22 ドラゴン、悪魔祓いをする
副隊長に案内されて、次に応接室へとやって来たのは司祭だった。
白地に紫色のふち取りがしてあるマントを身にまとった中年の司祭は、ニナたちを見るなり真面目な顔で言った。
「原因がわかりました。悪魔が憑いております」
「は?」
「ギャギャ?」
「シャー!」
ぽかんとなるアスランとニナ、そして関係なく吠える令嬢。その前で司祭は眉一つ動かさず、もう一度おごそかに告げた。
「悪魔が憑いております」
アスランが複雑そうな笑みを浮かべて、扉の前で待機している副隊長を振り返った。
「マーセル、ちょっと来い」
渋々といった感じで近付いてきた副隊長のマーセルに、笑みを消したアスランが顔を寄せてささやく。
「この司祭を連れてきたのはお前だろう。もっと、ましな者はいなかったのか?」
「腕が良いと評判の司祭なんですよ。彼に祈りを捧げられると、足が悪かった者が歩けるようになったり、病気が治ったりしたとか」
「そうか。きっと悪魔が憑いていたんだな」
「悪魔って怖いですね。……お引き取り願いますか?」
「当たり前だ」
司祭は勝手知ったる様子で、布袋から香炉やろうそくを取り出して悪魔祓いの準備を始めている。そこに声をかけようとする副隊長の肩をニナはぽんぽんと軽く叩いて、止めた。
もしかしたら、もしかしたら元に戻れるきっかけくらいには、なるかもしれないではないか。
せっかく来てもらったのだ。ぜひ、やってもらおう。
腕をぐるぐると振り回し、ついでに腰も振り回して準備運動を行い、さあ来い! と張り切るニナに
「やる気だなー、ドラゴン」
と副隊長が呆れたようにつぶやいた。
部屋の中央のテーブルに白い布がかけられ、銀製の香炉と陶器の皿、ろうそくが置かれた。簡素な祭壇といったところだ。
手足を清めた司祭が両手を打ち鳴らした。
「では今から悪魔祓いの儀式を行います」
「ギシャ」
お願いします、とニナは深々と頭を下げた。ろうそくに火がつき香炉がたかれて、司祭が祈りの言葉を唱え始めた。
その前で、じっとしないドラゴン令嬢の気を引くために、しっぽをパタパタと左右に振ったり、焼き菓子で釣ったりとニナは忙しい。
扉の前では心配そうに見つめるアスランと、興味深そうに眺める副隊長が並んで立っている。
「――この者たちの体内より出て行け、悪魔よ!」
司祭の大声とともに、目の前の香炉から大量の黄色い煙がふき出した。
「ギャギャ!?」
「シャ――!!」
ニナと令嬢を煙が包み込む。しかも、くさい。
「ドラ――ニナ、大丈夫か!?」
大丈夫ではない。くさい。しかしニナは頑張って耐えた。
もしかしたら、このくさい煙が体内の何かに反応して元に戻る何かに作用するかもしれないではないか。
せきこみながら逃げようとする令嬢の腕を、目を光らせてつかむドラゴン。離せと言うように暴れる令嬢の攻撃に耐え忍んでいると、やがて煙が晴れてきて、おごそかな司祭の声が降ってきた。
「これで悪魔はいなくなりました」
「ギシャー! ……ギシャ?」
ニナはドラゴンのままだ。
(え、これで終わり!?)
あ然と突っ立つニナの前で、司祭がさっさと帰り支度を始めている。アスランが空気の入れかえにと急いで開けた窓から令嬢がものすごい速さで飛び出して行った。
「くさいだけだったな」
副隊長が気の毒そうにつぶやいた。
ニナはよろよろと床に座り込み、背中を丸めて落ち込んだ。
ニナは台所でお茶を淹れていた。
(本当に元の姿に戻れるのかな……)
別棟内にある書斎の書架に並ぶ本は全て読み尽くし、アスランや騎士コンビが城の本棟にある図書室でも元に戻る方法を探してくれているが、今のところそれらしき記述は見つかっていない。
自信がなくなってきてニナは重いため息をついた。
「お、ドラゴ――ではない。ニナ嬢だったな」
隊長が入ってきた。お茶を飲むかとティーポットを指し示すニナに「頼む」と答えながらも、視線が落ち着きなくあちこちをさまよっている。
「ギシャ?」
ひょっとして甘いものでも探しているのかと思い、表面を砂糖で固めたお菓子を上段の棚から取り出して隊長の前に置いた。
「いや、菓子を食べにきたのではない。……だが、せっかくだからもらおう」
甘いもの好きの隊長と向かい合って座り、お茶を飲みながらお菓子を頬張るドラゴン。
「しかし大変な目に合ったものだな。若いお嬢さんなのに、ドラゴンの姿になってしまうとは」
全くだ。ニナは「ギシャ」とうなずいた。
「私も色々と失礼な事を言ったり、したりしてしまった。すまない。――でも良かった。やはり普通のドラゴンは茶を淹れたり掃除をしたりしないよな。アスラン様や部下たちが君の事をあまりにも普通に受け入れているから、実は私がおかしいのかと悩んだものだが、やはり私はおかしくなかった。いや、本当に良かった」
ニナは何も良くないのだが、隊長がひどく満足そうな顔をしているので「ギシャシャ」と笑っておいた。
「明日は魔術師に来てもらう事になっている。今度は上手くいくといいな」
真面目な顔に戻った隊長が真面目な声で言った。
ニナも真面目な顔でうなずき、そして二人で残りのお茶をズズッとすすった。
隊長が部屋に戻り、ニナがカップを洗っていると今度はアスランが顔を出した。
ニナを見て優しく微笑むが、その顔には疲れがにじんでいた。ただでさえ公務や執務に忙しいのに、ニナたちを元に戻すために奔走しているのだから当たり前だ。
ニナは急いでお茶を淹れてアスランに差し出した。
湯気のたつカップを手にしたアスランの頬がゆっくりとほころぶ。
端正な顔が穏やかに微笑む様は、とてもきれいで、ニナは思わず見とれてしまった。
「どうかしたか?」
ハッと我に返り、何でもないと慌てて首を横に振る。
そして部屋のすみに置いてあった木板を持ってくると『ありがとう』と刻んで見せた。
「何がだ?」
色々とだ。ニナのためにしてくれている全ての事に。
何の義理も義務もないのに、疲れが見えるまで頑張ってくれている、その事に。
けれど、それを文字にする前に伝わったようで、アスランが少し照れたように頬づえをついた。
「俺が勝手にしている事だから気にしなくていい。それに――」
深い青い目がニナをのぞきこんで微笑んだ。
「人間の姿に戻ったら、ちゃんと返してもらうから」
ニナは目を見張った。
どういう意味だと混乱する頭で考えて「ああ、労働力か」と思い至る。ドラゴンでは出来ない細かな家事力を求められているのだろう。
だって他に考えられないではないか。ニナはドラゴンなのだから。
『もちろん』とすぐさま書かれた木板を見て、アスランはニナに自分の言った意味が全く伝わっていない上に勘違いされている事を悟ったようだ。
何か言いたそうにチラリとニナを見上げてきたが、ニナは小さなカップではお茶が足りず大きな深皿にドボドボとおかわりを注いでいるところだった。
アスランが思わずといった感じで、ふき出した。
「じゃあ約束だ。よろしく」
「ギシャ」
うなずくニナに、「人間の姿に戻ったら、ちゃんと返してもらう」約束を取り付けた第二王子は、見とれるほど爽やかな笑みを浮かべた。




