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33 令嬢と王子の結婚生活

 青空の下、大聖堂の鐘の音が高らかに響き渡る。

 ついにアスランとの結婚式の日がやってきた。


 豪奢ごうしゃな純白のドレスとパールピンクのヴェールを身に着けて、重厚な扉の前で待機するニナはこれ以上ないほど緊張していた。


 扉の向こう側の聖堂内にはアスランや大司教、そして多くの参列者がひしめいている。兄や姉の結婚式に出席した事があるが、場所ももっと小さな聖堂だったし、参列者も家族や友人などほぼ顔見知りだった。

 けれど今回は違う。


 ニナの性格をよく把握しているアスランにより、参列者も必要最低限にとできる限り調整してくれたが、それでも第二王子の結婚式だ。国内の王族や有力貴族、国外の王族なども参列している。

 花嫁であるニナはこのロサリオ国の慣例により、参列者が並ぶ大理石の長い通路を大勢の視線にさらされながら、大司教とアスランが待つ主祭壇まで一人で歩くのだ。昨夜は緊張から一睡もできなかった。


(どうしよう、逃げてしまいたい……いや、ダメだ。何を考えているの、私。……ドラゴンの姿なら緊張しないのに。そうよ、そう思い込めばいいんだ。今着ている白いドレスだって、あの白のエプロンだと考えれば良くない!?)


 訳のわからない事が頭の中をぐるぐると回る。晴れやかな舞台だとわかっているし、待ち望んだアスランとの結婚式は心底嬉しい。けれど嬉しいのと緊張するのとはまた別だ。

 もともと緊張しやすい性格のニナは今や、体はガチガチで口の中も乾ききっていた。隣で侍女たちが緊張をとこうと必死に話しかけてくるが、全く耳に入ってこない。


 無情にも、ゆっくりと扉が開いた。

 途端に音楽と耳をつんざくほどの拍手の音が体中を包み込み、ニナは機械的に足を踏み出し歩き出した。


 皆に一心に見つめられるが、ニナには見渡す余裕はない。心臓がきゅうっと縮まる感じで頭の中は真っ白だ。背中に冷たい汗が流れたのがわかった。

 とりあえず転ばないように、ドレスのすそを踏まないようにと、それしか考えられない。

 その時


「ニナさん、緊張しすぎ」


 今にも膝から崩れ落ちそうな緊張の中で、不思議と耳に届いた笑いを含んだ小さな声にニナは固まった首をギクシャクと向けた。

 よく知った金髪ルークの声だったからだ。


 通路の両脇に、正装であるすその長い黒のマントと羽飾りのついた帽子を着用した第二王子付きの騎士隊員たちが剣を捧げて並んでいる。彼らは一様に真面目な顔でにこりともせず、ニナとは目も合わせない。自分たちの役割に徹しているのだ。


 そんな中でルークはニナの緊張をとこうとしているのか、それとも、あまりにもガッチガチな姿がおかしかったからか、一年前より大人びた顔で、けれど一年前と変わらない人なつこい笑みを、そっと向けてきた。


「顔がこわばってるよ」

「そうそう。肩の力を抜いて」


 その隣で黒髪トウマも一瞬だが笑った。すぐさま元の真面目な顔に戻ったが、それでもニナを見る目は優しい。


 泣きたくなるくらいの安心感が込み上げた。こわばり過ぎてほんの少しも動かなかった頬が、ようやくゆるんだ。

 ドラゴンだった時から、この二人の明るさに助けられてきた。


 少し緊張がとけて他の隊員たちの前をゆっくりと通り過ぎると、副隊長がこれまた真面目な顔で剣を捧げ持っていた。

 副隊長はニナが通り過ぎざま、ぼそっとつぶやいた。


「残念だが、今日はビスケットは持っていない」


 思わず立ち止まってしまった。残念ではないし、まだその話を引っ張るのかと心の中で突っ込んだ途端


「おめでとう」


 と副隊長が小さく笑った。その素直な笑顔に、緊張で余裕がなかったニナの顔に自然と笑みが浮かんだ。


 隊員たちの最後を務めるのは隊長だ。そっと視線を向けてギョッとした。隊長は見慣れたしかめ顔――ではなく、ぎゅうっと強く眉を寄せていつもより怖い顔をしているではないか。


(どうしたの? 何事!?)


 一拍おいて、わかった。泣くのを我慢しているのだ、と。まるで娘を嫁にやる父親のようだ。

 呆れたような微笑ましいような、くすっぐたい思いで心の中が温かくなった。


 りんと顔を上げて再び歩き出す。さっきまでは全く目に入らなかった参列者たちの顔がよく見えた。


 着飾った家族の姿がある。誇らしげに、そして何より嬉しそうに満面の笑みを浮かべる母親と兄姉。さらにお腹が丸くなった本物の父親はすでに笑いながら泣いていた。

 ニナが立ち止まり笑顔で礼をすると、参列者たちの間からひときわ大きな拍手が響いた。


 落ち着いて視線を前に向けると、主祭壇で待っていたアスランが、いつもの優しい笑みを浮かべてニナに向かって片手を差し出した。



 誓いの言葉の後は誓いの口づけだ。アスランがニナのヴェールを上げた。


 間近で微笑むアスランの姿に思わず息を呑んだ。

 純白の衣装と金のマントが銀髪によく栄える。丸ガラスをはめこんだ大きな窓から光が差し込み、その光を浴びたアスランは目を奪われるほどきれいだった。

 事実、聖堂内のあちらこちらから「ステキねえ」「ニナ様がうらやましい」といった感嘆の声が聞こえてくる。


「アスラン……すごく良く似合ってる。かっこいい」


 思わずつぶやいたニナに、アスランはぽかんとした顔になり、苦笑した。


「それは俺が言う言葉だと思うよ、ニナ」

「え? あ、そうか、そうだよね。つい……!」


 思っている事がそのまま口から出てしまって、と焦っていると耳元に口を寄せられた。何の心構えもないまま「ドレスが良く似合ってる、きれいだ」とささやかれてニナは動揺した。おまけにすぐ目の前で深い青い目に見つめられ、幸せそうに微笑まれるものだからパニックになってしまった。


 アワアワと口元が震え、耳まで真っ赤になっているだろう事が自分でもわかる。そのまま誓いの口づけを交わすなんて新手あらての拷問だ。そうに違いない。


 騎士隊員たちのおかげでやっと緊張がとけたというのに、ニナはまた違う意味でガチガチに固まってしまった。

 ニナの肩を軽くつかんだアスランが体をかがめた。見とれるくらい端正な顔が近付いてくる。


(――あれ?)


 余裕など全くないのに、ふと心にれるものがあって我に返った。この状況には覚えがある。


(……そうか、あの時だ)


 思わず小さく笑ってしまったニナに、アスランがくすぐったそうに目を細めた。


「どうかしたか?」

「ううん。前は格子越しだったなと思って」


 ドラゴンの姿だった時、アスランは夫婦になってニナを助けるために檻の格子越しにキスをしてくれたのだ。


「そうだったな」となつかしそうに微笑む顔は、ドラゴンだった時に向けられた笑顔と同じものだった。

 悲しみや不安から何度も救ってくれた深い青い目が、目の前で優しく揺れる。


「これからもどうぞよろしく、ニナ」


「こちらこそ」と心の底から笑ってうなずいたニナに、アスランがゆっくりと口づけた。



 * * *


 別棟の寝室の窓から朝日が差し込む。

 先に目覚めたアスランは、隣ですこやかな寝息をたてるニナの髪をなでた。


 結婚式から十日が過ぎた。しかしその間、ニナはアスランと同じ寝台で眠るという事自体に緊張していたようで、朝起きると寝不足のクマができていたりしたのだ。


「ドランだった時はずっと一緒に寝ていたのに」


 ニナの顔をのぞきこんでそう言うと、それとこれとは話が別だと真っ赤な顔で力説された。

 けれど、どうやら慣れてきたようだ。幸せな気持ちで、なめらかな髪をなでているとニナが薄目を開けた。


「起きたのか。おはよう――!?」


 不意に正面からぎゅうっと抱きつかれて、アスランは不覚にもうろたえた。普段の恥ずかしがりやなニナからは想像もつかない行動だったからだ。


「え、えっと、ニナ――?」

「……ドラン、揚げ鶏はもうないよ……」


 寝ぼけているのだとわかった。ドランの夢を見ていて、アスランと間違えているのだろう。アスランは片手で顔をおおった。顔を赤くして嬉しがった自分が恥ずかしくていたたまれない。

 が、このままではドランの代わりにあごの下をグリグリと強くなでられそうなので、アスランはニナを起こす事にした。


「ニナ。ニナ!」


 背中をぽんぽんと軽く叩くと、今度こそニナは本当に目を覚ましたようだ。寝ぼけた顔で眉を寄せて考えていたが、しばらくして状況を悟ったらしい。


「え、ええ!? わ、私は何を――」


 ひどく驚いたのはわかるが、青ざめて言葉を失うところではないと思う。仮にも新婚で、何度も肌を重ねているのに。しかも慌てて離れようとしている。

 だがニナが離れる前にアスランはがっちりとニナを抱きしめていた。先手必勝である。作戦勝ちだ。


 動揺し、声にならない声をあげて焦るニナを決して離さず、微笑みながらますます強く抱きしめた。

 ドラン相手だと自分から抱きつくくせに、と小さな反抗心がわきあがったが、その事すら、とろけるように嬉しく感じられる。それくらい愛おしくてたまらない。


 前にニナから「大事な人だ」と言われた事が、ふとよみがえった。


「俺もニナが大事だよ。とても大切に思っている」


 心のままを口にした途端にピタッとニナの抵抗がやんだ。驚く事に、そのまま小刻みに震える顔をグリグリとアスランの胸に押し付けてきた。

 めずらしく大胆だなとびっくりしつつ視線を落として、そうではない事がわかった。ニナは大胆になったのではなく、嬉しさと羞恥心が入り混じり、これ以上ないくらい赤くなっている顔をアスランに見せないために押し付けて隠していたのだ。


 思わずき出したアスランに、ニナはますます顔を押し付けてくる。耳の裏側まで真っ赤になっているのが見てとれた。

 何だろう、このかわいい生き物は。


 おそらくはニナがアスランを大事に思っている以上に、自分はニナの事が大事だ。とても、とても大切な人だ。

 生涯かけて大事にすると、アスランは心の底から微笑んでニナの頭を優しくなでた。

完結です。

読んでいただき、本当にありがとうございました。

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