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16 ドラゴン、逃げる

 その夜、ニナは寝ようと寝台の端に丸まった。窓の外は真っ暗だ。風のない静かな日で、その静けさがなぜだか気味悪く感じた。副隊長と騎士コンビをのぞく、隊長や他の騎士隊員たちがアスランについてレモネ侯爵家へ行ってしまったため、別棟内は静まりかえっている。


 何とか眠ろうと努力するが、夕方に庭園で見た副隊長と宰相の密会現場が気になって寝付けない。副隊長は公爵家の子息だと言っていたし、第二王子付きの騎士隊員でもあるから宰相と話をしていても何ら不自然ではないのだが、人目を避けるようにこっそりと会っていた事が気になるのだ。

 何しろ宰相はアスランがドラゴンを保護する事に反対しているのだから。


 暗闇の中、目を開けたままじっと考えていると、不意に「誰だ!?」と切羽詰まったようなルークの声が遠くで聞こえた。続いて何かが割れる音と「待て!」とトウマの叫ぶ声。


 緊迫感ただよう響きに、ニナの心臓の鼓動が早鐘を打った。息を呑んで耳を澄ます。一階の玄関ホール付近だろうか、もみ合う気配と一心不乱に走るいくつもの足音とがドラゴンの耳に届いた。


(何が起こったの!?)


 慌てて飛び起き、足音をひそめて恐る恐る部屋を出た。瞬間、待ち伏せていた人影に、固い棒のようなもので思い切り鼻先を殴られた。


「ギシャ! ギシャ―!」


 人影――黒いフードをかぶった長身の男はニナを気絶させて生け捕りにするつもりだったのだろう、容赦のない重い一撃だった。鳥肌がたつような痛みにニナは顔を押さえて鳴く事しかできない。

 いまいましそうに舌打ちをする長身の男の背後で、同じく黒いフードで顔を隠した背の低い太った男がオロオロしている。


「おい、早く仕留めないと……」

「わかっている!」


 長身の男が苛立ったように、ニナに向かってもう一度武器を振り上げた。


(嫌だ、怖い!)


 痛みと恐怖で体が動かない。凍りつきそうなくらいの寒気が走った。

 そこへ


「おい、待て!」


 息を切らし、副隊長が駆けつけてきた。

 助けがきた。ニナは「ギシャ―!」とありったけの音量で叫ぶと、勇気を振り絞って長身の男に向かっていった。人を傷つけた事など今までない。恐ろしさに一瞬おじけづいたが、どうにかしないと自分がやられてしまう。


「ギャギャ!」


 男に向かって鋭い爪を振り下ろす。躊躇ちゅうちょしてはいけない。先ほど思い切り殴られたのだから。


(負けるか!)


 必死で繰り出した爪が男の肩を薄く切り裂き、男が肩を押さえてとびのいた。

 その時


「マーセル! ドラゴンを捕まえろ!」


 後ろに控えていた太った男――宰相が副隊長に向かって叫んだ。


「早く捕まえないか! 騎士隊長の地位を約束しただろう!」


 瞬間ニナの脳裏に、庭園で副隊長と宰相が親密そうに会話していた様子が浮かんだ。


(やっぱり副隊長は宰相の仲間なんだ……)


 副隊長はアスランを裏切ったのだ。ニナを北方の地へ追いやろうとしていた宰相の味方で、アスランや隊長たちが近くにいない今を狙ってニナを捕まえにきた。アスランから引き離すために。


「マーセル副隊長、ご無事ですか!」


 武装した兵士たちが正面の階段をのぼってくる。副隊長の名を呼んだという事は彼らも仲間なのだ。


(逃げないと!)


 ニナは身をひるがえし、痛みに顔をしかめながら全力で奥に向かって走った。


「待て、どこへ行く気だ!」


 副隊長の大声が追いかけてくる。捕まったら終わりだ。ニナは必死で奥の階段を飛ぶように駆けおりて奥庭へと続く裏口に向かった。

 アスランは副隊長が裏切った事を知っているのだろうか。「幼い頃からの友人だ」と誇らしげに微笑むアスランを思ってたまらなくなった。




「おいドラゴン! 待てって!」


 副隊長がドランに目をやった隙を狙って、長身の男が血のにじむ肩を押さえて逃げ出そうとした。副隊長は苛立たし気に舌打ちをして男の前へと回り込み、剣を繰り出す。逃げきれないと悟ったのか、男がローブの下から短剣を抜いて応戦した。激しい刃の応酬。

 男もなかなかの腕前だが、副隊長の方が動きが早かった。間一髪よけた男の体勢が崩れた足元を狙って刃を突き付け、床に男を押しつけてあっという間に腕をひねりあげた。

「くそっ!」ともがく男の背後で宰相が


「マーセル、やめろ! お前は私の味方だろう!?」


 と必死に訴えている。それを無視して副隊長は正面階段をのぼってきた兵士たちに


「ドラゴンが奥へと逃げた! 追いかけて必ず保護しろ!」


 と抵抗する男を縄で縛り上げながら叫んだ。そして男のフードを乱暴に取り払う。長い金髪を一つに結んだ、色の白いきれいな顔が現れた。副隊長が淡々と告げた。


「レモネ侯爵の息子――いや長男が爵位を継いだんだったか。その弟のダニエル・イラ・レモネだな。宰相の恋人で、隣国アストリアと裏で通じていたな?」


 男――ダニエルががく然となる。後ろで宰相も状況と自分の立ち位置を把握したようで、一瞬で青ざめた。ダニエルがあえいだ。


「なぜだ? いつから、わかっていたんだ!?」

「最初からだよ。アスラン殿下は全てお見通しだった。俺が宰相の仲間になったのも、ただのフリだ。殿下に言われてな」


 哀れみの目を向ける副隊長に、糸が切れたように宰相ががっくりと膝をついた。

 そこへ金髪ルークが息を切らせてやって来た。


「副隊長、隣国の賊を捕まえました! トウマが見張っています。火をつけて騒ぎを起こそうとしたようですが未然に防ぐ事ができました!」

「良くやった」


 副隊長がルークをねぎらい、頭を抱えて震えている宰相をあごで指し示した。


「ルーク、宰相を捕らえろ。ダニエル――この男と組んで隣国アストリアと通じていた裏切り者だ。それと悪いがドラゴンが逃げた。探せ」


 そしてニナが走って行った廊下の奥を見つめて、ため息をついた。


「あのドラゴン、絶対に誤解してるな……」



 * * *


 追っ手を振り切り、ニナは闇にまぎれて城を出た。頼るは月明かりだけだ。

 今すぐアスランに会いたかったが、舞踏会が開かれているレモネ侯爵家がどこかわからない。騎士コンビを頼ろうにも、そばには裏切り者の副隊長がいる。


(どうしよう……)


 どこへ行けばいいのか。とりあえず王都内の森まで来たが、それほど深くない森だし馬車の抜け道にもなっている。今は夜だからいいが明るくなれば人目についてしまうだろう。


(行くところがない)


 ニナは唇をかみしめた。頼る人も場所もない。アスランの元にいて、どれだけ自分が恵まれていたか身にしみた。


 心細さがつのる中、ふと家族の顔が浮かんだ。突然、姿を消したニナを心配しているだろう。ドラゴンの姿では会いに行けないし、城内から出てはいけないと言われていたから今まで心の奥底にしまい込んでいたが、一度思い始めると会いたくてたまらなくなった。

 すでに城は出てしまったのだ。誰かに見つかって捕まるくらいなら、その前にどうしても家族の顔を見ておきたい。


(本当に、最後になるかもしれないんだから……)


 込み上げてきた涙を無理やりこらえて、ニナは実家のある方向へと走った。そして気付いた。自分には翼があるではないか。城の別棟にいる時は飛ぶ必要なんてなかったから意識していなかったけれど、ドラゴンって飛べるものだ。

 背中にそっと神経を集中してみた。頑張って翼を動かしてみると、ゆっくりと体が宙に浮いた。


(やった!)


 嬉しくてますます力を込める。徐々に体が浮かんでいき、森の木々を下に見られるくらいになった。


(……でも疲れる)


 成長途中で翼が発達しきっていないからか、自分の体を支えて前に飛ぶのは体力がいった。


(とりあえず家まで飛べればいいんだから)


 歯を食いしばりニナは必死で翼を動かした。



 空がうっすらと明るくなってきた頃、ようやく実家へたどり着いた。一晩中飛び続けて翼の付け根と背中が痛い。殴られた鼻先も。

 それでもなつかしい風景が目の前に広がって、安堵のあまり泣きそうになった。慣れ親しんだ二階建ての屋敷、子供の頃に走り回った前庭。なつかしくて嬉しくて鼻の奥がツンとした。しかし


(……あれ?)


 ゆっくりと見回して、いぶかしく思い眉を寄せた。広くはない庭だが以前はきちんと手入れされて、花壇にも色とりどりの花が咲いていた。それが今は一輪も咲いていないどころか、根っこからむしられたように無残な姿をさらしている。

 屋敷だって一階の窓枠がいくつも外れているし、壁には何かがぶつかった後がそのまま残っていて、全体的に荒れた印象だ。以前とは全く違う。


 嫌な感じがジワジワと、のど元をのぼってきた。

 ニナがドラゴンになってアスランのところにいた間、何があったのだろう。


(もっと早くに来るべきだった)


 ひどい焦燥感にかられてニナは両手を強く握りしめた。事情を知りたいが、まさか玄関をノックするわけにもいかない。扉を開けてドラゴンがいたら――。反応を想像したくもない。


 どうしようと庭先で頭をふり絞っていると、玄関の扉が開いた。ドラゴンなニナは慌てて茂みのかげに隠れた。

 屋敷の中から出てきたのは――。


(え!? 嘘でしょう……?)


 驚き過ぎて声も出ない。長い茶色の髪に茶色の目。見覚えのある緑色のワンピースを着た中肉中背の女性。

 それは令嬢だった時の、ニナ自身だった。

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