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7 ドラゴン、王子と月見をする

 騎士隊員たちによってニナは中庭にある檻に入れられた。

 体のあちこちにできた刺し傷も痛むが、それよりも心の中のほうがよっぽど痛い。

 アスランを襲ったのではないと何としてでも伝えたいのに檻の周辺には誰もいない。もちろん誰かいても言葉がしゃべれないニナには伝えようもないのだけれど。


「ギシャ! ギシャ―!!」


 格子をつかみ、ありったけの声量で叫ぶ。どうしてもどうしてもアスランにはわかって欲しいのだ。あれは誤解だと。アスランを傷つけるつもりなんてないし、これからも決してないと。

 しかし返ってくるのは静寂だけだ。


「ギシャー……」


 力なく床に座り込んだ。ニナをぼう然と見つめていたアスランの顔が思い浮かんで、たまらなくなった。信じていたドラゴンに裏切られたと思って怒っているだろうか。それとも悲しんでいるだろうか。


 このまま北方の地へと送られてアスランと二度と会えないかもしれない。それも胸が引き裂かれんばかりに苦しいが、本当は誤解なのに、その事でアスランの心を傷つけてしまったという事実が悲しくてたまらなかった。


(ドラゴンになった私を最初から信頼してくれた人なのに……)


 ニナは立ち上がり、再びありったけの声で鳴いた。


 ――応える者はいない。


 それでもニナはあきらめなかった。声の限りを尽くして叫んだ。

 ドラゴンの咆哮に鳥たちが一斉に逃げていく。遠くから馬の怯えるいななきが聞こえてきた。

 夕闇が迫り、風も冷たさを増す。


 やがて声がれてきた頃。


「ドラン」


 ゆっくりとアスランが檻に近付いて来た。少し緊張しているような、ためらっているような今まで見た事のない表情だ。

 それでもニナは嬉しくて、夢ではないかと、ぎゅうっと頬を引っ張った。ドラゴンが爪で頬肉を引っ張る姿はシュールだったろう。アスランが思わずといった感じで口元をゆるめた。


 笑ってから、しまったというように口元を片手で押さえてチラリとニナを見上げてきたが、一度心がほぐれてしまえばもう元のアスランだ。

 格子越しに、今にも泣きそうな情けない顔をして立つニナを青い目が見つめる。


「――あの後、どうしてドランが俺を襲ったのか考えていたら、蜂が飛んでいる事に気付いた。もしやと思って周辺を捜索したら、裏口から通じる奥庭のやぶの中に小さい蜂の巣があったよ。……ひょっとして飛んできた蜂から俺を守ろうとしてくれたのか?」


 ニナは驚いた。気付いてくれたのだ。途方もない嬉しさが込み上げてきて「ギシャギシャ!」と何度も首を縦に振った。

「そうか」とアスランもホッとしたように息を吐く。


「やっぱり、そうだったのか。良かった。あの若い騎士たち――ルークとトウマが捜索を手伝ってくれたよ。半信半疑だけど自分を助けてくれたドランが王子を襲うとは思えないと言っていた」


 騎士コンビだ。信じてくれたのだと胸の中が熱くなった。


「俺も最初は少し疑った。ごめんな」


 アスランが申し訳なさそうに唇をかむ。

 ニナは「とんでもない」というように慌てて首を横に振って否定した。伝わらないといけないと思い直し、短い前足も精一杯伸ばして同時に振る。気付かないうちに、しっぽまで振っていたようだ。

 全身で「いいえ、気にしていませんよ」を表現するドラゴンに、アスランが笑う。


「本当に人間みたいだな。俺の言葉がわかるみたいだ」


 心の内にコツンと当たるものがあった。

 本当は人間なのだ。今はこんなドラゴンの姿だが元は人間だ。

 伝えてみようか、とふと思った。もちろん言葉は話せないし、この前足では満足にペンも握れない。けれど固い土の上や木板だったら、時間はかかるし上手には書けないだろうが爪で刻む事はできる。


(でも何て伝えればいい……?)


 気を失って目覚めたらドラゴンになっていた。ニナ自身も信じられない、そんな話を誰が信じる? どうしてこんな事になったのか全くわからないのに。あの時、森で気を失う直前、何かにぶつかったような気がするが記憶はおぼろげだ。

 元が人間だなどと言い出してアスランに変な目で見られたくない。この唯一の居場所を失いたくない。


「ドラン?」


 うつむいてしまったニナを気遣うように、アスランの申し訳なさそうな声が響く。


「檻の鍵はハンネス――あの頑固な騎士隊長が持っていて、俺やルークやトウマも説得したんだが聞き入れないんだ。何しろ頑固でクソ真面目だからな。明日の朝には何としても鍵はもらうが、すまない、今夜は檻の中で過ごして欲しい」


 真摯しんしに見上げてくるアスランに、ニナは今度は首と前足を縦に振った。同時にしっぽもパタパタ動かし「全然、大丈夫です。気にしていませんよ」を表現する。

 アスランはそんなドラゴンをじっと見つめた後でフッと微笑み、背を向けた。


「良かった。じゃあ、おやすみ」


 寝室へ戻るアスランをニナは笑顔で見送った――はずが、予想外にもアスランは檻の格子にもたれると、ニナのすぐ前の地面に寝転んだ。


「ギャギャ!?」

「だって夫婦だから。夫婦は同じ場所で寝るものだろう」


 ニナは焦った。だって、そこは土の上だ。ドラゴンな自分なら構わないがアスランは王子だし、それに風邪をひいたらどうする。


「ギャ! ギャ!」


 格子の隙間から何とか指だけを出して、アスランを軽くつついて寝室に帰そうとする。ニナを信じて蜂の巣を探してくれた事だけで充分だ。それだけで充分、救われた。


「もしかして部屋に戻れと言っているのか?」


 真剣な顔でうなずくニナに「嫌だ」とアスランがとても良い笑顔になる。思わず見とれてしまうほどの、無駄に良い笑顔だった。


 乙女なドラゴンが熱くなった頬を押さえて我に返った時には、すでにアスランは頭の後ろで腕を組み、ついでに足も組んで寝る体勢に入っていた。金糸と銀糸の細かな刺繍が入った白の詰襟つめえりの上下が汚れるのも構わず、野外でくつろぐ姿は本当に王子かと疑いたくなる。


「ギャギャ……」


 動じないアスランを説得する事をあきらめたニナは、せめて少しでも寒くないようにと檻のすみっこに積んであった、わらの束を少しずつ格子の隙間から出して、アスランの体にふりかけた。


「何をしているんだ? ……ひょっとして掛け布団代わりとか?」


 勘の良い第二王子は話が早くて助かる。

 うなずきながら、せっせとわらを追加していくニナを、アスランが苦笑しながら、それでも愛しそうに見つめていた。



 すでに日は暮れて空には月がのぼっている。


「たまには、こういう月見もいいな」


 とアスランが満ち足りたような顔で言うので、王子を野宿させているという負い目から少し解放されたような気がして、ニナはホッと息をついた。ふと顔を上げると、目が合う。ニナの心中を全て見通したかのような深い青い目が静かに微笑むさまは、とてもきれいだった。


「寝るか」


 わらにくるまり満足そうに目を閉じるアスランの後ろで、ニナも頭としっぽをくっつけて丸まった。


 檻の中だし、アスランとは格子をへだてているし、床も風も冷たいけれど、それでもニナは満足だった。ここ以上の心地よい場所なんてどこにもない。

 白く光る月を見ながら、ドラゴンになって良かったなと初めて思えた。


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