オオカミ王子は思いを伝える 02
クラウディアがよく眠れるようにと、重いカーテンが下ろされていたので、日中にも関わらず室内は薄暗かった。光源はサイドテーブルにある小さなランプひとつだけだ。
イザークは音を立てずにベッドサイドに近づく。クラウディアは吐息を立てて眠っていた。
苦しいのだろうか、わずかに眉を寄せている。イザークは無言のまま、傍にある長椅子に腰を下ろした。
そのまま黙って見守るつもりだったが、クラウディアの額にうっすらと汗が滲んでいるのが見えて、イザークは胸ポケットからチーフを引き抜いていた。
気づかれぬようにそっと押し当てたのだが、ほんの僅かな動きを彼女は感じ取ってしまったらしい。うっすらと目をあけたクラウディアに、イザークは動きをとめた。
ぼんやりとした様子で、視線を泳がせるクラウディア。気づかれぬようイザークは身動きひとつしなかったが、彼女の眼差しはやがてイザークを捕えた。
「イザーク?」
「……悪い。起こすつもり、なかった」
自らの失敗にため息をついて、イザークはチーフをもとに戻す。
一瞬の沈黙のあと、はっきり目を開けたクラウディアが弱々しく言った。
「イザーク、戻ってきたの?」
「……ああ。ついさっき。向こうでトラブルがあって、予定より遅れたんだ」
「そうだったの。良かった……」
「きついんだろ? 眠った方がいい」
そう言うのに、クラウディアはふるふると首を横にふる。
「大丈夫。だからここにいて」
「……わかった」
高熱のせいだろう、クラウディアの顔は赤い。そして大きな瞳は潤んでいるが、それは高熱のせいだけではないのかもしれない。
「私、心配だったの。イザークも、もしかしてこのまま帰ってこないんじゃないかって」
「行く前、約束しただろ。失踪なんかしねーって」
「それでも、怖かったの」
クラウディアの表情はいつになく弱々しい。イザークは胸がつまった。
「……オレが、どうしてお前と婚約したと思う?」
静かな声でそう言うと、クラウディアはじっとイザークを見つめた。
「私のこと、嫌じゃなかったから?」
「ああ、嫌じゃなかった」
「……でも私、不思議に思ったの」
「オレはお前に優しくしたことなんか、なかったからな」
「そうよ。あの大喧嘩の日以来、ずっとそうだったわ」
「あの日お前はオレに言ったんだ。アレクと婚約するって」
「……そう、だった?」
本気で覚えていない様子のクラウディアに、イザークは苦笑する。
「そうだよ。だからオレはお前を突き放した。いっそ嫌われた方が楽だと思ったから」
「……どうして?」
「お前が好きだったから」
クラウディアは目を見開いた。それから何を思ったのか、突然ベッドから上体を起こした。
「バカ、寝てろ」
イザークは慌てて長椅子から立ちあがり、クラウディアをベッドに押し戻そうとする。
しかしクラウディアは言うことを聞かなかった。イザークの腕に延ばされた手が、ぎゅっと強くそこを掴む。
「イザーク、いま何て言ったの?」
イザークはクラウディアを支えるために、自身も彼女の横に腰を下ろす。
ぐっと距離を縮めて、クラウディアは信じられないといった眼差しのままイザークを見つめ続けた。
「何て言ったの? もう一回言って」
イザークはもう一度、今度はゆっくりと彼女に告げた。今まで言葉にできなかった思いを、すべて込めて。
「お前が好きだ。はじめて会った時から、ずっと」
次の瞬間、クラウディアは飛びつくようにイザークに抱きついた。
「……!!」
驚きすぎて、一瞬イザークの思考は停止寸前になる。
「……馬鹿! そんなの、わからなかった」
熱をもったクラウディアの小さな体が震えていた。
馬鹿、と言った言葉とは裏腹に、イザークの気持ちを受け入れてくれているのだと理解した。イザークの心に、泣きたいくらいの愛おしさが込み上げる。
「お前の相手がアレクだったから。お前はアレクを好きだったし、アレクなら誰よりお前を幸せにすると思ったから。だからそれをぶち壊すようなこと、できなかった」
イザークは壊れものに触れるように、クラウディアにそっと腕を回した。クラウディアの吐息が、イザークの首元を熱くする。温かいしずくが、いくつもそこをつたった。
「でも、もう決めた。お前は俺が幸せにする。誰にも渡さない。例えアレクが戻ってきたとしても、絶対に渡さない」
イザークの首元で、クラウディアがこくりと頷いた。
「だからもしもこの先、また今回みたいなことがあったとしても、信じて待ってろ。何があっても戻るから。お前以外のところにはどこにもいかない」
もう一度こくりと頷いて、クラウディアはイザークの首元にまぶたを押し付ける。
本音を言えば、思い切り抱きしめたかった。息もできないくらい強く。
だがクラウディアの体温が、イザークにブレーキをかけていた。
「……だから今日はもう、眠れよ。ほんとにお前、熱高い」
「うん。……でも眠るまで、側にいて」
「子供かよ」
笑いながら、強く抱きしめるかわりにイザークは、クラウディアの後頭部を優しく撫でた。




