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20 ドラゴン、暴れる

「うわああ――!!」


 恐怖に顔を引きつらせたトビアスが悲鳴をあげた。

 ドラゴンが再び自分をロックオンして一心に走ってくるのだ。怖ろし過ぎる事態だろう。


「来るなあ! 誰か、早く僕を助けろ!」


 助けを求める姿も偉そうだ。

 しかし逃げようにも足がうまく動かないようで、生まれたての子鹿のようにプルプルと震えるだけで一向に前へ進まない。


 ニナは前に回り込むと、顔を近づけてトビアスの目をのぞきこんだ。そのまま、じっと見つめ続けてみる。

 トビアスの顔が恐怖から青ざめるを通り越して真っ白になった。

 そこで大きく口を開けて「ギシャー!」とまた吠えた。


 トビアスからしたら、たったの一噛みで骨も肉も砕きそうなドラゴンの口内が間近に迫っているのだ。いつ噛みつかれて体中から血がふき出してもおかしくない。おまけに決して逃がさないというように底光りする目で見すえられているのだから、ただただ怯えて震えるしかない。


「やれー、ドラゴン! 頑張れ!」


 気付けばニナの父親や兄、使用人たちが遠巻きに声援を送っていた。

「ギャ?」と目をぱちくりさせるニナの前で


「ニナお嬢様をこんなにした奴だよ! 噛みついちまいな!」

「頭から食っておしまい!」


 と過激にたくましく叫んでいるのは、ニナを生まれた時から知っているベテランのメイドとニナの母親だ。


 トビアスががく然となる。何しろ全員がドラゴンの味方で、自分を助けようとする者はいないのだから。


「冗談じゃない! 早く僕を助けないか!」

「ギシャ―!」


 ニナは鋭い爪を振り上げた。太陽の光を受けて、とがった爪の先端が不気味に光る。トビアスののど元から、絞りだしたようなか細い悲鳴がもれた。


 アスランたちが来る直前と同じ光景だと、ふと思った。我を忘れて暴走しかけたあの時と全く同じ態勢だ。


 けれど、あの時とは違う。ニナは静かに微笑んだ。


「やめろ! あっちへ行ってくれ!」


 泣きわめくトビアスの顔の前で「ギャギャ」と勢いよく爪を振ってみた。

 ヒイイとうめき声がもれる。腰が抜けたのかその場にへたり込み、それでもうように逃げようとする両足を「ギシャ」とつかむと、恐怖で裏返った叫び声が返ってきた。ニナがぱっと手を放すと、トビアスはまたヨタヨタと逃げていく。そこを、またつかむと、また悲鳴が――。


 困った。ちょっと楽しい。


 トビアスが「身の程を知れ」と家族を笑った事や、婚約破棄された日に「僕の事を愛しているなら、いさぎよく身を引いてくれ」と当たり前のように言い放った事が思い出されて、ニナは「ギャ、ギャ」とトビアスの顔を縁取ふちどるように地面に爪を差していった。


 耳のすぐ横で、頭の真上で、黒光りするドラゴンの爪が音を立てて土に突き刺さる様は、ただならぬ恐怖だろう。トビアスの顔はすでに色を失っている。


 盛大に顔をゆがめて泣きながら「やめろ、やめてくれえ……」と嘆願の目でニナを見つめるトビアスに、先程までの傲慢ごうまんな態度はどこにもない。

 ニナやニナの家族を下に見て、あざける様な笑みを浮かべていた姿は完全に消えていた。


(こんなものか……)


 ドラゴンが相手とはいえ一度も抵抗する事なく、自分が傷つけた人たちに助けを求めるだけのトビアスに落胆したような拍子抜けしたような気がした。


 婚約者として幼い頃から慕っていて、似合う女性になろうと一生懸命だった。それなのに立ち直れないほど傷つけられて、二度と会いたくないとまで思った。トビアスの顔を見る事が怖かった。ニナの中でトビアスの存在は不気味なほど大きく消えない刻印となっていたのだ。それなのに――。


(こんなものだったんだ)


 ニナは大きく息を吐いた。

 目の前にいるトビアスは大きな存在でも怖がる対象でもなかった。


(拍子抜けだ)


 ニナは空を仰いで「ギシャシャ」と笑った。

 長い間、胸の中に重くつかえていたものが風に吹かれて飛んでいったような、そんな感じだった。




 放心状態のトビアスをその場に残し、ニナはアスランたちのところへと戻った。


 アスランがにっこりとニナに笑いかけて、そして代わりにトビアスの方へと歩いて行く。


(どうしたんだろう?)


 視線の先でぼう然と座り込むトビアスのしわ一つなかった服はヨレヨレになっていて、髪の毛には葉っぱがくっついている。アスランが「ケガはないか?」と優しい声音で聞いた。


「ふえ……ア、アスラン殿下! は、はい、ケガはありません! 心配して頂いてありが――」

「そうだな。俺が見た限りも、君は全くこれっぽっちもケガをしていない。良かった」


 トビアスの訴えをさえぎって、アスランがとても良い笑顔になった。

 ぽかんとするニナの隣で


「さすが。言質げんちをとりましたね」

「ここにいる全員を証人にしたな」


 と副隊長と隊長がつぶやいた。

 これからトビアスが何を言ってこようと、ドラゴンは傷一つつけていないとトビアス自身が証言したのだ。


 呆気にとられるニナの目線の先で、アスランがふと顔を曇らせた。


「ああ、そうそう。アンジェラ・ノマが捕まったよ。覚えているだろう? 君と深い仲になり子供ができたとだました女だ。君との事で味をしめたのか、ブリューニ地方のトバ侯爵の子息と深い仲になったあげく金品を盗んで十日前に捕らわれたそうだ。近いうち役人が君のところにも事情を聞きにくるだろう。トバ侯爵といえば代々ブリューニ地方を治める貴族で、役人とのつながりも深い。君はすみずみまで容赦なく調べられるだろう。覚悟しておいた方がいい」


「え……」


 顔色を変えたトビアスに、副隊長と隊長が皆に聞こえるように言った。


「役人が家に来るなんて、貴族間で詮索せんさくの的になる。浮気して婚約者を一方的に捨てた、でも浮気相手の子供は自分の子供ではなかった――いかにも奥様方が好みそうな話題だ。あっという間に広まるな」


「うむ。君の家も確実に評判を落とす。何しろ相当な恥だ。最悪の場合、お父上から君は勘当されるかもしれん」

「路頭に迷うな。かわいそうに」

「全くだ」


 ちっとも、かわいそうと思っていないような言い方で二人が肩をすくめた。


「そんな馬鹿な……」


 現在だけでなく将来まで断ち切られそうなトビアスが頭を抱えて、うめいた。


 アスランが膝をつき目を細めて、じっくりと体の芯にまでしみこませるように告げた。


「ニナ嬢は城で預かる事になった。ひいてはニナ嬢、そしてその家族に起こりうる全ての事が俺の――王族の責任になったというわけだ。君はまだ彼女に執着しているようだが、今後一切関わるな。彼女の家族にもだ。もちろん俺がわざわざこんな事を言わなくても、君はちゃんとわかっているだろうけどね。何しろ君は――」


いったん言葉を切る。


「『身の程を知る』男だから」


 笑顔で放たれる嫌味ほど恐ろしいものはない。

 見とれるほど優雅な笑みを浮かべているはずなのに、アスランの周りにははっきりと不穏な空気がうずまいていた。


 ニナは息を呑んだ。怖い。ドラゴンとはまた違った意味で怖い。


 トビアスが顔をゆがめて地面にうずくまった。まるで、ぼろきれのようだ。風に吹かれたら飛んでいくのではないかと思うほど存在感も何もない。



 アスランが振り返って言った。


「さあ、城に戻ろう」

「ギシャ」


 ニナは笑ってうなずき、黄色い蝶を追いかけているドラゴン令嬢に目をやった。

 どうやって連れて行こう。言葉は通じないし、かといって縄でしばっていったらニナの家族が卒倒するだろう。


 ところが去ろうとする気配を察したのか、ドラゴン令嬢が蝶を追いかけるのをやめて、おとなしくニナの元へ近寄って来た。どうやらニナ――ドラゴンを近しい者として認識したらしい。


 ドラゴン令嬢が来る途中に、頭を抱えたまま地面にうずくまるトビアスの姿があった。

 しかし令嬢はぼろきれのようなトビアスを、そのまま、ぼろきれだと判断したようで、前を見たままトビアスを思い切り踏みつけた。


「シャー?」


 何か変なものを踏んだか? といった感じで振り返る。

 トビアスが最後の希望といった感じで、すがるような目を令嬢に向けた。瞬間、令嬢が足で「シャー!」とトビアスに土をかけた。くさいものには土をかける。間違っていない。




「どうかニナをよろしくお願いいたします」


 城へと戻る一行を、家族が丁寧に頭を下げて見送る。

 ニナは両親や兄の姿を頭の中に焼き付けた。

 必ず戻ってこよう。元の姿に戻って。ニナに心の底から笑っていてもらいたいと望んでくれた父親に、心の底からの笑顔を向けられるように。


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