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25 ドラゴン、狙われる

 ニナはアスランのいる執務室へとお茶を持って行った。


「ああ、ありがとう」


 アスランが微笑み、ニナも嬉しくなって「ギシャシャ」と笑い返した。ニナにできる事はこれくらいだ。これでアスランが笑ってくれるなら何度でもお茶を淹れる。


 大きな窓からあたたかな日ざしが差し込んでいる。背を向けたアスランの銀髪が日ざしに溶け、なだらかな肩の線が光に縁取られる様は、いつもながらとてもきれいだ。


「なかなか、うまくいかないな」


 アスランがひとり言のようにつぶやいた。

 苦い思いが込み上げてきてニナはうつむいた。このままでは家族にも会えないし、アスランに以前に頼まれた「人間に戻ったら返す労働力」も返せそうにない。


 無力感にさいなまれて唇を噛みしめるニナを、アスランがじっと見つめた。


「俺はずっとこのままでもいいよ」


 ニナははじかれたように顔を上げた。何を言われたのか頭で理解できず、両目をカッと見開くドラゴンに、アスランが微笑んだ。


「俺に対して申し訳ないとか思っているなら、それは違う。ニナがそばにいる事によって、ドラゴンをなつかせていると俺に対する周りの評価は上がっていくんだから。ニナの家族に『必ず元に戻す』と約束した事が守れないのは心苦しいが、きちんと説明して頭を下げるよ。世間体や見栄より娘の笑顔を大事にする、あの家族ならきっとわかってくれる。そしてニナは今のまま、ここで暮らしていけばいい。俺はどこにも行かないよ」


 いったん言葉を切って、にっこりと笑った。


「夫婦だからな」


 優しい笑顔は、それが本心だと告げていた。


 心の中が一杯になった。行く先が見えないとか家族に会えないとか、将来アスランの隣に並ぶ人を見たくないとか、そういった不安で嫌な気持ちがどうでもよくなった。


 この人が大事だ。


 とても、とても大事な人だ。

 たとえ、この先どうなろうとも、自分は全力でこの人を大切にする。

 そう思った。


 浮かんできた涙を食い止めるように「ギシャシャ」とニナは笑った。

 涙をこらえているせいで目元に力が入り、その分いつもより歯がむきだしになってしまったけれど、そんな事は気にならない。


 机に頬づえをついて「その笑い方に慣れてきた」と苦笑するアスランと向かい合ったまま、ニナは「ギシャギシャ」と心の底から笑い続けた。




「ドラン、頼む! 一緒に来てくれ!」


 金髪ルークが慌てたように呼びに来て、掃除をしていたニナはほうきを持ったまま食堂に駆けつけた。そこには散乱したビスケットと、騎士隊員の腕に噛みついているドラゴン令嬢の姿があった。

 ニナは急いで令嬢の口を力ずくで開けて、隊員から引き離した。


「くそ! 思いきり噛みつきやがって」


 歯型の残る腕をさすりながら隊員が苦々しそうにつぶやく。


「ギャギャ!」


 ダメ! とニナは令嬢の目を見て言い聞かそうとしたが、興奮の冷めない令嬢は「シャー!」と叫び続けている。


 力ずくで止めてくれていいのに。凶暴だが、力は普通の女性並だ。普段から鍛えている騎士隊員たちなら簡単に止められる。

 ニナの表情から言いたい事を読み取ったのか、騎士コンビが顔を見合わせた。


「まあ、そうなんだけどさ……」

「わかっているんだけど、見た目が普通の女の子だしな。しかも貴族の令嬢だし……」


 歯切れが悪い。ニナはため息をついて、もう一度強く「ギャギャ!」と令嬢に言い聞かせた。このまま一生、ドラゴンは令嬢の姿のままかもしれないのだ。行儀作法はとても無理だろうが、せめて人に噛みついたり引っかいたりしないようにしてもらいたい。


 真剣な顔のニナの前で、令嬢は知らんぷりで床にうずくまり、足で頭をかいている。「ギャギャー!」とほうきを持ったまま怒るニナに、黒髪トウマが小さな声で耳打ちした。


「でも今回は、この令嬢だけが悪いんじゃないんだ。噛まれた騎士隊員――俺たちの先輩なんだけど、令嬢が食べていたビスケットを面白半分に奪い取ったんだよ。それで令嬢が怒って噛みついたんだ」


 なんだと。被害者面で腕をさすり続ける隊員にニナが「ギシャ―……」と怖い顔で振り向くと、一瞬で青ざめた隊員が


「悪かったよ。もう、しないから!」


 と慌てて逃げて行った。

 令嬢は床に散らばったビスケットを拾って食べている。


(事情も知らずに一方的に怒っちゃったな……)


 反省したニナは令嬢の首筋に手を伸ばし、爪を丸めた手のひらに隠して、そっと令嬢のあごの下をなでた。「ごめんね」の気持ちを込めてなで続けると、令嬢がおとなしくなり、やがて気持ちよさそうに目を細めた。


「ドラン、すげー。あの令嬢がなついてる」

「確かにすごいな。変な光景だけど」


 騎士コンビが感嘆の声で言った。

 令嬢はニナになついているというわけではない。ただ同じ事情を持つ者――という認識まではないだろうが、それに近い雰囲気を感じているとは思う。仲間だと、そう思っていてくれたら嬉しい。

 ゴロゴロと猫のようにのどを鳴らす令嬢に、ニナは微笑んだ。


 その時、副隊長がひょいと顔を出した。


「喜べ、ドラゴン。新たな魔術師のおでましだぞ」



 応接室で、ニナたちはいつものようにソファーに座った。向かい合う魔術師はまだ若い。足首まである黒のローブを着ているのだが、蒼白な顔から筋の浮いた首へと、だらだらと汗が流れていた。


「……具合でも悪いのか?」


 アスランがいぶかしげに聞くと、魔術師は飛び上がるように反応した。


「い、いえ! 全然! 全然、元気です! はい!」


 声が裏返っている。アスランが戸口に立つ副隊長をそっと呼んだ。


「この魔術師は大丈夫なのか? お前が連れてくるのは妙な奴ばかりだな」

「俺が連れてきたのではなく彼が自ら申し出てきたんですよ。城にいる魔術師で、年は若いですが腕は確かなようですよ。いつものように身元も調べましたが、きちんとしていました」

「そうか……。緊張しているだけなのか」


 渋々と納得した様子のアスランに魔術師がつっかえながら言った。


「も、申し訳ありませんが、人払いをして頂きたいのです。ドラゴンとご令嬢だけを残して、あとの方は部屋の外でお待ちください。そ、そうでないと私の魔術は使えません!」


 アスランと副隊長は眉を寄せたが、魔術師は頑としてゆずらない。

「わかった」とアスランが息を吐いた。仕方ない、といった感じだ。


「扉のすぐ外側にいるから」


 ニナに言い残して、心配そうに振り返りつつ部屋を出て行った。

 残ったのはニナと令嬢、魔術師だけだ。


 魔術師がおもむろに立ち上がり、扉の内側から静かに鍵をかけた。


「ギシャ?」


 ニナを見つめる魔術師の目が揺れている。何か必死に頼み込んでいるような、許しをうているような、そんな目に見えた。


「すまない……」


 魔術師の口が小さく動き、胸元から取り出した丸薬のようなものを思いきり床にぶちまけた。


「ギシャ!?」


 煙幕だ。何重にも煙が巻き、あっという間にニナたちを包み込む。何も見えない。おまけに刺激物が含まれているのか涙が止まらず、目が開けられない。

 パニックになるニナの耳に、窓枠が強引に壊され、埋め込まれたいくつもの小さな丸ガラスが割れる音が響いた。


「ニナ、どうしたんだ!?」

「おいドラゴン!? くそ、鍵が開かない!」


 扉の外からアスランと副隊長の大声と、激しく扉を叩く音がした。

「シャー!」と戸惑うような令嬢の声が聞こえて、それを頼りにニナは痛む目を一生懸命開けながら、右も左もわからない煙の中を突き進んだ。


 突然、黒い人影が目の前に現れてニナは息を呑んだ。魔術師かと思ったが違う。

 人影が小さく笑った。


「久しぶりだな、レッドドラゴン。王都内の森で逃げられて以来だ」


(誰!?)


 人影が腕を振り上げた瞬間、ニナのこめかみに割れるような衝撃がきて目の前が真っ暗になった。

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