27 令嬢、周りの反応がおかしい
元の姿に戻って数日。ニナは周りの自分に対する反応がおかしいと思っていた。
まず隊長。先日これまでのお礼を兼ねて甘いお菓子とともにお茶を持って部屋を訪れた。隊長が熱心に日誌を書いていたので、邪魔しないように机の端にそっとカップを置くと、気配を感じたらしく顔をあげた。
「ありがとう――うおっ!」
お盆を持ったニナを見て、目を見張り固まってしまった。混乱している。「おいおい、ドラゴンじゃなくて令嬢が茶を持ってきたぞ」というように。
本来ならドラゴンではなく令嬢がお茶をもってくるのは当たり前の事なのだが、気持ちはわかる。ニナは静かに言い添えた。
「あの、元に戻りましたから」
「――そうか、そうだったな」
思い出したといった感じでつぶやき、隊長は照れ隠しのようにお茶をすすった。
「うまい。ドラゴンの時と同じ味だ」
褒められているのだろうか。いや、きっと褒められているのだ。
複雑な気持ちになりながらニナは「ありがとうございます」と頭を下げた。
部屋を出て廊下を歩いていると、角を曲がったところで副隊長と行き会った。
「お」
副隊長は隊服のポケットをさぐり、おもむろに紙袋に包まれたビスケットを取り出した。前にも同じ事があった。なぜビスケットを常備しているのか。好物なのか。
それより、あの時はドラゴンだったニナは犬扱いされたものだ。なつかしいなと微笑んでいると、副隊長が笑顔でビスケットを遠くへ投げた。
「ほーら、取ってこーい」
おかしいだろう。微笑みが消えて無表情になるニナ。
反応しないニナに「あれ?」といった感じで副隊長が眉を寄せて考えている。やがて
「そうか。もう中身がドラゴンじゃないんだ」
とても残念そうな顔つきになった。
なぜ残念がる。そもそもドラゴン令嬢に何て事をさせていたのだ。彼女は犬ではない、ドラゴンだ。そして姿は令嬢だ。こんなビスケット一枚に――いや、ドラゴン令嬢なら喜んでビスケットを取りに行っただろう。
姿はニナのドラゴン令嬢が一目散にビスケットを追いかけ、飛びつき、嬉しそうに食べている様子があざやかに浮かぶ。むなしいというより悲しくなってきたニナはがっくりと肩を落として、無言で副隊長の横を通り過ぎた。
(私、元に戻ったよね?)
言いようのない不安が込み上げてきた。
さらに不安をあおるように、お盆を片付けようと台所に足を踏み入れた途端そこにいた騎士隊員たちが
「おい、あの令嬢が来た!」
「逃げろ! 噛まれるぞ!」
と大声をあげて裏口から逃げて行ってしまったのだ。
(私、本当に元に戻ったよね!?)
戸口にぽつんと一人たたずみ、ニナは誰かに問い詰めたくなった。
入れ替わりを知らなかった他の騎士隊員たちにも先日、隊長が説明したのだ。彼らの反応は様々で納得したような顔をする者もいれば、全く信じていない様子の者もいたという。
それでも彼らは令嬢の中身が今はニナである事も知っている。それなのに
(どうして逃げるんだろう。私は人なんて噛まないのに)
不安というよりは、はっきりと焦りだ。そして、とどめを刺すように騎士コンビ。
二人が廊下の向こうから歩いてきて、ニナはホッとして思いきり手を振った。思えばこの二人にはとても世話になった。ドランだったニナにまるで友人のように接してくれて、元に戻るために協力してくれた。話せるようになった今、きちんと口に出してお礼が言いたい。
「あの――」
「うわあ!!」
ニナと目が合った瞬間、大声をあげたのは金髪ルークだった。
「来るなあ! 俺ははちみつなんて持ってないぞ!」
「俺もだ!」
黒髪トウマも同意し顔をこわばらせて、ニナが次の言葉を告げる前に身をひるがえして走って行ってしまった。おかしい。
(状況が悪化している気がする……)
ドラゴンだった時より珍獣扱いされている気がして、嬉々として上げた行き場のない手をこっそりと下ろしながら、ニナは窓の外に広がる緑をひたすら見つめた。
「ねえ、ドラン。私たち、ちゃんと元に戻ったよね?」
中庭の檻の中で丸まって目を閉じているドランに話しかけると、ドランは面倒くさそうに片目を開けた。ニナの姿を見て、ゆっくりと近寄ってくる。格子越しにフンフンと匂いをかぎながら、ニナの手にも背後にも揚げ鶏がない事を確認したドランは途端に興味のない顔で戻っていき、また丸まって目を閉じてしまった。
昨日たくさんの揚げ鶏を持ってきた時は目を輝かせて、ニナの手に顔をすりつけていたというのに。冷たい。ニナはそっとため息をついた。
数日前から別棟の奥庭にドランのための広い獣舎を建設中だ。完成するまではこの檻の中で過ごす事になっている。
「ドランは成長したら同じレッドドラゴンが多く住む北方の地で暮らした方がいいと思う。人間に囲まれて檻の中で飼うより、たくさんの仲間に囲まれてのびのびと暮らす方がドランのためだと思うんだ」
アスランが言った。
「でも、いずれは、だ。レッドドラゴンはある程度大きくなるまで母親がそばにいて世話をする。だからその時期――ひとり立ちするまで、ここで一緒に過ごそう。以前、視察に行ったドラゴンの保護施設の職員を呼んだ。ドランはニナの匂いにしか反応しないから協力してやって欲しい。世話の仕方を教わって野に戻す訓練もしないと」
ドランにとっての良い環境が何より大事だとニナもわかっている。
寂しさを押し殺して深くうなずくニナに、アスランが微笑んだ。
「ここにいる間は、本来、母親が与えるべきだった愛情を代わりに注いでやろう」
ドランの母親が何よりドランに与えたかった愛情を。
ニナは今度は笑顔でうなずいた。
例え、ニナがドランに言ったように母親の代わりにはなれないとしても出来る事はあるはずだ。体を分け合った仲間として、友達として一緒に過ごそう。ドランが大きくなった時、ここも悪くなかったなと思い出してもらえるように――。
ドランは檻の中でフゴフゴと鼻を鳴らしながら平和に眠っている。元の体に戻ったからか少し落ち着いたようだ。そんなドランを見ていたら、ニナは少しやる気が出てきた。
落ち込んでいても仕方ない。今の自分にできる事をやろう。
中に戻り廊下のすみにある木製の掃除用具箱から、ほうきを取り出す。そこにしまってある、ドラン専用となっていた白いエプロンを何げなく着てみて感激した。ドラゴンの時とは違い、サイズがぴったりだ。頭の部分のひもをかぶるのが精一杯ではない、後ろでリボン結びまで出来てしまう。
ニナは感動に打ち震えた。どうしよう、泣きそうだ。
エプロンをつけた姿を用具箱の扉の裏に取り付けられた姿見に映し、くるりと回ったりポーズを決めたりして満足したニナは掃除を始めた。
* * *
黒髪トウマはルークと一緒にニナを捜していた。先ほど、元に戻ったはずのニナをドラゴン令嬢と思い込み「はちみつなんて持っていない!」と逃げ出してしまったからだ。
元に戻ったのだと頭ではわかっているのだが、急に出会ってしまうととっさに、あのドラゴン令嬢だと思ってしまう。それほど、あのドラゴン令嬢は異様だった。
「しまったよなあ。思わず逃げちゃったけど、ドラン傷ついたかな?」
「おそらくな。それよりもう『ドラン』じゃないだろう」
トウマの言葉にルークが困惑したような顔を向けてきた。
「じゃあ何て呼べばいいんだよ? アベーユさん? ニナさん?」
トウマは首をかしげた。元ドランのニナを果たして何と呼べばいいのか。中身が今まで仲良くしてきたドランだという事はわかっている。でも外見が女の子で、しかも貴族の令嬢だ。頭ではわかっていても彼女がドランだとはとても思えないのだ。
「まあ、今は呼び方を考えるよりドラン、いやニナ嬢? を捜さないと」
逃げてしまった事を謝らないといけない。ニナ相手には違和感だらけでも、ドラン相手にならきっとそうするだろうから。
やがて廊下のすみに置かれた掃除用具からほうきを出しているニナを見つけた。
謝ろうと思っていたのに、あの外見を見た途端に躊躇してしまった。やっぱり慣れ親しんだドランと一致しないのだ。ルークも同じようで、二人は廊下の角からこっそりと顔だけ出して様子を見る事にした。
ニナはいつもドランがつけていたエプロンを、いそいそと着ているところだった。
(やっぱり気に入っていたんだ)
明らかにサイズの小さいエプロンをつけて「ギシャシャ」と笑っていたドランを思い出して、トウマは少し笑った。
そしてニナは姿見に映した自分自身を見て、エプロンのすそをつまんでみたり回ったりと嬉々としてポーズをとっている。おそらく久しぶりの人間の姿が嬉しくてたまらないのだろうと察しはついたが、そのポーズがどこかぎこちない。はっきり言うと、かわいくない。決まっていない。
「何か――ドランだ」
感心したようにルークがつぶやいた。トウマもうなずき、ふと前にも同じ事をしたなと思った。ドランと仲良くなる前、凶暴なドラゴンだと思っていた時に怖々と、こうして物かげからドランの様子をのぞいていたものだ。
満足したのか、ニナがほうきで廊下をはきながら鼻歌をうたい出した。以前にドランがうたっていた鼻歌と同じ曲のようだ。しかも同じように調子が外れている。はっきり言って音痴だ。その歌を聞いていたら、掃除をする後ろ姿が似ても似つかないのに、なぜだかかぶって見え――。
「ドランだ!」
目の前の令嬢とおかしなドラゴンが完全に一致して、トウマはルークと顔を見合わせて叫んだ。
その声にニナが振り返る。
「いつから、いたの!?」
目を見開き顔を真っ赤にして、ほうきを持ったままワタワタと焦っている。
この、おかしな動き。ドランだ。この令嬢はまぎれもなくドランだ。
トウマは心の底から納得した。




