑿し過ぎもまずいだろう。俺は一歩後ろで、大人しく話終わるのを待つしかない。
しかし小母さんはそうさせてくれなかった。俺を見るなりまあまあと目を丸くさせ、小母さんさながら肘で軽くルリエールを小突く。
「ルリちゃんったら、心配してたのに、良い人見つけてたからなのね!」
「ナ、ナバラさん、変なこと云わないでくださいよ!」
いかにもなちょっかいをかけられると、ルリエールはおもしろいぐらいに慌ていた。ああ、こういう反応が新鮮なのか、と妙な感心をしてしまう。俺の周りに居る女たちは、こういった奥ゆかしい反応ができない奴らばっかりだった。それは生まれ育った環境的に仕方ないのだが、当然俺もそんなかわいい反応ができるわけないので、ルリエールに同情するしかない。貴族より庶民の方が、よっぽど慎みがあるように見えて来る。
「良いじゃない、照れなくっても! ルリちゃん浮いた話一つないんだもの。にしても、見栄えの良い人ねぇ。で、何所で見つけたの? ここらの人じゃあないわよね?」
「ビ、ビルさんはお客さんです!」
「あら、まあまあ、記念すべきお客さんね! で、どっから?」
「北国から手紙を届ける手伝いで来たら、出られなくなってしまったそうで」
「運が悪いわね……、でも大丈夫よ、そのうちすぐ出られるようになるから」
叩かれそうだったので思い切り身を引いて、頷いて信じているふりをしておく。強烈な小母さんはやけにテンション高いまま、あれやこれやと商品も勧めてくる。売っているものは主に魚類、海の幸ばかり。ダグが山ともらってくるから必要ないかと思ったが、小母さんは断る間もなくあっと云う間に袋に乾物類を入れて渡してくれた。もちろん代金は格安だった。
「そういえばルリって結婚してないんだな」
道を歩きながらそういえばと思って尋ねたら、おもしろいぐらいに動揺してこけそうになった。荷物を預かっていて良かった。お客さんに持たせられませんときっぱり云われたものの、ふらふらと荷物を持っているルリエールの横を、手ぶらで歩くのも落ち着かない。こけそうになった腕を掴んで、体勢を整えるのを手伝ってやると、ルリエールは余程動揺しているのか、顔を真っ赤にしてこっちを見る。
「け、結婚、ですか?」
ぱっと俺から離れて歩き出すものだから付いて行くしかないが、危なっかしい。
実に初々し過ぎて、これはからかわれるのも仕方ないと思う。しかしこういう反応ができると云うことはきっと、結婚イコール恋愛結婚なのだろう。俺の周りでこういう初々しい反応をするやつは居なかった。恋愛話と結婚話はあくまで別物。あの人が好きだなんだと騒いでいた女子が、あっさりと違う男のもとに嫁いでしまうことなどよくあることだ。
「悪い、つい国基準で考えるから」
「ビルさん、結婚されてるんですか?」
「いや、その話が嫌で逃げてるけど、俺の年じゃあ、だいたいはもうとっくに既婚者だから」
今帰ったら間違いなく、妹と同い年辺りの嫁をもらうことになるだろう。 結婚しても良いかと思っていた時期もあったが、その当てがなくなった今となっては、ひたすら来る縁談の話は俺にとって面倒くさい種でしかない。結婚適齢期に卒業したと云うのに結婚しなかったから、周囲が煩いのは仕方ないのだろうが、最終卒業をしていない俺の何が良いものか、地位思考の人たちは何を考えているかわからない。
「そうなんですか、ここらの辺りで十代のご夫婦はあまり居ませんね。──結婚はみなさんばらばらですけど、二十前半から半ばぐらいでしょうか」
自分の話題から逸れたからか、ルリエールは落ち着いた様子で説明してくれる。ここでそんな遅くて良いのなら、俺も別にする必要がない気がした。まあでも、子どもは今まで一番に死ぬ存在だったなんて云っている人たちだから、結婚と出産がそんな計画通りに決まっているわけでもないだろう。また自国中心な考えをしてしまったことに、やはり他国に染まれない事実を突きつけられる。
カーヴレイクの商店街から、あっちへ行きこっちへ行きとルリエールの後を付いて港の近くまで来た。しかし器用にかくかくと曲がるものだから、流石の俺も記憶するのが難しくなる。狭い路地を通り抜け、道が本当にあるのかというような暗がりで、彼女はようやく足を止めた。そこは古びた、家と云えるかも怪しい代物が並んで立っているものの、何所から何所までが一つの家なのかまるで想像がつかない。その中の一つらしいものの前に立ってほとんど壊れかかった扉をノックする。波の音しか聞こえていないかったが、しばらくしてがたがたと中から音が響いて来た。通りの家すべて倒れそうな勢いで扉が開かれ、ひょっこりと顔を覗かせたのは、やけに背の高い、金髪碧眼の女だった。ローブを頭からかぶっているが、隠し切れないゆるやかに癖のついた長髪が、前へと垂れ下がっている。外の汚らしい印象とは真逆の、西大陸らしい美女が出て来た。
「──あら、ルリエール。久しぶりね」
「こんにちは、ルカさん。お邪魔でしたか?」
「大丈夫よ、ごめんねぇ。今帰って来たばかりなの」
「済みません、やっぱり忙しそうですね」
「大丈夫よ」
それからちらっと俺を見ると、
「ああ、さっきナバラの小母さんが騒いでいたけど、あんたがたぶらかした男って、それ?」
「し、失礼なこと云わないでくださいよ!」
ひとしきりからかわれてからそんな経ってないというのに、小さな街の噂の速さは尋常ではない。余程男を連れ歩くことがないらしいルリエールに、逆に同情する。俺はと云えば外野に何か云われることには慣れているので、なんとも思わない。
「照れない、照れない。顔は良いじゃないの。ルリエールって面喰いだったのねぇ」
いっそ清々しいまでのからかいように、ルリエールはわたわたとしている。放って置けば良いものを、敢えてみんなを楽しませてしまっているのではないだろうか。かばってやることもしない俺も、相当嫌なやつだとは思うが、こういう時は下手に口出ししないに限る。特に片方が慌てている場合には。
ルリエールは相変わらず真っ赤な顔のまま、俺に向き直る。
「えっとあの、こちらルカ・ウィリアムズさん。施療院で働かれています看護師さんです」
「初めまして、ルカよ。本名はなんだか訳のわからないぐらい長いから、ルカね」
ルカ・ウィリアムズ。ルリエールから聞いた名前から本人へと視線を向け、思わずじっと見てしまうが、表情は変わらなかったと思う。
「……俺も長いから、ビルで良い」
金髪碧眼は西大陸の特徴だが、もともとは山脈を越えた向こうの地域で多いらしいと聞いている。だから別段、珍しくはない。だが華美なほどに輝く金髪と透き通るような碧眼、そしてこの身長の高さ。高いと云っても俺よりは流石に低いものの、ルリエールは完全に見上げてしまっている。……やっぱ何所かしら見覚えがある……気がする。ここにレイヴンが居ないのが残念だ。はきはきと話すルカの言葉は、ルリエールたちより聞き取り易かった。返答が遅くなるのは若干聞き取り難い言葉が混じっていたりするからなのだが、ルカの話し方はそれがなく、すんなりと耳に馴染んでわかり易く聞こえる。西の国の言葉を教えてくれた奴に、発音がやっぱり似ているのかもしれない。
考えていたところで、当のルカが不思議そうに首を傾げる。
「──あんたの話し方、どうも癖があるわね」
「俺も今そう思った。あんたの方が聞き易い」
「あたし故郷は山脈の向こうなんだけど、その辺りの人に教わったの?」
「……教わった奴の詳しい素性はよくわかんない。好きで教えてもらったわけじゃないし」
「怪しいわねぇ。なぁに、それって女?」
なんで俺は会ったばかりの女にまで素行調査されなければならないのだろうか。だがこういう開けっぴろげなところ、似ていると云えば似ているかもしれない。レイヴン、本当に欲しい時に居ない奴だ。まぁあんまり詮索するのも難だから、ひとまずは見なかったことにしよう。
「取り合えず入ったら? ルカが男を知ったお祝いをしてあげるわよ」
「ルッ、ルカさん!」
「そんなに否定するならあたしがもらおうかしら。朝帰りで疲れていたところなのよね」
「──ルリがよく、相手できるな」
「い、いつもはもう少し大人しいんですけど……」
俺の所為だと云いたいのか。でも俺、ルリエールの好意で付いて来たわけだしな。既に云いわけを考えている辺りでせこい気がしないでもないが。
中に入れと云われて入れば、日が当たらないのか朝だと云うのに真っ暗で部屋はだいぶ散らかっている。あちこち怪しい本がとっ散らかっていて、たいてい開かれているページには、臓器だの脳だのが図解されている。──看護師だって云ってたから良いのか。まぁ俺も医療には嫌でも慣れているから気にならないが、敢えてその隣で茶を飲もうとは思わない。座れと云われたが座れるところなど散らかった床の上以外当然なく、ルリエールは慣れたように窓に寄り添った。いつものことなのかもしれない。
「で、何が欲しいの?」
「あ、済みません、ルーメとレクイエを頼みたいのですけど」
「いつまでに? あれ、もしかして、まだ病人が?」
「いえ、違いますけど、また戦が始まるので一応と思って。ゆっくりで構いません」
「そう、任せて」
薬草はこの怪しい看護師が調達しているのか。正直家はぼろぼろだし部屋も汚いが不潔というのではなく、ただ単純に狭い部屋で物が散らかっているだけだ。そしてこれだけ大量の蔵書を持って居るというのは、たぶんここら辺では珍しいのではないだろうか。戦時中に本など持っていてもなんの役にも立たない。せいぜい火を起こす種か、少しでも寒さを和らげるための布団か。とにかく本としての役割はされないだろう。
「そう云えばルカさん、施療院に移った方々は、もう順調ですか」
「ええ、おかげさまで。だいぶ落ち着いたけれど、さっき帰ったばかりだと云ったでしょう。そんなものよ。流行病はもう完全に根絶したから、命に別状はないっていうのがまだ救いかもね」
朝帰りってのは仕事の帰りが遅くなったってことか。言動がまるで合っていないのは、そう見せたいからなのか。国に居た親戚を思い出す。遊び人と自称して実のところは遊んでいないあの男。俺の勝手な想像だけどほぼ確信している。 こういう器用貧乏な奴らこそ放って置かれて、放って欲しい俺はなぜか放って置かれないから、少し羨ましく思う。
結局、施療院の仕事は大変らしい。しかし施療院に移ったと云うことは、今まで民間で世話になっていたと云うことなのだろうか。怪我人がまだ居るとは知らなかった。戦地にはならなかったとは云え、やはり港町、相当な被害を出した戦争だったようだ。
客にもお構いなしに、ルカは自分だけちゃっかり椅子に座って俺を見る。別に良いんだけどさ。
「で、ビル。あんたは何をしているの?」
「何って? ……ただの閑人だけど」
「そう云う話をしてるんじゃないのに。──こんなところに何をしに来たのかって訊いたのよ」
「ルリに付いて来ただけだ」
「あんたわかってて誤摩化しているでしょう」
「ルカさん、止めてくださいよ」
ルリエールが慌てて止めに入るも、俺はルカの云いたいことがいまいちよくわからない。もしかしてこいつも天帝に命を賭けてでも頭を下げる人の類いなんだろうか。だとしたら俺を間諜だと思っても仕方ないかもしれない。
だが俺は生憎と、そんな立派な職業などもっていない、ただの遊興貴族だ。何をしに──そう聞き返されてもと、俺は一瞬迷う。しかし下手な答え方は命取りだ。
「手紙を届ける仕事をして、その帰り」
「そんな小さい仕事、よく引き受けたわねー。軽い気持ちでこの大陸に来たわけ?」
「知り合いからの頼みでほぼ強制だったし、ついでに来てみたかったから」
「まぁそうね、エウロペの言葉が話せるってことは、あんた西国に縁があるってことよね。本当誰に教わったのかしら、その本物っぽいレジーク語」
「母国に居る西国の人間」
「あんた何所から来たんだっけ? 南?」
「東の方」
「──すごいわね、東にまで逃れた人間が居たの」
だから素性の詳しいことは知らない。あいつはいつも人を喰ったようなことしか云わないし、好きで習得したわけでもないこの言語は、あいつが四年前から独断で勝手に教えてくれたものだ。
──毎週この時間に来ますからね、教えてますからね、覚えてくださいね。
異国に興味があるんでしょうと続けられて、俺としてはなんと答えて良いものかわからなかった。戦争しかしていない国に行く機会がまさかあるとは思ってもみなかったから、俺の態度はいつも通り悪かったろうに、あいつは毎回本当に来たよなぁと思い出す。そういえば北大陸の言葉はいつの間にか先生に仕込まれたし、東大陸の言葉は伯母に教えられたし、なんで俺は知らないうちに多言語を習得しているのだろう。会話をするという行為自体が、俺には非常に面倒くさいというのに。
「詳しいことは本当に知らねぇよ。──名前の長過ぎる国から流れて来たぐらいしか」
「名前の、長過ぎる、国?」
ルカが初めて隙を見せたような気がした。やっぱりこいつはあいつとなんかしら関係があるのだろうか。そうは思いつつも、まだここは黙っていた方が良さそうだと判断する。焦り過ぎて失敗するのは良くない。ただでさえ、疑われていそうなのに。
「で、俺は追い出す? どっちにしろ、出られないんだけど」
「合格よ、最初っからね」
「は?」
「でもあんた気をつけた方が良いわよ、このルリエールも町のみんなも、すっとぼけた顔をしているけど、ちゃんと戦争を切り抜けた人たちなんだから。対する警戒心は強くて、人を見る目は確かよ。だからルリエールが連れて来た時点で合格」
あー、やっぱり俺の知り合いに似てるよこいつ、確信する。人で遊ぶの楽しんでるだろう。俺はこういう奴にいつもいじられる。
「ルカさん、もう、何を云ってるんですか」
ルリエールは一人置いて行かれたのを誤摩化すように口を挟む。こういう本音を出さないやり取りが嫌いだったはずなのに、どうして理解が先に回ってしまうのか、やっぱりそれは育った環境の所為なのか。
ルカは欠伸を一つこぼし、立ち上がる。
「薬は調達しておくわ、それで用事は終わり? あたしちょっと眠るわ、午後からまた出ないと行けないのよ」
「あ、ごめんなさい、お邪魔をして」
「ルリエールの頼みだったらいつでも良いわよ」
笑顔が怖いと思うのはなんでだろう、すっかり裏を読むようになってしまった。面倒くさい。ここに長居するつもりもなし、船が出たら早々に撤退した方が良さそうだと決める。
「じゃあビルさん、行きましょうか。 次は……あ、そうそう。フレイヤーバード王国貨幣を換金しに行くんでしたよね?」
ルリエールが確認と云うように尋ねると、俺が答える前に、眠そうなルカの声が飛んで来た。
「だったらジョーに頼んだら? 今ちょうど、フレイヤーバードのお金が欲しいそうよ」
「あれ、でも出港停止が出ていて……」
「違う違う、天帝が欲しがっているのよ」
「ああ、そうなんですか」
北国に領地を借りた御礼と云うものか、となんとなく想像する。
「それが銀貨なら、だけど」
試すように云われて、俺は小さく頷く。どうしてこう挑発的なんだろうか。金なら使い切れず腐るほどあるが、生憎と母国の金なので簡単にばらまくにばらまけない。宿代も払わないといけないから、いつしかは崩さないとまずいだろうとは思うのだが、ほんの少し留まるだけのつもりのこの土地で、あまり大きな博打はしない方が良い。
「その換金って、何所の国のもやっているのか?」
「東国はどうかしら。──あ、でもジョーは結構なんでも請け負ってくれるわよ」
それから知ってる? と尋ねて来る。何をだよ、と問うまでもなく、
「ジョー・クルー。この先の港に停泊している船に居るのよ。気に入られておくと、便利かもしれないわ」
親切なのか親切じゃあないのかいまいちわからないが、嫌な奴ではない。
「なんでも屋シーバルト、一応そう呼んであげて良いかしら」
・・・・・
ちょっと待て。
幾ら知識に乏しかろう俺でも、それぐらいは知っている。
「あのさ、ルリ」
「はい?」
しかしルリエールは案の定、笑顔を振りまいて俺を見る。なんなんだ、その無駄なさわやかさ。
「いや、あの……」
だんだんとわかって来たかも、ルリエールの性格。
「海賊団、だよな」
思わず母国語で呟いてしまう。
思い切り、「シーバルト海賊団」と書いてある。俺の国にはなかったものだ。存在自体は知っているが、ほとんど物語、空想上の存在だと信じていたから、本当にあるとなるとこれはまた、どういう反応をして良いものかわからない。
「ああ、そう云うことですか。でも大丈夫です、心配は要りませんよ」
ルリエールはようやく合点が行ったらしく頷くものの、笑顔は崩さない。母国語が当たり前のようにここでも通じてしまったらしいことを確認しながらも、取り敢えずはスルーしておく。面倒くさいことは後回し、今は目の前にある海賊団とやらが一番の問題だ。
「あー、俺よく知らないけど。海賊ってあんまり良くないんじゃないのか」
「ご本人たちが海賊団だと名乗りたがるので、そう命名されたようなんですが、町の人々からの認識は義賊ですね。戦争中、無為に民を傷付ける輩を討伐したことで民衆の支持を得て、天帝も感謝の気持ちを表しここの拠点を許しています。まぁ今では本当になんでも屋状態なんですが」
だったら海賊とか書くなよ。ってかいい加減だな、天帝も。
「元は本当に海賊だったらしくて、東の海を荒し回っていらっしゃったとか。ジョー・クルー海賊団の話、ビルさんは知りませんか?」
知らないし興味もない。もし本当に東国出身だったとしても俺は知らなかったと思う。
俺が腐っていると、船から一人小柄な男がひょこひょこと出て来た。やっぱり金髪なのだが、頭を布で覆って結んでいる。明らかに物語に出て来る海賊の小頭そのものだ。
「こんにちは、ポールさん」
「あ、ルリさん! お久しぶりですね!」
小頭はルリエールを見てその小狡そうな表情を一変させ笑顔を振りまいた。明らかに声が弾んでいる。まずいなぁと思うまでもなく、俺は鋭い目で睨みつけられた。
「誰です、こいつぁ」
「お客様のビルさんですよ、出港停止命令が出てしまったので、足止めされてしまっているんです」
「客! 客ってこたぁ、ルリさん! 宿に居やがるんですか!」
「はい、お客様です」
ルリエールはまったく気に留めることなく、嬉しそうに云う。こいつ天然なのか。俺はルリエールの一歩後ろで、ないないと手を振っておく。
騒がしかったのか、なんだなんだと、船から人がわらわらとこっちに出て来た。あっと云う間にタラップの上は船員でいっぱいになる。
「お、ルリじゃねぇか」
実際にタラップを降りて来た一人は、随分と上背のある男だった。本当に例の海賊よろしく片目を眼帯で隠しているが、想像よりもずっと若い。俺よりは年上だろうが、たぶん二十代だ。後ろに束ねられた長髪は黒く、一つだけ見えている目が人懐っこい雰囲気を醸す。
「お久しぶりです、ジョーさん」
「元気にやってたか? あ、ダグはやっぱりあのままか?」
「港で働いていますよ」
「そっかー、あいつもいい加減、目が覚めてくれれば良いのになぁ」
もう既にやり取りに慣れている立派な知り合い同士だ。ルリエールの周りにはどうしてこう変な奴ばかり集まるのか。いや、出て来たこいつのことなんて知らないけど、既にダグと似た人種であるような風がよくわかる。
眼帯の男は俺を見ると、右目だけをすっと細めた。眼帯をしている奴に良い思い出などないので先入観が邪魔をしているかもしれないが、こいつの性格はなんとなく読めた。元海賊ってのも、あながち嘘ではなさそうだ。
「初めて見る顔だな、それも珍しい。──南の色だ」
南の色、と云うのはちょっと偏った意見の気がするが、さっきルカにも確か南と訊かれた。俺としてはどっちでも良い。東の海を荒らしまわってここへ来た奴がそう云うのなら、南のが都合が良いかもしれない。
「ジョーさん、ビルさんは東からのお客様ですよ」
おい、ルリエール。余計なことを云うなよ。あれこれ探られるのは面倒くさいから嫌いなのに。まぁここには長居することになるから、本当のことを云っておいた方が良いのかもしれないが、よくわからない奴にまで正確な情報を与える必要もない気がする。案の定、細めた目をさらに細くして、俺を観察するように見遣る。
「東? 東ってのは黒の産地だぜ」
そう云うおまえも黒目黒髪ってことは、その東から来たのか、と問いたい。 しかし俺としては事を荒立てたくないから、
「まぁ一応、東の方から来た」
大人しく自白すると、へぇ、と目を細められ、
「俺もまだ、見たことがないところがあるってことかな」
そういうことにしておいて欲しい。それ以上はなんというか、もう説明が面倒くさい。
「おまえさては、良いとこの坊ちゃんだな」
見てわかるもんなのか? わかんねぇだろ、普通、俺なんか見たところで。逆に失望するんじゃあないだろうか、良いところの坊ちゃんと云う奴に。まぁ俺が貴族であることは大変残念なことに事実だから、否定はしない。
「しかも長男、大当たりだろう」
「当たっても賞金は出さねぇよ」
「当たりか! ほら、流石は俺様だな」
「流石です、船長!」
良かったな。ってか乗せるな、ポール。一人で楽しそうな奴は、放って置いて良いから嫌いじゃないが、面倒なのは絡まれることだ。 何かとそう云う奴に俺は絡まれ易いから、今は割と危険な状態だ。あんまり目立たないのが俺の唯一目指していた旅の平穏だと云うのに、たったそれだけがうまくいかない。初めての北国でも少しばかり目立ってしまった。それも悪い方でだったから、今回はそうならないようすぐ帰るつもりだったのに、運が悪い。悪過ぎる。
「金かかってそうだもんなぁ、厭味な野郎だぜ」
「その良いところの坊ちゃんが嫌いとか云うつもりか? 別に俺、あんたらに好かれようと思ってねぇから嫌ってくれても構わないけど、面倒くさいことに巻き込むのだけは止めろよ。俺もあんたらには関わらねぇようにするから」
そこでどうして固まるのか。
と思ったら、急に莫迦笑いしやがった。
「気に入ったっ! おまえシーバルトに入らねぇか?」
「船長?!」
「はぁ?」
意味がわかんねぇよ、どう繋がるんだ、今の会話。思い切り目をぎらぎらさせてるポールより、俺の方が不満たくさんなんですが。
「俺が気に入った奴は次々入れることにしてんだよ!」
「ろくな奴が居そうにねぇな……」
「おまえ本当、おもしろい奴だなー」
何所らへんが? テンションが高過ぎて付いて行けない。一人で盛り上がれる奴は羨ましい。
「俺はジョー・クルー。シーバルト海賊団船長だ」
「ビルで良い」
「よろしくな、ビル」
さわやかに笑われても入らないぞ。にしても、船長か。似合うのは似合うんだけど、もっとおっさんだと思っていたから、若いだけに驚く。貫禄というか覇気というか、確かに海賊団をまとめる器量は充分あるように見えるが、それをこの若さで持っているところが、少し調子に乗ってはいるものの、こいつの本性なのだろう。
その楽しそうな船長の横で、唇を噛んで悔やんでいるのが小頭ポールだ。敵対するつもりは毛頭ないんだけど、居るんだよなぁ、こういう奴。何かと敵対意識される。本当に面倒くさい、俺は好きでやってるわけでもないのに。ルリエールと一緒に居るだけで敵が増えるのなら、これからは簡単に付いて歩くのも止めようと決める。
そういえば俺は換金に来たんだよなと思い出したところで、どんっ! とでかい破裂音が響いた。
「おー、今日も派手にやってんなー」
ジョーは楽しそうに高見の見物だ。南のほうからここ数日たまに聞こえる衝撃音と振動にも、俺は慣れて来ていた。
「──この間から、何をしてんだ、あれ」
「向こうが威嚇してんだよ。天帝の軍隊が少数、交渉の為にリヴァーシン近くまで行ってるからさ。まぁ要するに、話すことなんてないって云って天帝を追い出しているわけ」
銃の形を手で真似て、俺を撃つ。こういうことをして様になるのはまぁ良いよな。天帝の大好きな交渉は、もう決裂していると云うことか。ならそろそろ、本格的に進軍するつもりなのかもしれない。
「なんでさっさと攻略しないんだ?」
「神国は面倒くせぇんだよ、ってさ。俺も異国の人間だからいまいちわかんないんだけど」
「リヴァーシンの女神様は、天候を操るんですよ」
当たり前のことのように、ルリエールは云う。
「戦争中、リヴァーシンだけは特別地域のように、ずっと存在しておりました。実際神国まで敵軍が行くと、雹が降るとか、気温がいきなり上昇するとか、いろいろ伝説は残っています。天候ばかりは私たちにはわかりませんから、どうしたって慎重になります」
天候ね。信じてないわけじゃあない、ただ意外に思っただけだ。そう云う変な国は一つしかないと思っていただけに、世界もいろいろだなと知る。
「ただ、今の女神様は十年前ぐらいに変わった人なんですが、 どうも不調らしくて、天帝はそれを逃すまいと今必死になっているんです」
「女神が、変わる?」
変な話だ、と思う。
「代々女神の神託を受ける一家が居るんだよ、えーっと……」
何家だっけとジョーが首を傾げていると、がらがらと引きずる音がしたのと同時に、別の低い声が降って来る。
「ロウリーンリンク家」
「そう、それだ!」
すっきり、と云うようにして、振り返る。
「デヴィット、終わったか?」
「ああ」
ジョーが降りて来たのとは別の、奥にある何度も反転させて緩やかに設置されたタラップから、車椅子で降りて来たのは、やはりまだ若そうな男だった。車椅子なんてそんなものがここにあるとは思いもしなかった。海賊団と云うものと不釣り合いに、呼ばれたデヴィットはがらがらと慣れたようにこちらへ向かって来る。座っているから正確な身長はわからないが、平均ぐらい。名前の割にジョー風に云えば東の色をしている。黒髪に少し茶の混じった黒目、肌は白い。
「こいつはデヴィット・マケンスト。俺の相棒で頭脳担当」
「新参者か?」
「違う」
海賊になるほど血気盛んではないので、そこだけは即答しておく。デヴィットも血の気が多いようには見えないが、頭脳担当とはそう云うことなのだろう。足は悪いのか隠れていてよくわからないが、がらがらと椅子を引く手は慣れたものだった。俺はそれの移動がなかなか難しいことを知っているだけに、余計だ。
「ビルだ、いつしか仲間候補」
いや、だから止めておけよ。まぁ良いけどならないから。
ジョーの扱いには慣れているのか、彼はゆっくり頷いてかすかに笑うだけだった。
「ロウリーンリンクの神子、入ったのはわずか三歳。現在年の頃は十を過ぎたか、十四、五になったか、とにかくもう既に年頃の少女に育っているな。まだ姿は誰も見ていないが、もしかしたらまだ、幼い姿のままかもしれん」
「十四……? 幼い姿って、どういうことだ?」
十四という年にぞくりと寒いものを感じるが、誰もそれに気付いた様子もなく、ルリエールは説明してくれる。
「私も詳しくは知らないのですけど、幼い頃に祠に入って、そこから一生出ることを許されないそうです。普通とは違う育ち方をすると」
「……十四って?」
「え?」
「今十四歳って、本当に?」
「正確な年齢はわかりませんが、女神の交代が行われたのが大体その頃と云うことですよ」
──駄目よ、感情に流されちゃあ。
「……わかってる」
思わず呟く。
わかってはいるが、心が動く。
少し、呆然としていた。だがそれでも、周囲の風景は見えていた。だから何かが動いたのも見えた。咄嗟に手を腰に伸ばして振り上げると、ガンともギンとも云える鈍い音が響いて、何かがすっ飛んで行った。俺のか、相手のか。しかし目で追うことをしていないまま、時は過ぎて、ざくっと音が響いてから周囲の静けさが落ち着いた。
──あーあ、やっちゃったわね。
いつもなら煩わしいと思う声に突っ込む余力もなく、俺は本当にそう思う。
やっちまった……。
極力目立たないように、極力慣れ親しまないように。それだけを考えていたのに。
「船長の剣が……」
「弾き返された……」
呆然と見守っていた奴らの中で、ジョーが呆然と自分の手元を見ていた。その口端が緩められたかと思うと、彼は大笑して俺の背中をばんっと叩いた。
「ビル、おまえってすげぇな! 合格だぜ!」
だから嫌だったんだけど。
って云うか、今の不意打ち、なんだよ。しかも合格って。
「おまえは今日から、シーバルト海賊団の一員だ」
「いや、止めとく」
「東の海にも行くぜー?」
止めて欲しい。心の底から思う。