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10 ドラゴン、少女に会う

 久しぶりに子供の頃の夢を見た。忘れもしないニナが九歳の頃、元婚約者のトビアスと初めて会った時の事だ。

 話は聞いていたが婚約者に会うという事で、子供だったニナはとても緊張していた。父親と一緒にトビアスの屋敷へと向かう馬車の中、一言も口をきかなかったほどに。


「二人で散歩でもしておいで」


 広々とした応接間で、互いに顔をそむけたまま全く話さない子供たち二人に、トビアスの父親が笑って言った。


 その頃のニナにはお気に入りの人形があった。五年前に亡くなった祖母から贈られたもので、ニナがどこへでも一緒に連れて行ったせいで、だいぶくたびれていたけれど、とても大事な人形だった。それを見せてあげようと思ったのだ。

 けれど期待に輝く目でニナが取り出した人形をちらりと見て、トビアスは言った。


「汚い人形だね。大事なのはわかるけど、もっと良い物を買ってもらえばいいのに」


(あれ?)


 子供だったニナは単純に意味がわからなかった。今は亡き祖母からの贈り物だと、自分にとってとても大切な人形だと言ったはずなのに。


(――そっか。これは、ただの汚い人形なんだ……)


 嬉しさにパンパンにふくらんでいた気持ちが急激にしぼんでいくのがわかった。

 自分が大切だと思うものがただの汚い物だと言われた事は、九歳のニナにとって並々ならぬショックだった。


 そしてそれよりもショックだったのは、それ以降その人形を見ても前みたいに大切だと思えなくなってしまった事だ。

 説明できない心のもやもやにニナは泣きながら、納戸の奥深くへと人形をしまい込んだ。

 それっきり忘れていた。




(なつかしい夢……)


 広い寝台の足元で目覚めたニナは一瞬、自分がドラゴンだという事実を忘れていた。体を起こし、うろこだらけの後ろ足が目に入って、ああ、そうだったと思い出した。

 そして慌てて寝台を見たがアスランの姿はすでにない。第二王子は公務や執務などいろいろと忙しいのだ。

 ニナは顔を洗いに急いで寝室を出た。



 * * *


 中庭のすみにある、簡素なレンガ屋根のついた井戸でニナは水をんでいた。令嬢だと重労働だがドラゴンは力があるので実に、たやすい。鼻歌をうたいながらガラガラと縄を引っ張っていると


「返して、お兄様! 返してよ!」


 少女の切羽詰まった泣き声が聞こえてきた。続いて、どこかうわずったような少年の声。


「これでドラゴンをおびき出すんだよ。ドラゴンは人間を食べるだろう。でも頭が悪いから、きっとこの人形を人間と見間違えて寄ってくるはずだ」


 頭が悪いと言われたドラゴンは井戸の裏側の茂みに隠れて、こっそりとのぞいているところだった。


 どうやって門番の目をくぐり抜けて城内に入り込んだのか、中庭の真ん中で十代前半くらいの兄妹がもみ合っていた。追いすがる妹を力で押しのけ、兄が高々とあげた右手には布製の人形が握られていた。妹の物だろう。


「私の人形を返してったら! ……ねえ、やっぱり帰ろう。ドラゴンに会ったら食べられちゃうよ!」

「大丈夫だって。小さいドラゴンらしいし」


 あどけない顔をはっきりと恐怖に引きつらせた妹の隣で、兄は平静を装いながらも落ち着きなく辺りを見回している。


(見つかったら大変な事になりそうだな)


 そう判断したニナは二人をこれ以上怯えさせないように、静かに遠ざかろうとした。しかし


「あ、ドラゴン!?」


 方向転換した拍子に、揺れ動く大きな影を見つけられてしまったようだ。兄の驚愕の声と妹の悲鳴が響いた。


(だめだ)


 騎士隊員たちに見つかったら今度は子供を襲ったと誤解されて、また檻に入れられてしまう。ニナは焦り、攻撃の意志がない事を示すために兄妹に向かって両手を上に上げて万歳をしながら、ゆっくりと後ずさった。


「うわああ!」


 しかし通じない。近い距離で見るドラゴンは想像以上に怖ろしかったのか、涙で顔をグシャグシャにして悲鳴をあげ続ける妹の背中を、兄が必死に押して逃げようとしている。その拍子に手にしていた人形が地面に落ちた。


「ギャギャ」

「きゃああ!」


「落ちたよ」と思わず親切を口に出したニナだが、二人はドラゴンに吠えられたと思ったのだろう。さらに鋭い悲鳴をあげて転げるように逃げて行ってしまった。


 残されたニナは、とりあえず人形を拾った。手作りのドレスを着た布製の女の子の人形だ。年季が入って少々くたびれてはいたが、着せているドレスは新品だし毛糸でできた髪もきれいに編まれていて、大事にされている事がわかる。


 ニナはふと今朝の夢を思い出した。子供の頃に大事にしていた人形と手にしている人形が重なり、胸の内ににぶい痛みが走った。


(どうしようかな……)


 今すぐにでも返してあげたいが、あの兄妹がどこの誰なのかもわからない。ここに置いておけばまた取りに来るだろうかと地面に戻そうとした時、背後でパキッと細い枯れ枝を踏んだ乾いた音がした。振り向くと先程の妹が体の前で両手を握りしめた体勢で、恐怖に怯えたように固まったところだった。

 おそらく逃げる途中で人形を落とした事に気付き戻ってきたのだろう。あれほどドラゴンに怯えていたのに取りに戻って来るなんて、よっぽど大事な人形なのだ。


 ドラゴンと目が合った妹は真っ青になりながら、かわいそうなくらいガタガタと体を震わせている。


(うーん……)


 ニナは考えて、今すぐ人形を地面に置いてこの場を立ち去る事にした。そうしたら妹は人形を拾って帰るだろう。手渡しなどしたら卒倒されそうだし。

 怖がりな妹が昔の自分と重なってニナは思わず微笑んだ。


 しかし人形を戻そうと体をかがめたニナに、妹は恐怖の限界を超えたらしい。果敢にも地面に落ちている石を拾って次々と投げつけてきた。


「きゃああ! あっちへ行って! 人形を返してよ!」


(ええ!? ちょっと待ってよ。今返して、あっちへ行くところだったよ!)


 威力は大したことないが、ニナが両腕を前に出して顔をかばったところへと石が飛んできて、ちょうど人形の肩の部分に当たった。


「あっ!」

「ギシャ!」


 年季の入った布製の人形はもろかった。左腕が布一枚残して、ようやくつながっているという状態で、ぶらんと垂れ下がってしまった。


「嘘でしょう……お母様の形見なのに……」


 ぼう然となる妹の小さな声は、心の柔らかい部分を突き刺すような悲しい声音だ。


(形見なんだ……)


 手の中にある壊れた人形と、生気のなくなったような妹の姿にニナまでつらくなってしまった。


(どうしよう……?)


 ニナは迷った。けれど何か少しでも力になりたくて、とりあえず一歩踏み出した瞬間、ドラゴンが襲ってくると思ったのか、妹が怯えたように身をひるがえして逃げて行ってしまった。大事な人形を置いて。

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