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旅人物語─神の居ない神国  作者: 痲時
第1章 生死彷徨う大陸
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第1話:枯れ果てた玄関


 子どもがてこてこと、甲板を歩いている。どうやら船から海が見たいらしいが、外が見えないらしい。出港もしない船に乗って海を見るのに、あっちを行ったりこっちを行ったりと忙しい。

「それ」

 あまりにもじれったいその動きに思わず声をかけると、その子どもはゆっくり振り返った。警戒の色が濃い。一緒に船に乗って来た子か、元々ここに居たのかはわからない。ただもう子どもとは思えないほどに、世界を知ってしまったような顔だ。これと同じ顔を、見た覚えがある。そう、見飽きた顔が同じ顔をした。

「その積み荷の箱に足をかけろ、それから足場に上れば見える」

「……」

「ほら」

 手を出すと、驚いたのか目を丸くしたものの、すぐにむすっとした顔になる。これぐらいの年特有の、男ならではの生意気そうな顔だ。

「持ち上げてよ、そっちの方が早い」

「あのさ、おまえは自分で上って見れるんだから、頼ってないで自分で動けよ」

「だって……」

「こっから海が見たいんだろ、だったらそれに見合う行動をしろ」

 子どもはまた焦れったいほどに目をきょときょとと動かす。 でもこういう動作には慣れてしまったのか、嫌悪感はまるでない。気が短いわけでもないので、別段怒る気にもならない。


 やがて子どもは、

「手」

 ぽつりと、声を出す。

「手は、貸してくれるの?」

「だから早くしろって云ってんだろ」

 俺だって忙しいんだよ、と云いたいのを堪える。別に忙しいわけではない。やることがないから、出港しない船でぼうっとしていただけだ。



 子どもは差し出された手を取ると、力強く握って、ゆっくりと積み上げられた箱を上って行く。と云っても距離が大してあるわけでもなし、彼は目的の景色をすぐに見ることができた。

「海だ……」

 ごもっともな感想に、俺は云うこともない。だがその子どもは海が見れたことで俺への警戒心を解いたのか、あっさりと語り出す。

「お兄ちゃんとお姉ちゃんたちはね、みんな海の近くで死んだって聞いたんだ」

「ここか?」

「ううん、ここはね、王様が戦争を途中でやめたから、まだ土地が綺麗なほうなんだって。ただもっと北側の海のお国ではね、最後まで戦ったから、みんな死んじゃったって。なんかね、悪いこともしていたって云ってた。悪いことしてない人も巻き込まれて死んじゃったって」

 要領を得ない話を一所懸命に伝えて来るが、事の重大さをわかっているのだろうか。いや、わかっているからこそ、こんなにも軽々しく伝えられるのかもしれない。重大な話ほど、軽く伝える方が真実味がある。わかり易い涙は必要がない。


「おーい、ティーガ」

 そこに後ろから船員の声が響いた。がたいの良い中年の船員は、俺がここに居ることを許可してくれた人でもある。この港を取り仕切っている責任者なのかもしれない。

「小母さんが来たぞ」

「うん、わかった!」

 ぴょんと箱の上を降りるその動作は、上れなくてあちこち迷っていた時とまるで動作が違う。何かを見つけたような、ようやく何所かへ辿り着いたような、そんな足取り。

 彼はにっこりと笑って繋いでいた手を離すと、

「じゃあね、お兄ちゃん、ありがとう!」

 小走りで船員の元へ駆けて行く。

 なんとなく握っていた手を見つめてみたが、そこにあるのはただの虚無だ。


 笑顔で帰り着ける場所がある、それに対する、羨みだろうか。


──私の命をすべて、あげられるから。だから大丈夫。ビルは長生きするよ。


 そんな根拠ないことを自信たっぷりに云われて、 その言葉をいじらしく覚えている自分が気持ち悪くも思ったが、 実際そんな簡単な言葉で世の中の切実な問題が片付くわけがなかった。


 困った時には失敗したと素直に諦めて、しばらくは流れに乗るしかない。


 一度母国へと帰国した後、すぐ西大陸に来たのは単純に仕事を引き受けたからで、それで路銀をもらえば終わりだったはずなのに。周囲から若干のんびりしていると評価されることがたまにあり、それに対して苛立を覚えるのは、のんびりまったりと生きている両親と結局自分も同じなのかと思うと、どうしても否定せずには居られないからだろう。だがこれでは、のんびりと云うより、

「うっかり、か」

 西大陸は戦争をしているから避けていたわけではなく、故郷よりあまり離れてしまうと帰るのが面倒で、また書簡も届き難くなり文句を云われるからだ。 いつから自分は身内に権力を握られているのかと思うと腹が立つものの、結局それに逆らうのが面倒で、そして結局、故郷を捨てられずに帰るのだから質が悪い。

 ──さて、どうしたものか。

 西の大陸に来て仕事を終えたものの、帰る船がない。この大陸に上陸するための準備と下調べは怠ったつもりはなかったし、帰りの船の出港時間も確認して、俺にしてはこれでも慎重に仕事を引き受けたのに、出航停止命令なんて天帝ちょっと酷過ぎませんか。まぁ到着してからの五日目になる今日まで、船を宿として貸してくれたのはありがたいが、流石に戦争被害者たちを甲板に寝かせるのも申し訳なく、俺はずっと甲板で休んでいた。


「しばらくここでも良いかな」

 金には困っていないが無料だし、なにせ船に居たら出航が決まってすぐ出られそうだ。そんな結論を出したところで、ふわりとそれは肩口に止まり、こつんと頭を突つかれる。

「そんなの駄目に決まってるだろ、少しは考えて行動してくれよ」

「あのな、これでも考えて行動した結果なんだけど」

「諦めが早いんだよ、おまえは。あんまり考えなしだと通告するぞ」

「止めてくれ、それだけは」

 うんざりと云い返すと、翼をばさっと広げられた。肩に止まっているから思い切り邪魔に感じるのだが、おそらくそれを知っていてわざとやっているのだろう。

「おしおし、それじゃあ船が出るような港をひとっ走り探してくるから、おまえは宿で休んでいろ。流石五日目も船の甲板じゃあおまえの身体持たないから」

「休んで居られるような宿があるのかを、先に探して欲しいんだけど」

「あのなぁ、おまえのわがままについて来てやっている俺の身にもなってみろ」

 傲岸不遜に云う。この男は(いや、雄?)いつだってこんな態度である。

「はいはい、もう何も云いません」

「ははっ、じゃあ、せいぜいぶっ倒れるなよ」

「おまえも焼き鳥にならないように。食ってもまずそうな戦利品だな」

「減らず口が、天下の天才を嘗めるな」

 相変わらず口が減らないのはそっちだと思いながら、なんとなく視線で追う。どうやったのかはまるで知らないが、親父が成功したそれはまだ機能している。故郷を出る時に無理矢理付いて来て、守り神だと云い放った傲慢な魂。あちこち適当にぶらつきたいのに、引き止めるのはあの見た目は鳥にしか見えない存在。自分と母国が、自分と実家が必ず繋がっていると云う象徴。足枷でしかないと思うが、振り払えない。


 ──これは命令だよ。

 にっこりとした顔で云った親父のことを思い出し、また沈鬱になる。


 未練がましく船内に居ても仕方ないと、足を踏み出す。船内には不用心なことに誰も居ない。閑ならここに居ても良いと、さっきの中年船員が云ってくれたからお言葉に甘えていたが、 いつまでもぼうっとしているわけにもいかないだろう。ここに泊まらせてくれるわけでもない。


 タラップから陸に降り立ち、しばらく歩いてから、振り返る。

 船に隠れて、海が見える。


 ついに来たのだ。この西国に。


 仕事を引き受けて急いでいたから、長居をするつもりはなかった。まさかこの西の大陸で足止めを喰うとは思いもしない。正式名称で呼ばれることはあまりなく、覚えていられるような国もあまりない、通称<戦乱の地>。踏み入れたが最後、いつ死んでも文句は云えないと避けていたつもりだったのだが、 足止めを喰らったらそれはそれでここを歩いてみたい気持ちになる。だがそれはやはり、死んでも文句は云えないと云うことで。

 自分から望んで来たわけではないのに、あれこれと云い訳考える。 それ自体がまるで死に場所を探しているように思えるのだろうか。なんとなく、さっきの憎たらしい鳥の云っていたことを気にしている自分を自覚する。


 やめやめ、と暗い思考を捨てる。似合わなさ過ぎる。平和な国に生まれて平和な生活をして来た自分には、そんなもの。


 云うことを聞くのはなんとなく癪に触るが、宿がないのは困る。船から離れて適当にぶらぶらと歩いていたら、まるでよくできた話のように突然宿が現れる。あまり大きくはないが、外にぶらぶらと宿屋らしい看板が揺れている。

 ──ほら、死ねるわけがないわ。

 そんな憎らしい声が聞こえて、煩せぇと小さく呟く。港の近くで市や町がありそうなものなのに、ここにあるのは宿だけだ。今のところ物資に困っているわけではないので、宿だけでよしとする。


 特に警戒することもなくそこに入ると、カウンターに女が一人、座っていた。

「おかえりなさい、随分早かった……」

 そこまで云って扉を見、どうやら家人でないことを気付いたらしかった。

「し、失礼しました。えっと……」

 そこまで云って、じっと俺を見る。

「──どちらの、方ですか」

 どちらのって、おかえりなさいの次がそれか。何所でも良いだろうと思うが、北でも南でもない人間が来たら、そりゃあこの反応になるものかもしれない。母国語が幸いこの世界の共通語だから俺に訛はない。 容姿も南なんかとは別で明らかに外人とは見えないだろうと思っていたが、金髪碧眼の多いこの土地で、不釣り合いな青い髪を晒しているのが原因なのかもしれない。

「北でも南でもないけど、なんか問題がある?」

「え、いえ、すみません違います。珍しいお色だったので、つい。他国からのお客様も久しぶりなので」

 やっぱそうか。確かに船に人は少なかった。そもそもこんな戦乱の地に旅行には来ないだろう。 だからと云ってわざわざ自分の理由を教えてやる義理もなし、

「で、泊めてもらえる?」

「泊める……?」

 おいおい、なんでそこで不思議そうな顔をするんだ。と思っていたら、あ、と驚いたようにまた俺をじっと見る。

「お、お客様ですね?」

「ここが宿なら」

「ええ、宿です宿です。狭いところですけれど」

 急に張り切り出したぞ、大丈夫なのか、となぜか心配してしまう。年頃は俺とあんま変わらないと思うが、まさか見習いとかではないだろう。確かに大きくはないが、小さくもない。元々個人宅らしい雰囲気が伺えた。

「じゃあ、うん、頼む。部屋、空いてる?」

 俺に必要なのは、休める寝台だ。すると彼女も仕事を思い出したかのように、ゆっくりと頷いた。

「ええ、お一人様ですね」

「あー……、あとペットとか」

「ペット……?」

「ああ、良いや。なんでもない」

 そもそもあいつが来るのは遅いだろうという、希望的観測だ。もし来て追い出されたら、その時はその時考えるとしよう。あとはあいつに適当に野宿してもらう。


 俺のわけのわからない話を、女は案外簡単にスルーしてくれた。

「何日ほどお泊まりに?」

「わかんない。帰れるようになったら帰る」

「ああ……、そうですよね。悪報かもしれませんが、明日の朝、北へ出るはずだった船も出港停止命令が出されました」

「その命令って、誰が出してんの?」

「もちろん天帝ですけれど」

 天帝、か。それは規模がでかい。俺がどうにかできる問題じゃあねぇな。

「ここの港町も含めて、ほとんどがクレアバール帝国領となりました。まあ、いつまで持つものかわかりませんけれど、それでも今のところは」

「まだその領地になってないところってあんの?」

「この地方には……あ」

 思い出したと云うより、わざと抜かしていたと云う感じで彼女は云う。

「ここから少し南に下ったリヴァーシン神国だけは天帝も手を出されていないはずです。あそこはリヴァーシン女神の土地だから誰も手出しができないのです」

「そんな秩序があったんだ」

「ええ、あそこだけは特別なので」

 この大陸にはそういった決まり事など、まるでないと思っていた。作ってからすぐに壊れてしまう国ばかりの大陸は、一つに執着するものがないところだと。


 ただ、と彼女は続ける。

「あそこもあそこで、派閥争いが起きているようで、天帝もそれに加担しているようです。どうやら今回の出港停止命令も、リヴァーシン神国がらみらしいので」

 早速きな臭い話だった。これは近寄らない方が良いと判断する。 面倒なことには極力関わらない、関わりそうだと思ったら逃げるが勝ち。

「行かない方が良さそうだ」

「そうですね、懸命な判断かと」

 すんなりと頷く、先ほどのおかしな反応とは違い、賢いことを云ってくれる。情報もさらけ出してくれるので、ありがたい。余所者と云うのは常に警戒の色で見られるのだが、これだけ気安いとやり易い。踏み込むでもなく、お互いの平穏のために平和協定のようなものを結ぶ。

「お部屋は二階になります。 ここから北の港町にたくさん食事所がありますが、よければうちでご飯もどうぞ」

「ああ、うん」

この近くに何もないことはわかっている。 例の港町と云うのはたぶん船から見えたところなのでそう遠くはないのだろうが、何せ道が整備されていない悪路なので、なかなか頻繁に行きたいとは思えない。


 それでもそこそこに栄えているように見えたが、ここはいかにも寂れていた。

「港町って感じじゃあないな」

「え、ああ。一度、壊れましたから」

「戦わなかったんじゃないの?」

 さっき船の子どもがそう云っていたのを思い出す。この国の詳しい歴史なんて知る由もないが、なんとなく聞けば覚えてしまうものだ。

「この町の人たちは戦っておりませんが、逃げて来る人たちが多くて……」

 そこまで云われてようやく納得した。

 逃げるのに港町はもってこいの場所である。ここでない何所かへ、取り敢えずこの大陸でなければ生きて行けるだろうと外に逃げるのは自然な考えだ。


 だが命を狙われている人たちが逃げるのには、そう穏やかなものではなかったろう。

「もっと栄えてはいたのですけど、一度全員で逃げなければならない事態にまでなってから、戻って来た周辺住人はせいぜい私と父ぐらいです」

 でも、と彼女は微笑んだ。

「天帝が落ち着いたら、ここを港町らしく活気に溢れさせようと仰っていて」

 天帝か。

 国を潰した仇のはずだと云うのに、天帝のことを話す彼女の顔は明るい。

「さっきの町には私も週に一度、いろいろ買いに出ますよ。ここはここで良い静かさがありますが、やっぱり町の騒がしさって云うのはなんだか落ち着きます」

 例の港町と呼ばれるのがそこなのだろう。きっとその町とここまでを繋ぐのを、天帝は提案してくれたのだろうが、大陸を征圧中の彼にいつそんなことができるのかと、幾分冷めた目で見てしまうのは元がひねくれているからかもしれない。


 しかしこの女はどうやって生きているのだろうか、 明らかに不慣れな宿などやって採算は取れているのだろうか、 などと余計なことを考えてしまうのは、 やはり彼女が少し年下(に見えるだけで事実は知らない)だからか。


 とりとめもないことを思いながら借り受けた部屋に行って一息吐く。個室がたくさんあり、何所でも良いと云われたので、窓が一つ余分にある角部屋にした。こじんまりとした個人宅のような、広くはないが狭くもない部屋だ。別段高級思考ではないので、今にも壊れそうな宿でなければ基本なんでも良い。戦地だからと覚悟していたが、その割には随分と綺麗な宿だった。手入れされた寝台に腰を下ろすと波の音が響くだけで、他には何も聞こえない。

 そうだ、ここは静かだ。静かだから、余計なことを考える。騒がしいのが好きなわけではないが、ここまで静かだと少し困る。煩いレイヴン辺りが早く帰って来ると良いのだが(そう云う意味で役に立つ)、それまでこの物静かな中一人でぼうっとしているのも危なさそうだ。



 駄目だろうと云われたが、宿でじっとしても居られない。室内にこもっていると出不精になって、歩くのすら面倒になってしまう。性分もあるが、身体も生活に影響される。何もすることがないので、取り敢えず港に戻ることにした。宿の女は一度呼び止めただけで無理矢理引き止めなかった。1、2、3……港までは歩いてもそんなにかからない行程である。ここ数日静かだった港だが、今日は船員だろうと思われる人々が結構な人数居た。忙しく立ち回るわけでもなく、取り敢えずここに来て仕事をしていますよと云うアピールにも見える。

 近場に居た船員(たぶんさっきの船員だろう)に近付いて、

「船、出る?」

 と尋ねてみる。仏頂面無愛想は今さら直せず、随分な態度だったとは思うが、相手は気にした様子もなくかぶりを振った。

「無理だね」

 憎らしいのも通り越して、清々しいまでの断言だった。

「せいぜいローキアまで連れて行ってくれれば良いんだけど」

「それでも悪いけど、船はしばらく出ないよ」

「どうにもなんない?」

「駄目だね、天帝命令だから」

「天帝命令は絶対なんだ?」

「当たり前だろう。悪いがな、今ここで船を出すわけにはいかないんだよ」

「そっか、駄目か」

 粘っても駄目なら諦めるしかない。ここまで粘っただけ、俺としては上等だ。しかし天帝と云うものがこれだけ地域に浸透してしまっていることに少しだけ驚く。なんだってこんなにも、敵であるはずの天帝が崇められているのだろうか。

 まぁどうでも良いか。俺の興味の対象は、いつここから出られるかだ。あまり危険な場所に長居するとレイヴンが煩くて仕方ない。北国は寒いからとまた煩いので南への船が出れば良いのだが、船が出る気配などまるでない。



 どうしようかとぼけっとしていると、船員が親しげに話しかけて来る。

「おまえさん、あれか、ローキアから来てたよな?」

「……よく覚えてんね」

 ここに来たのは五日ほど前の船だったが、その時この船員は居ただろうか。思い出せない。

「まぁな、記憶力は良いんだ。ティーガと居たが、親御さんでも探してるのか?」

 ティーガって誰なんだと思ったが、俺が話したのはせいぜいさっきの子どもぐらいだ。

「あれは知らない子ども」

「あの子と一緒で、戦争孤児ではないのか」

 孤児ってほど、餓鬼でもないんだけど。

「悪いけど戦争とか、ちっとも経験ない」

「ん、やっぱ本当に本当の異国の人間だな」

「そう、平和ぼけした国から来てる」

 ここに来る前に北国のローキアに寄ってしばらく歩いたが、あそこも平和だったと云える。西国はまだここが初めて踏んだ土地だが、ここは異常だ。夜安心して眠れないのが当たり前だなんて国、他にはないだろう。 最も天帝領になってから来た俺は、そんな当たり前の夜を過ごしていないのだが。

「なんでこんなとこまで来たんだ。最近は天帝のおかげで平和だが、自分の国の方が幸せだろう」

「いや、別に。居場所ないし」

 苦い顔をしてしまったか、船員は同情的な顔になった。いやそんな深い理由は特にありませんけど、と云おうとしたものの、云わなくて良いから云わなくて良いからと手を出された。居るんだよなぁ、こういうやつ。自分の中で勝手にストーリーを構成しているのだ。故郷を追い出されたとか裏切られたとか、その手の劇になりそうなかゆいストーリーを。生憎と俺にそんな劇的な人生はまったくなく、ただ単に進学しない唯一の方向として外に出ただけだ。楽しみを邪魔するのも悪いので、想像の世界で楽しんでもらうために否定はしないで置く。 たいていがこういう場合信じてもらえなくて、面倒くさいことになるからだ。


 同情顔で頷いていた船員は、弱った顔で続ける。

「でも悪いけどね、やっぱ船は出せんのだ」

「天帝はなんで停止したわけ?」

「リヴァーシン神国は知っているか?」

「ああ、うん、なんとなく。特別地域みたいなもんだろ?」

「まあ、余所の人からしたらそんなもんかな。この地元じゃそんな軽いもんじゃないんだが」

 がりがりと頭を掻きながら、船員は云う。

「でも俺はあんま好きじゃあねぇんだよな、あの国」

「どういう意味?」

 軽いもんじゃないって云ったのに。なんとなく近寄らない方が良い国だ、と云う印象をさらに深めた。面倒そうだ。

「俺たち船乗りからすれば、天候ってものは大事だ」

「まぁ、そうだろうね」

 いきなり飛んだ話にどう突っ込んだら良いのかわからず、適当に流した。しかし船員は気にした様子もなく、ありがたいご高説を賜ってくれる。

「リヴァーシン女神にはここら一帯の天候を操る術を持つ。ま、たまに外れるが、船員たちはいつも神国にお祈りをするぐらいだ」

 話があっさりとしかも素早く繋がったことに気を抜かれながらも、随分な宗教だと思う。しかし天候をも左右する神とは恐ろしい。港町ならでは特にだ。リヴァーシン女神を信仰する人々は、女神の力を受け継ぐロウリーンリンク家から生み出される女性を生け贄にし、この土地の安全を守って居るのだと云う。ついでに人々を長生きさせるために祠でずっと祭っているのだとも。

「阿呆くさ……」

 人生十八年で疲れているというのに、どうしてそんな長生きなんかしないといけないんだ。

「異国の人間はそう簡単に切れて良いよなぁ、俺も船乗りながらそう思っちまうんだけどよ」

「あ、そっか。天帝が差し止めたのはそのリヴァーシン神国だかで動きがあるからか」

「その通りだ」

 ここはリヴァーシン神国に近い。何かあればとばっちりを受けるだろう。 船を出せないように港を押さえておけば、リヴァーシン派の人々を海に逃がすことはない。


 納得したと同時に、音が響いて砂が舞い散る。

「来やがった……」

 不穏な響きと共に、船員は遥か南の方を見遣る。

「リヴァーシン神国の中でリヴァーシン派と天帝派と分かれてな、今じゃ身内で日々争いだ。天帝は交渉をしているが、彼らはこうして暴れて攻撃して来る。そのとばっちりがここまで来る」

 この四日間平穏無事に眠れていたが、いつしかこっちまで被害が来る可能性は否めない。これは早いうちに逃げ込んだ方が良さそうだが、逃げ込み先が見つからないのだから参る。

「なんかだいぶ面倒なことになってるな」

「港ってもんは、みんな欲しがるからな」

他人事のように聞こえるが、港の船員は一番関わっているのではないかと思う。

「ここより西の、山脈の向こうに行くとどうなる?」

「山脈の向こう? あんた本気か?」

 信じられない、と云う顔をする。余程のことなのだろうが、俺は行きたい。

「天帝が押さえているのは山脈より東だけだ。ベンデンデル山脈を越えたら、紛争なのか戦争なのかわけのわからないやつばっかり起きている。行かない方が良い。たぶん顔出した瞬間殺されるか、捕まるかだろうな。あー……おまえあさんの見た目じゃ特に。異国人は二重スパイが多い」

「──そっか」

 なんだかものすごいことを簡単に云われてしまって、それしか言葉として出て来ない。俺の髪は日に当たらないと青いなんてわからないだろうし、人の目の色なんてちゃんと見ることはなくないかと思ったものの、日々命懸けの奴らは違うだろう。

 じゃあ何所に行こうか。外を歩くのは予想外に楽しい。だが死ぬと後々煩いことになるだろう。特に親父辺り。激しい怒りに見舞われそうだ。 笑顔でにこにこにこに笑いながら、死後まで責めて来そうな気がする。生きる気もなかったが死ぬ気もない。俺は中途半端なだけだ。

 ここでの結論は簡単だ。

「ひとまずここから出る方法はないんだな……」

「そうだな。──と云うより、まだここに居た方が良いと思うぞ。リヴァーシンでとばっちりは受けるだろうが、近寄らなければ死ぬことはたぶんないと思うし」

 随分といい加減だな、たぶんで命を保証されても説得力がないんだけど。 あっけらかんと云われて、彼に悪気はまるでないのだとわかるから頷いて置いた。

 きっとこれが、こいつらの普通なのだ。

 戦争のとばっちりが当たり前、それでも生きていられるのなら満足だと。




 港の風が強く当たって来る。ああなんかそういえば、ちょっと寒気がして来たかもしれないと思ったところで、船員が嫌な笑いをして俺を見る。

「あんた、閑そうだな」

「船が動くまではね」

 厭味で返したが、対して効き目にはならないだろう。彼が好きで止めているわけでもない。閑は閑だ。港町が気になったものの、どれだけかかっても今から行ったら日が暮れてしまう。行き過ぎるとレイヴンに見つけてもらえないだろうから、大人しく宿にこもるしかない。

 俺の厭味など本当にまるで気付いていない船員は、うんうんと深く頷いた。

「ここから少し南に下ったところに、孤児院がある」

「孤児院?」

「今まで子どもってもんは死ぬ存在だったが、天帝が作ってくださった」

「へぇ」

「だけど世話をする人が少なくてな。良かったら行くと良い」

「いや、別に興味ないけど」

「でもおまえさん、子ども好きだろう」

「好きじゃない」

「面倒見は良い。慣れてるんだろう? 小さい兄姉弟妹でも居るのか?」

 あれで面倒見が良いと云われたら、世界中誰でも子どもと仲良くなれるだろう。

「あー……俺は長男だけど親父は末弟で、つまり従兄からは俺も年下扱いされてたわけで」

「でも近くに小さい子どもは居たと」

 云い訳だけさせてくれても嬉しくないって。俺は子守りが嫌いなんだって。実家に帰りたくない理由の一つとしてそれもある。家に帰ると従兄の子どもが、寄って集って俺を目当てに遊びに来る。俺の何が楽しいのかわからないけど、体力を消耗することだけは確かだ。あいつらも父親に似て落ち着きが出ると良いんだけど、今の性格を鑑みる限り、無理だろう。特に二男。あそこは性格がみんなてんでばらばらだ。

 俺のふつふつと沸き起こって来た怒りなど知らず、船員は続ける。

「まぁ、行くだけ行ってくれば良い。うちの娘もよく行くんだ」

「へぇ……」

 あんまり興味、湧かないんだけど。子守りやれってことだろ、だから。

 俺のやる気ない返事がわかったのか、船員は少しやるせない顔をした。

「さっきの坊主、ティーガもな、そこに連れて行かれたぜ」

「え?」

「あいつは戦争が酷くなる前にローキアに避難していて、ここらがようやく落ち着いたから戻って来たんだ。

兄姉は戦争に駆り出されて海の近くで死んじまった。俺が確認してやれたのはそこまでで、母親は見つからねぇ。

親父さんは戦争が始まった時、すぐ駆り出されて死んじまったから、せめて死んでても会わせてやりてぇとは思ってんだけどな」

 愕然とする。なのにあいつは、あんな晴れやかな笑顔で船を降りたのか。


 小母さんというから親戚にでも預けられるのかと思ったが、見知らぬ孤児院に笑顔で駆けて行く子どもを思い出すと、なんだか気分がざわついた。

 ──かわいそうね。失礼な云い方かしら。

 おまえは黙ってろよ。

 思わず胸を叩いて、動揺を沈める。

「ま、時間がありゃ行ってみてくれ。もしあれだったら、娘に案内させるしよ」

船員は人の良い笑顔でにっこり笑う。海が似合う、おおらかな人だった。



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