17 ドラゴン、令嬢を見つける
(どうして私がいるの!? 何がどうなってるの?)
混乱する頭を抱えてニナは玄関の前にいる自分自身を凝視した。
確かに自分だ。間違いない。
けれど一番の自慢だった背中の中ほどまであるツヤツヤの長い髪は絡み合ってほつれているし、母親ゆずりの白い肌は泥で汚れている。着ているワンピースのスカート部分に卵の黄身だろうか、こぼした跡がそのままになっていて、おまけに胸元の細いリボンが引きちぎられたように無くなっていた。靴もはいておらず裸足である。
まるで、やんちゃ過ぎる小さな男の子のようだ。
そして何より立ち姿がちょっと怪しい。がに股で若干背中を丸めて、両手をゆるく前に垂らしている。きょろきょろと常に周りを警戒していて視線も落ち着かない。
(何か、おかしい)
違和感の正体を突きとめようと首をひねっていると
「シャーー!!」
突然、視線の先のニナが奇声を上げて、ドラゴンなニナはビクッと体を震わせた。
俊敏そうな体格の野良猫が柵を越えて入ってきていた。
視線の先のニナが足を大きく開いて上体をゆっくりと前に倒し、獲物を見るようにランランと目を輝かせた。猫も人間を見て逃げるどころか、敵を見つけたように逆毛をたてて戦闘態勢に入る。
「シャー!」
「フミャー!」
双方同時に地面を蹴った。ニナと猫が全力でもみ合い、つかみ合う。
(何、これ……)
ぼう然とするしかない。令嬢と猫が互いの爪を繰り出して真剣にケンカをしている。どう見てもおかしな光景だ。体格も種別も大きく違うのに同レベルの戦いを繰り広げているのだから。
そして真剣に猫と引っかき合っているのは、残念な事に自分自身である。
(異様だわ)
茂みからこそっと顔だけを出し、地面に膝をついて一心に見つめていたニナは、ようやく違和感の原因にたどり着いた。
猫と張り合っている令嬢が「人間らしくない」のだ。襲いかかる猫を両手で捕まえようとも引きはがそうともせず、同じように爪で引っかいたり口を大きく開けて噛みついたりしている。
あれでは、まるで獣だ。外見だけが人間で中身は獣。外見がドラゴンで中身は人間の自分と正反対だ。
(……え!?)
不意に、今までぼんやりとしていた記憶がはっきりと色を持って脳裏を駆け抜けた。
ニナがドラゴンになる前、王都内の森を馬車で走っていた時、何かが馬車にぶつかり衝撃とともに車内から投げ出された。そこへ飛び込んできた大きな赤い物体。うろこだらけの皮膚と鋭いキバ。目が合った瞬間、頭同士がぶつかった。その大きな何かは――。
(ドラゴン!? 今の私のこの姿!)
毎朝、鏡で見るドランそのものだ。
(ぶつかった時に中身が入れ替わったって事?)
ニナは息を呑んだ。信じられないし受け入れがたいけれど目の前の光景がそうだと告げている。
ニナはドラゴンに姿を変えたのではなく、ドラゴンと中身が入れ替わっていたのだ。
がく然となるニナの前で、再び玄関の扉が開き、血相を変えた中年のメイドが飛び出して来た。
「ニナお嬢様! おやめください!」
ニナが産まれる前からアベーユ家に仕えてくれているベテランのメイドだ。なつかしくて思わず立ち上がってしまい、我に返り慌てて隠れ直した。見つかったら捕まって副隊長の元へ引きずり出されてしまう。
しかしベテランのメイドは気付かなかったようだ。というより周りを見る余裕がないのだろう。青ざめながら包帯を巻いた手で、猫とケンカするニナ――ドラゴン令嬢を後ろから羽交い絞めにした。
メイドの姿を見た途端に猫は逃げていき、ドラゴン令嬢が「シャー!」と吠えながら後を追おうとして全身でもがく。メイドが暴れるドラゴン令嬢を必死の形相で押さえながら叫んだ。
「誰か、誰か来て! ニナお嬢様を止めてちょうだい!」
他のメイドや執事たちが慌てたように出てきてドラゴン令嬢を取り囲む。
しかしベテランのメイドに代わって取り押さえようとした執事は思い切り手を噛まれ「痛い!」と悲鳴をあげて、うずくまった。
「シャー!」とうなり声をあげてにらまれた若いメイドが、怯えたように後ずさる。
「ニナお嬢様、おやめください! 人に噛みついてはいけません!」
「うわあ、爪で引っかかれた! やめてください、お嬢様!」
「落ち着いてくださ――きゃああ! こっちへ来ないでください!」
「シャ――!!」
(何なの、これ……)
目の前で繰り広げられる地獄絵図とも言える異様な騒動に、ニナはぽかんと見入るしかない。
大変なのはわかる。皆が真剣に困っている事もわかるのだが、輪の中心で暴れているのはどこにでもいる普通の令嬢で、なおかつ自分自身なのだ。
(どうしよう)
何とかしたいが、ドラゴンの姿では止めるどころか出て行く事すらできない。
続いて「やめないか、ニナ!」と玄関から姿を現したのは父親のアベーユ子爵だった。
(お父様!)
久しぶりに見る父親の姿に涙が出そうになり、以前より明らかにやつれた姿に本当に涙が出た。ふくよかだった体が半分になっていて、元々少なかった髪の毛はほとんどない。丸かった頬もこけている。
父親は背後から羽交い絞めにされている娘に近付くと、その肩に言い聞かせるように両手を置いた。
「トビアスから一方的に婚約を破棄されてつらいのはわかる。それで心を病んでしまったのだろう? 浮気されて、しかも子供までできていたのだ。お前が多少おかしくなっても仕方ない。だが私は信じている。お前なら必ず立ち直る事ができると――痛い、痛い!」
信じている娘に容赦なく顔を引っかかれて父親が悲鳴をあげた。
「旦那様、大丈夫ですか!」
「ニナお嬢様、お父上に何て事をなさるのです!」
使用人たちが騒ぐ中、ようやくメイドの手を逃れたドラゴン令嬢が今度は屋敷の壁に向かって体当たりを始めた。「シャー! シャー!」と叫びながら、それはもう助走をつけての全力の体当たりだ。
「やめてください! 怪我をしてしまいます!」
メイドの制止する声はもう涙まじりだ。ドラゴン令嬢の中身がドラゴンだとわかっているニナには、ただの習性だとわかるけれど、使用人たちからしたらはっきりと異様な行動だろう。
「ニナ! やめるんだ!」と兄が顔色を変えて飛び出してきた。妹の行動に顔を歪めて、誰にともなく大声で叫んだ。
「これも全ては妹に不誠実な事をしたトビアスのせいだ! トビアスに婚約破棄を告げられて家に帰ってきた時から妹はおかしくなった。御者が言っていたじゃないか。馬車にドラゴンがぶつかってきて、そのドラゴンが気絶している間に急いでニナを連れ帰ってきたと。王都内の森でドラゴンが出たなんて今まで聞いた事がない。それもこれも全てはトビアスのせいだ。あいつが不幸の元凶だ!」
頭を抱えて、うめく。
ニナは申し訳ない気持ちで心が一杯になった。ニナがアスランたちと過ごしていた間、ドラゴン令嬢はニナとしてずっとこの家にいたのだ。体は非力な令嬢だが中身は野生のドラゴンだ。言葉なんて通じない。
自分がドラゴンと入れ替わってしまったせいで家族や使用人たちに多大な迷惑をかけていたのか。
「ああ! お待ちください、ニナお嬢様!」
「お嬢様がまた逃げたぞ! 追いかけろ!」
見れば、ドラゴン令嬢が転げるように柵を乗り越えて外へと駆け出して行くところだった。ほぼ四つん這いで走る令嬢を使用人たちが慌てて追いかける。
ニナは覚悟を決めて立ち上がった。ドラゴンの力があればドラゴン令嬢など簡単に押さえ込めるだろう。見つかって捕まってもいい。せめて今の自分にできる事はこれくらいだ。
深呼吸をして茂みから出ようとした時、大きな音をたてて一台の馬車がアベーユ家の敷地内に入ってきた。大きな飾りのついた外装には見覚えがある。
「待つんだ、ニナ!」
車内から姿を現したのは、二度と会いたくないと思っていた元婚約者のトビアスだった。




