オオカミ王子と急接近する 01
ローエンベルグ王国の王族貴族は、イザークのような特別なケースを除いては、六歳から十八歳までの間、王立の学院で勉学を修めることになっている。
十八歳の春に学院を卒業すれば成人と見なされ、国の為に働くことになる。異大陸への遠征もその一つだ。あるいは女性ならば、結婚して家庭に入る場合もある。
「クラウディア」
昼食時、学院内で声をかけられて振り返ると、兄の婚約者がほほえんでいた。
「ヒルデ様」
ヒルデガルト・アレンスはラルフの婚約者で、クラウディアよりひとつ年上の十八歳である。アレンス家は、貴族の中でも最も位の高い一族のひとつである。
「……いろいろと大変だったわね。もう落ち着いた?」
「はい。もう大丈夫です」
心配そうな声色のヒルデガルトにクラウディアが笑顔を見せれば、ヒルデガルトは安心したように頷いた。
「中庭にランチを用意させたの。一緒にどうかしら?」
「喜んで」
中庭の青く美しい芝生の上で、空色の敷物に腰を下ろす。こうして外の空気を感じながら食事を取るのは、気持ちが良かった。
隣に座るヒルデガルトは、繊細なレースの扇を持っている。時折口元を隠してほほえむヒルデガルトは優雅そのものだ。王国の女性の間で長く流行しているのだが、クラウディアにはヒルデガルトの様に綺麗に使いこなす自信がなくて、身につけることはない。
「もうすぐ、卒業したら結婚ですね」
ヒルデガルトの成人を待って、ラルフは結婚する予定となっていた。
「ええ、そうね。あなたは、イザーク様と婚約なさったと聞いたけれど」
「そうです。たった数日前までは、アレクシス様と結婚すると思っていたのに」
「家の事情で婚約者が変わった人は他にもたくさんいるわ。わたくしたちには、自由な結婚なんてないようなものだから」
「私の場合、家の事情というよりは、アレクシス様の事情ですけどね……」
クラウディアはため息をついた。
「つらい気持ちは、きっと乗り越えられるわ」
「ヒルデ様……。ありがとうございます」
ヒルデガルトの優しい眼差しにクラウディアも笑顔になる。そうするとヒルデガルトは、ふふっといたずらっぽくほほえんだ。
「今の言葉はね、昔ラルフ様がわたくしに言ってくださったのよ」
「え? それって……」
「そうね、あなたにだけは、秘密を教えてあげる」
「まさか、兄様以外に?」
「そうよ。とっても好きな方がいたの。ただの、片思いだったけれど」
「そうだったんですか……」
「驚いたのはね、ラルフ様がそれに気がついたことなの。婚約してそうそうに、他に好きな男がいるんだろうって言われたのよ」
「兄様は、何でもお見通しなところがありますから……」
「でもラルフ様は言ってくれたの。つらい気持ちはいつかは乗り越えられる。大丈夫、俺が側にいる。ずっと守ってやるって」
「……兄様も決めるときは決めるんですね」
「そうよ。それですっかり好きになってしまったの」
「イザークも……」
クラウディアは、ぽんぽんと頭を撫でられたことを思い出す。
「……慰めてくれた、かな」
「良かったわね。イザーク様も、とても素敵な方だわ。クラウディア、あなたをうらやましいって思っている方はたくさんいるのよ」
「ええ!?」
「あら、知らないの? イザーク様は、結構人気がおありなのよ。ご本人には、まったくその気がなかったみたいだけれど」
「……嘘ですよね」
「本当よ。学院にいるときには、確かに近寄りがたい雰囲気もあったけれど、ああいうところもそれはそれで魅力的だって思う女性も多いのよ。シャープなお顔立ちも人目をひくし」
「ええー……」
ヒルデガルトから聞かされる事実に、クラウディアの頭は混乱していた。しかし言われてみれば確かに、だ。近寄りがたさが魅力的になることは理解できないが、顔立ちについては否定はしない。
「何より優秀だわ。遠征では素晴らしい成果を出しているでしょう?」
「それは確かにそうですけど……。イザークの魔力は昔からすごいし……」
「イザーク様のこと、素敵だと思ったことはなかった?」
「思うもなにも、喧嘩ばかりで……。だからイザークが私との婚約を受けたというのが、今でも信じられないくらいです」
「ずっと婚約すらしなかったイザーク様が、あなたとの話なら快諾したのは、あなたを憎からず想っているからだと思ったわ」
「でも昔、大嫌いって言われて……」
「昔? いくつのとき?」
「十二歳くらい、かな」
「イザーク様は十四? そんな子供の時のこと、許してさしあげたら?」
そう言われると、返す言葉がない。そもそもクラウディアだって、昔のことにこだわる自分をくだらないとは思っていたのだ。
「……仲直りするきっかけがなくて、今日までこんな調子できてしまって」
「大丈夫。これから仲良くすれば良いのよ。あなたが素直になれば、きっとイザーク様も優しくしてくださるわ」
にっこり笑うヒルデガルトに、半信半疑で頷くと、ヒルガルトは言葉を付け加えた。
「どうやって仲良くなったか、ちゃんと報告してね」
ヒルデガルトはレースの扇を口元にあてて、にこにことほほえんでいる。
「……ヒルデ様、面白がってます?」
「そんなことないわ。わたくしは心配しているだけよ」
「……ヒルデ様って、兄様とぴったりだと思います」
「あら、嬉しい」
ヒルデガルトはとびきり上品な顔でほほえんでいた。