私たちの物語はここからだ!
勢いで書きました。
どこにあるのかもわからないこの学園は、世界中のありとあらゆるヒーロー、ヒロインを育成する学園である。
己に必要な主人公スキルを磨き、世界中の物語を完結へと導くために主人公力を鍛え、己の物語を完結させるために世界へと羽ばたいて行く。そんな主人公の卵達が集う学園である。
「ミギリ!おい、いい加減に出て来い、ミギリ!!どこだ」
私は己を探し回る声から全力で隠れている。
「いい加減にしないと羽交い絞めにして意識を落としてでも連れて行くぞ!!」
その怒声を聞いて私はより一層身を潜めている。あのセリフを聞いて誰が出ていくものか。それが主人公の所業か!?
私は己を守るため、全力で逃げに徹して見せる!!
しかし主人公の宿命は、無情にもそれを許さない。
「見つけたぞ……ミギリ」
どすを利かせた声で草をかき分け、中庭の雑木林の茂みの奥深くに身体を丸めて隠れていた私を見降ろしているのは、私のパートナーを務める世羽だ。
何のパートナーかと言えば、とりあえず次の授業でペアを組むパートナーだ。まぁそれ以上にもっと大事なパートナーなのだけれど。
「ははは、やぁ、世羽。いい天気だね」
「ははは、いい度胸だな、ミギリ。さぁ覚悟しようか」
私は真っ青な笑顔で、世羽はこめかみをひくつかせた笑顔でさわやかに挨拶を交わし、一瞬の間。
私はすばやく身を起して逃げの体勢をとるも、上から押さえつけるように世羽に押さえこまれた。
「ぐぇ」
「ヒロインの悲鳴じゃないな」
「うめき声じゃないかな……?いだだだだ、背骨が!背骨が上げちゃいけない音上げてる!めぎめぎいってる!!」
私がばんばん地面をたたくと、ようやく私を押さえこんでいた世羽が膝を背中からどけてくれた。……アクション漫画の主人公なのかな?そうなるとパートナーの私は幼馴染み系ヒロインになるのだろうか。というか世羽はヒロインに技をかけるような主人公なのだろうか。もしかしたら敵対する系ヒロインか!
世羽はこれ見よがしなため息を吐いた後、私にめんどくさそうに言った。
「おい、もう授業始まってんだぞ。いくら嫌いだとはいえ最後の授業までさぼる気か。主人公たるもの許されるのは遅刻までで、さぼるのはよほどの特殊生徒でもない限り、主人公としての単位認定されねぇぞ」
「うぅ……だってぇ」
意地悪く地面で、踏まれたカエルごっこをしたまま顔を上げない私に焦れた世羽は、私の腰の下にぐいっと腕をまわした。
そのまま俵のごとく肩に担ぎあげられた。
「お腹痛い!お腹痛い!!色んなものが出るっ!!」
「お前がゲロインでもない限り吐くな。意地でも吐くな。このまま行くぞ」
「ぅぐぐ、おぇ……静かに、振動はだめ!肩の骨が刺さる」
「暴れるな。大人しくしないとケツ叩くぞ」
私はぴたりと大人しくなった。
こいつはやると言ったらやる男だ。私がこれ以上暴れたら本気で子供の様にお尻を叩かれる。
しかもおあつらえ向きに私は肩に担がれて、お尻が世羽の顔の横にある。堤太鼓な姿勢で叩かれる。
私の顔が赤いのは、羞恥心なのか怒りなのかどっちだろう。
私はそのまま世羽に攫われるがごとく、授業の第四体育館まで連れて行かれた。
「あら、世羽&ミギリペアね。遅刻は二十七分……と。微妙な数字ね。どうせなら三十分遅刻の方が主人公らしいから、次から気をつけなさい」
「はい、すいません」
世羽は私を肩に担いだまま先生にぺこりと挨拶をした。
私は先生にお尻を向けたままである。
「ミギリさん。肩に担がれての登場は悪くないけど、担がれるなら担がれるなりにヒロインがとるべき姿勢があるはずよ。死体の様にぶらんとするのでもいいから、せめて世羽君の頭に頬杖つくのはやめなさい。それはヒロインとして減点よ」
「……はぁい」
先生に一通り注意を受けてから、私達も授業に参加する。他の生徒は既に黙々と授業をこなしている。この授業が嫌いで仕方ないから時間中全力で逃げようとしていたのに……。
悲しいかな、主人公の性。お約束の様になぜか見つかってしまうのだ。
世羽に肩からようやく降ろされて、私は圧迫され続けていたお腹をさする。
そして休む暇なく世羽にお姫様だっこされる。
びくりと固まる私に、先生がきりきり注意を飛ばす。
「ほらミギリさん!ヒロインたるものすばやく世羽君の腕に両手を回しなさい!それでバランスをとりつつ密着するの」
「ほら、早くしろミギリ」
世羽の顔面が、近い。
そして世羽には照れもない。当然だろう。見渡す限りの体育館には、お姫様だっこをされてるヒロインとしているヒーローしか存在しないのだから。
私が逃げ回っていたこの授業の名前は『恋愛』、本日の実技内容は『お姫様だっこ』だったりする。
先生と世羽に睨まれて、私はしぶしぶ世羽の首に腕を回す。顔が、近い。
「うぅ……世羽が近いよぅ」
「ほらミギリさん。ぼやいてないで世羽君に課題スタートのセリフを言いなさい」
先生が成績をつけているマル秘ノートを片手に、私に言った。
私は羞恥を堪えて世羽の目を見ないように俯いて告げた。
「……『わ、私……重くない……?』…………死にたい」
「『ちゃんと軽い。しっかりつかまってろよ』……昼に焼きそばパンとメロンパンとサンドイッチとチョコクロワッサンに、家庭科部所属のヒロインからもらったクッキーを食べていても、ヒロイン補正でちゃんと軽いから心配するな」
「うるさいばかー!!」
「アドリブの多いスタートだけど、まぁ合格ね。ミギリさんは昼から恋愛の実技授業があるのがわかってるのだから、お昼は軽めに済ませておかなきゃいけないわ。お昼一食軽くしただけで体重なんてほとんど変動しない、けれどそこをあえて気にすると言うその心理に相手への思いやりやヒロイン力を感じるのよ。これは言うなればヒロインとしての心構えね。世羽君はミギリさんを落としたら失格。荷物のように抱え直すのは減点対象だからずり落ちそうになったらミギリさんにうまく協力してもらいながら体勢を立て直しなさいね。ミギリさんはパンツを見せたら失格よ」
「私の基準だけおかしくないですか!?」
実技の授業なのに私達は制服である。セーラーかブレザーの好きな方を選べるので私はえんじ色のセーラー服風のミニスカート制服を、世羽はブレザータイプで現在は深緑チェックのズボンをはいて、ジャケットを脱いでシャツを少し着崩し、シャツを腕まくりして肘まで上げている状態だ。
体育の授業ではないので体操服ではない。お姫様だっこをされるシチュエーション的に、体操服を着ている状況などほぼないからだ。
「ヒロインたるもの、どんな角度でも気合でパンツは見せないものよ。守るのはパンツではなくヒロインとしての誇りよ!」
不可能を可能にする。それが主人公力だと力説する先生にはついていけない。
「先生、あそこでパンツ丸出しなヒロインがいますけど」
「彼女はそういうタイプのヒロインだからいいのよ。ミギリさんが彼女と同じドジっ子お色気ヒロインだというならば、むしろじゃんじゃん見せなさい」
「いいえ、私は己の尊厳を死守します」
気合いだ。気合でなんとか乗り切るんだ。
「そろそろいいか?黙らないと舌噛むぞ」
世羽が私に声をかけ、私が首にまわした腕にぐっと力を入れると、世羽が目の前の平均台に向かって走り出した。
平均台、大縄跳び、階段、坂道、ワックスまみれの床、足をとられる泥沼……。
二人で協力し合い、一体どんなシチュエーションを想定しているのかわからない、ありとあらゆる試練をペアでクリアしなければならない。
ゴールは当然保健室である。何が当然なのかは知らない。
お姫様だっこに求められるハードルは、高い。
主人公の卵達が集うこの学園にはろくでもない授業が多い。女性向けなら『恋愛』、男性向けならば『総合バトルアクション』、他にも『無駄技能』や『主人公道徳』等、意味のわからない謎授業は数えればきりがない。しかし、もちろんこの学園にも通常の授業はある。
通常授業は成績優秀な優等生主人公達が、己の価値を最大限に高めている時間だ。
私は全力で窓の外を眺めるタイプである。先生に注意されてもやめない。寝てる主人公もいるので、彼らよりはましだと思いたい。世羽は寝てるタイプの主人公だ。すごく羨ましい。
本日最後の授業は『主人公道徳』で、今日の内容は「悪役視点で振り返る、主人公の行動と信念」についてのディスカッション形式の授業だった。
放課後、ピンク色のチェックスカートにクリーム色のブレザーを着た友人のジュナがクッキーをくれた。家庭科部に所属する無口能力持ちヒロインで、お菓子作りが得意なのだ。
「…………」
無言ですっと差し出された女子力の高い、可愛らしいラッピングに包まれたクッキーを受け取る。
「いつもありがとね、ジュナ。これは何味のクッキーなの?」
「…………」
根気強く待つ。
ジュナはもごもごと口の中で言葉を必死に呟いているようだ。しかし見た目はロボットか人形のごとく無表情だ。
「………………っ」
さらに根気強く待つ。
「……コーヒー味」
ジュナは、ようやくそれだけを言いきって真っ赤になった。
やりとげた表情である。この学園は皆主人公たちばかりなので理解者も多いが、彼女が卒業後普通の物語で虐めに会わないか心配だ。というか確実に会いそうで怖い。
「なるほど。コーヒー味のクッキーね。楽しみにしとく」
私はそう言って、両手で大切にクッキーの袋を軽く持ちあげて笑って見せた。
「ジュナは相変わらず論外なコミュ力で相手頼みの交流をしてるわけ?あんたもヒロインなんだから、一歩は自分で踏み出さなきゃ始まらないのよ。あんたの物語がに学園みたいにみんなあんたの理解者ばかりってわけじゃないでしょう?将来どうするつもり?」
そういって颯爽と現れたのは、黒いセーラーに赤いスカーフの割と古典的なセーラー服の、釣り目気味の毒舌美少女菜々木だ。
菜々木の標的はそのまま私へと移った。
「ミギリもミギリよ!あんたそれでも本当にヒロインなわけ!?ヒロインなら自分で作って配り歩くぐらいしなさいよ!そんなだから凡人系ヒロインって言われるのよ!」
「ジュナ、訳して」
「…………、……『ミギリは特技を作った方がいいと思う。そうしないと昨今の突出系ヒロインの中に埋没してしまって、せっかくのミギリ自身の魅力に気付く機会がもらえないかもしれない。ミギリはとってもマイペースだけれど優しい子なのに、自分の魅力を人に伝えるのが下手くそなんだから、私心配だわ』」
ジュナが菜々木の手をそっと握って呟いた。
ジュナの能力は、触れた相手の心を読み取る能力だ。完全に心の内を読まれた菜々木は、真っ赤になってわなわなしている。
「……菜々木、怒ってる?」
真っ赤になってぷるぷるしてる菜々木にそっと窺うように尋ねると、菜々木はぎっと私を睨んだ。
「調子に乗ってるんじゃないわよ、この凡人ヒロイン!」
「……『誤解されなくて良かった。別に怒ってなんていないけれど、その上目遣いは可愛くてヒロイン力が高いわね。こ、今度真似してみようかしら。でも私がしても似合わないかもしれないわ。そもそもジュナに心を呼んでもらわなきゃコミュニケーションが成り立たない時点で、私にジュナを責める権利なんてどこにもないのよね……』……えっと、ごめん、ね。……私も、頑張るから…………」
こんなに長い心境が、あの短い台詞に要約されているのだ。わかんないよ。
私はジュナがいないと、菜々木と交流出来ないな……。そして相変わらず他人の心の内ならばすらすらと喋るんだね、ジュナは。
「学園卒業後の菜々木の物語には、ジュナみたいな心を読んじゃう能力者とか、異様に察しのいい相手役がいたらいいね」
私が本心からの言葉を贈ると、菜々木はうるさい!と怒って出て行ってしまった。
手を握ったままだったジュナがそれに引っ張られて出て行ってしまった。なんやかんやきつい言葉しか言わない菜々木も、心を読むジュナの手を自分から決して振り払わない辺り、非常にヒロインなのだ。
そして心が読めるとはいえ、たまに本気で心をえぐりにかかる菜々木の毒舌を受けても友達やってるジュナも、ヒロインなんだなぁと思う。
もしかして二人は実はパートナーなんじゃないだろうか。私と世羽みたいに学園滞在中に自分のパートナーがわかっているパターンの方が珍しいくらいなのだし、パートナーが異性とは限らないのだから。どんな物語に巣立つのかわからない以上、パートナーが必ず恋愛対象を指すわけではない。ジュナと菜々木はもしかしたら、ダブルヒロインの物語の主人公なのかもしれない。
そうだったらいいなと思う。一人残った教室で窓の外を見ながら、ぼーっと考えた。
「そして私もヒロイン……なんだよね」
「何たそがれてるんだ?似合わないな」
入れ違いに入ってきたのは、世羽だった。
「あぁ、世羽。何?私達のやりとりをこっそり聞いてましたってやつ?」
「こっそり事情を垣間見てしまうのも、主人公の特性だから仕方ないな」
無駄にかっこつけて壁に寄り掛かっている。似合わない。
「何悩んでるんだ?ミギリらしくないな」
「別に私だっていつでも能天気なわけじゃないよ」
私はちょっと言葉を選ぶようにしながら世羽に言った。
「私達って……明後日卒業なんだよね」
「そうだな。こうしているのも後わずかだ」
「私達は卒業して、この学園から出て行って、そこで初めて自分達の物語を持つ」
私達は主人公の卵。卒業して初めて自分の物語、自分だけの家族、過去と未来、そして本当の姿に本当の名前を持つ。
「世羽とも、もう会えなくなるんだよね」
「何言ってんだ?ジュナや菜々木ならともかく、俺とは嫌でも会えるだろ。お前と俺は同じ物語のパートナーなんだから」
世羽の言うとおり、私と世羽がパートナーなのはお姫様だっこのことだけではない。私達は同じ物語のヒロインとヒーローだ。
どちらが主人公でどんな物語のどんな関係性かはわからないが、同じ物語に登場するパートナーなのだ。
そうなんだけれども、私が言いたいのはそういうことではない。
「たとえ同じ物語のパートナーでも、そこにいるのはやっぱり世羽じゃないよ」
「何言ってんだ、ミギリ?」
世羽が少し困惑した表情で首をかしげる。
私を心配するように肩に手を置いて、私を覗き込んだ。
私は世羽を見上げる。私は座っているので、私の表情をうかがうために、世羽は少しかがんでいる。
「忘れてしまうのに、同じなわけがないよ。私達は卒業したら、ここでのことを忘れてしまうんだよ。今日のお姫様だっこで恥ずかしい思いをしたことだって、バトルアクションの授業で世羽が私にえぐい締め技を容赦なくかけてきたことだって、卒業したら忘れちゃうんだよ」
「ミギリ……?」
「忘れちゃうのに、恋愛とかバトルとかそんな授業でノウハウを受けて、意味ないじゃん」
私が恋愛をしたい相手は目の前にいるのに。ノウハウを駆使したい相手は目の前にいるのに。
やはり『恋愛』の授業なんて嫌いだ。
あんな授業がなければ、私はこの気持ちに気付かずに済んだのに。
なぜ世羽相手に告白の練習をさせられ、世羽から告白の言葉を受け、お姫様だっこされなければならないのだろう。
こんなもの私にとっては拷問で、生殺しで、でもやっぱり嬉しくて、ただ想いを募らせることしか出来ないのに。
気づくことさえなければ、私は恋愛系主人公のごとく、もやもや悩んで過ごしたりしなかった…………。
なんだかとっても、私らしくない。
「よくわからないが、俺もミギリも本質はかわらないぞ。ただ、忘れてしまうだけだ」
世羽は恋愛なら鈍感系主人公だね。あんまり似合わないけど。
この時の私は、自分が恋愛系主人公になったような気分に酔ってたんだと思う。
それは、ほんの少しの悪戯心と、焦燥感だった。
「忘れちゃうなら、いいよね」
そっと、腰を椅子から浮かせた。
私は完全に無意識だった。
これは、あれがわるい。
あの私の嫌いな『恋愛』の授業で何度もマネキン相手にやらされた「美しいキスの角度講座」がリフレインしただけだ。
なんでそこだけマネキン相手で、世羽が相手じゃないんだよと、心のどこかで思ったことが懐かしい。
けれど目の前にいるのはマネキンではなくて。
ほんの一瞬だけ、私と世羽の距離が重なって、ゼロになった。
マネキンと違って、世羽の唇はどこか生ぬるい体温があるし、弾力があって柔らかい。
やはり私と同じように、学園が支給している保湿ケアの薬用リップをそれなりの頻度できちんと塗っているのだろうかと、どこか冷静に現実逃避をした。
そして唇はすぐに離れ、世羽は目を丸くしながら私を見ている。
世羽の見たことないほど固まっている表情に、じわじわと自分のしたとんでもないことが実感を伴って、頬に熱が集まってきた。
私はあわててカーディガンの袖をひっぱって、ごしごしと世羽の唇を荒く拭った。
「ご、ごめん。ごめんなさい!忘れて!!」
そう言って、私はぐるぐるとパニックを起こしたまま、教室の窓から飛び降りる様にして逃げた。
「あんた馬鹿なの?そこでなんで最後まで『恋愛』の授業で習った『ドラマチックな教室からの立ち去り方』じゃなくて『バトルアクション』の『二階の教室からかっこよく飛び降りて、着地の衝撃を上手に殺す方法』が出てくるのよ!あんたはバトル漫画なのか恋愛漫画なのかどっちの主人公してるわけ!?」
「…………、今の菜々木の言葉はほぼ、本音だよ……」
私はその後、一人で悶えているところを菜々木とジュナにつかまって、ジュナの能力で状況を把握され、菜々木に毒舌ではなく割と本音で心をえぐられている最中だ。
現在は使われていない第六茶道室を勝手に使用させてもらっている。この学園はありとあらゆるシチュエーションに対応するため、基本的に教室に鍵はかかっていない。
私は畳の上に正座で悶えている。
「やめて!!真面目に解説しないで!!こんな恋愛物語の主人公みたいな思考キモイ!私じゃない!!まさか私恋愛物語の主人公なの!?」
私が土下座姿勢のまま畳をばんばん叩いていると、ジュナがそっと私に何か言おうともごもごしているようだ。
「…………」
「ジュナ、言いたいことがあるならちゃんと口に出してさっさと言う!今のミギリにあんたの言葉を、根気強く待っててあげられる余裕なんてないんだから」
ジュナはそっと、私の手を握った。そして、小さく深呼吸してから言った。
「…………、……ミギリちゃんは、忘れたくないのね…………。自分を、私達のことを、学園での思い出を、そして……『世羽』って名前の、ミギリちゃんのパートナーのことを……」
私はジュナの言葉に何も言わなかった。
「卒業したら、全部忘れてしまう。……だから、忘れたくないと、卒業したくないと思った。……卒業後に物語で出会った世羽君は、名前も姿も、声も過去も違う人で、もしかしたら人間じゃないかもしれない。それはもう……ミギリちゃんの知っている世羽君ではない。……そして、その『世羽君』を知っているミギリちゃん自身も、そこにはいない。ミギリちゃんは……それが、嫌なんだね…………?」
私の手に、菜々木の手もそっと重なった。
「ミギリ、このままここにずっといたいの?」
私はこくんとうなずいた。
「あんた馬鹿?そんなことしたら、ミギリの物語は完結しないんだよ?物語を完結させるのが、主人公の役目でしょ」
菜々木は呆れたような、幼い子を窘めるような口調で私に言った。
「物語はミギリを待ってるの。そこにはミギリだけの家族があって、過去があって、未来があるの。ここは忘れてしまう世界よ。同じ主人公の卵達が、つかの間の安らぎを得る場所。ここにいたら、何も始まらないわ」
でも、ここにしかいないものだってある。
ジュナや菜々木、世羽や私だって、ここにしかいないんだ。
「……ミギリちゃん。私も、卒業が怖い、よ…………?どんな物語に巣立つかわからないけれど、みんながみんな、ここにいる人達の様に、当たり前に私の能力を受け入れてくれるだなんて、思わないから…………。でも、私は卒業するよ。私は、私のパートナーに会いに行く。どんな姿になっても、記憶を失くしても、ここにいた私は消えない。ミギリちゃんのことも、菜々木のことも、きっと忘れてしまう。だけど…………忘れてしまっても、存在しなかったことにはならないよ。
それは、きっとどこかで、みんなの存在が私の心を守るから。覚えてなくても、私と同じ、主人公達が、この世界のどこかで物語を紡いでいるんだと、無意識のうちに知っているから」
ジュナは私の手を強く握ってそう言った。
「バッドエンドかもしれないよ。死んじゃうかもしれないよ?」
私が言い訳のようにぽつりと言葉をこぼすと、菜々木がため息をついて私に言った。
「ミギリはやっぱり馬鹿ね。物語がどういう結末をたどろうとも、私達自身がどうなってしまおうとも関係ないわよ。誰もが不幸になりたくてなるわけじゃない。そして主人公である私達の役目って、不幸になることじゃないわ」
「物語を完結させることって言いたいんでしょ?」
「誰かの感情を揺さぶることよ。私達の生き様で、誰かに何かを伝えるの。それが主人公よ。授業で何度も習ったじゃない!どうせ聞いてなかったんでしょ!!」
あぁ、私は本当に馬鹿かもしれない。
「ごめん、二人とも。私なんか自分を見失いそうになってた。慣れない恋愛とかするもんじゃないね。やっぱり私は恋愛系の主人公には慣れないよ」
「…………いつものミギリちゃんに戻って、よかった…………」
「ふん!めんどくさい凡人ヒロインなんだから。ミギリに恋愛系主人公なんて百年早いわよ!」
「そうだね。とりえあず世羽に謝ってくる。間違ってもいいけど、最後まで逃げたら私は主人公じゃなくなっちゃう」
にっこり笑うジュナと、腕を組んでそっぽをむく菜々木にお礼を言って、私はその場を後にした。
世羽は曰くがさっぱりわからない伝説の桜の木の下に佇んでいた。
さすが主人公補正だ。
私のか世羽のかわからないが、ちゃんと雰囲気にあったシチュエーションというものを用意してくれている。おあつらえ向きに一人だ。
万年満開の桜が何故禿げてしまわないのか不思議なほど全力で花弁を散らしながら、私の背中を押してくれた。
「世羽」
「ミギリか……」
世羽は私を見て顔を赤くした。やめてよ、私もつられて顔が赤くなるじゃないか。
「さっきの……」
「さっきはごめん。私、世羽の唇を奪いました」
私は今までやったこともないくらい、腰の角度九十度で素晴らしいお辞儀をして謝罪した。
「ミギリ…………」
「私、卒業が間近に迫って、色々不安になってたみたい。けど、もう大丈夫。ジュナと菜々木のおかげで、私は自分の気持ちに折り合いをつけた。だから世羽に私の気持ちを伝えたい」
私は大きく深呼吸して、まっすぐ世羽を見て、告げた。
「私は、世羽が好きです」
世羽は大きく目を見開いた。そしてゆっくりと閉じて、それからまっすぐ私を見て言った。
「俺は……ミギリのことを大切なパートナーだと思ってる。なんやかんや言いながらも、俺にとって特別な、戦友にも似た、存在だ。
けれど俺の好きは、恋愛感情じゃない。だからミギリの気持ちには答えられない。すまない」
私は笑った。笑っていると思う。笑って、世羽に言葉を返すのだ。
「うん。…………知ってるよ。だけど伝えたかったの。ちゃんと答えてくれてありがとう」
それくらいわかってる。だってパートナーだもん。共に物語を紡ぐ。大切なパートナーだ。
「明後日の卒業式は、一緒に門をくぐろうね。パートナーとして」
「あぁ、もちろんだ」
そこからどうやって世羽と別れたのか、覚えていない。だけどたぶん、私は最後まで世羽に涙を見せたりはしないだろうと、自分のヒロイン力を信じることにした。
私達の心境を置き去りに毎日は同じ速さで進み、あっという間に卒業式の日になった。
卒業式は粛々と進み、学園長先生からの有難くも無駄に長い挨拶もこれで最後なのかと思うと感慨深いものがある。
「…………ですから、皆さんはここでの記憶は忘れてしまうことでしょう。それではこの学園生活に何の意味があったのか、無意味ではないかと思ってしまう人も多くいます。
けれど忘れてしまっても、皆さんの心にはこの学園での出来事がどこかに存在するのです。そして自分達と同じ仲間の存在は、自分達が主人公で、誰かに物語を届ける担い手であると言う事実は、忘れてしまっていてもあなた達を支えることでしょう。
皆さんはたったひとつの物語の主人公にすぎません。いずれは忘れられてしまい、物語の名前や話すら忘れられてしまうかもしれません。ですが、あの時そういえばこんな気持ちになったというたった一瞬の為、その時抱いた、たった一瞬の感情のために物語を紡ぐのです。くじけても構いません。間違っても構いません。夜空に一瞬咲き誇る花火の様な感情を与える為に、主人公でありなさい。それは時によい感情であり、悪い感情であります。ですが、誰かの心に花火の様に咲き誇る存在でありなさい。それが主人公です。
皆さんの全てはここから始まるのです。恋愛であったり、冒険譚であったり、様々な物語の世界で、様々な運命を経て、その感情を昇華させ誰かに届ける為に完結させなさい。皆さんの物語はここから始まります。これは、打ち切りのセリフではありませんよ?文字通り、ここからがスタートです!」
講堂からは卒業生たちがぞろぞろと校門へ向かっている。私はジュナと菜々木と一緒にゆっくりと校門に向かっていた。
「あの学園長の締めの言葉って、毎年言ってるらしいね。あんまりウケてなかったけど」
「…………、ぅう……ひっく、……ぐす」
「ほらジュナ!いつまでたっても泣いてんじゃないわよ。不細工な顔がさらに酷く見えるわよ!最後ぐらいちょっとは綺麗な笑顔でさよならしなさいな。ただでさえ能面無口で何考えてるかわかんないんだから」
菜々木はジュナを容赦なく怒っているが、その口調は優しい。
ジュナはずっと菜々木の手を握って、うんうんとうなずいている。
「あ、私校門で世羽と待ち合わせしてるから、二人とはここでさよならだね」
私がそう言うと、ジュナが私をまっすぐ見て言った。
「……大好きだよ、ミギリちゃん。お互い頑張ろうね。お互いの物語を完結させられるように」
菜々木は少しそっぽを向きながら顔を真っ赤にして言った。
「ミギリと別れられて清々するわ。もう会うことはないけれど、精々凡人主人公として自分の物語をなんとかしなさいよね。…………元気でね、大好きよ」
「ありがと。私も二人が大好きだよ。ばいばい」
私はなんだか泣きそうになって、少し早口で笑って二人とお別れした。
駆け足で校門に向かうと、世羽が立っていた。
「やっと来たか。ミギリは最後まで遅刻系ヒロインだったな」
「私らしくていいんだよ。じゃあ、いこっか」
「あぁ」
二人で並んで校門の前にたった。校門の向こうはもやがかかったように見えなくなっている。
この向こうに、あるのだ。私達を待つ物語が。
「はは、なんだか緊張してきたよ」
「なんなら手でも繋いでやろうか?」
世羽が私を茶化すように言った。
「繋いで」
「え?」
私はそう言って、返事も聞かずに世羽の手を握った。
世羽はそれを振りほどこうとはしなかった。
「……俺、絶対恋愛系の物語の主人公にはなれないな」
「どうして?」
「手ぇ繋ぐだけでこんなに恥ずかしいのに、もっと恥ずかしい想いをしなきゃ、彼女の一人すら出来ないんだろ?恋愛系の主人公って」
真っ赤になりながら不貞腐れた様に言う世羽がなんだかおかしくて、私は思わず笑ってしまった。
「あはは、そうだね。じゃあ私も恋愛系の主人公にはなれないかな。ファンタジー系がいいな。私が主人公で、世羽は私のペット兼相棒の可愛い動物なの」
「ミギリが主人だと餌を忘れられそうで嫌だ。そこは逆だろ?ミギリがペットになれ。ちゃんと世話してやるから」
「それギャグ?寒いよ。世羽がペットのがいいよ」
「違ぇよ、馬鹿」
互いに軽口を叩いて、少しだけ笑って、それから自然と静かになった。
「いこっか」
「あぁ」
二人でまっすぐ、目の前のもやを見つめた。
「……もし、それでも、もし恋愛系の主人公になっちゃったら……。その時は今度こそ、世羽に惚れてもらえるようなとびきり素敵な女の子になるんだ」
私が世羽を見ないようにして、もやにむかって言うと、同じように世羽も、もやに向かって言った。
「なら俺は、今度こそミギリの想いに応えられるほどの主人公にならなきゃな」
「次会うときは物語の中でね」
「あぁ、俺達の物語の中でな」
小さく笑って私達はもやの中に歩いて行く。
きっと次に目覚めたときには、ここでの記憶もミギリと言う名前も、全てなくしているけれど。
主人公だと言うこのくすぐったい気持だけは、どこかに残っているといい。
「おい、避けろっ!!」
「ぐぇ」
「潰しといて悪いが、女の上げる悲鳴じゃないな」
上から衝撃があり、私はカエルの様に無様に潰れた。何がどうなってこうなった。
失礼なセリフを呟いた加害者らしき男の声に、ぎっと睨むようにして顔を上げた。
「悲鳴じゃなくてうめき声じゃないかな?人を踏みつぶしておいて―――……あれ?」
「ん?……なぁ、あんたどこかで俺と会ったこと……あるか?」
不思議に懐かしい既視感に襲われた。
人はこれを運命と呼ぶのかもしれない。
とにかく。
私達の物語は、ここから始まった。