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28 王子のひとりごと2

 夜もふけて、アスランは別棟内の正面階段をのぼっていた。片手で無造作に襟元えりもとをゆるめつつ、長い廊下を歩いて突きあたりにある寝室に向かう。


(もう、あのドランはいないんだな)


 扉を開けても、寝台の足元で「ギシャ―」とも「グシャ―」ともつかぬ寝息をたて丸まって眠るドラゴンはいない。心底、寂しく感じてしまった事に苦笑した。


 ニナは元の体に戻った夜から客間で寝ている。「今夜から違う部屋で寝かせてもらいます」とおずおずと言ってきたのはニナの方だ。もちろんアスランも同意した。人間の女性になった今、同じ寝台で寝るわけにもいかない。


 背筋がゾッとするようなドランの歯ぎしりさえなつかしいなと微笑みながら、寝室の扉を開けた瞬間ギョッとした。

 ドランが寝ていた場所に同じように体を丸めてニナが寝ていたからだ。


 布団もかけず、形が変わればドランそのものだという格好で手足を丸めて眠っている。寝息は静かだが、眠る顔つきも同じだ。

 なつかしさと愛しさが込み上げてきて思わず頭をなでたら、さわり心地がドランとは全く違って慌てて手を離した。ゴツゴツした固さではなく吸い込まれるようになめらかで、人間の女性なのだと再認識した。


(どうするかな)


 ニナを起こさないように寝台の枕元にそっと腰かける。

 かすかな振動が起こったが、ニナは目覚める気配はない。昼間に着ていたワンピースのままで、すっかり深い眠りに入っている。あまりの眠気で頭が働かず、ついドランだった時のくせでフラフラとここで寝てしまった、そんなところか。


「ドラ――ニナさんは前から良く働きましたけど、最近さらに働くんですよね。掃除とか洗濯とか、ほぼ一人でこなしているくらい。そんなに根を詰めなくていいって言ったんですけど、アスラン様と交わした『人間に戻ったら、ちゃんと労働力を返す』という約束を守らないと、と言っていましたよ」


 教えてくれたのは金髪ルークだ。

 ニナはアスランとの約束を勘違いしたままらしい。


 アスランは足を組み膝に頬づえをついて、眠るニナを見つめた。鼻の頭と頬が日に焼けている。ドラゴン令嬢の名残なごりだろう。けれど全体的に肌は白く、茶色い長い髪が真っ白なシーツに流れる。


 約束まで取り付けておいてどうかとは思うが、アスランは正直、今のニナに戸惑っていた。ドランの時と中身が一緒だという事はよくわかっているが、やはりドラゴンとは外見が違い過ぎる。

 ドラゴンだったニナはそのまま受け入れられたのに、人間になった途端に違和を感じるというのは、おかしな話だ。いや「違和感がある」というよりは「しっくりこない」それが的確かもしれない。


「ニナ。ニナ」


 呼びかけると、やがてニナが目を覚ました。深い眠りから無理やり起きてきたようで、ぼうっと宙を見つめている。


「そこで寝られると、ちょっと……。あと、そのままだと風邪をひく」


 妙に、ためらいがちな言い方になってしまった。

 ニナは何を言われているのかわからないというように、ぼんやりとしていたが、やがて状況を呑み込んだようでハッと目を見開いて青ざめた。


「わ、私、何て事を! ついドランだった時のくせで――ごめんなさい!」

「謝る必要はない。――大丈夫か? 客間までついていこうか?」

「とんでもないです。大丈夫です! 失礼しました!」


 今度は顔を真っ赤にしてうろたえながら、ニナは転げるように寝室を出て行った。


 モヤモヤした気持ちを持てあましつつ「寝るか」とつぶやいた時、ためらいがちに扉がノックされた。恐る恐るという感じでニナが入ってくる。

 その意図が全くわからず、思わず身構えてしまったアスランとは目を合わせず


「忘れ物を……」


 と小さな声でつぶやくと、ニナは寝台の端に転がっていたドラゴン人形を手にした。以前アスランがドランに買ってきたリアルドラゴン人形だ。

 それを大事そうに胸に抱えて、急いで頭を下げた。


「おやすみなさい」


 またまた急いで扉が閉まりかけたが、このままだと閉まる時に勢いがつき過ぎて大きな音をたててしまうと気付いたのだろう、慌てたように直前でぴたりと止まり、一拍を置いて扉がゆっくりと閉まった。


(……ドランだ)


 静寂が訪れた室内でニナとドランの姿がかぶる。ドラゴン人形を大切そうに抱える姿、そして、ちょっとずれた、けれど心がほんのりと温かくなるような気遣い。


(ドランだ)


 霧が晴れるようにモヤモヤした気持ちが消えていく。

 おかしさと愛しさが込み上げてきて、アスランは声をたてて笑った。



 * * *


 ニナが洗濯物の入ったかごを抱えて歩いていると、ちょうど応接室から人が出てくるところに行きあった。足首まである黒のローブに長い白髪。以前ニナたちを元に戻すために来てもらった、白いひげの老魔術師だ。


「入れ替わりなどあり得ない」「そんな事を信じるアスラン殿下を残念に思う」等と言われ、アスラン本人は気にしていない様子だったが、ニナは自分のせいでアスランの評価を下げてしまったと深く落ち込んだものだ。

 そんな事もあって今も不安が先に立った。


(また何かアスランに言いに来たんじゃ……)


「おや、あなたは確かあの時のお嬢さん」


 何と声をかければいいか考えている間に、先に声をかけられてしまった。顔を上げてニナは息を呑んだ。あの時は血色の良かった魔術師の顔が今は、こけて青白い。目の下に黒々したクマもできていて、元々年をとってはいるけれど更に老けたように見えた。

 何事だと驚いていると、魔術師が深々と頭を下げた。


「この度はお嬢さんも危険な目に合わせてしまい申し訳ない。どうか、あのバカを許してやってください」


 何の話だ。しかし魔術師がもう一度頭を下げて去ろうとしたので、ニナは慌てて声を張り上げた。言っておかなければならない事があるのだ。


「待ってください! あの、アスラン……殿下の事ですが、入れ替わったのは私が原因なんです。アスラン殿下はそれを信じてくれたんです。あなたは入れ替わりなんてあり得ないと言ったけれど本当に起こった事で、でも最初は誰にもわかってもらえなくて、信じて助けてくれたのはアスラン殿下だけで、私は本当に救われたし嬉しかったんです。だからその、殿下は残念な人なんかではなく、むしろ最高の人で――!」


 せっかく言葉が話せるようになったのに、伝えたい事が先走って口が追い付かない。

 それでも焦りながら一生懸命話すニナをじっとうかがっていた魔術師は、ふと心の底からき上がってきたような、そんな笑みをこぼした。


「言いたい事はわかります。大丈夫ですよ、お嬢さん。殿下は最高のかたです。今回の事で良くわかりました。『残念だ』などと言い放った自分が恥ずかしい」


 ゴシゴシと両手で顔をこすり、ニナの視線をさけるように再び深々と頭を下げて老魔術師は去って行った。

 あまりのものわかりの良さに拍子抜けし、洗濯かごを抱えたまま、ぼう然と後ろ姿を見送っていると


「丸聞こえだよ」


 とアスランが苦笑しながら応接室から出てきた。

 うろたえるニナに、アスランが淡々と説明した。


「ドランを奪おうとした盗賊たちを城内に手引きした若い魔術師がいただろう。彼は、さっきの老魔術師の一番弟子なんだそうだ」

「ええ!?」


 若い魔術師は弟を人質に取られて、盗賊たちの言う通りにしなければ弟を殺すと脅されていたらしい。


(ああ。だから……)


 あの時、彼はニナたちに「すまない」と言ったのだ。まるで許しを乞うように。


 盗賊たちは捕まり、弟も無事に救出されたが、若い魔術師は魔術師としての資格を剥奪された。第二王子を危険な目に合わせたのだから本来なら牢に入れられてもおかしくないのだが、これまでの功績を認められて放免になったのだ。ただ魔術師としての道は絶たれた。


「でも、あの人は私に謝ってた……」


 ニナのつぶやきにアスランが微笑んだ。


「彼は俺にも謝っていたよ。誠心誠意ね。でも、それだけだ。弟を人質に取られていたなんて一言も言わなかった。一言も言い訳をしなかった。それが良い事かはわからないが、そういう人間はこれからのこの国に必要だと思う。だから除名処分だけにして資格の剥奪は無しにして欲しいと法務大臣に伝えた。おそらく、その通りになるだろう。あの老魔術師にもそう伝えた。自慢の弟子だっただろうから」


 だから老魔術師はゴシゴシと両手で顔をこすっていたのか。感謝の涙をかくすために。


 ニナは隣に並ぶアスランを見上げた。

 いつも通りの落ち着いた表情にはあわれみも、してやったというおごりの色も何もない。

 この人に出会えて本当に良かったと改めて思った。


 アスランの横顔を見上げたまま動きの止まってしまったニナに「どうかしたか?」とアスランが不審そうに聞く。


「いえ……あなたに出会えて本当に良かったなと思って」


 途端にアスランが目を見開いて、信じられないものを見るような目でニナを見た。


 ニナはそこで初めて心の内をそっくりそのまま口に出していた事に気付き、ハッと目を見開いた。ドランだった時は何を言おうとも「ギシャ」という鳴き声にしかならないから、つい油断してしまったのだ。

 しまった、と慌ててかごで口元を隠したが、なかった事になるはずもなく


「私、あの……洗濯物を干してきます!」


 史上最大に焦ったニナは、すでに両手に抱えていた洗濯かごをもう一度抱え直し、顔を真っ赤にして一目散にその場から逃げた。



 残されたアスランは戸惑ったように視線をさまよわせた。いつもの余裕がどこかへ行ってしまったかのように、髪を片手でグシャグシャとなでる。


「驚いた……」


 めずらしい事に少し顔を赤くして、つぶやいた。

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