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15 王子のひとりごと

 舞踏会が開かれるレモネ侯爵家へ向かう馬車の中、アスランは大きな息をついた。向かいに座る隊長がちらりと見てくる。


「お疲れですね」

「まあな。最近まわりが騒がしいからな」


 指で軽く襟元えりもとをゆるめながら、もう一度大きな息を吐いた。細かな宝石が縫い付けられた黒のマントが銀髪によく栄えて、疲れにかげった青い目と合わさって不思議な色気をかもしだしている。

 隊長が苦笑した。


「いつにも増して令嬢方が大騒ぎしそうですね」


 アスランは遠慮なく顔をしかめた。欲と熱を体中にみなぎらせて寄ってくる女性たちは苦手だ。男から与えられるものの数を、心の内で舌なめずりをして数えているような女性を見ると逃げ出したくなる。考えているとますます気が重くなってきた。

 その時、馬車が石を踏んだようで車体が大きく揺れたと同時に車輪をこする不快な音がした。


「申し訳ありません!」


 御者の謝罪な声が響き、隊長が小さな窓から顔を出して異常がないか確かめている。


 けれどアスランは思わず微笑んだ。石が車輪をこすった音がドランの寝息と似ていたからだ。

 昨夜の事を思い出した。昨夜も寝室に戻ったのは夜遅くの事で、疲れがたまっていて体も心も重くて、ため息をつきながら寝室の扉を開けた途端「ギシャー」とも「グシャー」ともつかぬ寝息が聞こえてきたのだ。


 寝台の端っこに赤い大きな物体が丸まっている。真ん中で寝ればいいといつも言っているのに、ドランは忠実にアスランの寝る場所を残して足元で丸くなって寝る。

 アスランが買ってきたドラゴン人形をどうやら気に入ったようで、ドランの顔の横には必ず小さなドラゴンがいた。


「ギシャーシャー……」


 泣き声と同じで寝息も決してかわいいものではない。むしろ怖い。ドランはたまに歯ぎしりもするが、鋭い牙と牙がこすれ合う音は刃物をこすり合わせる音に似ていて思わず鳥肌がたつ程だ。


 それなのに、なぜだろう。この寝息を聞いていると、体にたまった疲れがゆっくりと消えていくような気がするのは。


 アスランは寝台の端に腰を下ろし、固いうろこにおおわれた頭をそっとなでた。次の瞬間ドランがカッと目を見開いたため驚いて思わず手を離す。しかしすぐにドランの目は焦点を失ってさまよい、表面がでこぼこしたまぶたがゆっくりと落ちていった。そして


「ギシャーシャー……」


 再び怖い寝息が続く。


 寝ぼけているだけだと今ではわかるが最初は恐ろしかった。何しろ暗い室内で、燃えるような赤い目が突然開いてアスランを見すえるのだ。本気で食われると息を呑んだものだ。

 それでも今は


(変わったドラゴンだ)


 足を組み、膝に頬づえをついて、アスランは声をたてずに笑った。



 王都内の森でドラゴンが見つかったと初めて城内の奥庭でドランを見た時、保護をかって出たのは単純にかわいそうだと思ったからだ。檻の中で必死に鳴くドラゴンが哀れだった。


 不安がなかったと言えば嘘になる。けれどドランは想像以上におかしなドラゴンだった。

 明らかに小さいエプロンを無理やりつけてシチューを作って出迎えたり、向かい合って椅子に座ったり、いつの間にかドラゴンを敵視していた騎士隊員たちと仲良くなっていたり、ほうきで廊下をはいていたり、草むしりをしていたりした。


(本当は人間じゃないのか)


 そう思った事も一度や二度ではない。騎士隊員のルークやトウマも同じ事を考えていたようで、一緒にドランの背中を確かめた事もある。


「実はよくできた着ぐるみなんじゃないですか? 中に人間が入っていて、背中が糸で縫われているんですよ」


 そう言ったルークの言葉を笑い飛ばす事ができなかったからだ。

 しかし結論は着ぐるみではなかった。本物のドラゴンだった。寝ている時に思いっきりうろこを引っ張ってみたりもしたが、ドランは面倒くさそうに薄目を開けただけで、ちゃんと中身がくっついてきた。

 一度ドランが洗い物をしている時に隊長のハンネスがこっそりと背中をのぞいていたのを見たが、おそらく同じ事を考えたからだろう。


 今までにもおとなしくて小さな種類のドラゴンの保護施設に視察に行った事もあるし、まれに郊外で見つかって北方の地へと送られるドラゴンを見た事もあるが、ドランとは決定的に目が違う。

 他のドラゴンの目には本能以外何も映っていないが、ドランの目にはアスランが映る。ちゃんと見た者を映し出している。同じ人間のように。




 副隊長で幼馴染のマーセルが戻ってきた日、マーセルが酒を持って執務室へとやって来た。そこへ偶然、書類を持ってきた騎士コンビも一緒に酒を酌み交わした事がある。

 副隊長がグラスに琥珀色の酒を注ぎながら言った。


「そういえばアスラン殿下、隣国アストリアの王女との縁談話が持ち上がっていると聞きましたよ。絶世の美女だそうで。うらやましい限りですね」

「ただの噂だよ」


 皮張りのソファーに座って苦笑するアスランに、副隊長が続ける。


「このロサリオ国内からも隙あらば殿下に自分を売り込もうという女ばかりですよ。うちの姉妹たちも殿下に会わせろと顔を見れば言われますし。一人くらいどうですか? 俺が言うのも何ですが、そこそこの美女ですよ」

「よく知っているよ」


 副隊長の姉妹であるグラネルト公爵家の令嬢たちも幼い頃から知っている。彼女たちが知性と美貌を兼ね備えた女性である事はわかっているし、気心も知れている。

 笑みを浮かべたまま黙ってグラスをかたむけるアスランに、副隊長が焦れたように隣を振り返った。


「アスラン殿下の好みの女性はどんなか、お前たちも知りたいだろう?」


 いきなり話をふられて、緊張したように背筋を伸ばして座っていた騎士コンビが戸惑ったように顔を見合わせた。


「別にどちらでも……」

「知りたいです!」


 口をにごす黒髪トウマはおいて、興味深そうに身を乗り出した金髪ルークに「そうだろう」と意を得た様子で、副隊長が再びアスランに視線を移した。


「教えてくださいよ。殿下の事は昔から知っていますが、そういった話を聞いた事がないですから」

「好みの女性か……」


 苦笑しながらも考える。


「聡明な美女ですか? それとも色気のある女とか? 教えてくださいよ。隣国の王女や、うちの美人と言われる姉妹たちをも超える、殿下が思う絶世の美女とはどんな女か」

「……見た目はあまり気にならない。聡明だとか色気だとか、そういうのも特に気にならないな。そういった事ではなくて――」


 何をどれだけ持っていようと気にならない。たとえば顔立ちがきれいだとかスタイルが良いとか頭が良いとか、そういったものは個人の努力によるものもあるが生まれつきのものもあるから、持っているものが一個だろうが十個だろうがその数には興味がない。


 ただ自分が一個しか持っていない状態で隣の人が十個持っていた時に、その隣の人に嫉妬したり自分を卑下するのではなく、自分が持っているその一個に感謝できる女性がいい。

 ないものねだりをするのではなく、たった一個でもその価値をきちんとわかって大切にできる、そういう女性がいい。


 難しいのはわかっている。そういう女性だって神様ではないのだから時には他人に嫉妬したり、うらやましがる事もあるだろう。それでも悩みながら、自分を情けないと思いながらも、きちんとあるべき場所に戻ってこられるような、そういう女性がいいのだ。


「へえ……」


 驚いたように目を丸くする一同にアスランは我に返り、照れを隠すように微笑んだ。こんな事を他人に話したのは初めてだ。


「意外だ」

「でも何かわかる気がします。見つけるのが難しそうですが」


 うなずく副隊長とトウマの前で、ルークが感心したように首をひねった。


「相手の事を良く知らないとわかりませんもんね。……あ! 待って。いたかも。俺、見つけちゃったかも」

「どこに!?」

「誰だよ!?」


 食いつくトウマと副隊長に、ルークが「ドランですよ」と無邪気に笑った。そして「あれ? 違うかな?」と首をかしげた。


「ふざけるな。人間ですらないし!」

「真面目に考えろ!」

「うわっ……ちょっと、待っ……!」


 怒った二人がルークに無理やり酒を飲ませようとしている。


 アスランは微笑んだ。

 見知らぬ場所でせめて自分にできる事を考えて、それを一生懸命やろうとする。自分の事より他人の事を思いやれるドラゴンは、確かにアスランが考える女性に近いのかもしれない。


「そうだな。――もしドランが人間だったら理想の女性なのかもしれないな」




「――様。アスラン様」


 隊長の呼び声に、アスランはハッと我に返った。そうだ。レモネ侯爵家へ向かう途中だった。馬車は快調に進んでいる。


「もう少しで到着します。隊員たちの配置は言われた通りに」

「ああ、頼むよ。――充分気を付けろよ」


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