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19 ドラゴン、決心する

「アスラン殿下……?」


 ドラゴンに続いて今度は王族の登場に、ニナの家族や使用人たち、そしてトビアスも一様にぽかんと口を大きく開けて目を見開いている。下位貴族が王族に相まみえるなんて、そうそうない事だ。


 いち早く我に返ったニナの父親が、慌ててアスランに向かって頭を下げた。


「殿下! どうかご無礼をお許しください! お恥ずかしいものをお見せしてしまい――」

「シャ―!」


 タンポポを食べるのに飽きたらしいドラゴン令嬢が奇声をあげ、再び「シャー! シャー!」と壁に体当たりを始めた。

 そして何かに気付いたように眉を寄せて、フンフンと鼻を動かして周りの匂いをかいでいる。


「やめるんだ、ニナ! アスラン殿下がいらっしゃるんだぞ!」


 父親が顔色を変えて止めようとするが、ドラゴン令嬢の動きの方が早かった。父親の手をすり抜けて、木の枝に止まっている鳥を見つけてジャンプした。

 もちろん中身はドラゴンでも体は令嬢なので、とても鳥には届かない。けれどそれがどうしてかわからないのだろう、悔しそうに「シャー!」と木の幹を爪でガリガリと引っかき始めた。


「ニナ、頼むからやめるんだ!」

「お嬢様!」


 兄とメイドたちが数人がかりで取り押さえるが、ドラゴン令嬢は髪を振り乱し後ろにのけぞりながら必死にもがいている。怖い。


「――すさまじいな」

「中身は野生のドラゴンですからね……」


 アスランと隊長が、あ然とした顔でつぶやいた。

 ニナとドラゴンが入れ替わっている事を知らないだろう騎士コンビや他の隊員たちは言わずもがな、だ。普段から厳しい鍛錬に耐え、どんな時でも冷静さを失わないように訓練を受けているはずの隊員たちが、ぼう然と裸足はだしの令嬢を見つめている。


 しばらくしてアスランがニナを振り返った。


「あの令嬢を保護して、一緒に城の別棟へ連れて行こう。ドラ――ニナたちが元に戻る方法を探さないと」


 ニナはしっかりとうなずいた。その時、不意に強い風が吹いた。風下にいたドラゴン令嬢がぴくりと体を震わせて、ゆっくりとニナに近寄って来た。

 騎士隊員たちが気味悪そうに距離を置く中、令嬢は眉を寄せてフンフンとニナの体の匂いをかぎ始める。


(何? もしかして私、くさいの!?)


「ニナ! 危ないから離れなさい!」


 いくら縄で捕らえられているとはいえドラゴンに近付く娘に、父親が叫んだ。

 けれどもちろん一向に介さないドラゴン令嬢は、ニナの足やお腹などフンフンと匂いをかぎ続けて、ふと表情をゆるめた。


 しいて言えば、なつかしい匂いをかいで安心したような、そんな表情だった。


「――自分の体の匂いを覚えているんじゃないか?」


 アスランの言葉に、ニナは思わず口と両目をカッと見開いた。「なるほど」と返したつもりだけれど、見る者からしたら怖い。


 令嬢はドラゴンだった時の自分の匂いを覚えてはいるのだ。今までニナに対して何も反応がなかったのは、見ただけでは以前の自分の姿だとわからなかったからなのかもしれない。仲間の――他のドラゴンを見た事がないのだろうか。

 そもそも、どうして一頭だけで王都内の森にいたのだろう。


 疑問がわいたが、ドラゴン令嬢はニナから少し離れたところにおとなしく座り込み、生えている草を引き抜いてまたモシャモシャと食べている。

 ニナの体なのだ。お腹を壊さないのかと心配になった。


「ニナ、離れなさい! ドラゴンに食われてしまうぞ!」


 顔色を変えた父親に、アスランが「アベーユ子爵」と丁寧に話しかけた。柔らかな物言いと優雅な物腰で、相手に拒否権を与えないアスランの技だ。


「失礼ですが、ニナ嬢は何かの病、もしくは悪しき魔術にでもかかっていると思われます。俺にニナ嬢を預けてもらえませんか? 城には高名な医者や司祭、魔術師もいます。彼らに見せたら原因がわかり、治せるかもしれません」

「本当……ですか?」


 父親が目を見開いた。暗闇の中に希望の光が見えた、そんな感じで心の内を次々と吐露する。


「トビアスとの事で心労がたたったのだと思い、様子をみておりましたが一向に改善しなくて。王都内の施療院に連れて行ったり、祈祷もしてもらいましたが効果はなく……。よろしいのですか? 私のような者の娘が、殿下のお手をわずらわせても……」

「もちろんです」


 アスランが微笑んだ。見る者をとろけさせる、とても良い笑顔で。


 しかし父親はとろけなかった。それどころか「お願いいたします!」とその場に両膝をついた。我を忘れて驚きに目を見張るアスランの前で、地面に頭をすりつける。


「私はただの子爵です。おまけに貧乏で、ニナにも何もぜいたくはさせてやれませんでした。使用人だけでは手が足りず、家の事も家族総出で行っているような始末で。それでもニナは文句をいう事もなく、いつも笑って手伝ってくれました。……どうか、ニナを元に戻してやってください。昔から悲しい事や嫌な事があっても、私たち家族には何も言わずに我慢して笑っているような、そんな子でした。私は娘のために何もしてやれない駄目な父親です。でも娘には誰よりも幸せになってもらいたいんです。いつも心の底から、笑っていてもらいたいんです。どうか、お願いいたします。私は、娘にこんな悲しい思いをさせるために十八年間、大切に育ててきたわけじゃない!」


 最後のほうは涙まじりの声だった。


「お願いいたします! どうか、どうか、お願いいたします!」


 土が顔や体につくのも構わず、ひたすら頼み込む父親の隣で、母親も髪が地面に付きそうなほど深く頭を下げる。


 誰も一言も発しない中、アスランが父親の前でゆっくりと地面に片膝をついた。


「顔を上げてください」


 涙と鼻水と泥でぐちゃぐちゃになっている父親を、いたわるように微笑む。


「娘さんは必ず、何としても元に戻します。約束します」


 真摯しんしにうなずく第二王子に、父親は「ありがとうございます……」と涙声で、再び深く頭を下げた。



「良い親だな」


 ぽつりとつぶやいた隊長の隣で、ニナは泣きながら、うなずいた。胸が張り裂けそうなくらい申し訳なくて、同じくらい嬉しかった。


 兄やベテランのメイドが両親の肩を抱いて立ち上がらせている。近付いて手を取りたいのに、ドラゴンの姿ではそれができない。元に戻りたいと強く思った。必ず元のニナに戻ろう。そして笑って両親に会いに来よう。そう決心した。


 その時トビアスが、へつらうような笑みを浮かべて近付いてきた。


「アスラン殿下、せっかくのお申し出ですが必要ないと思われますよ。ニナのおかしな態度はただの演技です。嘘なんですよ」


 ニナは目を見張った。長い時間をかけてせっかく閉じた傷が、また開いたような感じがした。


「ニナは僕に未練があって、気を引きたいがためにこんな異様な態度を演じているんです。涙ぐましいですよね。ここまでされたら元通りになってやってもいいかなと思いまして。ニナはアベーユ子爵が先ほど言ったとおり従順でおとなしい娘なんですよ。それだけの魅力と言ったら、それだけですが」


 ニナの体が小刻みに震えた。

 何をどうしてもトビアスには伝わらないのだ。他人が何を言おうと自分の思う通りにしか受け取らないのだから。


 けれど、その対象が自分になると悔しい。悔し過ぎて体の震えが止まらない。



「何もわかっていないな」


 ひどく冷ややかな目をトビアスに向けてアスランがつぶやいたが、歯を食いしばるニナの耳には入らない。

 アスランはそんなニナをじっと見つめて、そして隊長に近付いた。



 不意に体にかかっていた縄が外れてニナは自由の身になった。驚いて視線を向けると、隊長から縄の端を受け取ったアスランがわざとらしく大きな声を出した。


「あ、しまった! ドラゴンの縄が外れてしまったぞ。おかしいなあ」


(……何?)


 呆気にとられるニナの後ろで


「下手くそな演技ですね」

「棒読みだな」


 と副隊長と隊長がアスランには聞こえないようにヒソヒソとささやき合っている。


(演技? もしかして……)


 ようやく意図する事がわかって大きく目を見開くニナに、アスランが「お好きなように」と言うように微笑んだ。どことなく楽しそうだ。


 ニナはうなずき、ただでさえ怖い顔がさらに迫力を増すように眉をギュッと引き締めた。

 傷ついて泣いていた以前のニナではない。今は最強のドラゴンだ。

 ドラゴンになったからこそ、できる事があるのだ。


 アスランが隊長たちに「ちゃんと聞こえているぞ」と笑顔で脅す声を背中で聞きながら、戸惑うトビアスを見すえた。

 そして深く深呼吸をして


「ギシャ――!!」


 これ以上は出せないというくらい声を張り上げて吠えた。

 ありったけの咆哮に空気が震える。場の空気が一変した。


 恐怖で落ち着きをなくすトビアス目がけて、ニナは勢いよく地面をけった。

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