12 ドラゴン、カエルが怖い
お気に入りのエプロンをつけたニナがほうきで廊下を掃いていると、アスランに呼ばれた。
一緒に執務室へと入る。すると騎士隊長が両手を膝の上できつく握りしめながらソファーに座っていて、ニナはぎろりとにらまれてしまった。
(何!? 私、何かした?)
隊長に疎まれている事は知っているけれども。ビクビクしながら一生懸命考えていると更に苦虫を噛みつぶしたような表情で見すくめられた。怖い。
しかし
「すまなかった」
突然、隊長が深々と頭を下げた。もちろんニナに対してだ。訳がわからず、ぽかんとなるニナにアスランが説明した。
「先日、人形を持った兄妹がここに入って来ただろう? 彼らはハンネス――この騎士隊長の子供たちなんだ」
(ええ!?)
驚き過ぎて目が真ん丸になるドラゴン。
隊長はまだ頭を下げ続けている。言われてみれば、あの兄妹と顔立ちはあまり似ていないが真っ黒で固そうな髪の毛がそっくり同じだ。
(――待って。形見の人形だって言ってたよね?)
すると隊長は奥さんを亡くしたのだ。ニナはぐっと唇を噛みしめた。
隊長が頭を下げたまま続ける。
「親として監督不行き届きだ。本当にすまない。しかも娘が大事な人形をドラゴンに直してもらったと言い張る。隊員たちに確かめたら実際に直したのはルークだが、ルークはドラゴンに頼まれたからだと言っていた」
隊長が顔を上げてニナを見つめた。いつもの王子を守る騎士隊長の顔ではない。子供のために心から謝る父親の顔だった。
「命を落としてもおかしくない状況だった。子供たちは君に危害を加えたのに、君は子供たちに何もしなかった。ありがとう。本当にありがとう」
頭が膝にくっつきそうなくらい深く頭を下げる隊長に、ニナは慌てて胸の前で片手を勢い良く振った。「とんでもない。顔を上げて下さい」の意だが、どうやら通じたようだ。隊長がうるんだ目でニナを見返した後、ドラゴンを相手に本気で話していた事実に気付いたようで気まずそうに顔をそむけた。けれど、そこには以前の凶暴なドラゴンに向ける冷たさはない。
隣に座るアスランが優しい笑みを向けてきた。
「俺からも礼を言うよ。さすがは俺の妻だ」
ニナは驚いて真っ赤になり照れた。昔から引っ込み思案で特に秀でたところもなかったので、あまり褒められた経験がないのだ。
ひたすら照れるドラゴンにもう一度優しい目を向けてから、アスランが真剣な顔つきで隊長に話した。
「兄妹はどうやって、ここに入ったんだ? しかも人の少ない時を狙いすましたように。城内に手引きした者がいるな」
「そのようです。黒のフードをかぶった男で顔はよく見えなかったと。放し飼いにされたドラゴンのせいで私の身が危ないと言われて、居ても立ってもいられず乗り込んだそうです。本当に考えなしの子供たちでお恥ずかしい。ですが、あの子たちは三年前に母親を病気で亡くしているので――」
「その上、父親まで亡くしてもいいのか――と言ったか。卑怯な奴だ」
アスランが今まで見た事のないような怒りの表情になった。
兄妹は最初、盾の一つも剣の一つも持っていなかった。明らかに、誰かがドラゴンに襲わせようとしたのだ。兄妹はただのおとり――エサに使われた。
隊長の顔が憤怒に真っ赤に染まった。悔しくてたまらないのだろう。
「ハンネス」とアスランが隊長の名を呼んだ。
「お前の家に警護をつける。お前は兄妹に接触した者と、それを命令した者――いや、者たちか? 徹底的に調べろ。狙いはドランか、それとも俺か」
「はい」
隊長はアスランに丁寧に礼をした後で、「そうだった」と背後から片手で抱えられるくらいの大きさの素焼きの壺を取り出した。
「子供たちからこれをドラゴンに渡してくれと頼まれたんだ。人形を直してもらった事への礼だと言っていた」
渡された壺は軽くて、ところどころ小さな穴の開いたふたがしてある。
(何だろう?)
爪で引っかけてふたを開けた途端に、小さな緑色のものが勢い良く飛び出してきた。
カエルだ。何匹ものヒキガエルが入っていたようで、ジャンプしたり壺の内側をよじ登っては次々と外に出てくる。
「ギシャ――!!」
ニナは悲鳴をあげて壺を放り出した。虫も爬虫類も好きではないが、カエルは一番苦手なのだ。はっきり言うと大嫌いだ。壁際で丸まって震えるドラゴンをアスランと隊長が目を丸くして見つめる。
「ひょっとしてカエルが苦手なのか? ドラゴンなのに?」
「食料だろう。むしろ大好物かと。まとめて、ぺろりと食うのかと思ったが……」
ニナはパニック状態だ。足元にカエルが跳んできて「ギャギャー!」と壁に沿って必死で逃げ回る。
見かねたアスランと隊長がカエルを捕まえて壺に戻した。
「大丈夫か、ドラン?」
「ギャギャー……」
ニナはぐったりとソファーに倒れ込んだ。
ドラゴンが食べると、喜ぶと考えて兄妹二人で一生懸命捕まえてくれたのだろう。その気持ちは嬉しい。とても嬉しい。でも――。
(実際に直したのはルークだし。気持ちだけもらって、これは後でルークにあげよう)
部屋のすみに置かれたカエル入りの壺を恐る恐る見ながら、ニナはそう決心した。
「お」
「ギシャ」
台所へ行ったニナは隊長と鉢合わせした。
「いや、お茶を淹れようと思ってな」
隊長はそう言いながらも落ち着きなく台所中をウロウロしている。ドラゴンと一緒にいるのがまだ慣れないのかと思ったが、棚をあさる姿から茶葉やティーポットがどこにあるのかわからないのだと悟った。普段は下っ端の隊員たち――騎士コンビなどが淹れているのだろう。
ニナはティーポットを落としそうになりながらも、順序良くお茶を淹れて隊長に差し出した。ドラゴンの体に少し慣れてきた。喜ぶべきか。
「……うまい」
隊長と向かい合ってお茶を飲む。もっともニナは冷めるまで待ってから、両手でカップをつかみ一気に流し込むスタイルだけれど。
「――あの人形は妻の形見なんだ。だから娘はとても大事にしている。息子はその人形を持ち出した。ドラゴンをおびき出すためだと言って。いくら私の身が危ないと言われたからといって母親の形見を持ち出すとはな。情けない奴だ……」
隊長がひとりごとのように呟いて、やるせなさそうに首を振った。話し相手がドラゴンだと忘れたのか、それともドラゴンだから話すのか。
ニナは兄妹の兄を思い出した。木刀を持ってニナに殴りかかってきた。妹の人形を取り返すために。
青ざめて全身が恐怖に震えていたっけ。十三、四歳の少年が肉を簡単に食いちぎる凶暴なレッドドラゴンに襲いかかるのは、そりゃあ恐ろしかったろう。
人形を持ち出した事は確かに悪いとは思うけれど、彼はちゃんと取り返しに来た。怯えながらも命をかけて。それはきっと情けなくなんかない。
ニナは奥の扉から奥庭へと飛び出して、いくつもの木板の切れ端を集めてきた。驚きに目を見張る隊長の前で、爪で一文字ずつ木板に刻んでいく。途中で爪が割れるし、判別できるかできないかの下手くそな文字しか刻めなかったが、それでも真剣に見ていた隊長はこれが文字だとわかったようだ。
「文字が書けるのか!?」
ニナはうなずいた。隊長ががく然とした顔で見つめてくる。
騎士コンビには言いたい事が今まで何とか伝わってきた。アスランにもだ。だから書いてまで伝えようとした事はなかった。
自分が元人間だと伝えるか迷った事もあったが、目覚めたらドラゴンになっていたとニナ自身も信じられない事を伝える勇気がなかった。おかしな事を言い出して優しいアスランに嫌われたくなかった。ここを追い出されたらニナには行く場所がない。
『ちゃんと取り返しに来た。情けなくなんかない』
時間をかけて何とか刻んだ木板を隊長がじっと見つめる。まばたきもせず。
下手過ぎて読めないのかとニナが不安になった時、隊長が体の底から絞り出すように言った。
「――ありがとう」
ニナは微笑んだ。
アスランに伝えてみよう。自分は人間なのだと。こんな怪しいドラゴンを最初から信頼してくれたアスランなら、きっと最後まで聞いてくれるはずだ。




