オオカミ王子と急接近する 05
それからは、もう何も考えられなかった。
魔力の暴発こそなかったものの、イザークの体を跳ね飛ばすようにして逃げ去ると、クラウディアは馬車に飛び乗った。
ランペルツ家の馬車なので、当然イザークを残して出発はしない。少し遅れてイザークが馬車に乗る気配はわかったが、クラウディアは馬車の中にあったクッションを抱きしめるように顔を伏せたまま、一言も口をきかなかった。
途中何度もイザークから呼びかけられても、頑として顔をあげなかった。
そうでないと、思い出してしまいそうだったからだ。間近で感じたイザークの匂いや、唇の感触を。
「……それはまた、予想以上に接近したのね。物理的に」
休日明け、学院の中庭のベンチで会ったヒルデガルトに、クラウディアはイレーでの出来事を話していた。
「ヒルデ様、真顔で冗談やめてください」
「冗談ではないわ、だってしたのでしょう? キ――」
「ちょ! ヒルデ様! やめてくださいってば!」
慌ててヒルデガルト様の言葉を切ってから、クラウディアは息巻いた。
「……信じられない! 結婚もしてないのに!」
「えっ?」
「えっ!?」
「…………」
「…………」
ヒルデガルトがまじまじとクラウディアを見つめてくる。
「えー……と」
「……クラウディア。つかぬことを聞きますけれど、あなた子供がどうやってできるか、ご存じ?」
「は、はぁ!?」
かぁっと顔を赤くしたら、ヒルデガルトは安堵したように息をついた。
「良かったわ。その様子なら、さすがに知っているのね。いくら男ばかりの家族とはいえ、そこから教えなければいけないとしたら、家庭教師たちは何をやっていたのかという話になるわ」
「…………」
ヒルデガルトが何を言いたいのかわからず、赤い顔のままクラウディアが困っていると、ヒルデガルトはさらりと言った。
「キスくらいは、いいのではなくて? それ以上はいけません」
「ええ!?」
「イレーから戻ってもう三日でしょう? その後イザーク様とは話をしたの?」
「……してません」
「逃げているのね」
「…………」
「イザーク様、お気の毒に」
「ええー……」
ヒルデガルトが完全にイザーク側についたので、クラウディアは情けない顔をする。
「仲直りするのよ。クラウディアのほうから。これ以上、日を開けては駄目よ」
「でも……」
「でもじゃありません」
「……はい」
「よろしい」
しぶしぶとクラウディアが答えると、ヒルデガルトはいつものようにレースの扇を口元にあてて、にっこりとほほえんだ。
かと思ったら、ぐい、と上半身を乗り出すように、ヒルデガルトはクラウディアとの距離を詰めた。
「クラウディア。どうせなら、もっと素敵なキスの仕方を教えましょうか?」
「ええっ」
「触れるだけじゃない、もっと素敵なキスよ。イザーク様だってきっと喜ぶわ」
レースの扇がおろされる。ヒルデガルトの形のよい艶やかな唇に、クラウディアの視線はくぎづけになった。
クラウディアが赤くなったり青くなったりしてそのまま硬直していると、ヒルデガルトはレースの扇を口元に戻して顔をそらす。
「…………」
「……からかいましたね」
「…………」
「笑ってますよね」
「笑っていないわ」
「肩が揺れてますってば! もう!」
ヒルデガルトは口元どころか顔全体を隠して、しばらくふるふると体を揺らしていた。




