オオカミ王子とは犬猿の仲 02
「……落ち着いたかよ」
げほっと黒い埃を咳とともに吐き出して、イザークは呆れたような声色で言った。
半分崩壊した扉の向こうから、青い顔をした使用人達が遠巻きにこちらを見守っていたが、イザークが手をひらひらさせて追い払った。
家具はあちらこちらに吹き飛び、窓ガラスは全て割れてしまっていたが、建物自体に致命的な損傷はない。かなり強固に作られたものなのだ。こういう状況を想定してなのかは、定かではないが。
「お前な、オレじゃなかったら死んでたからな」
クラウディアの魔力の暴発を至近距離で受けたイザークの髪や衣服は、所々焦げ付いている。それくらいで済んだのは、咄嗟に防御魔法で身を守ったからだろう。
クラウディアはへなへなとその場にしゃがみこんで、うつむいた。
「……あなたがあれくらいじゃ死なないことくらい、知ってる」
「そーかよ」
イザークはがしがしと頭を掻いてから、ばつの悪そうな様子で言った。
「まーあれだ。さっきのは失言だった。悪かったな」
「…………」
「聞いてんのか?」
「……イザークが謝るなんて、明日はきっと槍が降るわね」
「喧嘩売ってんのか」
「どうせ私は可愛くありませんから」
「だから、謝っただろうが」
ハァ、とこれ見よがしなため息をついてイザークは、クラウディアの前でしゃがみこんだ。こちらを覗きこもうとするが、クラウディアは顔を上げない。
「大丈夫か」
思いがけず、優しい声色に、クラウディアはびくりと体を揺らした。
答える代わりに、頭の中をぐるぐると回っていた言葉をぽつりと漏らす。
「……アレクシス様は、私のことが嫌いだったの?」
もう一度、がしがしと頭を掻く気配がする。ややしてイザークは答えた。
「嫌いとかじゃ、ねーだろ」
「じゃあ何で」
「何でって……」
「聖女って誰のこと」
「…………」
「知ってるんでしょう。教えて」
「…………」
「教えて」
イザークは小さく息をついて、その名を口にした。
「ニーナ・リーツ」
「……その人、知ってる。すごく、綺麗な人」
「綺麗かどうかは知らねーけど。まあ、回復魔法は上等だったな」
「私、回復魔法は苦手なの。すごく」
「苦手というか、ほぼ使えねーよな」
「使えないからダメだったの?」
「だから、そういうんじゃねえって」
「じゃあ――」
何で、という言葉は、イザークの声でかき消された。
「アレクは、お前のことは大事に思ってた」
クラウディアは、思わず顔を上げた。
目が合った瞬間に、イザークはぎょっとした顔をしたから、多分クラウディアの想像以上に、自分は情けない顔をしているのだろう。
息をついてイザークは、もう一度繰り返した。似合わない、ひどく穏やかな様子で。
「大事に思ってたよ」
(大事に思ってくれていた。そんなことは、わかってる。いつもいつも、アレクシス様は、私に優しくしてくれた)
「……アレクシス様は私を大切にしてくれた。でもそれは、ひとりの女性として、じゃない」
「……そーだな」
「ニーナさんのことは、ひとりの女性として、好きになったのね」
「……そーだな」
クラウディアは再びうつむいた。膝の上で握りしめた両手が震えている。
「でも、私、好きだったのよ……」
ぽつりと独り言のようにつぶやいて、クラウディアはアレクシスの姿を思いだした。
暖かい春の日差しのような人だった。きらきらと輝く金色の髪が綺麗で、優しい笑顔が眩しくて、クラウディアは彼を見る度にいつも目を細めたのだ。
(もう、会うことすらもできないのね。突然、こんな風に)
「……せめてお別れくらい、言いたかった」
震えた声色に、しばらく困り果てたようにイザークは沈黙していたが、やがて何を思ったか、ぽんぽんとクラウディアの頭を撫ではじめた。
「……!?」
一瞬目を丸めた後、クラウディアは慌ててその手を振り払った。
「や、やめてよ!」
クラウディアは唇を噛んでイザークを睨む。そうでもしないと、せっかく我慢していた涙が零れ落ちそうな気がした。
「へいへい。やっぱり可愛くねーな」
また言われてしまったが、今度はもう魔力を爆発させることはない。クラウディアは再び視線を落とすと、力なく言った。
「……今日はもう、帰って」
「言われなくてもそーするよ」
イザークは立ちあがり、そのまま立ち去るかと思ったら、頭上から言葉が降ってきた。
「落ち込むなよ。お前は何も悪くねえ。今までもこれからも、お前はお前でいればいい」
遂にクラウディアの涙腺が決壊した。ぼろぼろっと落ちた雫を見られたくなくて、クラウディアは慌てる。
(何なの! イ、イザークのくせに!)
「いいからもう早く帰って!」
「へいへい」
歩き出したイザークの背中に、クラウディアは聞こえるか聞こえないかの小さな声を投げかけた。
「……イザーク。ごめんなさい」
クラウディアは下を向いたままだったけれど、イザークが振り返る気配がした。
「バーカ。ありがとう、だろ」




