6 ドラゴン、誤解される
ニナが暮らす城の別棟にはアスランの身辺警護を担う騎士団員たちがいる。騎士コンビが属する第二王子付第一騎士隊だ。そこの、いつも仏頂面の三十代前半の隊長からニナは目の敵にされていた。
めずらしくアスランがいるが、朝から隊長と執務室にこもったままだ。
ニナは掃除をする事にした。台所へ行き、白いフリルのついたエプロンのひもを頭から頑張ってかぶる。ドラゴンにはサイズも合わないし、はっきり言って似合わないのだが、ニナはけっこう気に入っている。
布を細く切って作ってあるはたきで棚やテーブルの上のほこりを次々に払い落としていく。何しろ部屋数が多いので、これだけでも重労働だ。
続いてほうきと雑巾を持って外にある井戸に向かう途中、ちょうどアスランと隊長が廊下の先にある執務室から出てくるのが見えた。
「ギャギャ!」
アスランに会えた事が嬉しくて重い体でドシドシとジャンプをすると、気付いたアスランが笑顔になる。しかし険しい顔をした隊長が、アスランを守るように立ちふさがった。
「ギシャ……」
「大丈夫だ。ドランは何もしないよ」
「アスラン様、何度も言いますが、あれは凶暴なドラゴンです。――エプロンをつけたり、ほうきを持ったりと多少変わった行動をするようですが、怖ろしいドラゴンに違いはありません。いつキバを向けてくるかわからないのです。アスラン様の身を守るのが我らの役目。本当は檻に入れておいてもらいたいのですよ」
「しかし、あれは俺の妻だから」
さわやかに笑うアスランに隊長がため息をついた。たくましい体を騎士の隊服に包み、いつも苦虫を噛みつぶしたようなしかめ面をしている。
騎士コンビいわく「顔は怖いが真面目で面倒見が良い」、アスランいわく「職務に忠実でクソ真面目」との事だ。クソ真面目な隊長がクソ真面目な口調で言いつのる。
「アスラン様、そもそもドラゴンというものは――」
「隊長! 水汲みが終わりました!」
騎士コンビが走って来た。アスランに対して深くきっちりと礼をした後、エプロンをつけて雑巾とほうきを持ったニナを見て笑い出した。
「今日は掃除かよ。ドラゴンなのに働くなー。何だよ、そのエプロン」
「確か前もつけてたよな。実は気に入ってるだろ?」
「ギシャシャ」
歯をむき出してうなずくドラゴンと和やかに会話する部下が信じられないようで、隊長ががく然となる。いつも隙などないのに目を見開いて固まってしまった。
「本当に仲良くなったんだな。そうだ、名前をつけたんだ。ドランという。よろしくな」
「ドランですか。いい名前ですね」
「良かったなー、ドラン」
「ギシャシャ」
今度は王子もまじえて、のほほんとした会話を繰り広げる面々。
隊長が絶句したまま、そっと目をこすった。目の前の光景は幻だと思ったようだ。
怖ろしいドラゴンから警戒を怠らないという信念は、一般的な解釈のはずなのに、自分だけがカヤの外に置かれて信じていた常識がグラリと揺らいだような感覚。「あれ? おかしいのは自分の方なのか?」を味わったように、しばらくの間ぼう然となった後で勢いよく突っ込んできた。
「待て! ちょっと待て! アスラン様は元々おかしいとしても――お前たち、それはドラゴンだぞ!?」
「いや、ドラゴンなんですけど、なかなかいい奴なんですよ。俺この前、助けてもらいましたし」
「掃除や料理も立派にこなすんですよ。ドラゴンですけど」
「何しろ俺の妻だからな。ドラゴンだけど」
「ギシャシャシャ」
味方がどこにもいなかった隊長が、ちょっと青ざめた。
「――どう考えてもおかしいでしょう! ドラゴンは敵です。決して人間とは相いれないものなのです!」
隊長はニナをにらみつけると、納得できない思いを足さばきに込めるように大股で歩き出した。騎士コンビが慌てて後をついて行く。
肩をいからせた隊長の後ろ姿を見送りながら、アスランが
「相変わらず真面目だな。柔軟性に欠けるが」
と楽しそうな笑みを浮かべた。
ニナはとてもいい笑顔のアスランと、苦労していそうな隊長の広い背中とを交互に見つめて「ギシャ……」と息を吐いた。
(隊長と仲良くなろう)
ニナドラゴンは決意した。騎士コンビともちょっと仲良くなれたし、それに隊長のあの真面目な性格はニナと少し似ていて親近感を覚えるのだ。この姿だから怖がられるのは仕方ないが、アスランにも誰にも決して危害は加えないということだけはわかってもらいたい。
隊長にお茶を持って行く事にした。
しかし台所にて、小さくてツルツルすべるティーポットが扱いづらくて床に茶葉をぶちまけてしまい、遠い目になるドラゴン。それでも何とかいれる事ができて、湯気のたつカップを木の盆に載せて、ニナはそろそろと廊下を歩いた。
部屋の扉は開いていた。それでも一応ノックすると、机で日誌を書いていた隊長が顔も上げずに「どうぞ」と答えた。机の端にカップを置く。
「ありがとう――うおっ!!」
「ギャギャ!」
隊長の大声に、ニナもびっくりして叫んでしまった。
隊長はそばに置いてある剣に手をかけたところで、湯気をたてるカップに気付いたようだ。軽く目を見張る。そしてお盆を持ったドラゴンを見て、これ以上ないほど大きく目を見張った。「おいおい、ドラゴンが茶を持ってきたぞ」と心中、混乱しているようだ。
ニナは親しさを込めて微笑んでみた。口を開けて歯をむき出しにして笑うと、ますます怖い顔になる事がわかったので、口を閉じたまま目を細める。それでも獲物をロックオンした時のような迫力ある顔には違いないのだけれど。
かすかに眉を寄せた隊長の手元が動いた、と思ったら、次の瞬間ニナの目の前に鋭い剣先が突き付けられていた。
「何なんだ。新種か? 悪しき魔術でもかかっているのか? いずれにしろドラゴンは敵でしかない。出て行かないと切る」
一分の隙もない険しい表情にはくっきりと拒絶の文字が刻まれている。ニナは息を呑み数歩後ずさると、逃げるように部屋を出た。
とぼとぼと廊下を歩く。
(いい気になっていたんだな……)
アスランはもちろん騎士コンビも優しく接してくれたから、ドラゴンな自分でも仲良くできると思いあがっていた。そんな自分が恥ずかしくて、いたたまれず、ニナは壁に両手をついてゴツンゴツンと額を打ち付けた。
令嬢だった頃からの悪いクセなのだが、今の姿ではドラゴンが壁に勝負を挑み頭突きをくらわせているようにしか見えない。しかも
「ギシャ!」
打ち所が悪かったらしく、ものすごく痛い一撃がきて、ニナは額を押さえてうめいた。壁に向かって、もだえるドラゴン。怖い。
「ドラン? どうした?」
背後からアスランの声がした。心配そうな声が聞こえた途端、ニナは安心のあまり泣きそうになった。
「額を打ったのか。大丈夫か?」
何度もうなずく。
近付いてきたアスランがぶつけた部分をなでようと手を伸ばすが、長身のアスランでもニナの額には届かない。苦笑するアスランのそばにニナは急いで座り込んだ。
「よしよし」
優しい声と手。ニナはゆっくりと目を閉じた。
心が軽くなっていく。まるで魔法のようだ。
満ち足りた気持ちで目を開けると、アスランの青い目がニナをとらえて微笑んだ。
笑い返そうとした時、かすかな虫の羽音がした。蜂だ。蜂がアスランの右側から迫ってきている。
「ギャギャ!」
ニナはとっさに前足で払いのけようとした。アスランを守ろうとしたのだが、はたから見たらドラゴンが王子を襲おうとしているようにしか見えないだろう。そして間の悪い事に、アスランを捜しにきた隊長に見られてしまった。
「きさま!」
隊長の形相が変わり、アスランを背中にかばうと同時に、ニナに向かって剣を繰り出した。
「ギシャア!」
刃先がニナの分厚い皮膚を突き破った。血が流れ、激痛が走る。
騒ぎを聞きつけた騎士コンビや他の騎士たちも駆けつけてきた。
「ドラゴンを捕らえろ!」
騎士たちがニナの退路をはばみながら、じりじりと包囲してくる。
(違う、違う! アスランを襲ってなんかいない!)
わかって欲しくて必死に叫ぶが、ドラゴンの鳴き声しか出ない。
騎士コンビの戸惑うような表情、そして何よりアスランのぼう然とニナを見つめる目が心に深く突き刺さった。