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旅人物語─神の居ない神国  作者: 痲時
序章
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プロローグ


「お、お目覚めですか?」

 ぼんやりとした中に、見飽きた顔が浮かび上がる。

「何所か不自由なところは……、体調はいかがです……?」

 顔色の悪い彼にそう言葉を紡がれて、俺はぼんやりと天井を見つめる。 いつもの見慣れた莫迦みたいに豪奢なもの、それからゆっくりと辺りを見回して、 今自分が何所に居るのか、眠る前の記憶が次第に蘇って来た。


 ──何やってんだよ、俺は。

 慌てて身体を起こすとふらついたが、こんなことをしている場合ではない。

「ビル様!」

 慌てる声が聞こえたものの、俺はそんなものなど気にかけない。


 まさかと嫌な予感はあった。 足下が覚束ない、まるで夢の中を歩いているかのような頼りない足取り。 それでも必死に住み慣れた我が家の玄関から、外に飛び出した。


 タイミングを図った、と云うのはこういうのを云うのだろうか。


 よくできた芝居のように、嘘くさいぐらいのタイミングで、それは本邸から出て来た。

「ビル……」

 全員の視線が俺に注がれ、一番に声をかけ足を運んだのは主治医になる予定の従兄だった。

「駄目じゃないか、寝台から出てしまっては! まだ歩けるような容態じゃあ……!」

 従兄を応援するかのように後ろから慌てた様子で走って来る音がする。 それから逃れるかのように、まったく頼りない足下で俺は構わず前進した。 本邸から出て来たそれに向かって、かじりつくように。

 それを持っている奴らは全員、あいつに付き添っていた侍女だった。 全員が全員、顔をベールに隠しているが、その視線がそっと俺から逸らされた。 どう云ったら良いのかわからないと云うより、俺の顔を見て明らかに怯えていた。


 俺は彼女たちの持つそれに、すがりつくように飛びついた。 慌てて止めようとする人が居るものの、俺は引かず、侍女は必死に落とすまいとする。 どうにかこうにか、その柩を無理矢理開けると、見飽きた顔がそこにはあった。 酷く穏やかなその顔はを見るなり、今までどうやって歩いていたのかわからないほど身体が重たくなった。それに手を伸ばしはしたものの俺が触れてはいけない気がして、途中で思い留まる。俺が唐突に落ち着いたからか、後ろから羽交い絞めにされかかっていた手が緩んだ。

「……ふざけんなよ」

 声が漏れた。

「どうして……おまえが……!」

 なんて云いたかったのかわからない。

「なんでおまえなんだよ! どうして俺じゃないんだよ……!」

 その理不尽さをぶつけるように、俺は初めてかもしれない大声を張り上げた。 だが元気があったのはそこまでで、粘つく足がずるりと重心を失って崩れ落ちる。 慌てて駆け寄って来たのは医者の従兄だろうと思ったが、 それが驚いたことに親父だったと知ったのは、珍しく厳しい彼の声が降って来たからだ。

「おい、誰か手を貸せ!」

「叔父上、どうか落ち着いて……!」

「もしビルが死んだら、誰の命もないと思え!」

 その柩が丁重に地面に置かれたのか、かすかにしゃらんと音がした。ぼやける意識の中で唯一見た、ミスリルのアンクレット。莫迦じゃねぇの、ずっと一緒だったはずなのに。

 自業自得なのに。

 思わず苦笑したくなったが、顔の筋肉すら動かせない。


 俺はそのまま、意識を失う。


 俺はこんなにも、脆い。


・・・・・


 紙を渡されて突き返すと、伯父は大変困った顔をした。

「まぁ、おまえがそれで良いのなら良いが…」

 そうは云いながらも残念そうな顔をされている。また俺は、誰かしら悲しませる。 だがそれでも、仕方ない。進学なんて、俺はする気がまるでない。 伯父には簡単に挨拶だけして、帰って早々に本邸まで出向くと、のんびりとくつろいでいる親父たちに報告する。

「俺、進学しない」

「んー、どうして? 飽きちゃった?」

「そうじゃなくて」

 相変わらずのんびりしている親父に、少しうんざりしながら云う。

「国、出ようかと思って」

「──そっかー、それも良いかも。ねぇ」

「そうねー、良いんじゃないかしら」

 あははと笑う父に、うふふと笑う母。 なんて寝ぼけた家なんだろうか。

 こんな平和な暮らしをしているのに、どうして外に出るのか。 結婚しないのだから、せめて最後まで学院ぐらい卒業しろ。それが世間そこそこの両親の正しい反応だと思うが、この人たちには通用しないらしい。俺が学院と云うものにそもそも慣れていなかったからか、進学は強要されないことはなんとなくわかった。だが進学しないなりに何かしら頼まれるかと思ったが、この様子ならその心配もなさそうだ。この両親の反動から妹はお嬢様らしく育ったのだろう。俺としてはそんな家で一生を過ごすのはごめんで、こんなぬるま湯に浸かっている状態が気持ち悪い。


 だから国外に出たのは、大した理由ではない。


「ああでも、一つ条件を出しておくよ」

「条件?」

「そう、条件」

 にこりと笑って続ける親父の顔が、あの時のようだな、と思えた。俺自身曖昧でぼんやりとしている、一月前ほどのあの深刻さ。

「何所へなりとも行けば良い。ただし必ず、生きていなさい。いつしか寿命とやらが来るまで、その生を捨てることはまかりならぬ」

 親父と云うものは常に呆けている人だと思っていたが、この人が一番恐れられている理由がなんとなくわかった気がする。

「当主命令で、父親命令だ。──良いね、ビルスケッタ」

「はい、第一子卿、承りました」

 覇気と云うのか、恐怖と云うのか、とにかく何かに後押しされるかのように、俺は幼い頃から癖がつくように覚えさせられた返答をついしていた。怖い人だと実感して、勝てないと思う。この人が俺の絶対の味方であり敵であることは既に理解しているし、敵である親父には、まるで歯が立たずに負けて行くだろう。


 でもここから出ることは、親父の巣から出ることだけは、自由だ。だから俺が出て行くことを決めたのは別にそんな劇的な理由があったわけじゃない。

 ──すまない、ビル。……しばらくは。

 みんなの視線から逃れるためでも、従兄に気を遣ったからでも、ない。


・・・・・


 どおぉぉん。

 爆音が響いて、びくりと肩を震わした。また、だ。時折何回目かまで数えるけれど、途中で怖くなっていつも止めてしまう。それぐらい頻繁なこの音におののきながら、日々私は祈るしかできない。

 ──西より来る。

 ああ、また声が聞こえる。

 ──西より来る新たなる覇者に従いなさい。

 それが何を差しているのか、私にはよくわかった。最近ここ周辺を鎮静している、山脈麓のクレアバール帝国。既に領地をあちこちに広げて、山脈の東側、つまりこちらで天帝領でない場所はもうほとんどない。


 ここリヴァーシンは、その例外に入っている。


 どうして私には、できないのだろう。

 悔しくて唇を噛み締めるも、何ができるわけでもない。 ただここで毎日、爆音におののいて数えていることしかできない。


 神官には幾度となく伝えているのに、彼はそれを信じてくれない。むしろ神の声が聞けなくなったのかとまで云って来る。違う、声は確かに、私にそう告げているのだ。天帝に従いなさいと、そう云っている。


 ──誰か。

 無理なことは承知で祈る。

 ──誰か、ここから、出して。

 私には、祈ることしかできない。


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